わたしの世界はその『お部屋』だった。
いつだったか、もう細かく覚えていないほど遠い昔に入れられて、それっきり出ることは出来なかった。
ごはんはきっかり一日二回。ただし持ってくる人は顔をお面で隠していて、まったくしゃべってくれない。
『モジン様の為に』
『ちょうろ』はひと月に一度ここにきて、わたしにそう言っては出ていった。
おかあさんは最初の時以降一回も会いに来てくれなかった、わたしに興味がないのかもしれない。
最初は出られないことに泣いた。
でもすぐに、泣いたって出られないことが分かってきたから、わたしはあきらめて外を見るようになった。
背を伸ばせば届く窓の鉄格子の隙間から時々入ってくる小さな虫、わたしが置いたご飯の残りをつつきに来る鳥を眺めて、触れて、そうして季節が何週かした。
『ちょうろ』以外誰も会いに来ない。
そう思っていたけど、ある時一人の女の人が来るようになった。それが……
「あっ、きしも」
「おはよう、元気にしてたか?」
『きしも』だった。
『きしも』はとっても背が高くて、とってもきれいな人だ。
さらさらの黒い長髪は、光に当たるとなんだか青っぽくも見える不思議な色をしている。
それにいっつもふわふわ微笑んでいて、必ずわたしに甘いものを持ってきてくれる。
それは焼き菓子だったり、よく熟れた果物だったり、時には甘い飲み物だったりする。
甘いものはだいすき、でも『部屋』のご飯だとあまり出てこないから『きしも』が来てくれるとわたしは一日中うれしい気持ちでいっぱいになる。
「きしもが毎日きてくれたらいいのに」
わたしが口をとがらせてそうつぶやくと、『きしも』は少し困ったように自分の頬を掻いた。
『ふーいん』のせいであんまり自由に出歩けないらしい。
「わたしと一緒だ!」
「……アッハッハ! 確かにそうかもね!」
「きしももいつか自由に出られるといいね! そうしたらわたしと一緒に遊びに行こ!」
それから『きしも』は確か、季節が二周するくらい来てくれたと思う。
でもだんだん顔を出してくれる回数が減っていって、気が付けばわたしはまた一人になった。
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「今日も、きしも来てくれなかったなぁ……」
薄暗くなった外で雪がちらつく。
気が付けば、あんなに高い位置にあった窓を覗き込めるくらいわたしの背も伸びた。
髪も、随分伸びた。
切ることも出来たけど、きしもみたいな髪になりたくて伸ばし続けた……あの人より全然長くなっちゃったけど。
『きしも』が来なくなって、もう五年以上経つ。
どうして来なくなったのかは分からない。でもあんなにやさしかった『きしも』だから、もしかしたらわたしみたいな子をほかに見つけてそちらに行っているのかもしれない。
……そうだったら、すこしやだなぁなんて思いながらわたしは体を拭っていく。
今日、わたしはしぬらしい。
元々しぬために生まれてきたらしいから、まあ全部予定通りなのだろう。
しぬ、というのがどういう感じなのか良くわからないけれど、『ちょうろ』はよかったと言ってとっても喜んでいたから良かったと思う。
『モジン様』。
わたしが幼い頃から『ちょうろ』がずっと言っていたその人に、私は『ささげ』られてしぬらしい。
これで村はこの先三十年間安泰だと『ちょうろ』が言っていた。
そうしてわたしは普段の服より何倍も厚くて、何倍も布の量が多い服に着替えさせられて、いつもの部屋の真ん中に座らせられた。
月がてっぺんに昇る頃にモジン様が来るらしいから、そのあたりで土下座をしてお待ちしろとのことだった。
いつもは閉ざされている鉄格子も、今日だけは開けられたままに。
「……さむい」
モジン様が来た時に土下座をしていなかったらだめだと思ったので、とりあえずずっと土下座をしながら待っていたけれど……鉄格子の中は相変わらず冷える。
いつもなら毛布にくるまって、藁の中で全力で体を小さくしているけれど、今日はトクベツな日だからそうもいかない。
わたしは指先と、露出した足先を石畳の上に張り付けてもぞもぞとして、モジン様も来るなら早く来てくれればいいのに、と少しだけ唇を尖らせた。
そうして冷たい中でずっと頭を地面にこすりつけていると、普段は考えないことも頭の中をぐるぐるするようになる。
しぬってどんな気持ちなんだろうとか、モジン様ってどんな人なんだろうとか……それと、しぬが終わった後『きしも』にまた会いたいな、とか。
そうだ、しぬが終わったら多分、わたしはここを出られる。
