神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
昨日のあらすじ:眠すぎて更新忘れを忘れていました
連続投稿は明日までになります
「よーしよしよしよし、よーしよしよし。怪我ないなー、出血だけだなー。よろしいお姉さんは許そう。よくがんばったぞー」
「ちょ、オレリアさん、はうっ」
鏡の檻から離れ、教会の玄関口に移動するや否や、イオがオレリアから浴びせかけられたのは抱擁と乱暴な撫で回しが伴う回転だった。
イオはわしゃわしゃと、狩人の身体能力による容赦ない可愛がりへ物理的に目を回す。オレリアは満足げに息をつくと、うきゅうと鳴くイオを森羅へ委ねた。
「まったく、色々やること出てきちゃったなあ。……森羅くん、真那がイオちゃんの血を調べるんだよね?」
「え、ええ。……母を、ご存知で?」
森羅はまずイオの身体を支え、オレリアには警戒を隠しきれない声で尋ねる。オレリアはふっ、と乾いた笑みを浮かべてから、かつての縁を口にした。
「お姉さんが今の君たちよりもう少し若かった頃の話なんだけどね、狩りのために国の方でしばらく技術者してたのよ。その時期に、うん。色々あって同僚にさせられかけた」
「それは、ご愁傷様でした……」
森羅の警戒が一瞬で同情に変化する。この少年の家庭環境、やっぱりまずいよなあ──とオレリアは確信を深めつつ、手で仰がれるイオに少しだけ目を向けた。
冥海。冥婚。カデナの血筋を物語る金狐。そして何より、たった一か月で自分の戦場に欠かせなくなってしまった観測手。
オレリアは腕を組み、脳内で今から取るべき行動を組み立てる。
「決めた。私もそっちに入る。森羅くん、真那には私から伝えとくから、ご当主の方に連絡任せていい?」
「え、オレリアさん!?」
未だダウンするイオは声だけをぶつける。詳細こそ言葉にはしていないが、この状況でイオが懸念しているであろうことくらいはオレリアにもすぐに掴めた。
「いいかい、イオちゃん」
「う、うん」
「──イオちゃんに甘やかされたせいでね。お前無自覚にペース上げすぎて観測手潰すだろって、教会の爺さん婆さんたちにめちゃくちゃ警戒されちゃってさ。単独狙撃部隊は前線に出られないんだ……」
「あ、うん。そうやったね……」
オレリア自身は前線に出ながら、複数操作する影法師による狙撃を同時並列で進行するという、観測手殺しの異質な戦術。
イオは長年の天体観測によって、膨大な情報を並列処理する適性を発達させていたからどうにか耐えられているが、イオの存在はオレリアにとって望外の奇跡そのもの。それだけにイオが観測機械から星図解読を依頼されてそちらに手を取られれば、オレリアも戦場に出られなくなるほどの依存が発生したのもまた避けられない必然だった。
「そんなわけで、私は祝福やらのせいで史上最悪と言えるほど厄介な状況の中、暇を持て余しているようなもの。そして真那に全部任せるのは、成果はともかく過程がほんっとうに不安。イオちゃんの近くにいれば、何かあっても戦力にはなれる。ここまでよろしい?」
「うん」
「よしよし。だからお姉さんも冥海とやらの調査を担当します。森羅くん、問題ありそう?」
水を向けられた森羅は目を閉じて、数秒考えてから首を横に振った。オレリアを真正面から見据え、礼を払う。
「いいえ、願ってもない申し出です。こちらこそ、お願いします」
「よろし。ならさっさと用意しますかぁ。荷物やらなんやらの話は私がやってくるから、二人で先に出てもらおっか。イオちゃん、送りたい荷物ある?」
「んーっと、まず観測機械から預かってる星図と、望遠鏡と、うちのノートと、あとはえっと」
「イオ、汎用品でいいならうちで用意する」
「あ、だったらお言葉に甘えて……星図とノートで」
「りょーかい、なるべく早く追っかけられるようにするね」
