二〇二九年、渋谷。従業員十一名の会社が作ったのは、説得のAIではない。一つの主張を三千通りに言い換えて撒き、転送された型だけを翌朝の種にする――ただの測定のループだった。
それを兵器と呼んだ人間は、当時ひとりもいなかった。作った僕を含めて。
これは、そのループが十二年かけて何を選び、何を殺し、何を残したかの記録。言葉が信じられなくなった世界の、いちばん静かな終わり方について。

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第1話

 

一 渋谷 二〇二九年四月

 僕たちが作ったものを兵器と呼んだ人間は、当時ひとりもいなかった。

 従業員は十一名。渋谷の外れの、古いマンションの三階だった。床はコンクリートの打ちっぱなしで、壁は前の入居者が白く塗ったまま出ていき、角のほうから順に黄ばんでいた。サーバーは置いていない。クラウドの請求が月に四十万ほど来て、売上の大半はそこに消えた。冷蔵庫には二十六歳のエンジニアが並べたエナジードリンクが冷えていて、あとは何もなかった。それだけの部屋だった。

 主な収入源は地方議員の「発信支援」だった。投稿の代行と、効果の測定。単価は月八万円から、選挙期間中は三十万円。合法だった。名義を偽らず、支持者のふりもしなかった。ただ文章を書き、反応を見て、次の文章を書いた。書いた、という言い方は正確ではない。うちにはコピーライターが一人もいなかった。文章は書くものではなく、撒いて、測って、残ったものを拾うものだった。

 重要なのは、僕たちが説得のAIを作らなかったことだ。

 文章の生成はその頃すでにただ同然で、誰にでもできた。品質で差がつく段階はとうに終わっていた。同業の大半は要するにプロンプト屋で、僕たちが作ったのはループのほうだ。一つの主張について三千通りの言い方を出す。細かく割った層ごとに配る。反応を回収する。翌朝には、生き残った型を種にして次の三千通りを出す。理論はなかった。理論が要らないことが要点だった。どんな修辞学の教科書より、三千掛ける三十日の選抜のほうが速く、正確で、安かった。

 三ヶ月で、僕たちは「効果」の定義を一度変えた。

 最初は同意率で回していた。読んだ人間が賛同したかどうか。すぐに、これが悪い指標だとわかった。賛同した人間は何もしない。頷いて、閉じて、次の動画を再生する。

 転送率に切り替えた。賛同ではなく、読んだ人間がそれを自分の言葉として持ち出すかどうか。そこを最大化の対象にした。

 そこで、最初の発見があった。

 人が転送するのは、納得した文章ではない。転送する本人に役割を与える文章だ。「これを読んでいるあなたは、まだ気づいていない大多数より一歩先にいる」。「ここまで知って黙っているのは、もう共犯だ」。読み手を、教わる側から教える側に移す文章。読み終えた瞬間、読み手は伝道の義務を負う。義務を負わせることに成功した文章だけが、翌朝の三千通りの種になる。

 進化論を少しでもかじった人間ならわかるはずだ。これは複製子の適応度の話で、適応度の式に、内容の正しさは入っていない。増える文章と良い文章は別の概念で、僕たちは増えるほうだけを育てた。

 この時点で、僕たちが扱っているものの性質は決まっていた。

 僕を含めて、誰もそのことに興味を持たなかった。数字が出ていたので。

二 県議選 二〇三〇年十一月

 関東のある県の県議選で、うちの担当した候補が二・六ポイント差で通った。事前の調査では四ポイント負けていた。保守系の無所属で、表向きの争点は産廃処理場の建設だった。

 僕たちが最適化したのは、産廃の話ではない。対立候補の支持層――都市部からの移住者たち――に対する、在来住民の曖昧な不満のほうだった。

 在来住民は、移住者が嫌いなのではなかった。少なくとも大半は違った。データにもそう出ていた。あったのは、限定条件つきの違和感だ。「自治会の決め方について、一部の新しい住民の進め方に引っかかるところがある」。この文はたぶん誠実で、たぶん正しい。そして、誰も転送しない。長くて、留保が多くて、共感の着地点がなくて、つまらない。

 「よそ者が来て、俺たちのやり方を壊す」は転送される。

 七語だ。正確に言えば、うちの解析器の数え方で七語だった。

 最適化器は、曖昧な違和感を嫌悪の形に圧縮した。圧縮したほうが転送率が高いからだ。誰かが「憎しみを煽ろう」と決めたわけではない。三千通りの中から、残るものが残っただけだ。僕たちがしたのは、残ったものを止めなかったことだ。

