神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
澪がペラギアの正装に着替える隣で、譲葉は武装の準備を進めていく。手慣れた分担に淀みはなく、澪の思考の歯車は着々と噛み合いを取り戻していく。
「マガジンはどれだけ?」
「あるだけすべて。重量は気にしなくて構わない」
譲葉が空間を歪めたポーチが二つ用意されて、拳銃とサブマシンガンそれぞれの弾丸が収まっていく。
澪はパンツスーツのベルトにポーチと刀を下げて、朱色のヴィジットを羽織った。
レースに彩られた真っ白なシャツと、黒のスーツ。ジャケット代わりに羽織るのは丁重な刺繍が施されたヴィジット。それがペラギア修道院代々の正装であり、澪にとっては最も着慣れた衣服だった。
「地雷の配置図は前に書いていたものでいい?」
「ああ。図と姫が呪ったものを先生たちに」
「任せて。なら、一気に渡しちゃいましょうか」
譲葉がこつこつと、夜毎に呪っていた爆薬も一箇所にまとめられる。
黒科学の適性は存在そのものが稀であり、そのうえ譲葉の呪詛は幼少の頃から世界最大と認定されていたほど。譲葉が呪いを施したトラップがあれば、それだけで戦況を大きく変えられる。
配置図は澪が眠る前の手遊びに書いていたものだが、常に実戦を想定していたのだから運用への不安はない。澪は長らく離れていた戦場への思考だけを、身体に落としていく。
女学院という血から離れた環境でも、修道院で育った二人は何も変わっていなかった。日々の狩りに備えて身についた習慣が、ようやくいつも通りの働きを始める。
準備を終えて、澪はカラスを象った漆黒のペストマスクで顔を隠す。その見慣れた姿に、譲葉はしとやかに微笑んだ。
「いつもそうだけど──やっぱり美しいわね。修道院の狩人は」
「ああ。初代たちの覚悟には敬服するしかない」
戦場で許される限りの華美な装いと、それを覆い隠してしまうペストマスク。矛盾する正装こそが修道院の狩人の証明だった。
──そも。発端を辿れば、修道院は狩人のための組織ではなかったのだ。
猟友会が狩りに没頭するための雑事すべてを引き受ける教会は、国との繋がりを保つ一環として、表に出せない子女を預かるようになった。それこそが、修道院の始まり。
社会から隠された娘たちは引退した狩人を親代わりに育ち、楽園思想を受け継いで、教会の一員として狩人の補佐に一生を使う。──けれど幼い頃から楽園思想を当然のものとして生き、狩人の戦を目の当たりにして育った少女たちが、そんな人生に耐えられるはずもなく。
幾人もの娘が狩人として戦場に向かった。自らが表舞台に上がれない身であることを受け入れ顔を覆い隠したうえで、けれど女性として生まれた誇りを忘れないために華美な装いをまとって。
勝手な都合で私の命を規定するなと。生まれた意味は己が証明するのだと。その誇りこそが、修道院の狩人に脈々と受け継がれる血脈だった。
「……ペラギアの、澪しるべ」
一つ静かに、譲葉は声を落とした。澪はただ頷いて、前線基地に塗り替えられたロビーへ向かう。
ロビーには報告を受けた教官たちが集まっていた。澪は真っ先に、先生と呼ぶ老狩人へ声をかける。
「地雷の配置図はここに。私たちが用意したものを使ってほしい」
「ええ、こちらで進めておきましょう。けれど澪、豊穣の仔を相手に、本当に一人で戦うつもりですか?」
ペストマスクがあってもなお突き刺さる視線。澪は躊躇わずに肯首した。
「院長が私に委ねた。ならば可能だ」
「ではその通りに。観測はどうしますか?」
戦場全体を俯瞰し、情報を送り続ける観測手。狩人の狩りには欠かせない、生存率そのものを左右する役割への問いかけだった。
引退した狩人が何人も詰める女学院だ。任せる相手には事欠かない。けれど澪が指名したのは、誰もが一瞬虚を突かれる人物だった。
「イオ。イオ・アウラ。彼女に一任したい」
ぴくりと、教官の目が動いた。ロビーで様子を眺めていたイオにその場すべての視線が向けられて、イオ自身もようやく、澪が発した音を飲み込んだ。
「────え?」
呆然とした声。イオはどうして自分が呼ばれたのか理解できず、目を丸くして立ち尽くしている。その肩に手を乗せたのは、イオを担当する教官だった。
「ああ、確かに。イオならば適任ですね。よく見抜きましたね、ペラギアの」
「何度か天体観測を見せてもらっていたから」
「そういうことですか。ええ、私もこの子が実戦に入ったときにどうなるか興味がありましたから、助かります」
澪と己の教官と、二人だけが既定路線で話を進める。イオはしばらくかけて現実を飲み込んで、やがて恐怖で丸まった尾を自ら抱えた。
「ちょ、ちょっと待って! なんで!? なんでうちなの!?」
「この場で最も相応しい相手に任せた、それだけだ」
「だから理由! なんで素人にそんなこと言うんよ!?」
澪の命を預かれと、一方的に指名された恐ろしさにイオは叫ぶ。澪はその様子を眺めてから、ふむと頷き腕を組んだ。
「何度かあなたの天体観測を見て確信した。イオ、あなたは天性の観測手だ。天体観測で鍛えられたのだろうが、あなたほどの素養は見たことがない。だから今、この場で実戦に入って卒業したらさっさと前線を飛び回れ」
「なしていきなり命令形!?」
「それだけの力があるからだ。私もペラギアで観測は叩き込まれたが、今のあなたと比較しても間違いなく劣る。だから依頼している。頼む、イオ」
澪は淡々と、普段と何も変わらない調子で確信を畳み掛ける。イオはう、うぅと弱々しい声をこぼしながらも、徐々に澪の言葉を飲み込んで、抱えていた尻尾から手を離した。
「……後悔しない?」
「しない」
「星以外の観測なんて授業でしかやったことないよ?」
「構わない」
「本当にうちでいいの?」
「あなたに頼むのが最適だと判断した。だからイオがいい」
「う、う、ぐぅ……」
迷いなく両断されて、イオの迷いがどんどん壊されていく。
怖い。けれど買われている。澪が自分の何かに期待しているのは間違いなくて。しばらく黙りこくり、やがてぐったりした息を長く吐き出しながら澪を見据えた。
「ああもう……わかった、あんたのわがまま聞いてあげる。あとで文句言わないでよ」
「感謝する」
装備は整っている。観測手の受諾も得た。トラップの配置は任せられる。もうここに残る意味はないと、澪は戦場を目指して歩き始めた。
静かに歩くその背中へ、譲葉は穏やかに声をかけた。
「いってらっしゃい、澪」
戦場に赴く相手にかけるはずのない、気楽な挨拶。澪は足を止めて振り返り、譲葉の瞳を見つめると、ペストマスクの奥で笑った。
「うん。いってきます、譲葉」
まだ十七歳の少女そのものの、柔らかい声。
戦場に出かける澪と、見送る譲葉。譲葉を指導して、澪と日頃から関わってきた教官は、譲葉には聞こえない程度の声量で呟いた。
「……羨ましいですね。ほんの少しばかり」