神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
本校の教官室。四公家エルダーガーデンの後継者である森羅は、元狩人として教官を務める老爺と一対一で向かい合っていた。
「ペラギアの、澪」
反復する森羅の声は、まだ十七の青年であっても、長年の重圧を直感させるものだった。教官は頷いて、女学院の代表に選ばれた狩人の情報を告げていく。
「ブルーリッシュの姫の随伴として、生徒籍を置いているらしい。実態は教導役だが、籍が生徒ならあちらが選ぶのも当然だろうな」
「そう、ですか」
答える森羅の声は、普段のものよりも強張っていた。教官はわずかに目を細めつつも、問いただすことはせず、修道院の狩人とペラギアという冠名への所感を告げた。
「修道院の狩人たちは、猟友会とは性質がかなり異なる。外部からだと、なかなか理解しにくいようだが」
森羅は何も言わず、続きを待っていた。教官も何かが普段と違うことは察しつつも、森羅自身が踏み込まれるのを拒んでいる雰囲気を悟ったから、やはり尋ねなかった。
「猟友会は楽園のために狩る。修道院の乙女たちは狩りそのものが楽園になる。孤児を引き取る修道院の性質上、どうしてもな」
「復讐のための狩り、ということでしょうか」
「ああ。ペラギアならばとりわけ、その気質が強まるはずだ。あそこの院長はまさに修道院の典型だった。随分昔に数回協働した程度だが、狩るために生きている女だったな、あれは」
教官の声音は呆れていても、表情は感嘆そのものだった。だからこそ、教官が続けた言葉には当惑が滲んでいる。
「澪という狩人もあのシトゥリが育てたなら例外ではないはずだが……。まあ、あそこは随分前からブルーリッシュの姫を預かっていた。年齢が近いなら、姉妹として同伴するのも不思議ではないか」
教官は一人納得して頷く。教官が不可解さを抱く言葉は森羅の思考には本当の意味では届いておらず、どれだけ無視しようとしても湧き上がる疑念と確信から目を逸らすことで精一杯だった。
教官は森羅と向き合って、静かな声で告げる。目の前の青年はあくまで四公家の後継者だ。狩人にならないことは知っているが、それでも才覚を見込んだ弟子の一人として、狩人との試合が森羅の人生の益になるようにと慣れない声で言祝いだ。
「森羅。相手は現役の狩人だ。それも、異例なほどに若い。勝てとは言わない。だが、彼女の世界に何らかの影響を与えれば、それはお前の勝利に等しい」
「……はい、ありがとうございます。恥は決して、晒しません」
森羅は言葉少なに頭を下げて、そのまま部屋から下がった。森羅自身、今の態度がらしくないことは自覚していたが、感情を表に出さないためには仕方ないと諦めていた。
古びた廊下に人の気配はない。森羅は壁にもたれると、顔の半分を手で覆い隠して重たいため息を吐き出した。
「修道院の、澪」
ペラギアではない。修道院という所属だけが重要だった。森羅の尖った犬歯が、ぎりと音を立てて噛み締められる。
「……さんずいに、
気のせいだ。ありえない。あれは何の価値もない、無意味な古代種。どこかの修道院にいることは幼い頃から知っていたが、だからといって狩人になれるはずがない。
森羅の理性は必死に否定しているのに、直感がどうしても消えない。ありえないのに、あれが自分の人生の前に現れるという直感が、あまりにも強く森羅を苛む。
エルダーガーデンのゼロ。森羅にとっては顔も声も知らないのに、常に脳の片隅を占め続ける忌々しい存在。人生の汚点そのもの。
口の端から薄く血が滲むまで痛みにすがり、森羅はどうにか思考を切り替えた。
「はぁ──ああ、関係ない。あいつがどこで何をしていようが、俺には関係ない。俺はエルダーガーデンの森羅だ。それだけでいい」
首を振り、ペラギアの澪とエルダーガーデンのゼロの存在を思考から追いやる。歩き出した姿に過去への拒絶は見えなくなっていたが、森羅自身、心のどこかではやはり確信していたのだろう。
