神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
「まったく、随分と無茶をしましたね」
「面目次第もない」
宣戦布告の翌朝、澪は射撃場で教官と言葉を交わしていた。澪も教官も壁にもたれるだけで、銃を構えることはない。教官が澪を射撃場に呼び出したのは、人気がない環境を求めたのと、整った教官室よりもよっぽど狩人に相応しいと感じたから。
澪は申し訳なさげに身体を小さくしながらも、声に反省の色はない。前代未聞の騒乱を引き起こしながらの態度に、教官はただ頷くだけだった。
「ペラギアはこのことを?」
「知っている。院長や姉妹たちにはすべて伝えたうえで送り出してもらった」
「なら構いません。──理由は?」
狩人は政治問題に興味を持たない。澪と譲葉が禁忌を踏み越えたことも、狩りの妨げにならないうちは気に留めるものではなかった。だからこそ、なぜを尋ねる声の方が遥かに重い。
澪にとっては慣れ親しんだ会話の空気。澪は端的に、真実だけを告げた。
「楽園。私が楽園を証明するために、必要だった」
「そうですか。ならば、戦いなさい。我々はあなた方を妨げることはしませんが、助力することもありません」
「ああ、感謝する」
澪は政治に関して何もできない。澪だけでなく、狩人そのものがそういう生き物だ。だから澪にとっての戦いはただ一つ。譲葉にすべてを託して、何もできない自分への怒りを受け入れることだけ。
澪と教官は一般社会とは到底噛み合わない言葉を交わし合う。教官が澪に告げた声もまともな世界なら叱責に満ちているべきなのに、ひどく淡々としていた。
「しばらくは教導役も依頼できないでしょうね。落ち着くまでは自由にしていてください」
「すまない、甘えさせてもらう。……手合わせはこれまで通り願っても?」
「もちろん」
確認を終えると、教官はすぐに射撃場から立ち去った。一人になり、静まり返った射撃場で、澪は久しぶりに持ち出した愛銃を手にする。
拳銃とサブマシンガン。どちらも遺伝子改造と科学が発展した現代では、さほど重視されない武装になっていた。現代の人が戦いに用いる科学を使えない澪からすれば銃器は狩りの必需品だが、維持のコストが大きい銃を戦場で用いる狩人は奇矯な手合いと相場が決まっている。だから澪も古代種であることを隠していた今までは、私室で整備をするだけに留めていた。
拳銃に弾丸を装填して、狙いを定めず的を撃つ。皆中しても澪はまぶた一つ動かさず、マガジンすべてを撃ち尽くしてからようやく息を吐いた。
「……やっぱり、鈍ったな」
銃弾はすべて的の中央を貫いている。けれど銃痕のブレは一目でも明らかで、それが澪にとっては大きなストレスだった。
澪はしばらくの間、勘を取り戻すためにひたすら撃ち続ける。ぱたぱたと射撃場に向かってくる足音が聞こえてきたのは三十分ほど後のことだった。
澪は足音に気付くと、いったん射撃の手を止める。そして射撃場に飛び込んできたのは金の尾を膨らませるイオだった。
「あ──やっと見つけた! 澪、夜になったら星見台に来て! いいね!?」
「え? イオ、いや、なぜ──」
「話したいから! 悪いけどうち講義あるから行くね! また!」
イオは言うだけ言って、すぐさま走り去っていった。澪はその勢いに飲まれてしばらく硬直し、射撃に戻ることでどうにか気を取り直す。
どうしてわざわざ探し回ってまで、自分との話を望んでいるのか。装填中のわずかな時間だけでも澪の混乱は限界に達して、譲葉との合流までが苦痛で仕方なかった。
譲葉と昼に合流してイオの要請を伝えれば、返ってきたのは笑いながらの「行っても大丈夫」という促しだった。ただし一つだけ伝言を託されて。
澪にはイオの意図がまるでわからないが、譲葉が楽しんでいるならきっと悪意ではないのだろう。澪はそう判断して、星が昇るとイオの縄張りに等しい星見台の階段を上がっていた。
あえて足音を立てながら階段を登り、屋上に出る。円形の星見台には望遠鏡が置かれ、イオの私物であるノートとペンが散乱していた。望遠鏡を覗き込んで星を観測していたイオは澪の姿を認めると、申し訳なさと嬉しさが入り混じった曖昧な笑みを浮かべた。
「ごめんね、朝はあんなで」
「いいや、構わない。あなたに悪意がないと思ったから来ただけだ」
これまでにも数回、イオの天体観測の様子は眺めていた。
星から未来を予測する、古典的な統計処理。観測機械が悪魔の出現を予測するようになってからは一気に廃れ、今や趣味人の嗜み程度になった学問だが、イオの観測精度が卓越していることは一度の観察で理解させられた。
イオ自身は星が好きだったからついでに始めただけだと言うが、その腕前が現代の占星術師と称して不足ないのは間違いない。なにせ澪がいつもの雑談の中でこっそり話を伝えてみた瞬間に、観測機械その人が大笑いしながら太鼓判を押していたのだから。
「イオ。あなたの話の前に一つ、質問がある。私ではなく姫からだが」
「ん、姫様から?」
澪がこれまでと同じ位置に陣取れば、イオはノートに星見の記録を取りつつ首を傾げた。澪は視線を下に落として、踏み込む嫌気をこぼしながら問いかける。
「四公家のカデナは金狐の家系と、姫が気にしていた。あなたとカデナに関係があるか、尋ねるように伝言を預かっている」
金色の毛並みと金色の瞳。まさしく金狐の形容に相応しい、イオの容姿。