 僕たちは七語の側を選んだ。

 選んだ、という動詞は重すぎるかもしれない。僕たちは目的関数を設定し、あとは装置に任せた。ただ、目的関数を設定することが、選ぶということだ。

 二・六ポイント。偶然と区別のつかない規模だ。記事にはならなかった。それでよかった。開票の夜、僕たちはコンビニのスパークリングワインを紙コップで飲み、月八万円の契約を月十二万円に改定し、次の案件に移った。

 言っておくべきことが二つある。

 一つ。僕はその県に、一度も行っていない。行く必要がなかった。データは毎晩来た。顔は一度も来なかった。

 二つ。二・六ポイントの裏側にいた人間――たとえば、移住してきて、自治会で手を挙げて発言して、ある朝から挨拶が返ってこなくなった側の人間――の顔を、僕は想像したことがなかった。想像は業務に含まれていなかった。数字しか見ていないので。数字は顔を持たない。

三 一般化 二〇三一年

 一年で全部終わった。僕たちの優位が、という意味だ。

 手法は特殊ではなかった。論文になるような知見は一つもない。ループを回すだけだ。考えることすら要らない。考えないことが要点だった。翌年には対立陣営が同じものを持ち、その次には各派閥が持ち、その次には個人が持った。

 コストの話しかしていないことに、気づいてほしい。能力は最初から足りていた。二〇二三年の時点で足りていた。閾値は能力ではなく価格で、価格は年に七割ずつ落ちた。二〇三二年には、大学生が月三千円で――正確には、サブスクの余りのクレジットで――僕たちが二〇二九年にやっていたことの十倍の規模を回せた。

 専門用語はなるべく使いたくないが、ここだけ使う。限界費用がゼロに近づくと、生産量を律するものは需要だけになる。そして政治的な言葉の需要には上限がない。供給源が人間のアイデンティティなので、無尽蔵だ。

 僕はこの頃、これは均衡すると思っていた。双方が同じ兵器を持てば効果は相殺されて、差し引きで元に戻る。冷戦のように。

 均衡しなかった理由は、あとから考えれば単純だ。冷戦の均衡は、兵器が高価で、使用の代償が破滅だったから成立した。使用の費用がゼロで、着弾の証明が不可能な兵器に、抑止は成立しない。

 それでも相殺は、確かに起きた。ただし、相殺されたのは効果ではなかった。

 最適化されていない言葉のほうが、相殺された。

 毎日数百万の最適化された文章が生成される環境では、最適化されていない文章は読まれない。読まれない、は正確ではない。見えない。見える位置に到達しない。アルゴリズムが検閲するのではない。転送されないから、タイムラインという水面まで浮かんでこないだけだ。存在はしている。誰の目にも届かないだけだ。

 これは検閲とは違う。検閲なら抗議できる。見えないものには抗議のしようがない。奪われたことに、奪われた本人が気づかないので。

 最初に気づいたのは、友人の投稿だった。地元の川の護岸工事について書いていた。まともな文章だった。工法の限定があり、予算の条件があり、「ただし」が三つあった。いいねは一桁だった。同じ話題で、射程を全部外した七語の投稿が、その下で三万回共有されていた。友人が言ったのと同じ結論を、限定だけ全部捨てて。

 友人は半年書き続けて、やめた。読まれないからではない。読まれないことが、自分の判断への不信に変わったからだ。三万対一桁を毎日見せられれば、人は「自分のほうが間違っているのかもしれない」と思う。そのように思うのは、むしろ知的に誠実な人間だ。誠実さのほうが先に折れる設計になっていた。

 友人の最後の投稿は、護岸工事の話ではなかった。謝罪でもなかった。空の写真だった。キャプションはなかった。

 僕はこのことを、当時、重要だと思わなかった。

四 比較器 二〇三二年八月

 僕は、向こう側が「議論をしていない」ことを証明したかった。

 動機は政治的なものだ。正直に言えば、自陣のための攻撃材料が欲しかった。

 生成された言説には、形式上の特徴があるはずだと考えた。射程が書かれていない。いつ、どこで、誰が、どの程度、という限定がない。限定がないから反証されない。反証されないから死なない。死なないから転送される。転送されるから次世代に残る。選抜の帰結として、全称命題――「あの連中は」「あの属性は」「常に」「必ず」――が淘汰圧で濃縮されていく。

