サクラの結晶   作:びりーばー

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いやはやお久しぶりです。
私は生きてます。


ハワイの大王

 

美浦トレーニングセンター、大島厩舎。    

調教を終え、馬房の奥で飼い葉を食むサクラアルドールの姿を、太は腕を組んでじっと見つめていた。

 

「親父、弥生賞だが…」

 

良太の言葉に、父である太はゆっくりと視線を巡らせた。

 

「ああ…コスモバルクは弥生賞か」

 

「ラジオたんぱでのあの強さ。現時点でアルドールと張り合えるのはあの地方馬ぐらいだ。ウチのアルドールが皐月賞、その先のダービーを目指すなら弥生賞でバルクを叩くのが1番の正道。それは間違いないな」

 

太は頷いた。前哨戦で弥生賞を選ぶのは調教師としての義務に近かった。

 

中山芝2000メートル。トリッキーな小回り、そして急坂。

それでもあの地方の怪物とも互角以上に渡り合えるという確信があった。しかし、太の胸の内に引っかかっているのは、地方の怪物だけではなかった。

 

「……西は?」

 

「栗東ねぇ…」

 

良太は手元の資料をめくった。

 

「ラジオたんぱ杯で5着に入った良血馬ブラックタイド。それから…。キングカメハメハが今週末の阪神、オープン特別のすみれステークスに出走予定だ」

 

キングカメハメハ(King Kamehameha)

 

前走の京成杯ではフォーカルポイントの3着に敗れている。初めての重賞レース、初めての輸送、そして中山の変則的な競馬に戸惑っただけの敗戦。だが、競馬関係者の間では、あの馬の底が割れたなどと思っている者は一人もいなかった。

 

 

「京成杯で負けたからといってクラシックの主役から降りたわけじゃない。むしろ、あの敗戦で陣営は完全に火がついたはずだ」

 

「すみれステークス。オープン特別の芝2200メートル、阪神の内回り。キングカメハメハが本物ならあんな舞台はただの通過点に過ぎないだろう」

 

太は手元のスポーツ紙に目を落とした。そこには栗東で猛時計を叩き出しているキングカメハメハの調教記事が小さく載っていた。

 

まだサクラアルドールとキングカメハメハの線路は交わっていない。一方は東の王道を、一方は西のステップを踏もうとしている。

 

だが、2頭が必ずぶつかると太は確信をしていた。キングカメハメハにはそう思わせる強さを感じていたのだ。

 

「日曜日の阪神も中山と同様にしっかり見ておく必要があるな。アルドールの弥生賞を占う意味でも、今年のクラシックの基準がどこにあるのかをな」

 

太は馬房の奥で静かにこちらを見つめるサクラアルドールの瞳を見た。自信を持ったような様子で言葉を放った。

 

「アルドール。お前のライバルになる馬だ。名前でも覚えとけ」

 

鹿毛の若駒はただ静かに、夜の気配が満ちる厩舎の中で鼻を鳴らした。

     

———————————————————————————

 

2月29日 1回阪神2日目

鈍色の雲が低く垂れ込め、時折冷たい風がターフを吹き抜ける冬の終わり。今日のメインレースはGIII阪急杯。その発走1時間前の阪神9R。

OP すみれステークス

 

クラシックの指定席を争う皐月賞トライアルでもなければ、賞金の高い重賞でもない。ただのオープン特別だ。しかし、パドックに集まったファンや目の肥えた競馬記者たちの視線は、一点に集中していた。

 

7枠7番キングカメハメハ

 

京成杯の敗戦という泥を落とし、ここから再び頂点へと駆け上がるための準備は完全に整っている。パドックを周回するその姿には他を圧倒する威風堂々としたオーラがあった。

 

厩舎で大島はテレビの画面を凝視していた。

横には同じく真剣な表情で見つめる厩舎スタッフたちの姿がある。

 

「すんばらしい馬体ですね、父キングマンボか」

 

スタッフの一人が感嘆の声を漏らした。

 

「こんなの、オープン特別に出てきていい馬の器じゃないでしょう」

 

大島は息を吐いて腕を組み直した。

 

画面の中で、ジョッキーがキングカメハメハの背に跨る。

大王の目が、一瞬、鋭く光ったように見えた。

     

———————————————————————————

 

『スタートしました。さあまずは正面スタンド前での先行争いです。

 

阪神芝2200メートル。正面直線の右端からスタートし、ぐるりとコースを1周するタフな舞台。最初の坂を登りながら各馬がポジションを探り合う。

 

『外からキングカメハメハ、間からピサノペガサス出を伺います。内にコースを取るようにカシノフラッシュも先団を形成していきます。そしてその直後ロードマーシャルはやや控えた4番手、内からはダガノハルカゼ間にフィレンツェです。そして2馬身差最後方に控えた1番のストラタジェム』

 

キングカメハメハは抑えきれないほどの行きっぷりを見せながらも、鞍上である高藤勝己の手綱捌きに応えぴたりと折り合いをつけ3番手。

 

「……折り合っているな」

 

大島が呟く。

 

「京成杯の時は他馬に前をカットされてリズムを崩した。だが、今日は完全に自分のリズムを作れている。おまけに折り合われたら後ろの馬はどうしようもない」

 

『7頭がほぼ一団、各馬がこれから1コーナーを迎えます。内からわずかにピサノペガサスが先手を奪いました、1馬身ほどのリードを取ってカシノフラッシュが2番手の位置で各馬が1コーナーをカーブ』

 

