異変未満の午後 ~ Tea, Cola, Math and a Little Practice   作:折無堂

13 / 15
13. 日頃の行い

 霊夢は、博麗神社に戻ってからもしばらく黙っていた。

 別に不機嫌ではない。眠いわけでもない。賽銭箱が空なのはいつものことだし、境内が少し寂れているのもいつものことだ。

 

 ただ、霧雨魔理沙が、いつもと少し違うやり方で魔法を見ていた。

 それが、少しだけ引っかかっていた。

 

 魔理沙が研究すること自体は珍しくない。茸を集めて、試して、失敗して、また試す。そうやって今までだって魔法を作ってきた。

 けれど昨日は、木の葉の量を測り、乾燥日数を書き、八卦炉の出力を控え、一つ前の実験と何が違うのかを確かめていた。

 できることを、できるからで済ませず、一つずつ見直していた。

 

 もちろん、魔理沙は魔理沙だった。調子に乗るし、すぐ霊夢に勝つ話にするし、最後には「デートかよ」などと言っていた。

 それでも、ああいうやり方もあるらしい。

 

 霊夢は縁側に座り、湯呑みを眺めた。

「……私も、自分がどうやってるのかくらい、見直した方がいいのかな」

 

 その場の空気が止まった。

 縁側の反対側で茶を飲んでいた華扇が、湯呑みを置いた。

 隙間から顔だけ出していた紫が、扇を止めた。

 境内の石段に腰かけていた萃香が、瓢箪ではなく湯呑みを持ったまま動きを止めた。

 木の上で地獄コーラを飲んでいた天子が、目を丸くした。

 

 最初に言ったのは華扇だった。

「異変ですか?」

「異変じゃないわよ」

 

 紫が続けた。

「霊夢が自分から修行を?」

「だから異変じゃないって」

 

 萃香が目を細めた。

「熱でもある?」

「ないわよ」

 

 天子が木から降りてきた。

「もしかして、魔理沙に何かされた?」

「されてないわよ」

 

 四人は顔を見合わせた。

 そして、ほとんど同時に言った。

「日頃の行いね」

「日頃の行いよ」

「日頃の行いだね」

「日頃の行いだわ」

「なんでよ!」

 

 霊夢は湯呑みを縁側に置いた。

「私が少し真面目なことを言っただけで、どうして異変扱いなのよ」

 

 華扇は真顔で言った。

「普段の霊夢なら、“修行なんて面倒”と言います」

「言うけど」

 

 紫も頷いた。

「普段の霊夢なら、“必要になったらどうにかなる”と言います」

「言うけど」

 

 萃香が笑った。

「普段の霊夢なら、“勝てるからいい”って言うね」

「言うけど」

 

 天子が瓶を振った。

「ほら、全部合ってるじゃない」

「合ってるから腹が立つのよ」

 

 霊夢は少し黙った。

 それから、縁側から境内を見た。

 鳥居。賽銭箱。石畳。少し伸びた草。天子の桃の若木。お燐が妙に世話をしているせいで、まだ枯れていない。華扇が持ってきた萃香の茶。紫が隙間から出してくる外の菓子。天子が置いていく変な石。

 

 博麗神社は、いつも通りだった。

 いつも通りなのに、少しだけ違って見えた。

 

「修行というわけじゃないのよ」

 霊夢は言った。

「じゃあ何?」

 萃香が聞く。

 

「博麗の巫女が、そもそも何なのか。そこは知った方がいいかなと思っただけ」

 今度は、誰もすぐには茶化さなかった。

 華扇の表情が少し引き締まる。

 紫は扇で口元を隠した。

 萃香は湯呑みの中を覗いた。

 天子だけが、少し首をかしげた。

 

「博麗の巫女って、霊夢のことでしょ」

「そういう意味じゃないわ」

 霊夢は自分でも、少し面倒なことを言っていると思った。

「私は博麗の巫女よ。妖怪退治をして、異変を解決して、神社にいて、たまにお祓いをして、賽銭が入らなくて、面倒ごとを押し付けられる」

「だいたい合ってますね」

 華扇が言った。

 

「でも、それって私がいつもやってることじゃない。博麗の巫女が何か、とは少し違う気がする」

 紫が静かに言った。

「珍しいわね。霊夢が役割の根っこを気にするなんて」

「だから異変じゃないってば」

「異変ではないわ」

 

 紫は微笑んだ。

「でも、小さな境界には触れている」

「またそういう言い方をする」

「博麗の巫女とは、幻想郷の内と外、人間と妖怪、日常と異変の境界に立つ者。そう言えば綺麗だけれど」

「けれど?」

「それだけでは足りないわね」

 