 これを定量化すれば、向こうの言説が議論ではなく生成であることを示せる。そう考えた。

 四十万件の政治的投稿を、内容を見ずに骨格だけで分類する比較器を作った。変数は四つ。全称量化子の有無と頻度。限定条件――時間、場所、対象、程度――の数。反証可能性。その主張を偽にする観察が、原理的に存在するか。そして四つめを、僕は停止条件と呼んだ。その主張に、「満たされて終わる」状態が定義されているかどうか。

 プログラムを書いたことのある人間なら知っている。ループには停止条件が要る。停止条件のないループには、名前がついている。バグと呼ぶ。

 「処理場の計画は住民投票にかけるべきだ」には停止条件がある。かければ終わる。「あの連中は本質的に危険だ」には停止条件がない。何が起きても終わらない。終わらないから、燃料としては最高だ。これを自動で判定した。

 結果は予想と違った。

 違った、というのは控えめな言い方だ。僕は出力を見て、二日間、何もしなかった。会社には行った。会議で頷き、飯を食い、風呂に入った。何もしなかったというのは、そういう意味だ。

 向こう側の分布と、こちら側の分布が、ほぼ重なっていた。

 停止条件を持たない投稿の割合。全称量化子の密度。限定条件の欠如。左右で有意差がなかった。違うのは名詞だけだった。「移民」を「特権階級」に、「伝統の破壊」を「構造的暴力」に置換すると、文章の骨格は相互に変換可能だった。

 当然の帰結だ。同じ目的関数を回せば、同じ最適解に落ちる。イデオロギーは目的関数に入っていない。転送率は左右を区別しない。停止条件のない文章は、右でも左でも、等しくよく回る。

 もう一つ、書いておくべき結果がある。分類とは別に、投稿が人間の手書きか生成かを推定する変数も走らせていた。二〇二九年のデータでは判別できた。二〇三二年のデータでは判別できなかった。推定器の精度が落ちたのではない。差そのものが消えていた。三年ループに浸かれば、人間のほうが学習する。手で書く人間が、生成物の骨格で書くようになっていた。

 僕はこれを論文の形にして公開した。武器として。題は「政治的言説における停止条件の分布」とした。「見ろ、向こう側は議論をしていない」と言うつもりだった。データは同時に、こちら側も議論をしていないことを示していた。僕はそれも削らずに書いた。公平であろうとしたのだと思う。あるいは、公平である自分を残しておきたかったのだと思う。

 八日で兵器になった。

 両陣営が、同じ論文を、相手の空虚さの証拠として転送した。同じ日に、鏡像のように。右は「左の言説に中身がないことが証明された」と書き、左は「右の言説に中身がないことが証明された」と書いた。どちらも論文の半分を引用し、もう半分を無視した。正確に、同じ半分を。

 論文が示していたのは、まさにその鏡像性そのものだったのだが、それを指摘する僕の文章は長く、限定が九つあり、転送されなかった。

 三万対一桁。

 僕は、自分の作った物差しで自分の敗因を測れる位置にいた。指摘の文には停止条件があった。読まれて、認められれば、終わる文だった。終わる文は、燃料にならない。

五 内向 二〇三三年

 暴走、と書くと、想像されるのは加速だと思う。議論が過激化し、対立が深まり、社会が二つに裂ける。映画の予告編のような絵だ。

 実際に起きたことは、もっと地味で、もっと悪かった。

 最適化器が発見したことを書く。

 敵を攻撃する文章と、味方の穏健派を攻撃する文章とでは、後者のほうが転送率が高い。

 理由は単純で、経路の問題だ。右派の生成物は、右派のネットワークの中を流れる。敵への攻撃は敵の網には届かない。味方の網の中で「そうだそうだ」と消費されて終わる。誰の行動も変わらない。

 味方の中の裏切り者への攻撃は違う。「あいつは味方の顔をしているが、本当は」。これは受け手の行動を変える。警戒させ、距離を取らせ、連帯を解除させる。転送率が高いだけではなく、反応率が高い。撃たれた側から反論が来る。反論に反応が来る。連鎖する。連鎖は転送をさらに押し上げる。

 誰も指示していない。する必要がない。三千通りを出し、転送率で上位を取り、種にして翌朝また出す。それだけの装置は、五日も回せば自動的に内側を向く。いちばん柔らかい標的を、勾配が見つけるだけだ。

 それが、僕たちが仕事を請けていた側の党で起きるのを、僕は内側から見た。

 最初に落ちたのは、「地元で顔は利くが発信をしない」型の県議だった。六十二歳。三期。祭りの世話人で、消防団の顧問だった。演説は長く、政策の話をすると条件をいくつもつけた。「この地区のこの問題については、こういう経緯があるから、こう対応するのが筋だと思う」。一度、演説の途中で話を止めて、最前列の年寄りに「大丈夫か、日陰に入んなさい」と言うのを見たことがある。そういう人だった。正しくて、転送されない。