オレリアはやるべきことを請け負うと、足早に教会の奥へ向かっていった。残された森羅とイオは目まぐるしさにしばらくお互いに沈黙してから、列車ホームを目指して動き出す。
「そういえば森羅、あんた体力大丈夫なん? これで丸二日連続移動やろ?」
「ああ、随分寝やすかったからな」
「……うん、ならよかった」
森羅が普段、一体どんな環境で眠っているのか。イオは尋ねていいものなのか少しだけ迷って、少なくとも今は突っ込まないことにした。
すっかり日は暮れていたが、悪魔が発生するなら昼夜なく動くのが狩人だ。狩人の生態に合わせて列車も動き続けているから、待ち時間はほとんどなかった。
人気のない列車の中。四人がけの個室席に収まって、どちらからともなく息をついた。疲労か安堵か不安か、内実は二人にもよく掴めていない。
「……いい人だな」
ぽつりと森羅が呟いた。イオは一瞬遅れて、オレリアのことを言っているのだと気付く。
そうやねと、イオは息を緩めて小さく笑った。
「観測手使いの荒さはとんでもないけどね。……でも、うん。お姉さんってこんな感じなんだなって、こっち来てからずっと嬉しい」
「そうか」
「うん」
イオがはにかめば森羅も満足そうに笑う。とはいえ、笑うという表現から想像できるほど表情が大きく動くわけでもない。こういうところで地味に双子っぽいんよな、とイオは密かに考えながら森羅を見つめる。
「……何か?」
「いや、今のあんたはうちが前から知ってる通りのままなのになあ、と」
「……何か変だったか? まあ、確かに疲れていたかもしれないけど」
本気で心当たりがないようで、森羅は腕を組みつつ記憶を辿るように視線を上に向けていた。
イオは金色の瞳でその様子をじいと見つめて。自分の尾に──カデナの係累という、逃げようのない証拠である金色の毛並みに触れて。
ふうと、一人息を落とす。
緊張か、後悔か、高揚か、何もかも全部なのか。イオはいったん視界を閉ざしてから、勢いのまま森羅の口の前に人差し指を差し出した。
「──イオ?」
意図が掴めないのか。それとも目を逸らしているのか。たぶん見ないようにしているなと、イオは森羅の一瞬だけ揺れた目の意味をそう解釈した。その上で、踏み込む。
「……うちも、あんた以外に血を飲ませようとは思わんよ。さっきのは例外。できればもうやりたくない」
「…………」
森羅の目がまた揺れる。言うな、と無言の訴えがやってくる。それでも言わずにはいられない。言わないまま放置するのは、イオが耐えられなかった。
「うちに吸血の意味は実感できない。森羅にとってどんな意味があるのか、ちゃんと理解できるわけじゃない。でも、あんただけに飲んでほしいとは思うよ」
「……イオ」
半ば、掠れるような呼びかけだった。森羅の目が逸らされて、懇願しているとも聞こえてしまうほど弱々しい。
──四公家の役割の一つは形質維持。現人類の発端になった、遺伝子改変の最初の被験者たちの直系子孫として、それぞれの特質を維持し続けている。カデナに数えられていないイオはともかく、森羅がそこから逃れることはできない。立場としても、人格としても。
イオもその程度は知っている。だから、ずるい言い方をわざと選ぶ。
「うちの血が本当に気持ち悪いのか、あんたに教えてほしい」
「っ──はあああああ……。イオ、それはひどい」
ひどいとくるか、とイオは思わず笑っていた。自然体のまま、いくら悪魔相手とはいえ躊躇なく残虐行為に手を出すくせに。
森羅は顔半分を手で覆って、悪態代わりとばかりに深々とため息をついてから、鋭い犬歯でイオの指を噛んだ。
僅かに鋭い痛み。イオの鮮血が森羅の口に落ちる。森羅は憎まれ口のように吐き捨てた。
「……少なくとも、俺が知っているのはイオの血だけだ。でも、俺にとっては好ましい」
「ん、ありがと」
指が離れる。血液は一滴も残っていなかった。