神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
全部が正しいわけではないわよ、と鏡はまず前置きをした。鏡は自分に座る森羅を意識しつつも、牢の外で自分をじっと見つめるイオへちらちらと視線をやる。
「私が知っているのは死くんが教えてくれた言葉と、私が見た朧げな感覚だけ。お兄さん、それで構わない?」
「ああ」
「ではありがたく。──何もないのに全部がある。全部あるのに何もない。空っぽの海と、何かに満ちた空。死くんを映したときに、そんなイメージの何かがあの子の概念の奥底にあると感じたの。死くんはそれを、冥海と言っていたわ」
「……どうして、それがこの血に関係あるんだ」
「そう、そこ。だから私も気持ち悪いのよ。もしかしたら死くんならわかるかもしれないけれど、今の私は冥海の気配を知っているだけ。どうして生き血が死んでいるのか。死んだ血なのに生きているのか。わからなくて、矛盾が私を染めて、寒気がするの」
オレリアもおおよそを察したのだろう。イオを慮る目が懸念に揺れる。イオは口を開かないまま、オレリアへ視線を返して、大丈夫だと首を横に振った。
「冥婚の意味は?」
「ああ、それは私の直感。冥海そのものとはちょっと違うような、結んだ人みたいな……。冥海だけで表現するのは何か違う気がしたから、それっぽい言葉を使ったわ」
「……それっぽい?」
森羅の声に、いったんは鎮火していた気性の荒さが微かに覗いた。ええ、と鏡は芋虫にされようが椅子にされようが背中を刺されていようが、真祖の鏡像だったときとまったく同じ調子で告げる。
「この際だからぶっちゃけてしまいましょう。昨日は私も楽しすぎて直感だけで言葉を選んでいました。そこまで遠くはない自信はあるのだけれどね」
「っ、ぐっ……!」
森羅の喉からは、これは追加で刺していいものなのか、と苦悩が明らかな苛立ちの苦悶が漏れる。鏡はそんな森羅の様子を楽しげに眺め、イオはその隙にオレリアへ目配せを送った。
自分も入っていいか、と無言で尋ねる。オレリアは二秒躊躇い、頷いた。
「森羅、それの口開けて」
「え? ちょっと待っておねーさん、その要求は何のために──きゅっ!?」
森羅が鏡の顎を掴んで固定する。イオは小刀の切先を使い、薄く鮮血を滲ませた人差し指を鏡の口内にねじ込んだ。
「あんたもわかってたと思うけど、森羅に血を渡したのはうちよ」
小柄な身体に比例したように、小さな舌に血を触れさせる。森羅のもの言いたげな目を、イオは無視して問いかけた。
「鏡、教えて。この血、飲んだら何かありそう?」
指を引き抜く。解放された鏡はうきゅうと悩ましげな弱音を漏らした。
「う、ううう……破れ鍋綴じ蓋……」
「もっと飲みたい?」
「い、言うから! 一回じっくりとっぷり味わって答えるからお兄さんもおねーさんも一瞬くらい待ってちょうだい!」
「……早くしろ」
森羅から低く唸るような、これまでとはまた一段違う質の苛立ちがこぼれる。怒りのバリエーション多いな、とイオは内心で呟きつつも、こっそり目を閉じた。
以前に聞いた吸血の意味。人からの吸血が親愛や求愛を意味するほどに重いなら、森羅がどうやって折り合いをつけているにせよ、鏡がイオの血を口にした現実は不愉快極まりないのだろう。
「うう、澪は吸血鬼じゃないのに……。えー、妹鏡の結論ですが、摂取しても特に問題はなさげね。そう、あくまで気分の問題だけどやっぱりつらいの……。私の中で矛盾崩壊の波風がくるくるざぶざぶ回るのだわ──うきゃんっ」
森羅は背中の半ばで止まっていた刃をさらに深く沈め、そのまま素直に剣を引き抜いた。剣を抜くだけでなく、背中から立ち上がった森羅を、鏡は心から不思議そうな目できょとんと見つめた。
「あら。お兄さん、もう満足したの? てっきり私、可愛いお口の中にその剣二本とも突っ込まれると思っていたのに」
「答えた以上は応じただけだ。──いや、一応やっておくか」
「錆び針拷問を?」
「お前にこれ以上時間を割いてやるのも勿体無いし、今から針を探す方が面倒になってきた」
森羅はそう言いつつも、身動きが取れないまま床に転がされる鏡の前にしゃがみ込む。流されたままの黒髪を左手で掴み、右手に握った刃を器用に動かして、ばっさりと肩ほどの短さまで切り落とした。
森羅は切り落とした髪のおおよそを手に掴み、牢から出ると燃えるゴミに放り込む。鏡ははらはらと落ちる髪と頭の軽さをゆっくりと噛み締めて、わざとらしく叫んだ。
「ふう──切った!? 妹の髪を、お兄さんが、許可も取らずに、今さっき人の背中を容赦なく刺したばかりの血まみれになった剣で!? 櫛も通さずハサミも使わず、ただの凶器で!? 野蛮、野蛮すぎるわお兄さん!」
「喚くな、耳が痛い。これで愚妹と同じ形とほざく理由はなくなったな」
「なっ──おねーさん、このお兄さんひどい! ひどすぎるわ! 譲葉がいつも綺麗にしてる髪を切ったわよこのお兄さん!」
「いや、うちもこれは助かる。あんた、澪と同じ顔のくせに何もかも違うから頭痛いんよ……。あと澪の個人情報使わんといて」
「翼のお方、この人たちひどいわ。弁護士を呼んでちょうだい」
「巻き込むな。悪魔は狩るのが常識だから、あんたにそんな権利はない」
「そんなぁ。うう、悪魔だって祝福のおかげでお話できるようになってきたのに……。人を見ると殺したくて我慢できなくなるだけなのに……。私は澪の鏡像だからそんなに殺したくはなくなったけど……」
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「──譲葉? うん、久しぶり。ああ、婆様の部屋で休ませてもらってる。明日も泊まらせてもらって……ペラギアに帰るのは三日後か、四日後か、そのくらいのつもりだ」
「声、眠そうだけど寝てるのか? ──いや、それは言い訳になってない。前線に出なくても、寝不足が良くないのは全員同じだろう。ちゃんと寝てくれ」
「……そうだな、こんなに会わない日が続くなんて変な気分になる。譲葉の声だけ聞くのも思っていたよりは面白いけど、やっぱり譲葉と一緒にいる方がずっといい」
「ああ。おやすみ、譲葉」