きっと譲葉はずっと疑っていたのだろう。このタイミングで尋ねるように告げてきたのはおそらく、澪自身が四公家の系譜だと露わにしたばかりだから。
澪の問いかけに、イオはふぅ──とゆっくり息を吐き出した。嫌悪ではない。とうとう聞かれたか、と安堵と覚悟の混ざった声を発する。
「うん。うちのひいおばあさんがカデナの分家の出でね。隔世遺伝で似ちゃったから、アウラさん家の中でうちだけこんな色なの」
「……そうか。すまない、踏み込んだ」
「話、急がないで。──表向きはそういうことってだけだから」
その言葉に、澪の呼吸は無意識に詰まっていた。イオはゆるゆると尻尾を動かしながら、望遠鏡を覗き込んで話を続ける。
「うちはアウラさん家の子供じゃない。養子とも少し違う。うちの両親はカデナの人だったんだけど、何かがあっていないみたい」
「いない……?」
「うん。うちも本当の両親のことは何も知らないけど、厄介な事情があるみたいでね。わざわざ遠縁のアウラにうちを預けて、そっちで育てさせたんやって」
淡々とイオは語る。自分の生まれを知っていることそのものが、イオのこれまでの環境を示しているようで。澪は心臓を掴まれるような感覚に、何も言えなくなっていた。
「だからうちも禁忌は知ってて踏んでたの。うちだってカデナの血縁であることに変わりはないからね、本当は姫様と関わっていい立場じゃないもん」
占星術師は星を読む。その傍ら、同い年の少女として、四公家に排斥された同類として澪へ話しかけていく。
「朝、わざわざあんたを探してたのもそういうこと。エルダーガーデンのゼロのことは、心のどこかでずっと気にしてたから。まさかこんな近くにおるとは思わなかったけどね」
イオは雰囲気を一転させて、けらけらと笑う。その様子に、澪もようやく息を吐き出せた。
「そう、だな。たしかに同じだ」
「でしょ? 何も話が聞こえなかったから、修道院にいるんやろなとは思ってたけど、まさか狩人になってたなんてね。……本当に、強いよ。うちは澪みたいになれなかったから」
「私が立てたのはペラギアで育てられたからだ。院長も姉さんたちも、誰も私を否定しなかった。私が戦場に行きたいと、狩人になりたいと望めば、受け入れてくれたから」
澪は過去を振り返り、事実を告げる。たったそれだけなのに、澪の背筋に凍るような怖気が走っていた。
もし狩人になれなかったら。もしペラギアに送られなかったら。もしエルダーガーデンに置かれたままだったら。もし譲葉に出会えなかったら。
最悪の仮定が思考に溢れる。逃げられない恐怖から澪を引き戻したのはイオの声だった。
「ふふっ、そうかもね。でもね、うちが修道院に送られていたとしても、澪みたいに戦えた自信はない。だって、修道院に行くことを望まなかったんだから」
イオは望遠鏡を覗き込んだまま、手元のノートに星図を記していく。視界すら必要とせず、指の感覚だけで正確な記録が行われていく様は何度見ても圧巻そのものだった。
「うちが女学院にいるのはね、言い訳が欲しかったから。狩人になれなくてもここにいたって事実があれば、隠されるままの人生でも諦められる。でしょ?」
「……イオ」
「ま、うちのことはいいのよ。うちだって何も知らないんだしね。……古代種の身体で、どうやって戦ってるの?」
イオの声に浮かぶのは、疑念と躊躇と、それがあっても知りたいと願う意志。不快なものではなかったから、澪も素直に答えた。
「投薬と施術で肉体を補強している。あとは、そうだな。十歳のときから戦場に出させてもらっているから、私の年齢にしては経験は積んでいる方だ」
「そういうこと。……楽園って、そこまで大きいのね」
澪はぴくりと、肩を震わせる。けれどイオの理解に口を挟む権利はないだろうと、何も言わずに沈黙で返した。イオの尻尾は相変わらずゆらゆらとゆらめいて、星見で感じている心地良さを澪の視覚に伝えていた。
「あなたの出自を聞くと、森羅と親しそうなのは不思議だな」
「ああ、そうなのよね。うちもそう思う。うちもよくわからないんだけど、なんかやけに気が楽なのよね。少なくとも、森羅が立場に驕るような人間だったらうちは絶対に近付かなかった」
ふむ、と澪は相槌を打った。イオは昨日の森羅の様子を思い出して、深々と息を落とす。
「うちも直接会った回数は少ないけどさ。あそこまで動揺している森羅は初めて見た」
「……殺意ではなく?」
「そのあたりまるっとひっくるめてね。……今まで押し潰してきたものが全部、崩れちゃったみたいだった」
友人を気遣う声は胃痛にも似ていた。
森羅と澪と譲葉と。イオからすれば、誰かを優先して切り捨てることはできない。かといって自分にできることは何もないと知っているから、なおさら気が重い。イオは天体観測に没頭することで諸々すべての不安を洗い流して──不意に、耳と尻尾が固まった。
「……ん?」
疑問を確信に変えるための声だった。澪が声をかけるよりも早く、イオの手がこれまでとは比較にもならない速度で星見の記録を取っていく。
イオは記録を取り終えると望遠鏡から目を離し、自分がこれまで作ってきた記録と手元の古典資料を見比べて、今度は肉眼で星を眺めて。
「あー……ってなると南、かな?」
意識してのものではなかったかもしれない。イオは南を──ペラギア修道院が預かる南部大森林を指先で示しながら、告げた。
「大きいの、来そうね」