神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
天井の崩落と同時にやってきた森羅は迷わず、鏡の前に立つ。澪からすると御影の冷静さも意外な反応だったのだが、森羅はまた一段様子がおかしい。
少なくとも、自分の家に侵入してきた悪魔を前に、心底うんざりしたため息を長々と吐き出せる人間が国家側の平均値と考えるのはたぶん間違っているはずだ。
「はああああ……おい、わかるか愚妹、そこの悪魔」
森羅が携えているのは、奇妙な形をした二振りの刃だった。分類としてはセレネも使っていた曲剣になるのだろうが、材質は刀のように薄く鋭い。森羅は二つの刀身へ小瓶に収められた血液を振りかけながら、苛立ちを露わにする。
「昨晩久々にイオから連絡があったと思ったら、とんでもない凶星が出てると言われる。イオのことだからまず当たる。とりあえず持っておけと言われて血も送られてきた。双星も悪いと言われれば愚妹が来る日に家から離れるわけにもいかない。絶対に過剰だと思っていた防衛設備が正しかったと実証されたからまたひどくなる。最悪の武器も持ち出す羽目になった」
こんこんと、淀みなく出てくる文句の数々。これには鏡も心配そうな表情と楽しげな声音で、小首を傾げて森羅に尋ねた。
「えっと、お兄さん大丈夫? 人ってイライラするときはカルシウム取るといいらしいわよ?」
「黙れ元凶……。ああ、そうだ。お前のせいで昨日からここまで苛立つ羽目になったんだ。お前がすべて悪い。だから」
森羅の目線が澪にやってくる。澪はすぐさまサブマシンガンの装填に。森羅は冷え切った目で、鏡を見下した。
「お前はここで死ね」
鏡が背にしていた壁が爆発。澪も建材が飛び散る中に踏み込んで、弾丸を胴体狙って全弾撃ち込む。容赦ない銃撃を浴びて鏡の胴体もズタズタに裂かれるものの、やはり回復が早すぎる。
竜の脱皮ともまた違う。あれが概念由来の現象なら、鏡はただ純粋に、生物としての強度と血液の利用──つまり、真祖として回復している気配。
「あははははは! ひどい、ひどすぎるわお兄さん! 妹を殺そうとするなんて!」
「うるさい黙れお前のどこが妹だ!」
「顔。体型。名前」
返事は鏡の足元の爆破だった。そのまま近付き、足蹴で壁際に追い込んでさらに起爆。森羅もすでにイオの血液を飲んでいるのだろう。身体能力が明らかに跳ねていた。
澪は再びサブマシンガンに装填をすると、安全装置をかけて背負う。刀を抜いて、全身に仕込んだ短刀の位置を重心の感覚で確かめながら、御影に尋ねた。
「……御影さん。吸血鬼はあそこまで無茶な再生ができるものなのか?」
澪の問いかけに、御影はまず目を丸くした。森羅と鏡の争いと口論は今も続いているが、御影の返事はそれでもはっきり聞こえるほどに確かなものだった。
「血を摂取すれば回復力は促進されるが、鏡の速度や規模はありえない。あれは人体改変の元になった空想と真祖伝承の──悪魔を殺し続けた猛将という、現代イメージの影響だろう」
「そうか。感謝する」
まったくもって厄介な、と澪はマスクの奥で嘆息を落とす。概念の弱みにつけこめるタイプでもないだろう。鏡も竜と同じように、ひとまずは殺し続けて生命力を削るしかないかと方針を固める。
「森羅、そいつを外に出せ」
「お前が命令するな!」
そう言いながらも、森羅はすぐさま動きを変えて鏡を庭に押し出した。澪は即座に追いかけて森羅と鏡の間に入ると前を引き継ぎ、鏡の喉を刀の切先で貫く。
「呪われたくなかったら下がっていろ」
澪の左手には拳銃が。鏡の口腔に銃口を突き入れると、頭蓋に向かって発砲。そして数歩後退。
澪が所持する銃弾はすべて純銀で作られている。悪魔に共通する弱点で脳を破壊されるのはさすがに痛いか、再生はしつつも若干遅い。森羅との距離が十分離れているのを確かめてから、ポーチに収めた呪詛の手榴弾を手にとって。
取り出すより先に、見抜かれた。
「──譲葉の呪い?」
「っ……!」
駄目。止まるな。音を入れるな。
わかっているのに、自分の声で譲葉の名を呼ばれた瞬間、思考が止まって──あるいは、飽和していた。
「ええ、わかるわ。私はあなたの鏡像だもの。譲葉がいなければ、私は楽園を見出すこともなく、院長に言われたように、今ごろきっと死んでいた」
呼ぶな。触れるな。侵すな。犯すな。奪うな。
「けれど、楽園を見つけても、証明の先にあるものはまだ見えない。未来は見えない。どうすれば唯我の名に報いることができるのかわからない。戦場に立てる時間を刻一刻とすり減らして、それでも戦えるのは幼い頃の絶望のせい? それとも──」
私の顔で、私の声で。
「譲葉の、おかげ?」
「……お前が、私の」
消えていた。警戒も、狩人としての自覚も消えていた。
沸騰する熱に突き動かされて、背中のサブマシンガンを引き抜く。装填していたのがまずかった。怒りに焼かれたまま、迂闊な攻撃を仕掛けてしまう。
「私の譲葉を、知ったように語るな!」
全弾の顔面接射。再生途中だった頭部はまたぐちゃぐちゃに砕けるが、まだ原型を留めている。
「ふふふ、あははっ! なぁに、澄ましたお顔をしてるのに、触れられるのも嫌なの?」
笑い声に誘われるように首を切断。それでも笑い声は止まらない。
「ねえ澪、わかる? どうして私が今を狙ったのか」
黙れ。黙れ。黙れ。
「譲葉がいないから。あなたはいつも譲葉と一緒。譲葉に守られているから。もしも譲葉がいたら、私はあなたに成れなかったでしょうね」
「口を、閉ざせ!」
「いやよ、せっかく形になれたのに。もしも私がペラギアに行けば、あなたの家族や譲葉は、私があなたの鏡像だって気付くのかしらね?」
「──だま、れ」
「ああ、それとも婆様の方がいいかしら? あなたの記憶のおかげで観測機械の居所も──あら」
澪の首根っこが掴まれて乱暴に投げ捨てられる。
澪はぜいぜいと荒れる呼吸と感情の中、受け身も取れず地面に転がりながら、すっかり再生した鏡に斬りかかる森羅を見た。
「森羅──」
「おい、愚妹。お前本当に狩人なのか」
血を帯びた刃の片方が鏡の胸に突き立てられる。傷だけなら首を斬り落とされた方がよっぽど重いだろうに、なぜか鏡は息を呑む。
「反論できないなら聞き流せばいいだろう。馬鹿か、馬鹿なのか。ああいや悪い、わかりきったことを聞いたな。お前は馬鹿だ。野蛮で脳筋な馬鹿だ」
「……うるさい、お前もそろそろ黙れ。無駄に心肺を使うな」
立ち上がる。焼けるような熱気はすでに遠い。
──神に縋る必要などない。楽園を望むなら、自ら掴めば良いだけ。
幼い頃から浸り育った楽園思想を口の中で唱える。修道院の娘なら、狩りの只中で考えるべきはただ一つ。
「そいつは私の譲葉を侮辱した。だから、私の楽園のために、私がそいつを殺す」
楽園のために悪魔を殺せ。