神なき楽園宣言 ー少女狩人(戦歴七年)が最愛の呪い姫と世界に挑む話ー 作:卯月スズカ
澪はぬかるんだ森林の中で、豪雨に身体を晒していた。
地面を殴りつけるような音の通り、打ち付ける雨は痛いほど。けれど澪にとって、雨の痛みは戦場の高揚を整え、心臓の鼓動を落ち着かせてくれる錨だった。
雨は好きだ。譲葉と豪雨の中で出会ったそのときから、澪の中で身体を殴るほどの雨は特別なものになっている。
『一陣、三分後に来るよ』
「了解」
イオの声が耳に届く。澪は刀の位置を確認し、背負ったサブマシンガンの重心がいつも通りの場所にあることを確かめる。忍ばせた短刀や拳銃の重みも、いつもと同じ。何も変わらない。いつもの場所にやってきている。
「──ゼロではなく、澪しるべ。ああ、証明してみせよう」
自分に聞かせるためだけの独り言だった。森林の中でも拓けた場所で、澪は待つ。己が人生を証明するための獲物を。
『あと一分』
手を開閉する。澪の視界にも豊穣の仔の群れが見えるようになる。やはり獣と変わらない、小さな個体たち。明らかに弱小の仔が先導しているのなら、後に控えている群れはどんどん力と規模を増していくだろう。これから先の流れを理解して、澪は頷いた。
まず最初。短刀を投げて、一体の頭部を貫く。同胞が突如として殺されたことで群れの統率がわずかに崩れ、仔らの視線があちこちに散乱した。澪は最も注意が薄い角度から接近するとサブマシンガンを抜き、最大密度を狙って全弾を撃ち抜く。
轟音が響き、薬莢が落ちる。澪は手先の感覚だけで装填しながら、生き残った仔を睥睨した。
「すべて退魔の銀弾だ。お前たちにはよく効くだろう」
カラスの少女は静かに告げる。悪魔はただ殺されていればいいのだと、蹂躙されたばかりの群れに宣告した。
「ペラギアの澪として──楽園証明を開始する」
そして、爆発。澪が放った手榴弾が炸裂して、開戦を戦場に知らしめた。
譲葉は身じろぎ一つすることなく、テレビに繋げた戦場の中継を見続けていた。
シトゥリの嘘の意味は、もちろん譲葉だって知っている。だから己が英雄のすべてを中継していた。
澪が戦場で力を示し、譲葉はその光景を女学院の少女たちに知らしめる。シトゥリと姉妹の支援に報いて見せるのだと、譲葉はロビーに立っていた。
映像には絶え間なく悪魔の鮮血が飛び散っている。澪はすでに全身を返り血の赤黒さで染めていたが、朱色のヴィジットが翻るたびに、その戦姿の美しさを何度でも喚起させる。
誇りを謳う、修道院の狩人の舞台。視線を奪われ、逸らせなくなっていた誰かが困惑に呟いた。
「……どうして、古代種がこんなにも」
「澪だからに決まっているでしょう」
ピシャリと、有象無象を譲葉は切り捨てる。普段の穏やかな声はどこにも残っていなかった。譲葉は中継を見つめたまま、あなたたちは事実だけを見ていればいいのだと、声色だけで支配する。
譲葉の威圧に、生徒たちも反論できなかった。目の前の王女が国を踏み躙り、嘲った当事者なのだと知っていても、逆らえない。何も言えないまま、譲葉が繋げる戦場の光景を眺め続ける。
──銀の銃弾が豊穣の仔を貫き、雨に濡れる刀は致命傷だけを与え続ける。
譲葉は吐息一つ乱さないまま、澪の姿を網膜に焼き付ける。高揚はない。いつもと同じように、帰りを待つだけ。出会った時から何も変わらない姿に、私の澪、と幸福だけを噛み締めていた。
「ペラギアの澪しるべ。──ええ。まさしく、院長が見ていた通りに」
戦場を見つめ続ける。そして思い出すのは、譲葉の人生が始まった日の記憶だった。
#
澪と出会ったのは、譲葉がまだ九歳の子供だった頃。
王族としての無価値と呪詛への適性。二つによって譲葉は狩人になる未来を指示されて、森深くの離宮に隔離されていた。
譲葉は窓際に置いた椅子に座り、足をぷらぷらと揺らしながら頬杖をつく。見つめる外は豪雨が打ちつけていて、あと三十分で悪魔が発生すると告げられている場所だった。
使用人たちは焦燥を露わに、自分の身を守ろうと対策に走り回っている。譲葉は誰にも顧みられないまま、使用人たちを嘲笑っていた。
「ふふ。私には戦えって言うくせに、自分たちは嫌なんだ」
声に出しても誰も聞いていない。呪い姫に自ら関わる人間は一人もいない。その事実を確認して、譲葉はまた笑った。
もしも譲葉に年齢相応の子供らしさがあれば、使用人たちもその人生を哀れんだだろう。自分の子のように愛する者だっていたかもしれない。
