異変未満の午後 ~ Tea, Cola, Math and a Little Practice 作:折無堂
霧雨魔理沙の家に、博麗霊夢が来た。
珍しいことだった。
珍しい、というと語弊がある。霊夢は魔理沙の家に来ないわけではない。ただ、多くの場合は用事がある。異変の相談、借りたものの回収、妙な爆発音の確認、あるいは森から神社に飛んできた煙の発生源を問い詰めるため。
だが、その日の霊夢は、特に怒っている様子でもなかった。
魔理沙は机の上に乾かした木の葉を並べながら、戸口に立つ霊夢を見た。
「なんだよ。神社に被害は出してないぜ」
「知ってるわよ」
「じゃあ、異変か?」
「違うわ」
「賽銭箱なら知らない」
「何も聞いてないでしょ」
霊夢は勝手に部屋へ入り、椅子に座った。
「最近来ないから、来ちゃった」
魔理沙は手元の木の葉を落としかけた。
「お前は私の何なんだ?」
霊夢は首を傾げた。
「何なんでしょうね」
「そこで考えるな」
「考えたことなかったし」
霊夢は部屋を見回した。
前より少し片付いている。いや、片付いているというより、実験のために一部だけ整理されている。本の山は相変わらずだし、瓶も相変わらずだが、机の上だけは妙に整っていた。木の葉が種類ごとに分けられ、茸の粉末が小瓶に入っている。横には記録帳まである。
霊夢は少し目を細めた。
「アリスとパチュリーから聞いたわよ。新しい魔法を考えているんだって?」
「あいつら余計なことを」
「それも、私に勝つためだって」
「あいつら本当に余計なことを」
魔理沙は木の葉の量を調整しながら、わざと視線を外した。乾いた葉を三枚、砕いた葉を少し、茸の粉末は入れない。今日は純粋に葉だけでやるつもりだった。
「まあ、それもある」
「あるんだ」
「あるさ。お前に勝てるなら、やる価値はある」
「素直ね」
「私が素直じゃなかったことあるか?」
「ありすぎて数えるのが面倒ね」
魔理沙は小さく笑った。
「でも、それだけじゃない」
霊夢は黙って魔理沙を見た。
魔理沙は木の葉を小皿に移し、ミニ八卦炉の横に置いた。最近は実験の前に、素材の量を数字で書くようになった。面倒なのは相変わらずだが、やってみると意外と役に立つ。前回と何を変えたのかが分かる。失敗の形が比べられる。成功した条件を拾い直せる。
「今までと同じじゃ、今までから見えるところにしか行けない」
魔理沙は記録帳に数字を書きながら言った。
「私らは、自分の可能性を自分で縮めるべきじゃない」
そこまで言って、魔理沙はふと顔を上げた。
「お、この台詞、本のキャッチコピーにでも使えそうだな」
霊夢はふーん、と言った。
「今、少しいいこと言ったと思ったでしょ」
「思った」
「台無しね」
「台無しにしてからが私だ」
魔理沙は笑い、また作業に戻った。
霊夢はしばらく黙っていた。
木の葉が皿の上で細かく砕かれる。魔理沙はその粉の色を見て、少しだけ量を減らした。八卦炉の出力を低く設定する。記録帳には、葉の種類、乾燥日数、量、出力、魔力投入の手順が書かれている。
霊夢は、その様子を不思議そうに眺めていた。
「ずいぶん細かくやってるのね」
「私だっていつも研究くらいしてるぜ」
「知ってるわよ。でも、こんなに数字ばっかり書いてた?」
「最近の流行だ」
「似合わないわね」
「まあな」
魔理沙は肩をすくめた。
「でも、分かってきたこともある。木の葉は、茸と違う。茸は暗いものを溜め込む。そこに八卦炉で外向きの力を入れると光る。葉っぱは光を食ってる。だから同じことをすると、光を吸う」
「闇魔法?」
「たぶん。でも、真っ黒になるだけじゃない。影を固定する感じだ。動く影を、一瞬だけその場に留める」
「それ、何に使うの?」
「弾幕の間合いをずらせるかもしれない。相手が見ている光と、実際の弾の位置を少しだけずらす。あとは、札や結界の光を吸って、穴を開けるとか」
「私に使う気満々じゃない」
「だから、それもあるって言っただろ」
霊夢は頬杖をついた。
怒ってはいなかった。
