異変未満の午後 ~ Tea, Cola, Math and a Little Practice   作:折無堂

1 / 10
1. 鬼の茶畑

 射命丸文は、山の中腹に不自然な緑を見つけた。

 風に揺れる、低く刈りそろえられた灌木の列。畑にしては妙に整っている。人里の畑ではない。河童の実験農場でもない。守矢神社の新事業にしては、看板も幟もない。

 

 文は木の枝に降り立ち、目を細めた。

「……茶畑?」

 幻想郷に茶畑があること自体はおかしくない。おかしくないが、場所がおかしい。ここは天狗の勢力圏から少し外れた、人間が簡単に来るには険しい山肌である。さらにおかしいことに、その茶畑の真ん中に、伊吹萃香がいた。

 小さな鬼は、瓢箪を腰に下げ、片手に鋏を持って、茶葉を真剣な顔で眺めていた。

 

 文は思わず懐から手帳を出した。

 見出し候補、その一。

 ――鬼、ついに酒を捨てる。

 見出し候補、その二。

 ――伊吹萃香、謎の緑葉栽培。山中に広がる“新たな依存先”。

 見出し候補、その三。

 ――瓢箪の中身、酒ではなく茶か。鬼社会に激震。

 

 どれも悪くない。悪くないが、最近の文は少しだけ慎重だった。真実性、公益性、相当性。天狗の新聞にも、最近はそういう面倒な言葉が入り込んでいる。

 なにより、相手が鬼だった。

 

「萃香さん」

 文が声をかけると、萃香は振り向きもせずに言った。

「見てたね」

「ええ、偶然です。山中に不審な畑を発見しまして」

「茶畑だよ」

「やはり。隠していたのですか?」

「別に」

 

 萃香は鋏を止め、摘んだ葉を籠に入れた。

「隠すなら、もっと分かりにくい所に作るよ。山の日当たりと風の通りがちょうどよかっただけ」

「なるほど。では記事にしても?」

「好きにすれば」

 

 あまりにも簡単に許可が出たので、文は少し困った。

「よろしいのですか? 鬼が茶畑を作っているとなれば、なかなか読者の関心を引くと思いますが」

「別に悪いことしてないしね」

「酒をやめた、という理解で?」

「なんでそうなるのさ。普通に飲むよ」

「では、お茶は?」

「お茶も飲む」

「両方ですか」

「飲み物なんだから、好きなら両方飲めばいいだろ」

 

 萃香はそこで、少しだけ笑った。

「宴会なら酒だよ。天狗の宴会はちょっと量がおかしいけど」

「鬼が言いますか?」

「あれは酒が嫌なんじゃなくて、勝負になってるのがきついんだよ」

「鬼だから?」

「鬼だから受けるけどね」

 

 文は無言で手帳に書き込んだ。

 ――鬼だから受ける。

 これは使える。非常に使える。けれど使い方を誤ると、たぶん翌朝には自分が茶畑の肥料になっている。

「それで、お茶ですか」

「うん。酒は酒でいいんだよ。でも、お茶もいい。香りがある。苦みがある。頭がすっきりする。飲んでも足元がふらつかない」

「鬼が言うと重みがありますね」

「天狗の新聞にそう書かれると、別の重みが出るからやめて」

 

 文は笑ってごまかした。

 正直、ここで一つくらい悪意ある角度をつけたかった。

 鬼が健康志向に目覚めた。

 鬼、酒宴文化に疑問。

 萃香ブランド茶、裏で山の勢力図を変えるか。

 

 どれも見出しとしては強い。強いが、萃香は今、片手に鋏を持っている。農具に見えるが、鬼が持てば武器である。文は職業倫理と身の安全を天秤にかけ、珍しく両方を採用することにした。

「では、素直に書きます」

「珍しいね」

「最近はコンプライアンスに気をつけていますので」

「その言葉を使う奴ほど信用できないんだよなあ」

 萃香はそう言って、畑の脇に置いてあった小さな急須を手に取った。いつの間に用意していたのか、湯気の立つ湯呑みが二つ並んでいる。

 

「飲んでく?」

「取材対象からの供応は、記事の公平性に影響する可能性が」

「じゃあいいや」

「飲みます」

 

 文は即答した。

 湯呑みから立つ香りは、思ったよりずっと澄んでいた。草の青さだけではない。山の冷えた空気と、日なたの土の匂いが、ほどよく丸くなっている。

 一口飲む。

 文は目を瞬かせた。

 

「……美味しいですね」

「だろ」

 萃香は少し得意そうに笑った。

「酒は酒でいいんだよ。でも、お茶はまた違う。葉の摘み方、蒸し方、揉み方、火の入れ方。ちょっと違うだけで味が変わる。強けりゃいいってもんじゃない」

「鬼から聞くと、なかなか新鮮な言葉です」

「鬼だって繊細なものを分かるよ。分かったうえで壊すだけで」

「最後の一言で台無しです」

 文は湯呑みを空にし、手帳を閉じた。

 

 翌日の『文々。新聞』には、珍しく落ち着いた記事が載った。

 見出しはこうだった。

 ――伊吹萃香、山中で茶畑を開く “酒は百薬の長”幻想入り後の新習慣か

 本文はおおむね事実に沿っていた。伊吹萃香が山中に茶畑を作っていること。本人は隠していないこと。酒は変わらず好んでいる一方、最近は茶にも凝っていること。天狗の宴会については「酒席文化について思うところがあるようだ」とだけ書かれていた。

 ただし、最後に余計な一文があった。

 ――なお、記者も試飲したが、萃香氏の茶は普通にうまい。集中力が欲しい巫女、魔法使い、締切前の新聞記者などにはおすすめである。

 

 博麗神社では、霊夢が新聞を読みながら眉をひそめた。

「集中力が欲しい巫女って、誰のことよ」

 

 魔法の森では、魔理沙が新聞を折りたたみ、少し考えた。

「普通にうまい、か。鬼の茶ってのは気になるな」

 

 そして山では、萃香が新聞を手に、しばらく黙っていた。

「……まあ、今回は許すか」

 

 文はその日、なぜか少しだけ胸を張って飛んでいた。

 イエロージャーナリズムの魂は、まだ死んでいない。

 ただ、鬼は怖い。

 それだけのことである。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。