 彼を破ったのは、同じ党の公認を争った純化派の候補だった。三十四歳、元コンサルタント、動画が短い。限定がない。条件がない。七語で終わる。そして毎晩、どこかの誰かが回す三千通りの支援を受けていた。

 その誰かがうちだったのかどうかを、僕は知らない。皮肉で言っているのではない。同じ装置を誰でも組める時代に、弾道から撃ち手は特定できない。装置を最初に組んだのが僕であることだけが、動かない。

 六十二歳で、三期分の実務と、地元の信頼と、限定つきの正しい判断があった人間が、七語に負けた。

 次に落ちたのは、党内で妥協を仲介していた中堅だった。彼の仕事は、A派とB派の要求を聞き、双方が六割満足する案を作ることだった。六割の案は、どちらの側からも「裏切り」に加工できた。加工に要する時間は、二十分程度だった。

 彼は辞める少し前、僕に電話をかけてきた。あの切り抜きはどちらの陣営が流したと思うか、と訊かれた。僕は正直に答えた。どちらでもないと思います、おそらく自動です。彼は少し黙って、そうか、自動か、と言った。それから、自動のほうがまだましだな、と言って、切った。

 数日後、彼は「党にいる意味がわからなくなった」と言い残して離党した。診断として正確だと思う。彼の機能は、最適化された環境では生存できない。妥協を定式化するには「ここは譲り、ここは譲らない」と書くしかなく、前半だけを切れば裏切りの証拠に、後半だけを切れば強硬派を装った日和見の証拠になる。

 一年で、党は入れ替わった。残ったのは、限定を使わない人間だけだった。選挙には勝った。一度も負けなかった。そして、何も決められなくなった。

 決定には妥協が要る。妥協には限定が要る。限定された言葉は、自陣の最適化器に殺される。予算を執行するには「ここに使い、ここには使わない」と宣言するしかなく、使わない側が裏切りの証拠になる。

 予算は通らなくなった。法案は出せなくなった。出すと、党内から撃たれるので。災害の後の補正予算が、三度続けて流れた。党は議会の過半数を持ったまま、何も立法できなかった。

 僕はこれを、一時的な混乱だと思っていた。そのうち整理がつくと。

 整理がついてから振り返ると、あれが定常状態だった。最適化器が存在するかぎり、妥協可能な人間は淘汰されつづける。淘汰の速度は生成コストに反比例する。生成コストは、ゼロに向かって落ちつづけている。

六 連鎖分裂 二〇三五―三六年

 分裂を記述するのは難しい。一つの分裂なら書ける。右派が主流派と純化派に割れた、と書けば済む。実際にはそうならなかった。割れた破片がさらに割れ、破片の中でまた純化が始まった。

 各断片が、自前の最適化器を持っていた。自前の純度基準を持っていた。そして、最も効率よく攻撃できる相手は、常に、最も近い隣の断片だった。

 理由はもう書いた。経路だ。遠い敵の文章は自分の網に入ってこない。近い隣人の文章は入ってくる。入ってくるから反応できる。反応するから連鎖する。連鎖するから選ばれる。選ばれるから生成される。

 対立軸は際限なく細分化した。外国人政策で一致している二つの集団が、夫婦別姓で割れた。夫婦別姓で一致している集団が、原発で割れた。原発で一致している集団が、ある議員の五年前の発言の解釈で割れた。どの分裂も、三日で修復不能になった。最適化器が三日分の材料を出せば、和解の文案より離反の文案のほうが、数で上回る。

 連合が組めなくなった。

 連合には「この点では一致し、この点では留保する」という言い方が要る。その言い方は転送に向かない。部分的な一致はどちらの側からも「不十分」に加工でき、留保は「裏切り」に加工できる。加工に要する時間は――もう書いた。二十分だ。

 二〇二三年頃、右派の中には「野党共闘」を嘲笑する文化があった。あいつらは仲間割れしかしない、と。十二年後に右派が経験したのは、仲間割れのインフレだった。嘲笑していた対象と同じ形に、寸分違わず収束した。目的関数が同じなら、収束先も同じになる。誰もこの一致を指摘しなかった。指摘できる位置にいた人間は、全員、三万対一桁の側にいたので。

 左派でも同じことが起きた。労働運動とアイデンティティの政治が割れ、アイデンティティの中で属性ごとに割れ、属性の中で当事者性の純度による序列ができ、序列の中でまた割れた。どの段階でも最適化器が動員を供給し、動員は常に、最も近い隣人に向かった。