当然だ。だってしぬためにわたしは生まれてきたのだから、それが終わったらわたしがここにいる理由なんてない。
そうしたらきっときしもに会いに行けるし、きしもに会ったらいろんなことを一緒にしたい。きしもが持ってきてくれたお菓子を一緒に買いに行ったり、きしもが話してたいろんな場所にだって一緒に行きたいな。
「……ああ、きしもに会いたいなぁ」
ぶるぶる震えながらわたしは呟く。
身体は芯まで冷えていて、もう指先の感覚も随分前に無くなっている。
ずぅんと全身が石になったみたいに重くなったまま、わたしはただひたすらモジン様を待ち続けて――
「……? わっ」
突然、背中がとても暖かくなった。
そうして空を浮かんでいるみたいに体が宙を浮いて……
「もういいんだ」
ずっと聞きたかった声が耳に入ってきた。
「……きしも?」
わたしより頭二つ、いや三つは高い背で、わたしの両脇に手を入れてひょいと抱え上げると――少しだけ唇を噛みしめて、ぎゅっと抱きしめてきた。
「ああ」
それがなんだかうれしくて、わたしもぎゅって抱きしめた。
でもだんだんなんだか、いやな気持ちが上がってきた。言うか悩んだけど、どうしても言わなくちゃ耐えられなくて。
「きしも、どうしてずっと来てくれなかったの……?」
「封印を破るために時間がかかったんだ」
「よくわかんない……わたしはずっとさみしかった」
わたしがそうやっていやな気持ちを吐き出すと、きしもは少しだけ悲しそうな顔をした。
だからそれ以上言うのはやめた。わたしはいやな気持ちになったけど、きしもがぎゅっと顔を歪めるのを見るのはもっといやだったから。
その代わりわたしはもう一回、きしもをぎゅっと抱きしめた。
「ねえきしも、わたしきしもと外に出たいな」
「……ああ、すぐにでも」
「あ、すぐはだめだよ?」
わたしはきしもから離れる。
今すぐに出て、きしもと遊びに行きたいのはわたしだってそう。でもわたしには役割がある。
「『モジン様』にころされてからね?」
モジン様にささげられて、しぬ。
そうしたらやっとわたしは自由だ、どこにだって行ける。もちろんその時はきしもと一緒に、だ。
そう言ったら、きしもの顔がまた歪んだ。
「どうしたの?」
「……お前は、その意味を理解しているのか?」
「……? 分かんないよ?」
きしもの話は時々むずかしい。
わたしはきしもの言葉に首をかしげた。
そういうものだから、そうあるべきなのだ。
おなかが空いたからごはんを食べる、喉がかわいたから水を飲む。
それと同じで、わたしはモジン様にささげられるために生まれてきたのだから、ささげられてしぬだけ。ただそれだけなのにそれを理解だとか言われても困る。
そうきしもに告げると、きしもは少しだけ笑顔になった。
「そうか」
「うん」
きしもがわたしの頭をなでる。
今まで鉄格子があったし、きしもは鉄格子のなかに手を絶対に入れてこなかったから初めての経験だった。
わたしがきしもの手のひらに頭を擦り付けると、きしもは片手で私を抱きしめながら少しだけ強く、さらに頭を撫でてくれた。
「……実はあたしが『モジン様』なんだ」
「そうなんだ」
少ししてから、きしもがぽつりとつぶやいた。
わたしは少しだけ驚いて目を丸くしたけど、それよりなによりうれしくて小さく笑う。
「疑わないのか?」
「……? 嘘なの?」
「いいや、本当さ。あたしこそが鬼子母神だからね」
じゃあいいじゃん。
本当はちょっとだけ、ころされるのがいやだった。
ここに入ってからずっと、『ちょうろ』と『きしも』だけがわたしに会いに来てくれていたのに、いきなり来た『モジン様』にころされるなんてなんだかちょっと違う気がして。
でもきしもなら、全然だいじょうぶ。
わたしは少し背伸びをして、しゃがんだきしもの首に抱き着きながらその耳元にささやいた。
「ねえきしも」
「ん?」
「わたしを、ちゃんところしてね?」
きしもが少し困ったように眉をひそめる。
わたしのことをじっと見てきたから、わたしもすこし首をかしげながらじっと見てあげた。
そうしてきしもは目を左右に動かして……私のほっぺに唇を押し付けた。
「これが、ころす?」
「ああ、そうさ」
きしもがにっこり笑う。
わたしもつられて笑う。
ころされる、そしてしぬ。
ずっとわたしがしなくちゃいけないと思っていたことは、とっても簡単なことだった。
わたしはそのままきしもにもおかえしに『ころす』をしてあげた。
「ふーん……なんだかすごくいいね! わたし、これすき!」
わたしの言葉にきしもは昔みたく優しく笑って、私の頭をぐりぐりなでた。
