異変未満の午後 ~ Tea, Cola, Math and a Little Practice   作:折無堂

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11. なんでこんなことをやるのか

 霧雨魔理沙の家には、しばらく来客が増えた。

 正確には、来客ではない。監視であり、教師であり、説教係である。

 

 吹き飛んだ屋根は、アリスの人形と美鈴から借りた資材と、魔理沙本人の雑な腕力によって、どうにか元の形に近いものへ戻った。近いだけで、同じではない。窓の位置が少し変わり、壁の一部は前よりも丈夫になり、机は新しくなった。

 

 ただし、机の上には、今までの研究ノートとは別に一冊の帳面が増えていた。

 魔理沙のノートなら、もともと何冊もある。茸を採った場所、試した組み合わせ、うまくいった魔法、失敗した魔法。本人が見ればだいたい分かるようには書いてある。

 

 だが、新しい帳面は違った。

 葉の種類。乾燥日数。量。八卦炉の出力。魔力を通した時間。結果。

 最初から項目まで決められている。

 

 魔理沙はそれを、心底嫌そうに見ていた。

「なんでこんな細かく書かなきゃいけないんだよ」

 その日の担当はアリスだった。

 アリスは人形に乾燥させた木の葉を小皿へ分けさせながら、淡々と言った。

「同じ失敗をしないためよ」

「同じ失敗はしないぜ」

「前回の失敗原因は?」

「出力」

「どれくらい?」

「ちょっと多かった」

「だから記録するの」

 

 魔理沙は羽ペンを持ったまま、机に突っ伏した。

「魔法ってのは、もっとこう、星が流れる感じとか、火花が散る感じとか、そういうものだろ」

「それを書けばいいじゃない」

「書いたら怒るだろ」

「“星が流れる感じ”だけなら怒るわ。けれど、それが火花の色なのか、魔力の流れなのか、八卦炉の振動なのか、素材の匂いなのかまで書けば資料になる」

 

 魔理沙は顔だけ上げた。

「匂いも書くのか?」

「書きなさい。茸を使うなら、匂いは重要でしょう」

「それはまあ、そうだな」

 

 アリスは少しだけ笑った。

「ほら。あなたは分かっていないわけじゃないのよ。分かっていることを、頭の中と手癖と、自分にしか分からない言葉に置いているだけ」

 

 魔理沙は不服そうに羽ペンを動かした。

 木の葉魔法実験 二回目。

 素材:乾燥させた楓の葉。茸粉末なし。

 匂い:少し甘い。焦げる前の紙みたい。

 八卦炉出力:かなり弱め。

 結果:暗くならず、葉が丸まった。

 感想:つまらない。

 

 アリスが覗き込む。

「最後の一文は要らないわ」

「いる。大事だ」

「何に?」

「やる気に」

 

 アリスはしばらく考え、諦めた。

「まあ、主観的評価も記録ではあるわね」

 

 別の日には、パチュリーが来た。

 

 魔理沙は実験記録帳を開きながら、また同じことを言った。

「なんでこんなことをやるんだよ」

 

 パチュリーは咳をしてから、椅子に座った。

「再現性のためよ」

「アリスも似たようなこと言ってた」

「アリスは失敗を減らすため。私は成功を増やすために言っている」

「違うのか?」

「違うわ。失敗を避けるだけなら、危ないことをしなければいい。でもあなたは、危ないことをしたいのでしょう」

「人聞きが悪いぜ」

「違うの?」

「違わない」

「なら、成功した条件を残す必要がある」

 

 パチュリーは前回の記録をめくった。

「ここ。三回目。葉が一瞬だけ影を作ったとある」

「そうそう。机の上だけ、月明かりが消えた」

「その条件を再現できる?」

「……たぶん」

「たぶんでは困る」

「困るのか」

「困るわ。あなたが“たぶん”で撃った魔法を、相手は“確実”に避けるかもしれない」

 

 魔理沙の顔が少し変わった。

 パチュリーはそこを逃さなかった。

「霊夢に勝ちたいのでしょう」

「別に、いつも勝ちたいわけじゃない」

「今、“勝てるなら勝ちたい”と思ったわね」

「お前はさとりか」

「顔に出ているわ」

 

 魔理沙は舌打ちした。

 パチュリーは平然と続けた。

「霊夢は勘が良い。曖昧な魔法は、曖昧なまま避けられる。けれど、場の光を奪う、魔力感覚をずらす、陰影そのものを弾幕にする。そういう術が安定すれば、霊夢の勘に干渉できるかもしれない」

「……安定すればな」

「だから記録するの」

 

 魔理沙は渋々、羽ペンを持った。

 木の葉魔法実験 五回目。

 素材:乾燥三日の柊の葉。

 混合:茸粉末ごく少量。

 八卦炉出力:前回より一目盛り下。

 魔力投入:短く三回。

 結果:机の上の影が一拍遅れて動いた。

 感想:ちょっと面白い。霊夢の札に使えるかもしれない。

 

 パチュリーはそれを読み、頷いた。

「だいぶ良くなったわ」

「私が?」

「記録が」

「そこは私と言えよ」

「記録が良くなるのは、あなたが良くなっているということよ」

「回りくどいな」

「理論とはそういうものよ」

 

 また別の日には、聖白蓮が来た。

 

 白蓮は他の二人より穏やかだった。穏やかだが、逃げ道を塞ぐのが上手かった。

 魔理沙は茶を出しながら、また同じことを言った。

「なんでこんなことをやるんだよ」

 

