異変未満の午後 ~ Tea, Cola, Math and a Little Practice   作:折無堂

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12. 来ちゃった

 霧雨魔理沙の家に、博麗霊夢が来た。

 珍しいことだった。

 珍しい、というと語弊がある。霊夢は魔理沙の家に来ないわけではない。ただ、多くの場合は用事がある。異変の相談、借りたものの回収、妙な爆発音の確認、あるいは森から神社に飛んできた煙の発生源を問い詰めるため。

 

 だが、その日の霊夢は、特に怒っている様子でもなかった。

 魔理沙は机の上に乾かした木の葉を並べながら、戸口に立つ霊夢を見た。

「なんだよ。神社に被害は出してないぜ」

「知ってるわよ」

「じゃあ、異変か?」

「違うわ」

「賽銭箱なら知らない」

「何も聞いてないでしょ」

 

 霊夢は勝手に部屋へ入り、椅子に座った。

「最近来ないから、来ちゃった」

 魔理沙は手元の木の葉を落としかけた。

「お前は私の何なんだ?」

 霊夢は首を傾げた。

「何なんでしょうね」

「そこで考えるな」

「考えたことなかったし」

 

 霊夢は部屋を見回した。

 前より少し片付いている。いや、片付いているというより、実験のために一部だけ整理されている。本の山は相変わらずだし、瓶も相変わらずだが、机の上だけは妙に整っていた。木の葉が種類ごとに分けられ、茸の粉末が小瓶に入っている。横には記録帳まである。

 

 霊夢は少し目を細めた。

「アリスとパチュリーから聞いたわよ。新しい魔法を考えているんだって?」

「あいつら余計なことを」

「それも、私に勝つためだって」

「あいつら本当に余計なことを」

 

 魔理沙は木の葉の量を調整しながら、わざと視線を外した。乾いた葉を三枚、砕いた葉を少し、茸の粉末は入れない。今日は純粋に葉だけでやるつもりだった。

「まあ、それもある」

「あるんだ」

「あるさ。お前に勝てるなら、やる価値はある」

「素直ね」

「私が素直じゃなかったことあるか?」

「ありすぎて数えるのが面倒ね」

 

 魔理沙は小さく笑った。

「でも、それだけじゃない」

 霊夢は黙って魔理沙を見た。

 

 魔理沙は木の葉を小皿に移し、ミニ八卦炉の横に置いた。最近は実験の前に、素材の量を数字で書くようになった。面倒なのは相変わらずだが、やってみると意外と役に立つ。前回と何を変えたのかが分かる。失敗の形が比べられる。成功した条件を拾い直せる。

「今までと同じじゃ、今までから見えるところにしか行けない」

 魔理沙は記録帳に数字を書きながら言った。

「私らは、自分の可能性を自分で縮めるべきじゃない」

 

 そこまで言って、魔理沙はふと顔を上げた。

「お、この台詞、本のキャッチコピーにでも使えそうだな」

 

 霊夢はふーん、と言った。

「今、少しいいこと言ったと思ったでしょ」

「思った」

「台無しね」

「台無しにしてからが私だ」

 

 魔理沙は笑い、また作業に戻った。

 霊夢はしばらく黙っていた。

 木の葉が皿の上で細かく砕かれる。魔理沙はその粉の色を見て、少しだけ量を減らした。八卦炉の出力を低く設定する。記録帳には、葉の種類、乾燥日数、量、出力、魔力投入の手順が書かれている。

 霊夢は、その様子を不思議そうに眺めていた。

 

「ずいぶん細かくやってるのね」

「私だっていつも研究くらいしてるぜ」

「知ってるわよ。でも、こんなに数字ばっかり書いてた?」

「最近の流行だ」

「似合わないわね」

「まあな」

 魔理沙は肩をすくめた。

 

「でも、分かってきたこともある。木の葉は、茸と違う。茸は暗いものを溜め込む。そこに八卦炉で外向きの力を入れると光る。葉っぱは光を食ってる。だから同じことをすると、光を吸う」

「闇魔法?」

「たぶん。でも、真っ黒になるだけじゃない。影を固定する感じだ。動く影を、一瞬だけその場に留める」

「それ、何に使うの?」

「弾幕の間合いをずらせるかもしれない。相手が見ている光と、実際の弾の位置を少しだけずらす。あとは、札や結界の光を吸って、穴を開けるとか」

「私に使う気満々じゃない」

「だから、それもあるって言っただろ」

 

 霊夢は頬杖をついた。

 怒ってはいなかった。

 むしろ、少し楽しそうだった。

 

