異変未満の午後 ~ Tea, Cola, Math and a Little Practice 作:折無堂
その夜、霧雨魔理沙は一人で実験をした。
アリスとパチュリーは、帰り際に何度も言った。
「結界を張ってから」
「場所を選んでから」
「葉の水分量を測ってから」
「茸と同じつもりで扱わないこと」
「八卦炉の出力を半分以下に落とすこと」
魔理沙は全部に対して、同じように答えた。
「分かってるって」
そして、だいたい分かっていなかった。
机の上には、茸、木の葉、乾かした茶葉、ミニ八卦炉が並んでいた。最初は木の葉だけでやるつもりだった。だが、ただの葉では面白くない。少し茸の粉を混ぜる。光を受けた葉と、暗がりで育った茸。陽と陰。これをうまく反転させれば、闇の弾幕か、光を吸う魔法が出るはずだった。
「出力は控えめ」
魔理沙は自分に言い聞かせた。
「感覚でいける。いつも通りだ」
ミニ八卦炉が低く唸った。
葉が震えた。
茸の粉が焦げた。
空気が少し暗くなった。
「お」
魔理沙の目が輝いた。
「来たか?」
次の瞬間、光が消えた。
いや、消えたように見えた。部屋の灯り、月明かり、魔理沙自身の魔力の感覚まで、一瞬だけ何かに吸われた。
そして、吸われたものが全部まとめて反発した。
どかん、と音がした。霧雨魔理沙の家は、半分ほど吹き飛んだ。
正確には、屋根が飛び、壁が二枚倒れ、机が逆さになり、魔導書が草むらに散った。幸い、魔理沙本人は煤だらけで済んだ。頑丈なのか、運がいいのか、たぶん両方だった。
魔理沙は瓦礫の中から起き上がった。
「……成功だな」
誰に向けた強がりなのか、自分でも分からなかった。
翌朝、最初に来たのはアリスだった。
正確には、アリスの人形が先に来て、惨状を確認し、次にアリス本人が来た。
アリスは吹き飛んだ屋根を見上げ、倒れた壁を見て、煤だらけの魔理沙を見た。
「結界は?」
「心の中に張ってた」
「場所は?」
「家」
「出力は?」
「控えめだった」
「結果は?」
「家が広くなった」
アリスは深く息を吸った。
「ほら、だから感覚では限界があるのよ」
「限界じゃない。ちょっと出力が元気だっただけだ」
「家を吹き飛ばす元気を、普通は事故と言うの」
少し遅れて、パチュリーも来た。小悪魔に支えられながら、珍しく外まで出てきている。
パチュリーは現場を見て、咳を一つした。
「予想より派手ね」
「お、パチュリー。見ろ。光を吸うところまでは行ったぜ」
「その後、全部返ってきたのでしょう」
「分かるのか?」
「見れば分かるわ。吸収、圧縮、反発。制御できない反転魔法の典型的な失敗例よ」
「典型的なのか」
「典型的よ。ただ、家ごと吹き飛ばす人は少ないけれど」
アリスが机だったものの残骸を拾い上げた。
「葉は水分が残っていたのね。魔力の通り道が不均一になっている。茸の粉も混ぜた?」
「少しな」
「少しではない量が床に散っているわ」
「床も散ってるから分からないだろ」
「そういう問題ではないの」
魔理沙は帽子の煤を払った。
「でも、悪くなかっただろ。ちゃんと暗くなった」
パチュリーは瓦礫の中から焦げた葉を拾った。
「悪くはないわ。むしろ、発想自体は当たり。だから危ないの」
「当たりならいいじゃないか」
「当たりを引いた時に爆発するから、理論が必要なのよ」
その時、遠くから穏やかな声が聞こえた。
「あらあら、ずいぶん賑やかですね」
聖白蓮だった。
魔理沙は嫌な予感がした。
「なんで来たんだよ」
「大きな音がしましたので。妖怪退治か、修行か、事故かと思いまして」
「事故ではない」
「では修行ですね」
「そういうことでもない」
白蓮はにこやかに、吹き飛んだ家を眺めた。
「魔理沙さん、以前から思っていましたが、あなたはとても良い素質を持っています」
「その話、長くなるやつだろ」
「長くはしません。ただ、力の扱い方を学べば、もっと遠くへ行けるでしょう」
アリスが小さく頷いた。
「それは本当ね」
パチュリーも続けた。
「感覚は悪くない。むしろ良い。けれど、感覚だけで出力を上げ続けると、いつか家では済まなくなる」
「今のところ家で済んでるぜ」
「それを幸運と言うのよ」
白蓮は魔理沙の前に立った。
「理論派になれ、と言っているのではありません。あなたの良さは、手を動かすこと、試すこと、怖がらないことです。ただ、試す前に少しだけ道筋を知る。それだけで、失敗の形を選べます」