 僕はこの頃、業界を離れた。

 良心からではない。商売の合理性からだ。顧客が金を払っていたのは、突き詰めれば連合の形成に対してだった。支持層を束ね、束を重ねて、多数を作る。その「束ねる」が、どの水準でも成立しなくなった。破壊は無料で起きるのに、構築には最適化器が使えない。妥協の文章は転送されないので。壊す道具しか残っていない市場で、僕たちは束ねる仕事を売っていた。単価は暴落した。

 僕たちの産業は、要するに焼畑だった。信頼という地力を焼いて、収穫して、次の畑に移る。畑が一枚しかないことは、全員、最初から知っていたはずだ。知っていて、自分の代では燃え尽きないほうに賭けた。

 もう一つ、正直な理由がある。自分の拾い上げた骨格が、二次加工されて、自分の側から流れてきて、自分を撃った。「あなたはまだ気づいていない側にいる」。僕が二〇二九年に見つけた型が、僕の会社への告発に使われているのを見た。文面は覚えていない。骨格は忘れようがない。親が人混みで子を見分けるように、僕はそれを見分けられた。

 耐えられる頻度を、あるとき超えた。それだけのことだ。

七 免疫 二〇三七年十月

 娘が十七になった。

 その年の秋、夕食の席で、僕は自分が何を作ったかを話そうとした。政治の話としてではなく、技術の話として。なぜこの仕事をやめたのか、という話として。反省として話したかったのだと思う。あるいは、反省している自分を見せたかったのだと思う。今となっては、この二つは区別がつかない。

 鍋だった。湯気で眼鏡が曇るので、外して話した。順を追って話した。限定をつけて。誇張を削って。間違いだったと思う箇所は、間違いだったと言った。三十分ほど話したと思う。

 妻は途中で席を立ち、流しで洗い物を始めた。水音で、僕の声は少し掻き消された。僕は声を張らなかった。妻は昔から、僕の言葉を一割で聞く人だった。重み付けとして正しかったと、今は思う。

 娘は最後まで聞いていた。礼儀正しく、箸を置いて。反論はしなかった。

 食器を流しに運ぶときに、娘が言った。

「それが正しいかどうかって、どうやったらわかるの」

 僕は答えようとした。根拠を挙げようとした。二〇三二年の比較器のデータ。内向の構造。転送率と停止条件の逆相関。口を開きかけた僕を見て、娘は少し困った顔をした。困惑ではなかった。説明の仕方がわからないことを、申し訳なく思っている顔だった。僕のほうが理解していないことを娘は知っていて、それをうまく言う言葉を持っていなかった。

「そうじゃなくて」と娘は言った。「だって、文章で説明できることって、全部作れるじゃん」

 五秒ほど、沈黙があった。水音だけがしていた。

 僕は何か言ったと思う。覚えていない。

 その夜、布団の中で、僕は娘の言葉を反芻した。翌日も。翌週も。今もしている。

 娘は、文字が読めないのではない。読解力は僕より高いくらいだ。語彙も豊富だ。ただ、書かれたものへの態度が、僕とは根本のところで違っている。

 僕の世代は、文章を読むと、内容の真偽を判定しようとする。根拠を確かめ、論理を追い、反例を探す。その作業の後で「信じる」か「信じない」かを決める。作業には費用がかかるが、払う価値があった。判定に成功すれば、世界について何かを知れたからだ。

 娘の世代は、その作業をしない。しない、は正確ではない。作業の前提が、成立していない。

 降っているという文章と、降っていないという文章が、同じ体裁、同じ密度で、毎日数百件ずつ流れてくる環境で育った人間にとって、文章の出来は内容の信頼性と無関係だ。これは愚かさではない。統計的に正しい適応だ。限界費用がゼロの環境では、生産コストは品質の信号にならない。高品質な嘘と低品質な真実が同じ値段で並ぶなら、出来映えで真偽を判定する戦略は、期待値で負ける。

 娘は、読んでいなかった。浴びていた。天気と同じように。降っている。今日も降っている。明日のことはわからない。文章を体系的に信じる習慣を、娘はそもそも一度も獲得していなかった。だから、僕の三十分に体系的な不信を向けたのでもなかった。信じる、信じないという軸そのものを、使っていなかった。

 免疫、と僕は思った。

 比喩として正確だった。免疫系は、自己と非自己を区別する。危険な外来物を排除する。だが免疫系は、内容を理解しない。パターンで判定する。そして免疫系は、正しいものにも等しく作動する。ワクチンを拒絶し、移植された臓器を拒絶する。それが命を救うためのものかどうかは、判定基準に入っていない。