『ピサノペガサスが先手を奪いました、1馬身半のリード。2番手にはカシノフラッシュです。3番手内半馬身差タガノハルカゼ3番手です、外半馬身差キングカメハメハ追走。間ロードマーシャル5番手』

 

レースは淡々と進んだ。逃げ馬が引っ張るペースは遅くも早くもない、平均的な流れ。しかし、それは裏を返せば、実力馬が実力通りの力を発揮しやすい展開ということでもあった。

 

『後方2頭2馬身差、外がストラタジェム内がフィレンツェで第2コーナーからバックストレッチへと入りました。先手を奪っているのはピサノペガサス、残り1200を通過。そして2番手の位置カシノフラッシュがつけています』

 

『内半馬身差タガノハルカゼ。外、差がなくキングカメハメハは中団の外。間をついたロードマーシャル。そして後方から2頭目少し押し上げましたストラタジェム。残り1000mを通過、最後方にはフィレンツェで各馬がこれから3コーナーを迎えます』

 

 

三コーナーの手前。外から他馬が位置を押し上げ全体のペースが一段上がった。馬場は冬の開催を経て、決して走りやすい状態ではない。しかも重馬場だ。力がなければ走るだけで体力を削られるタフなコンディション。

 

『先手を奪っているのはピサノペガサス、ピサノペガサス先頭ですリードは体半分ですが。外からカシノフラッシュが詰めていきました、残り800を通過。外半馬身差キングカメハメハ現在3番手です。そのあとロードマーシャルが4番手首を覗かせて、その内タガノハルカゼ中団の内。フィレンツェが最後方から押し上げにかかって外ストラタジェムと並びました。600を通過、3・4コーナー中間です』

 

だが、キングカメハメハの手応えは他の馬たちとは次元が違っていた。

4コーナー。馬群が凝縮し、各馬のジョッキーの手が激しく動き始める。その中でキングカメハメハの鞍上だけはまだ持ったままで外目から進出し始める。

 

『さあ先頭はピサノペガサスですが外からはキングカメハメハ並んでいきました。外半馬身差3番手の位置までロードマーシャルが接近して先団3頭ほぼ一団。残り400を通過、第4コーナーカーブから直線コースへと向かいました』

 

「来るぞ」

 

大島が身を乗り出した。一気にキングカメハメハは前に出始める、軽く持ったままで。

 

『ピサノペガサス先頭ですが、今度は間を突いたキングカメハメハ先頭です!キングカメハメハ先頭、そしてピサノペガサスが2番手の位置!その後3番手集団からは間を突いたストラタジェム、間を突いたストラタジェムがさあ3番手から2番手に上がってきた!先頭は突き抜けましたキングカメハメハ!3馬身4馬身のリード!ストラタジェムは2番手、先頭はキングカメハメハ!キングカメハメハゴールイン!ストラタジェムが2着……』

 

 

「強い…!」

 

厩舎スタッフの口から驚愕の声が漏れた。競り合いにもならなかったのだ。決して2着に敗れたストラタジェムも弱いわけではない。

 

キングカメハメハは阪神の荒れた直線、そして最後の急坂をまるで平坦な直線を走っているかのようなフットワークで突き抜けていく。

 

鞍上が激しく鞭を使うこともない。ただ、己のポテンシャルの赴くままに、ただひたすらに、前へ、前へと突き進む。

 

ゴール板を駆け抜けた時、2着馬に付けた差は2馬身半。

タイム以上の、着差以上の圧倒的な格の違いを見せつけた圧勝劇だった。

 

大島は静かにリモコンを操作し、テレビを消した。

静寂が戻った室内に、スタッフたちの重苦しい沈黙が残る。

 

「……先生。これは、とんでもないのが西にいますね」

 

1人が絞り出すように言った。

 

「アレは本物です。皐月賞もそうですが特に東京の2400m。日本ダービーの舞台であの走りをされたら……」

 

「ああ」

 

大島は立ち上がり、窓の外を見た。遠く、サクラアルドールがいる馬房の方向へと視線を向ける。

 

「強いな。文句のつけようがない。あれが今年のクラシックの『代表格』を争うことになる馬だろう」

 

だが大島の心は折れるどころかむしろ、静かな熱情に満たされていた。世界基準の血統が圧倒的な力で王道を歩むというのなら、我々は自信を持って迎え入れようと。勝つのは日本であると。

 

「これで、弥生賞がさらに重要になった」

 

大島は振り返り、スタッフたちを見据えた。

 

「西にあのキングカメハメハがいる。そして東には俺たち。地方にはコスモバルク。どちらも怪物だ。サンデーサイレンスの全盛期にこれほどの別系統の怪物が揃うとはな。だが、だからこそ面白い」

 

大島は不敵に笑った。

 

「ウチのアルドールにはその2頭をまとめてねじ伏せるだけの強さがある。まずは弥生賞だ。コスモバルクを叩いて堂々とあのキンカメの前に立ってやろうじゃないか」

 

大島厩舎の面々の目に、再び鋭い光が戻った。

04世代の代表格、キングカメハメハ。ライバルとして大島厩舎が初めて認識した日であった。

 

 

 

「……テレビ消す必要なかったな。どうせプレジデントの中山記念観るのに…」

 




登場したネームド馬

キングカメハメハ (King Kamehameha)
牡 鹿毛

父 Kingmambo
母 マンファス
母父: ラストタイクーン
馬主 兼子真人

調教師 松山国吉
オーナーである兼子真人が大きな期待を抱く持ち込み馬。
4戦3勝 うちOP以上の勝ち鞍はすみれSのみ。
主戦騎手 高藤勝己
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