神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
兄のターン開始です
森羅が猟友会に到着したのは鏡に襲撃された翌日の夕方に差し掛かった頃だった。まだ意識を取り戻さない鏡を狩人に引き渡し、そのまま教会の敷地内でイオを待つ。
一日ぶりに不快感の源から解放されて、疲労とも解放ともつかない息を落とすと周囲を見回す。
猟友会──狩人たちの本拠地は、とにもかくにも実利主義が目に見える空間だった。教会も名称から想像していた宗教組織とはまったく異なる質実剛健。資料や資材がそこかしこに積まれて、通りがかる誰も彼もが武人ばかり。教会はただ、狩りを降りた教師たちの巣窟だから教会と呼ばれて、それが狩人の外には宗教めいて聞こえているだけなのだと、知識だけはあった概念を実感させられる。
待っていたのは十分もかからない程度か。聞き慣れた友人の声がやってきた。
「お、いたいた。森羅!」
「イオ。悪いな、来てもらって」
「いいよいいよ、ここ広すぎるし。うちもまだよくわかってないもん」
金狐の少女は楽しそうに笑う。一ヶ月ぶりに見る表情は、隠れて生きるだけだと諦めていた以前よりも晴れやかではあったが、クマが刻まれているのは看過しにくい変化だった。
「イオ、ちゃんと寝てるのか?」
「うん、時間はきっちり」
「就寝時刻」
すっと、金色の瞳が逸らされた。やっぱりか、と森羅はため息を吐き出す。
「……起きたら星図解読。夜になったら明け方まで天体観測。いったん眠ってまた星図解読」
「ちょっと待って。なんでうちの生活知ってるん?」
「パターンが分かりやすすぎる」
「ぐ、くっ……!」
言い合いながらイオの先導で歩き始める。示し合わせたわけではなかったが、じきに日が暮れる時刻でイオが向かう先は星見台と相場が決まっている。森羅も目的地をわざわざ尋ねることなく、後を歩いた。
「にしてもあんた、元気すぎん? 聞いた状況がひどすぎたからさ、さすがにもうちょっとくらい疲れてると思ってたんやけど」
「ああ……列車なら、爆発物に包囲されていないからな。普段よりむしろ眠れたかもしれない」
森羅の思考に一瞬だけ母親の存在が──正確には今も進められているだろう、防衛設備の増築が意識に割り込んでくる。敷地全域に局所爆破を仕込み続けた結果、すべてが起爆可能になった空間をこれ以上どう改造できるのかは森羅でも読めないのに、あの母なら防衛力の向上と精神衛生の悪化を招くと確信できるからなおさら悪い。
森羅が隠そうとして結局こぼれた疲労の息に、イオは狐の耳をぴこぴことさせながらきょとんとした目で見つめてくる。けれど森羅が軽く首を横に振れば、それ以上尋ねてくることはなかった。
「イオ、この前は助かった。警告も、血も」
「当たってほしくはなかったんだけどね。ま、森羅が無事ならよかったわ」
連れて行かれたのはやはり星見台だった。高くへ登って、二人だけの場所に到着する。森羅は周囲に気配がないことを確信してから、猟友会までやってきた本題を口にした。
「……鏡が、君の血を嫌がっていた」
ぴくと、イオの顔が上げられる。やっぱりイオにも自覚はなかったかと、森羅はまた鏡への嫌悪を内心で深めた。
「すまない。たぶん、不愉快なことばかり話すと思う」
「……ううん、いいよ。森羅だって嫌がってるでしょ?」
イオの肯定に、森羅は鋭い犬歯で口内を噛んでいた。理由はわからない。考えるつもりもない。怒りだけが煮詰まっていく。
「冥婚者の血と、言っていた。心当たりは?」
「ない。ないって言いたいんやけど、ねえ……」
イオは問われ、がくりと肩を落とす。気落ちするままベンチに腰掛けると、自分の尾をきゅっと抱えた。
「ほらうち、カデナの隠し子でしょ」
「……ああ」
四公家の一つ、カデナ。隠匿されていると説明する声音は乾燥していても、理由を告げる声にはイオ自身の不安が滲んでいた。
「親がさ、いないのよ。亡くなったとか失踪したとか捨てられたとか、そういう理由もないのに、いないの」
「…………」
思わず、息を呑んでいた。隠し子とだけ聞いていた──踏み込んだから知っていたとはいえ、事情までは聞いていなかったから。森羅が逃げられなかった双子の片割れとはまた違う、ともすればあれ以上のきな臭さに、嫌な予感が思考に忍び寄る。
「何があったのかはうちもわからない。でもアウラの家に預けられて、カデナの縁者だってことは聞かされて育てられた。だから、うん。悪魔が適当言ってるだけって、否定できる根拠がないんよね」