「いいわよ。できたら試してあげる」

「言ったな」

「ただし、神社ではやらないで」

「場所は?」

「森の奥か、湖の上か、壊れても怒られないところ」

「神社の裏手」

「怒るわよ」

「言うと思った」

 

 魔理沙はミニ八卦炉に手を添えた。

 小さな音がする。木の葉の粉がわずかに浮いた。部屋の明かりが、ほんの一拍だけ弱くなる。光が消えたのではない。光の影だけが、少し遅れて動いた。

 

 霊夢の目が細くなる。

「今の」

「見えたか?」

「見えた。変な感じね。見えてるのに、見えたものを信用したくなくなる」

「それだ」

 

 魔理沙は嬉しそうに記録帳へ書き込んだ。

 実験十四回目。

 椿の葉、乾燥二日半。

 出力低。茸粉末なし。

 結果:影が一拍遅れた。霊夢にも見えた。

 感想:かなりいい。

 

 霊夢はその文字を覗き込んだ。

「私の名前を書かないで」

「貴重な観察者だぜ」

「観察されに来たんじゃないわ」

「じゃあ何しに来たんだよ」

「だから、最近来ないから来ちゃったって言ったでしょ」

 

 魔理沙は羽ペンを止めた。

 それから、少し困ったように笑った。

 

「本当にお前は私の何なんだろうな」

「何なんでしょうね」

 

 二人はしばらく黙っていた。

 外では、森の葉が風で揺れている。夕方の光が、窓から斜めに入ってくる。実験で少し歪んだ影が、机の上でゆっくり元に戻っていった。

 霊夢は立ち上がらなかった。

 魔理沙も、追い出さなかった。

 

「で、次は?」

 霊夢が聞いた。

「次?」

「今ので終わりじゃないんでしょ」

「まあな。今度は葉の量を少し減らす。出力は同じ。影の遅れが短くなるなら、量が効いてる。変わらないなら、乾燥か葉の種類だ」

「へえ」

「何だよ」

「ちゃんと考えてる」

「私だって考える」

「知ってるわよ」

 霊夢は何でもないように言った。

 

 魔理沙は少しだけ目をそらした。

「……知ってるならいい」

 

 次の実験は、爆発しなかった。

 光が少し沈み、影が短く震えただけだった。霊夢はそれを眺め、魔理沙は記録した。時々、霊夢が「今のは右にずれた」とか「さっきより気持ち悪くない」とか言う。魔理沙は文句を言いながら、その言葉も書き足した。

 いつの間にか、霊夢はただの見物人ではなくなっていた。

 

「なんだ」

 魔理沙が言った。

「デートかよ」

 言った瞬間、自分で少し笑った。

 

 霊夢は湯呑みを手にしたまま、平然と言った。

「実験でしょ」

「実験にしては、お前がくつろぎすぎてる」

「人の家でくつろぐのは、あんたの得意技でしょ」

「それを言われると弱い」

 

 霊夢は少しだけ口元を緩めた。

「まあ、デートでもいいんじゃない」

 

 魔理沙の手が止まった。

「……いいのか?」

「知らないわよ。言ったのはあんたでしょ」

「お前、そういうところあるよな」

「どういうところよ」

「ずるいところ」

「巫女だからね」

「巫女はずるいのか」

「少なくとも、魔法使いよりは」

 

 魔理沙は笑った。

 記録帳の端に、何かを書きかけた。

 実験十五回目。

 観察者:霊夢。

 結果:影が遅れる。

 感想:

 そこで止まった。

 

 少し考えて、魔理沙は書いた。

 感想:悪くない。

 霊夢が覗き込む。

 

「何が?」

「実験が」

「ふうん」

「何だよ」

「別に」

 

 霊夢はまた、ふーん、と言った。

 その声が妙に穏やかだったので、魔理沙はそれ以上何も言えなかった。

 外の森は、夕闇に近づいていた。木の葉魔法の実験にはちょうどいい時間だった。光と影の境目がはっきりして、しかも少し曖昧になる。霊夢は窓の外を見て、魔理沙はその横顔を一瞬だけ見た。

 

 今までと同じじゃ、今までから見えるところにしか行けない。

 さっき自分で言った言葉を、魔理沙は少しだけ思い出した。

 魔法の話だったはずだ。

 たぶん、魔法の話だけではなかった。

 

「次、やるぜ」

「どうぞ」

「ちゃんと見てろよ」

「見てるわよ」

 

 その声があまりに自然だったので、魔理沙は八卦炉を構えながら笑った。

 ただ、夕方の魔理沙の家で、光と影が少しだけ遅れて動いていた。

 そして霊夢は、それを最後まで見ていた。

 

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