 白蓮は湯呑みを受け取り、にこりと笑った。

「自分を知るためです」

「急に修行っぽくなったな」

「修行ですから」

「魔法の実験じゃなかったのか?」

「魔法の実験も、自分を知る修行です。あなたは、何を見て、何を感じて、どこで危ないと思い、どこで面白いと思うのか。それを知らなければ、力に振り回されます」

 

 魔理沙は顔をしかめた。

「私は振り回されてないぜ」

「家は吹き飛びました」

「家は振り回されたな」

「屁理屈です」

 

 白蓮は穏やかなまま言った。

「あなたは覚えが悪いわけではありません。むしろ、かなり良い。これまでのノートも、あなた自身が使うには十分だったのでしょう」

「だったら、これでいいじゃないか」

「でも、昨日のあなたと今日のあなたが、同じ『少し』を同じ量だと思っているとは限りません」

 

 魔理沙は少し黙った。

「……それは、まあ」

「昨日の成功を、今日もう一度同じ条件で試せるようにする。今日の失敗を、どの条件が違ったのか比べられるようにする。そのための記録です」

 

 魔理沙は魔導書を読む。弾幕を見る。盗む。借りる。真似る。自分のものにする。そうやって強くなってきた。

 自分の実験だって記録してきた。

 ただ、自分のやり方そのものを、他人の弾幕を見るように細かく分解して眺めたことは、あまりなかった。

 

「……私はさ、自分でも本を書いてるんだぜ」

「知っています」

「弾幕の記録も書くし、自分の実験だって残してる。できないわけじゃない」

「ええ」

「でも、今までのは私が読めればよかったんだよ。『いつもの茸』『少し乾かす』『火は強め』。見れば、その時どうやったか思い出せる」

 

 白蓮は静かに聞いていた。

「霊夢の札とか、咲夜のナイフとか、幽々子の蝶とかは違う。私のものじゃないから、ちゃんと見ないと盗めない」

 魔理沙は少しだけ顔をしかめた。

「自分の魔法まで、同じように外から見るのが……なんか変なんだよ」

「恥ずかしいですか?」

「違う」

「怖いですか?」

「それも、違うな」

「では、悔しい?」

 

 魔理沙は少し黙った。

「……たぶん、それだな」

 白蓮は頷いた。

「自分では分かっているつもりだったものが、書こうとすると曖昧だと分かる。それは悔しいものです」

「そうだよ。私は分かってるんだよ。どの茸がいいか、どれくらい乾かすか、八卦炉をどう持つか、どこで魔力を押すか。でも書くと、“なんとなく”ばっかりになる」

「なら、その“なんとなく”を少しずつ言葉にすればいい」

「それが面倒なんだよ」

「面倒なことをした人だけが、面倒な力を扱えます」

 

 魔理沙は湯呑みを置いた。

「白蓮は、そういう言い方がうまいな」

「年の功です」

「それ、紫に言ったら怒られるやつだぜ」

「紫さんには言いません」

 

 魔理沙は笑った。

 それでも、納得したわけではなかった。

 アリスの言う「失敗を減らすため」も分かる。

 パチュリーの言う「成功を増やすため」も分かる。

 白蓮の言う「自分を知るため」も、まあ分からなくはない。

 

 だが、魔理沙にとって魔法は、もっと手の中で爆ぜるものだった。

 理屈にする前に、光る。

 説明する前に、飛ぶ。

 危ないと思ったときには、もう面白い。

 

 それでも、最近は少し変わってきていた。

 条件を揃えて記録すると、昨日の失敗と今日の実験を比べられる。

 素材の量を変えると、影の出方が変わる。

 葉の種類で、闇の質が違う。

 茸を混ぜると、闇の中に星のような粒が出る。

 茶葉を使うと、光が柔らかく曲がる。

 

 何かが分かってきている。

 それは認めざるを得なかった。

 

 夕方、三人が帰ったあと、魔理沙は一人で記録帳を開いた。

 木の葉魔法実験 十一回目。

 素材:乾燥二日の椿の葉。

 混合:茸粉末なし。

 八卦炉出力:低。

 魔力投入:細く長く。

 結果:光を消すのではなく、影を固定した。

 感想:氷に少し似ている。チルノに聞くと面倒そうだが、聞く価値はあるかもしれない。

 

 そこまで書いて、魔理沙は羽ペンを止めた。

 そして、少し考えてから追記した。

 今までだって、自分の魔法は書いてきた。

 ただ、それは後で自分が思い出すための記録だった。

『少し』『強め』『いつもの』『いい感じ』。

 

 その日の自分には、それで十分だった。

 今書いているのは、少し違う。

 同じ条件を、もう一度作るための記録だ。

 

 自分以外の誰かが見ても、少なくとも何をしたのかは分かる。

 たぶん、今まで一番感覚に任せていたのは、魔法そのものではなく、その感覚を説明するところだった。

 

 魔理沙はその一文を見つめた。

 気恥ずかしくなって、消そうかと思った。

 だが、消さなかった。

「まあ、いいか」

 

 魔理沙は記録帳を閉じた。

 理論派になるつもりはない。

 

 きっと明日も、最後は感覚で撃つ。

 面白そうなら試す。危なそうでも、少しは試す。

 霊夢より強くなれると言われれば、たぶん乗る。

 けれど、感覚で掴んだものを、次の自分へ渡すくらいなら、やってもいい。

 

 魔理沙はミニ八卦炉を手に取った。

 窓の外では、森の葉が夕暮れの光を受けて揺れている。

 

「木の葉で闇か」

 魔理沙は笑った。

「次は、吹き飛ばさないようにやるか」

 少し間を置いて、付け加える。

「たぶんな」

 

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