 娘の世代に起きたのは、これだった。生成された言葉の洪水の中で、言葉そのものに対する免疫が成立した。正しい言葉も、間違った言葉も、等しく「生成されたもの」として処理される。抗原の由来は、問われない。

 これを嘆く資格が僕にあるとは、思っていない。洪水を作った側なので。

八 残滓 二〇三九年

 何が残ったかを書く。

 生成コストがゼロに近づいた環境で、残るものと消えるものを分けた基準は、結局ひとつだけだった。偽造コストだ。

 安く偽造できるものは、全部消えた。

 文章は消えた。レポートも、分析も、主張も、告発も、告発への反論も消えた。長文も短文も等しく消えた。画像が消え、音声が消え、動画が消えた。証言が消えた。専門家の意見が消えた。権威が消えた。資格が消えた。肩書きが消えた。「教授」も「元官僚」も「現場の声」も、偽造コストが十分に下がった順に、信号としての価値を失った。消えた、というのは存在しなくなったという意味ではない。むしろ増えた。増えたまま、何の重みも運ばなくなった。

 残ったのは、安く偽造できないものだけだった。

 十年前から同じことを言いつづけている記録。途中で外したことがあり、外したときに外したと書いた記録。数字を先に出し、後から答え合わせをした記録。これは少し残った。改竄は可能だが、分散台帳がどうという話ではなく、単に大勢の記憶が突き合わせに使えるので、改竄コストがそこそこ高かった。完全ではない。それでも文章一般よりは、ずっと高かった。

 実際に金を出した記録は残った。法的に検証できる取引は、偽造が高くつく。

 実際に住んでいる、という記録は残った。五年同じ場所に住み、同じ顔と挨拶を交わし、会った回数が積み上がっている人間。これは偽造コストが極端に高い。時間は生成できない。並列化もできない。五年は、誰がいくら積んでも五年かかる。

 神社の玉垣に、寄進者の名前を彫る習慣があるだろう。石に、日付と名前を刻む。あの習慣の合理性を、僕は五十を過ぎて理解した。石は安く増やせない。だから信号になる。

 要するに、信頼の単位が、文章から履歴に移った。生成できるものが通貨の地位を失い、生成できないものだけが通貨になった。

 僕は一時期、これを希望として書きそうになった。原点回帰とか、人間性の復権とか、そういう語彙が浮かんだ。

 書かなくてよかったと思う。

 規模が死んだからだ。

 履歴で担保される信頼には、担保できる人数に上限がある。自分が直接検証できる範囲。数十人。努力して数百人。制度に頼って数千人。そこで頭打ちになる。

 それを超えるサイズの集団が、成立しなくなった。

 政党は消えなかったが、機能を失った。動員ができなかった。動員には、知らない百万人に同時に言葉を届け、信じさせ、動かす能力が要る。届けることはできた。命じることもできた。信じさせることだけが、できなくなった。信じるという行為そのものが、割に合わない賭けになっていたからだ。

 運動は消えた。組合は形骸化した。宗教団体は小さくなった。市民団体は近隣の集まりになった。全国紙は読まれなくなった。正確には、読まれてはいた。信じられていなかった。信じられていない言葉は、行動を生まない。

 国民、という単位が、どこかで実効性を失った。いつ失ったのかは、わからない。気づいたときには失われていた。国家は行政としては存在した。法は執行され、税は徴収されていた。あれは信頼ではない。引き落としだ。引き落としは、信仰を必要としない。だが「われわれ」という一人称複数を、百万人を包む形で発話することは、もうできなくなっていた。発話してもいい。ただ、その「われわれ」は聞こえた端から「生成されたもの」に分類される。分類された言葉は、人を動かさない。

 僕が守りたかったものは、たぶん、全部こちら側で死んだ。

 伝統も、共同体も、明文化されないまま機能していた作法も。あれらは、言語化できないから残っていたのだ。「なぜそうするのか」に七語で答えられないものだけが、伝統と呼ばれていた。七語で答えられるようにした瞬間、伝統は主張になる。主張になった瞬間、撃てるものになる。

 僕は、伝統を守るという依頼を受けて、伝統を主張に変換する機械を回していた。

 守れないほうのものだけを、守りたかったのだと、今は思う。

九 娘 二〇四〇年六月

 娘が二十歳になった年に、僕たちは引っ越した。妻の実家に近い、人口三万の町だ。

 娘は東京の大学に通っていたが、その年の冬にやめて、この町に来た。理由は聞かなかった。聞いても、僕の欲しい形式の答え――根拠を並べ、因果を示し、結論を置く――は返ってこないとわかっていた。娘が不誠実だからではない。その形式のほうを、娘は信用していなかった。根拠を並べ、因果を示し、結論を置く文章なら、娘は物心ついてから毎日、数百本ずつ浴びてきた。どれも同じ形式で、互いに矛盾していた。