顔合わせのために女学院に赴いたその日。相対した狩人の顔を見た瞬間の納得は、森羅自身も不愉快なほどだったのだから。
森羅が女学院に赴いて真っ先に見つけたのは、門扉に体重を預けて空を見上げる金狐の少女だった。友人の姿に森羅は硬直していた息をわずかにほどく。
「──イオ。すまない、待たせたか」
「ふっふっふ。うちが勝手に待ってただけだから気にしんといて。直接会うのは久しぶりね」
イオと森羅は一年前の交流試合で知り合って以来、妙な気安さを双方ともに抱く関係を築いていた。四公家の後継者として常に張り詰め、人間関係への深入りを意識して避ける森羅にとってはただ一人の友人と言ってもいいほどに。
イオは楽しそうに喉からの笑い声を立てながら、女学院の内部へ先導して歩き始めた。
「いやぁ、今年は決まるの早かったねえ。相変わらず強いみたいで嬉しいよ」
「俺は今年も君が選ばれると思っていたな。狩人がいるなら仕方ないが」
「贔屓目はやめとき。うちが強くないって知ってるでしょ?」
むぅ、とイオは金色の瞳で森羅を睨め付ける。自嘲はあっても卑屈ではない。イオの雰囲気は一年前と何も変わらず、歯痒さを見せていないことからも、件の狩人の実力は真正のものだと理解させられてしまった。
「執念なら俺よりよっぽど強いだろう。ここでもそれが評価されたと聞いた」
「む……。そこを言われるとそうかも? ま、そこも澪には到底敵わないけどね。あの子は強いよ、本当に」
イオが楽しげにその名前を口にした瞬間、森羅の右手がわずかに震えた。呼吸は乱れなかったから、背を向けて先導しているイオは森羅の動揺に気付いていない。
「知り合いなのか?」
「うん。何回かおしゃべりしてる。うちの天体観測が見てて面白いみたい」
「……そうか。たしかに、イオの星見は恐ろしいくらいだから気分はわかる」
「ちょい、恐ろしいってどういう意味よ?」
「褒めている方向だ。俺が見せてもらっただけでも悪魔の発生時期を毎回予言していただろうが」
坂道を登りながら、友人同士の気楽なやりとりを交わし合う。けれど校舎に入った瞬間、イオの耳がぴくりと震えた。
「……ん? なんやろ、なんか変な空気」
「変?」
「うん。こう、ただの直感なんだけど、空気がどこか」
イオの予感はひどく曖昧で、だからこそ無視しがたい圧があった。イオも森羅も今までの軽口は閉ざして、ペラギアの澪が待つ場へ向かう。
どよめきになれない静寂が、あたりを支配していた。
そして見えたのは、黒と赤のドレスを着た少女だった。
それは壁にもたれかかり、譲葉に寄り添われながら泰然と構える。周囲の生徒たちの困惑も意に介さず、ペラギアの澪はらしくない装いで森羅を待っていた。
「……お前、は」
「──ああ、ようやく来たか。遅かったな」
黒い髪と真紅の瞳。黒と赤のドレス。それはまさしく、この世にたった一枚だけ残されたエルダーガーデンの真祖の肖像画の生き写しで。
肖像画から抜け出したような小柄な少女は、森羅の姿に気が付くと愉快そうに口の端を吊り上げた。
困惑のざわめきがあたりに広がる。譲葉は柔らかく微笑んで、澪の傍らに立っている。反射的に湧き上がった森羅の殺意を、澪は笑って受け止めた。
「初めまして、と言うのが正しいのだろうが。同じ胎で育った仲だ。久しいとでも言っておこうか」
澪の腰に刀はない。森羅も獲物を携えていない。だからこそ、二人の殺意は形にならず、言葉と視線だけで交わされていた。
澪は笑う。その笑顔はあまりにも獰猛で、憎悪と執念の歓喜に満ちていて。
「久しぶりだな、兄上。──私の楽園証明を始めるにはまず、貴様を超えなくては話にならないからな。エルダーガーデンのゼロとして、戻ってきたぞ」
初めて出会う双子の片割れ。天才の兄と放逐された妹。
森羅は無条件の殺意と憎悪に飲まれながらも、この対面が避けられなかったことを理解していた。