けれど現実は大人を笑い、世界を嘲り、すべてへの嫌悪に満ちた瞳で呪う姫君だ。直接の危害を加えてこなかろうと、近付こうとする人間はいなかった。譲葉もそれを理解して愛嬌を捨てているのだから、なおさらに。
窓ガラスが雨に濡れて、譲葉の顔を反射させていた。銀の髪と青の瞳。子供のものではない厭悪に満ちた視線に見つめられて、譲葉はふと思い立った。
「……そうだ」
椅子から降りて歩き出す。迷わず向かうのは、すでに先駆けたちで満ちた森の中。
譲葉は何も持たず、白いワンピースを雨に濡らして、まっすぐに森の奥深くへ進んでいく。
「私は呪いのお姫様なんでしょう? なら、お望み通り呪ってあげる」
歌うように一人囁く。
どうせいつか殺されるだけの人生だ。だったら今ここで殺されれば、行きたくもない戦場に行かずに済む。けれどその代わり、すべてを呪ってやろうと思い立ったから、外にやってきた。
すべての命を呪ってやろう。殺されるまで悪魔を呪い、森を呪い、土地を呪い、空気を呪い、人を呪って、呪い尽くして死んでやる。そうすればずっと、人間たちは呪い姫の名前に恐怖するだろうから。
九歳の子供のものではない思考。けれど譲葉にとっては自然な思いつき。
ちょうどよく拓けた場所があったから足を止める。譲葉が迷うことなく呪詛を叩きつけようとした直前だった。
「……まさか本当に来るとは」
「──え?」
少女の声が聞こえた。木立の奥から姿を現したのは、朱色のヴィジットを羽織ったカラスの女の子。ペストマスクで顔を隠した風体は、すでに返り血に染まっていた。
あまりにも幼い狩人──澪はペストマスクの奥で息をついて、手近な樹木にもたれかかった。
「ペラギアの狩人だ。院長と姉さんたちも、今頃離宮にいるだろう」
淡々とした声だった。背は譲葉よりも小さいのに、全身に浴びている返り血と身体に馴染んでいる武器たちが、この子は本当に狩人なのだと譲葉に理解させる。
その姿に、譲葉はすべてを呪おうとしていたことすら忘れて、呆然と口を開く。
──知らない。同い年くらいの女の子が狩人をしているなんて、知らない。
「……どうして、あなたはここに?」
譲葉は今さっき思い立って出てきただけだ。澪がすべて承知していたように待ち構えていた理由はまったく想像できない。
澪も譲葉の疑問は想定していたのだろう。すでに用意していたと思しき答えを口にした。
「婆様から教えてもらった。お姫様が無茶をするだろうから、迎えに行ってあげなさいと。だから待っていた」
「婆様?」
「観測機械の婆様だ。縁があって、面倒を見てもらっている」
澪が何気なく告げた言葉に、譲葉の思考はまた凍っていた。
科学技術の至宝。悪魔の出現を予測して、人類を生存させる観測機械。観測機械は未来予知のために膨大な情報を処理し続けている存在だ。余分な負荷を増やさないためにと、人との直接のやりとりは滅多に行わないと聞いていた。
けれど目の前の少女はその例外らしい。この子は何者なのか。どうして当然のように戦っているのか。譲葉の思考は、生まれて初めて抱いた他者への疑問で破裂寸前だった。
だから澪が動いて、身体を引き寄せられていても、すぐには理解できなかった。
「すまない。少し我慢してくれ」
澪は譲葉の身体を抱き寄せて、片手で背負ったサブマシンガンを抜き、引き金に指をかける。何もない地面にどうして、と譲葉が思った途端、液状化された地中が固まり、悪魔の死体を浮上させていた。
「さっきからこういう手合いが多い。まだ小物ばかりだけど、面倒だから一度戻ろう」
澪は譲葉を解放してから離宮を示す。そのまま流れるように手を差し伸べて、けれど自分が鮮血まみれだったことに今さら気付いたらしい。差し出していた手をぴくりと止めて、引っ込めようとしていたから、譲葉はすぐにその手を両手で捕まえた。
「……姫君、いいのか。汚れるぞ」
「いいの。──ね、譲葉って呼んでくれる? それとね、あなたのお名前を知りたいの」
譲葉がそうお願いすれば、ペストマスクの向こうで、ぱちぱちとまばたきをして呆気にとられている気配がした。
澪はしばらく固まって、握られている手に目を落とす。そうしてまたしばらく黙りこくってから、マスクを首元に下ろした。
「澪。ペラギアの澪」
真紅の瞳が譲葉を見つめる。その相貌はやっぱり譲葉と同じ年頃だったのに、瞳は鋭く研がれていて、戦場に生きる人間そのものになっていた。