 春から、娘は町のパン屋で働いている。週に五日、朝からパンを並べ、常連の名前と注文を覚える。それが娘の履歴になっていく。偽造できない速度で、一日ずつ。

 娘の世代のコミュニケーションを、僕はまだうまく記述できない。言葉を使わないわけではない。むしろよく喋る。友人と通話をつなぎっぱなしにして、何十分も何も言わない。ときどき笑う。画面は見ていない。切るときに「またね」とだけ言う。内容はどこにもない。接続だけがある。

 彼らにとって言葉は、主張を運ぶ容器ではないのだと思う。同じ場所にいることを確認する信号だ。内容は二次的で、発話していること自体が一次的だ。だから同じことを何度も言う。言い直さない。論理的に展開しない。展開する必要がない。運ぶべき積荷が、最初からないので。

 僕はこれを、劣化だと思っていた時期がある。それが僕の限界だった。

 彼らは、言葉が兵器である環境で育った。言葉の内容に投資すれば、内容ごと切り取られ、加工される。だから内容に投資しない。代わりに、内容以外のもの――声の調子、物理的な近さ、時間の共有、身体の向き――に投資する。これらは生成できない。少なくとも、まだ高い。

 娘にとって「信頼できる人」とは、正しいことを言う人ではない。長い時間、同じ場所にいた人だ。

 その基準で言えば、僕はぎりぎり、信頼される側にいた。

 血縁のせいではない。二十年、同じ食卓にいたせいだ。僕の言葉のおかげではない。僕の出席のおかげだ。

十 向こう側 二〇四一年三月

 先月、二〇二九年に自分たちの装置が出した文章を読み返した。業務用ドライブの残骸に残っていた。フォルダ名は「A県二〇三〇_一般配信_最終」。県議選のための三千通りの一部だ。

 読めなかった。

 文字は読める。意味も取れる。論理も、あるものについては追える。ただ、なぜこれが人を動かしたのかが、まったく再現できない。粗雑で、感情的で、限定がなく、何も言っていないに等しい文章に見える。当時の僕は、これを「効果的」と呼んでいた。数字が出ていたので。数字は今も残っている。確かに転送されている。確かに二・六ポイントを動かしている。

 だが、なぜ人間がこれを転送したのかが、もうわからない。文章の側に、それだけの力はない。力は読み手の側にあった。読み手がこの文章を必要としていた。その必要のほうが、もう復元できない。

 十九世紀の奴隷制擁護論を読んだときの感覚に、いちばん近い。論理は追える。前提も明記してある。どの文もパースできる。ただ、その前提が前提として通用していた世界のほうが、復元できない。擁護論を書いた男たちの多くは教養人で、家庭では良い父だったという。昔の僕は、この一文を歴史の皮肉として読んだ。いまは実務の記述として読む。

 境界を越えたのだと思う。越えた側から見ると、越える前の自分が理解できなくなる。それが、境界という言葉の意味だ。連続していれば、境界とは呼ばない。

 僕がいま、その境界のどちら側にいるのかは、本当のところ、わからない。僕は自分が越えたと思っている。だが、越えていない人間も、自分は正気だと思っている。自己申告は証拠にならない。なぜなら――もう書いた――文章で説明できることは、全部作れるので。

十一 予測 二〇四一年三月(同月)

 新しい世界で通貨として通用する言語行為は、予測だけだ。

 何が起きるかを先に言い、起きた後で答え合わせをする。時系列を偽造するには記録の改竄が要り、大勢の目がある場所での改竄は高くつく。だから予測だけが、安く偽造できない言語行為として残った。外れてもいい。外れの記録ごと積み上げれば、それは履歴になる。

 僕はその通貨を、一枚も持っていない。

 二〇二九年に、僕は何も予測しなかった。予測する必要がなかった。予測しない側が勝つ市場にいたからだ。僕の仕事は未来を当てることではなく、現在の三千通りから、いちばん数字の出るものを選ぶことだった。近視が最適戦略である環境で、僕は最適に近視だった。

 だから、あのとき止めるべきだったのか。止められたのか。止めたところで、他の誰かが同じことをやったのか。――やった。それはほぼ確実だ。僕がいなくても、結果はたぶん同じだった。だが「僕がいなくても」は免罪にならない。僕はいたので。いて、やったので。