むしろ、少し楽しそうだった。
「いいわよ。できたら試してあげる」
「言ったな」
「ただし、神社ではやらないで」
「場所は?」
「森の奥か、湖の上か、壊れても怒られないところ」
「神社の裏手」
「怒るわよ」
「言うと思った」
魔理沙はミニ八卦炉に手を添えた。
小さな音がする。木の葉の粉がわずかに浮いた。部屋の明かりが、ほんの一拍だけ弱くなる。光が消えたのではない。光の影だけが、少し遅れて動いた。
霊夢の目が細くなる。
「今の」
「見えたか?」
「見えた。変な感じね。見えてるのに、見えたものを信用したくなくなる」
「それだ」
魔理沙は嬉しそうに記録帳へ書き込んだ。
実験十四回目。
椿の葉、乾燥二日半。
出力低。茸粉末なし。
結果:影が一拍遅れた。霊夢にも見えた。
感想:かなりいい。
霊夢はその文字を覗き込んだ。
「私の名前を書かないで」
「貴重な観察者だぜ」
「観察されに来たんじゃないわ」
「じゃあ何しに来たんだよ」
「だから、最近来ないから来ちゃったって言ったでしょ」
魔理沙は羽ペンを止めた。
それから、少し困ったように笑った。
「本当にお前は私の何なんだろうな」
「何なんでしょうね」
二人はしばらく黙っていた。
外では、森の葉が風で揺れている。夕方の光が、窓から斜めに入ってくる。実験で少し歪んだ影が、机の上でゆっくり元に戻っていった。
霊夢は立ち上がらなかった。
魔理沙も、追い出さなかった。
「で、次は?」
霊夢が聞いた。
「次?」
「今ので終わりじゃないんでしょ」
「まあな。今度は葉の量を少し減らす。出力は同じ。影の遅れが短くなるなら、量が効いてる。変わらないなら、乾燥か葉の種類だ」
「へえ」
「何だよ」
「ちゃんと考えてる」
「私だって考える」
「知ってるわよ」
霊夢は何でもないように言った。
魔理沙は少しだけ目をそらした。
「……知ってるならいい」
次の実験は、爆発しなかった。
光が少し沈み、影が短く震えただけだった。霊夢はそれを眺め、魔理沙は記録した。時々、霊夢が「今のは右にずれた」とか「さっきより気持ち悪くない」とか言う。魔理沙は文句を言いながら、その言葉も書き足した。
いつの間にか、霊夢はただの見物人ではなくなっていた。
「なんだ」
魔理沙が言った。
「デートかよ」
言った瞬間、自分で少し笑った。
霊夢は湯呑みを手にしたまま、平然と言った。
「実験でしょ」
「実験にしては、お前がくつろぎすぎてる」
「人の家でくつろぐのは、あんたの得意技でしょ」
「それを言われると弱い」
霊夢は少しだけ口元を緩めた。
「まあ、デートでもいいんじゃない」
魔理沙の手が止まった。
「……いいのか?」
「知らないわよ。言ったのはあんたでしょ」
「お前、そういうところあるよな」
「どういうところよ」
「ずるいところ」
「巫女だからね」
「巫女はずるいのか」
「少なくとも、魔法使いよりは」
魔理沙は笑った。
記録帳の端に、何かを書きかけた。
実験十五回目。
観察者:霊夢。
結果:影が遅れる。
感想:
そこで止まった。
少し考えて、魔理沙は書いた。
感想:悪くない。
霊夢が覗き込む。
「何が?」
「実験が」
「ふうん」
「何だよ」
「別に」
霊夢はまた、ふーん、と言った。
その声が妙に穏やかだったので、魔理沙はそれ以上何も言えなかった。
外の森は、夕闇に近づいていた。木の葉魔法の実験にはちょうどいい時間だった。光と影の境目がはっきりして、しかも少し曖昧になる。霊夢は窓の外を見て、魔理沙はその横顔を一瞬だけ見た。
今までと同じじゃ、今までから見えるところにしか行けない。
さっき自分で言った言葉を、魔理沙は少しだけ思い出した。
魔法の話だったはずだ。
たぶん、魔法の話だけではなかった。
「次、やるぜ」
「どうぞ」
「ちゃんと見てろよ」
「見てるわよ」
その声があまりに自然だったので、魔理沙は八卦炉を構えながら笑った。
ただ、夕方の魔理沙の家で、光と影が少しだけ遅れて動いていた。
そして霊夢は、それを最後まで見ていた。