いつの間にか耳もぺしょりと垂れていた。イオ本人は感情を取り繕うのが上手いのに、耳と尾のせいでひどく見えやすい。イオはじいと、対面に座る森羅を見る。
「ごめん。巻き込んだかも」
「違う」
すぐさま言い切る。イオが反論する暇もなく、森羅はそのまま畳み掛けた。
「俺が頼んだんだ。俺がイオに血を求めて、イオが提供してくれただけだ。イオになら頼めると……違うな。イオだから頼みたいと思って、俺が依頼した。それだけだ」
「……ん、そっか」
「ああ」
イオの表情がゆっくりと緩んでいく。イオは小さく笑い声をあげて、星を見上げた。
「ありがと。ただまあ、そうね。最悪、カデナに接触しないとかなあ」
「……そう、それなんだが、その、イオ」
「ん?」
イオの首が横に倒れる。イオが改めて目にしたのは、とことんまで疲れ切っているのに嫌悪と苛立ちも垣間見える、イオもあまり見たことがない森羅の姿だった。
「技術力だけは突出しているけれど、悪意なく人の嫌がる点だけを的確に踏み抜くほどに情緒が欠損した合理性しかない技術者に血を見せる覚悟はあるか?」
「ちょっと待って。いきなり多い。情報が多すぎる」
「ああ、悪い。依頼すれば何がしかの成果は出してくれると信頼だけはできるんだが、その過程に人の心が機能していないに等しくて、父がいないと確実に他人を破壊するうえに父が見ていてもなお事故を起こす技術者が君の血を見たいと言っていて」
「よし森羅、ちょっと落ち着こう。えーと、そのお人の具体的な被害例は?」
促されて、森羅の脳裏によぎったのは昨日の光景。あれならイオには実感も得られるかと、森羅は肩を落としながら答えた。
「愚妹が、逃げた」
「……わあ」
声だけは軽かったが、イオの表情は確かに怯えていた。
イオも澪とは友人──あるいは、澪こそがイオを観測手の道に引きずり出した元凶だ。澪の普段の振る舞いは知っているから、真那の恐ろしさも想像できたのだろう。森羅も真那に言及するだけで呼び起こされる記憶の数々にますます苛立ちを内心で沸かしつつも、声だけはどうにか平静を保ち続ける。
「善意なのは確かなのに、その表現の何もかもが最悪なんだ。まあ、愚妹に関しては状況が最悪すぎたのもあるんだが……」
「え、えっと……うん。技術だけは、信用できるんよね?」
「ああ、技術だけは。技術以外に信用できる面はまったくないというか、あの人と夫婦ができている父の感性もときどき不安になるくらいには人間性が最悪だけど、技術だけは信用できる」
「え、あんたのお母さん?」
「…………」
ガリと、森羅が噛み締めた奥歯が音を立てて、項垂れた。母親なのは受け入れていても、現実を外から突きつけられると耐えられない──と言わんばかりの落ち込みように、イオはひとまず森羅の肩を謝罪代わりに叩く。
「ね、森羅」
「あ、ああ……」
「そのお人に検査任せるからさ、あんたにも付き合ってもらっていい?」
「ああ、俺もそのつもりだ。そう、さすがに今回ばかりは殴ってでも制御しないとな……」
ストレス大丈夫なのか、と。イオも口にこそ出さなかったが、異様な多弁にはかなり本気で心配になってくる。
もともと森羅が抱え込みすぎているのはイオも知っていたが、まさか澪や生家での立場以外のストレス源まであったのは予想していなかった──というよりは、すでに見えていた範囲で抱えているものが多すぎて、無意識にこれ以上は人間に耐えられる量ではないだろうと考えていたと言うべきか。
これどうやって慰めよう、とイオが考えるうちに、星見台を上がってくる足音がイオの耳をひくつかせた。ひとまず森羅は放置して、階段の下を覗き込む。
「ありゃ、オレリアさん?」
「や、急にごめんねー。イオちゃん、エルダーガーデンのせがれってまだいる?」
「うん、ここに。何か用事でも?」
森羅もオレリアの存在には気付いてすでに面は上げている。やぐらの下から呼びかけるオレリアの声はひどく申し訳なさげで。
「いや、鏡がさっき起きてさ。お兄さんとお話ししたいわ、って──」
石造りの星見台に、刃が全力で突き立てられる音が反響した。
時系列もろもろ
・対抗試合直後にイオが猟友会へ(約一ヶ月前)
・イオ、オレリアの専属観測しながら星見は意地でもやめない生活突入
・森羅、イオが過労だからと連絡を自重
・鏡戦前夜、イオが森羅に警告。久々(一ヶ月ぶり)のイオからの連絡が警告だったり、多忙中のイオに血を送らせたりと、何もかもにとにかく苛立ち続けた結果、鏡への処刑宣告へ