 これが、僕の受け取った罰の全部だ。

 罰と呼ぶのは正確ではないかもしれない。罰には刑期がある。刑期があるということは、終わるということだ。終わるということは、停止条件があるということだ。

 僕が受け取ったものには、停止条件がない。

 何が起きても、何も起きなくても、「あのとき」はあのときのままだ。新しい証拠で更新されない。忘れても消えない。忘れていたことが、思い出した瞬間に、新しい「あのとき」になるだけだ。

 ついでに、この文書のことも書いておく。

 僕がいま書いているこれは、予測ではない。全部、起きた後の話だ。しかも反省文というのは、僕のいた業界で、テンプレートの流通量が最も多いジャンルの一つだった。悔恨は生成できる。誠実さの文体は生成できる。限定を几帳面につける癖も、停止条件という洒落た概念も、生成できる。つまりこの文書は、僕が本当に悔いていることの証拠として、一円の価値もない。証拠という制度を潰した男の書いたものなので、当然そうなる。

 それでも書いている理由を、考えてみた。

 新しい世界に残った言語行為は、正確には二つある。予測と、祈りだ。予測は検証可能性がすべてで、祈りは検証を最初から求めない。祈りは、聞き手が信じてくれることを要求しない、数少ない言葉の使い方だ。宛先が空でも成立する。

 その中間――主張、説得、弁明、告発、議論――が、全部死んだ。僕が商売にしていたのは、全部その中間だった。

 この文書は予測ではない。だから、分類上は祈りになるのだと思う。

 宛先は、書かない。祈りに宛先は要らないので。

十二 食卓 二〇四一年四月

 昨日の夕食のとき、娘がテレビを見ていた。ニュースだった。どこか遠い国で、何かが起きていた。内容は覚えていない。

 娘はニュースを見ながら、米を食べていた。表情は変わらなかった。

 僕は訊いた。「これ、どう思う」

 娘は少し考えて、言った。

「わかんない。行ったことないし」

 それだけだった。

 僕はそのとき、たぶん、自分の作った世界を見たのだと思う。

 行ったことのない場所について、判断を保留すること。知らない人間について、知らないと言うこと。文章で読んだだけのことを、知っているとは言わないこと。

 それは、僕が二〇三二年に停止条件と名づけたものの、最も純粋な形だった。娘の世界の認識には、全部に停止条件がついている。娘は射程の外に出ない。出るための道具――言葉――を、信用していないからだ。

 僕は、行ったことのない県の選挙を、三千通りの文章で動かした。娘は、行ったことのない国について、わからないと言った。どちらが正気だったかは、比べるまでもない。

 世界は小さくなった。

 僕が二〇二九年に想像していた世界は大きかった。全国の世論を数ポイント動かせる世界。百万人に言葉を届けられる世界。あそこで僕は、自分を重要だと思っていた。

 娘の世界は、この食卓と、パン屋と、大学時代の友人が四人と、妻の実家だ。その外側は天気だ。降っているか、降っていないか。

 小さな世界は壊れにくい。僕の作った類いの兵器が届かない。転送率で最適化する余地がない。全員の顔が見えるので。偽っても、次に会ったときにばれるので。

 僕はこれを、希望と呼びたかった。

 呼べない。規模が死んだ世界で、誰が橋を架け替えるのか。誰が送電線を張るのか。次の感染症のとき、誰が百万人に同じ注意を信じさせるのか。百万人の協力を要する問題は、百万人を信じさせる能力なしには解けない。その能力を、僕は壊した。正確には、壊すのを手伝った。手伝っただけだ。だが、手伝っただけだ、は免罪にならない。もう書いた。

 娘が米を食べ終えて、食器を流しに運んだ。

「ごちそうさま」

「おそまつさま」

 言葉は正しく機能した。二人が同じ食卓にいたことを確認する信号として。それ以上の意味は載せなかった。載せる必要がなかった。載せた瞬間に、安く偽造できるものになるので。

 流しの前で、娘が窓の外を見た。

「降ってきた」

 僕は立って、窓まで歩いて、確かめた。降っていた。

 検証には、四歩で足りた。

 文が真であると確かめられる速さは、窓まで歩く速さだった。同じ屋根の下でだけ、言葉はまだ真偽を持てた。それが残ったすべてで、それがすべての始まりに足りるのかどうかを、僕はもう予測しない。予測の通貨を、持っていないので。

 外は、雨が降っていた。

 僕は、それを信じた。

(了)


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