「さ、外に出よう」
「うん!」
きしもに腕を引かれる。
鉄格子を出るとき、すこしだけ気が重かった。でも彼女にぐい、と引っ張られて外に出ると――満天の星空が広がっていた。
月も鉄格子の隙間から見るよりはるかに大きくて、とってもきれいに光っている。
二人で手をつないで森の中を歩いた。
石ころが足の裏に食い込んだりして少し痛かったけど、それでもずっと出てなかった地面を踏んだり、見るだけで触れなかった木の皮を触ったりするだけでとっても興奮して痛みなんてすぐに忘れた。
わたしが何かを触ってはきしもに聞いて、きしもがそれを笑顔で答える。
そんなことを続けていると――なんだかとっても空気がくさくなった。
「……くさい」
「アッハッハ! そりゃ物が燃える匂いだね!」
「もえる?」
きしもがいうには物がもえると臭い匂いがして、でも温かくなるらしい。
そういえば昔、いろりというのが温かった気がする。あれも少しだけ同じ匂いがした気がする。
「お前も寒いだろう? 少し火に当たりに行くかい?」
「うん!」
そういうときしもはわたしのことをひょい、と抱きかかえて走り出した。
木や地面がどんどんと後ろに消えていって、どんどんと匂いが強くなっていく。
わたしは少しだけこわくて、ぎゅっと目を瞑っていた。
「さ、ついたよ……もう大丈夫、目を開けな」
「ん……うん」
きしもが言う通りに目を開くと――とっても明るかった。
「わ、すごいね!」
いろんな家がまっか、地面もまっか、なんだか動いているものもまっか。
全部がまっかっかで、とっても明るい。それに雪が降っているのにとってもポカポカして、全身があったかかった。
「すごいねきしも!」
「ああ」
すごい!
あのお部屋じゃこんなのみたことない!
空はこんな暗いのに、まるで昼間みたいに明るいのがとっても不思議だった。
わたしは両手をあげて駆け回り、すっかり冷え切った手や足先をその明るい先へと向けて温めた。
しばらくそうやっていると、まっかな中からなにかがふらふらと動いてきた。
なにか声みたいなものをあげながらそれはわたしたちのところまで転がってきて、きしもの足に抱き着いた。
「どうして……どうして……っ!! 契約は……果たした……はず……」
なんか言ってるのかな?
ひと、なのかも。
そのふしぎなものをじっと見つめていると、きしもは大丈夫、と一言だけいって――それの頭みたいなところを踏みつけた。
石と石をすりあわせたみたいな音がした。
「……きしも?」
きしもがそれを何回も繰り返す。
一回で丸いところがつぶれて、なにかしろいものとあかいものが飛び散った。
きしもが何回も、何回もそれを繰り返すと、ふしぎなものはどんどんとグニャグニャになっていって、中から白くて細いものがあちこちから飛び出してきた。
「こうやって! やると! とても喜ぶんだっ!」
「ふーん、そうなんだ」
最初は何か声みたいなのが聞こえたけど、気がつけば地面と『それ』がこすれる音だけが聞こえるようになった。
「えい」
わたしもきしもの真似をして、すっかり動かなくなったそれを踏んでみる。
なんだかぐにぐにして、生ぬるい感触だった。あまり面白くはなかったけど、でもこうやって上げると喜ぶらしいし何回か踏んづけてあげた。
「よくやったな、えらいえらい」
「えへへ」
もうやらなくていいぞ、なんて言ってきしもが頭を撫でてくれた。
気が付くとあかくてぽかぽかは無くなって、お空に太陽が昇ってきている。
周りには黒くてくさいものがいくつも転がっていた。
なんだか分からないけど、多分なにかが終わったんだと思う。
直感といえばいいのか、わたしはそう思った。
「ねえきしも」
「ん……!?」
わたしはきしもの唇を、自分の唇で『殺し』た。
「えへへ、どう?」
「……ああ」
きしもがわたしの唇を、きしもの唇で『殺し』た。
そうしてまたわたしのことをぎゅっ、と抱きしめて、また『殺し』た。
「ふぁあ……眠いね」
「寝ていいぞ。ぐっすりと……自由にな」
「……うん」
きしもがわたしを軽々と抱きかかえる。
わたしはすっかり体重をあずけて、そっと目を瞑った。
きしもの身体はとっても柔らかくて、あたたかくて、安心した。ずっとずっとこうしたかったから、わたしはついついぎゅっと抱きしめてしまう。
「~~♪」
遠くなっていく意識の中できしもの歌が聞こえる。
歩きの一定の振動、『人』の温もり。うつらうつらとした微睡みの中で、わたしはなんだかぽかぽかした気持ちのまま少しだけ笑った。
ああ。
明日からどこにいこうかな。