「失敗の形を選ぶ?」
「ええ。爆発する失敗ではなく、光が弱い失敗。家が壊れる失敗ではなく、葉が焦げるだけの失敗。そういうふうに、失敗を小さくできます」
魔理沙は黙った。
失敗をなくす、ではなく、失敗を小さくする。
それは少しだけ、魔理沙にも分かる言葉だった。
アリスが言った。
「あなたは理論家になる必要はないわ。でも、自分の魔法を他人に説明できるくらいにはなった方がいい」
パチュリーが言った。
「説明できない魔法は、再現性が低い。再現性が低い魔法は、強くなりにくい」
魔理沙は少し不満そうに口を尖らせた。
「強くなりにくい、ねえ」
白蓮はそこで、静かに笑った。
「たとえば、霊夢さんよりも?」
魔理沙の目が動いた。
アリスが横目で白蓮を見た。
パチュリーもわずかに眉を上げた。
白蓮は穏やかな顔のままだった。
「あなたが木の葉魔法を制御できるようになれば、光を吸う弾幕、魔力を散らす結界、相手の感覚を一瞬だけ暗くする術も作れるかもしれません。霊夢さんの勘や直感に対して、正面からではなく、場そのものを変える魔法で挑める」
「……霊夢より強くなるかもってことか?」
「可能性はあります」
魔理沙は腕を組んだ。
「でも、理論とか面倒だぜ」
「霊夢さんは、面倒なことをしなくても強いですね」
「よし、やるか」
即答だった。
アリスは額に手を当てた。
「乗せられやすすぎる」
パチュリーはため息をついた。
「でも、動機としては十分ね」
白蓮はにこにこしている。
「では、まずは基礎から」
「基礎って何だ」
「記録の取り方です」
魔理沙は眉をひそめた。
「記録なら取ってるぜ」
「見ました」
アリスが、机の端に積まれていた古いノートを一冊持ち上げた。
「『いつもの茸。少し乾かす。火は強め。かなり光った』」
「分かりやすいだろ」
「あなたにはね」
パチュリーが言った。
「素材の量、乾燥時間、八卦炉の出力、魔力を通した時間、結果。同じ条件をもう一度作れるように残すの」
魔理沙は露骨に嫌そうな顔をした。
「そこまで書くのかよ」
「魔法を強くするための準備よ」
アリスが言った。
「人形も設計図なしでは精密に動かないわ」
パチュリーも言った。
「魔導書は、誰かが失敗と成功を記録したものでもある」
白蓮が締めた。
「修行も、昨日の自分を覚えていなければ積み上がりません」
魔理沙は瓦礫の中に座り込んだ。
「三人がかりで説教かよ」
「普段の行いね」
「日頃の返却遅延ね」
「良い機会です」
魔理沙はしばらく黙っていたが、やがて帽子をかぶり直した。
「分かったよ。いつものノートじゃ駄目なんだろ」
「駄目とは言っていません」
白蓮が言った。
「あなたには役に立っています。ただ、今回はもう一歩だけ細かくしましょう」
アリスが新しい帳面を開いた。
パチュリーが項目を書き込む。
魔理沙は羽ペンを受け取り、しばらく考えたあと、その下に大きく書いた。
木の葉魔法実験 一回目
結果:家が吹き飛んだ。
原因:たぶん出力。
感想:暗くなったところは良かった。
アリスが覗き込んだ。
「もう少し具体的に」
「具体的だろ」
「どこがよ」
パチュリーが赤字で書き足した。
素材:生葉、乾燥不足。茸粉末混入。
八卦炉出力:本人申告では控えめ。実際は不明。
結界:なし。
実験場所:自宅。最悪。
「最悪って書くな」
「事実よ」
白蓮は穏やかに言った。
「まずは、壊してもよい場所を探しましょう」
「博麗神社か?」
三人が同時に言った。
「違う」
「違うわ」
「違います」
魔理沙は肩をすくめた。
面倒なことになった。けれど、悪くはなかった。
木の葉は闇になるかもしれない。茸は光になる。氷は構造になる。茶葉は中間で揺れる。全部をうまく扱えれば、今までの魔法とは違うものが作れる。
そして、それで霊夢より強くなれるかもしれない。
魔理沙はにやりと笑った。
「よし。まずは家を直すところからだな」
アリスが冷たく言った。
「それも記録しておきなさい」
「魔法の修行に関係あるか?」
「失敗の費用を知るのも大事よ」
パチュリーがうなずいた。
「費用対効果ね」
白蓮も微笑んだ。
「生活を整えることも修行です」
魔理沙は天井のない家を見上げた。
空がよく見えた。
「……やっぱり家が広くなったってことでいいんじゃないか?」
「よくない」
三人の声が、きれいに揃った。