 華扇が続けた。

「博麗の巫女は、退治する者でもあります。しかし、ただ妖怪を滅ぼす者ではない。均衡を保つ者です」

 萃香が笑う。

「宴会を開く者でもあるね」

「それは仕事なの?」

「かなり大事だよ。異変が終わった後、みんなが同じ場所で酒を飲めるなら、幻想郷はまだ大丈夫ってことだから」

 

 霊夢は少し嫌そうな顔をした。

「酒は体に良くないんじゃなかったの」

「最近はお茶でもいい」

「軽いわね」

 

 天子は地獄コーラの瓶を掲げた。

「じゃあ、博麗の巫女は場を開く者?」

「急にそれっぽいことを言うじゃない」

「私は天人よ」

「妙に地上人っぽい天人だけどね」

「地上を知ってる天人と言いなさい」

 

 霊夢は四人を順番に見た。

「退治する者。均衡を保つ者。境界に立つ者。場を開く者」

「どれも間違いではないでしょう」

 華扇が言った。

「でも、霊夢さんが知りたいのは、もっと実感に近いことでは?」

「実感ね」

 

 霊夢は自分の手を見た。

 お祓い棒を握る手。札を投げる手。賽銭箱を叩く手。茶を飲む手。異変が起きれば自然に動く手。

 

「魔理沙はさ」

 霊夢はぽつりと言った。

「今までと同じじゃ、今までから見えるところにしか行けないって言ってた」

 

 紫の目が少し細くなる。

「へえ」

「それで、自分の可能性を自分で縮めるべきじゃないって」

 

 萃香が笑った。

「魔理沙が言いそうだね」

「言いそうだけど、ちょっと本気だった」

「それで霊夢も影響されたと」

 天子が言う。

 

「影響じゃないわよ」

「影響でしょ」

「違うわよ」

「じゃあ何?」

 

 霊夢は少し考えた。

「引っかかっただけ」

 紫が小さく笑った。

「それを影響と言うのよ」

「うるさい」

 

 華扇は真面目な顔で言った。

「では、霊夢さん。まず何を知りたいのですか?」

「博麗の巫女が何をしてきたのか」

「歴史ですか」

「歴史というか……私の前にも博麗の巫女はいたんでしょ」

 

 紫は答えなかった。

 華扇も、すぐには答えなかった。

 萃香は静かに茶を飲んだ。

 天子だけが、空気を読んだのか読まなかったのか、瓶の泡を眺めていた。

 

「いたのでしょうね」

 紫がようやく言った。

「少なくとも、あなたが最初ではないわ」

「知ってるわよ」

「でも、あなたはあなたよ。過去の博麗を知ったところで、その通りにする必要はない」

「それも分かってる」

「なら、なぜ?」

 

 霊夢は少しだけ目を伏せた。

「今まで、私は何となくできたのよ」

 誰も茶化さなかった。

「異変が起きたら、何となく分かる。危ない妖怪も、放っておいていい妖怪も、何となく分かる。札を投げれば当たるし、結界も張れる。必要な時には、必要なことができる」

「それが霊夢さんの強さです」

 華扇が言った。

 

「でも、何となくできるままだと、何となくできるところまでしか行けないのかもしれない」

 霊夢は魔理沙の言葉を、少しだけ自分の言葉にした。

「別に魔理沙みたいに記録帳をつけたいわけじゃない。理論派になる気もない。でも、博麗の巫女が何を背負っているのか、何を見ないふりしてきたのか、それくらいは知っておいた方がいいのかなって」

 

 萃香が湯呑みを置いた。

「霊夢がそう思ったなら、知ればいいんじゃない」

「軽いわね」

「知っても霊夢は霊夢だよ。知らなくても霊夢だけどね」

 

 天子が言った。

「でも、知った方が退屈しなそうね」

「動機が天人すぎる」

「良いことじゃない。退屈しないのは大事よ」

 

 華扇は少し厳しい声で言った。

「ただし、知るということは、都合の良いことだけを見るという意味ではありませんよ」

「分かってるわよ」

「本当に?」

「たぶん」

「そこは、はい、と言いなさい」

「はいはい」

 紫は扇を閉じた。

 

「では、まず神社の中を探してみたら?」

「神社の中?」

「古い札、古い記録、古い道具。博麗神社には、あなたが見ていないものがまだあるでしょう」

「うちにそんな立派なものあったかしら」

「立派かどうかは別として、古いものならあるはずよ」

 

 霊夢は露骨に嫌そうな顔をした。

「掃除から?」

「ええ」

 華扇が即答した。

「まず掃除です」

「修行より嫌なんだけど」

「日頃の行いですね」

 

「またそれ」

 萃香が笑った。

 

「神社がさびれてるおかげで、古いものは残ってそうだね」

「さびれてない」

 天子が首を振った。

 

「さびれてるから七草もすぐ見つかったのよ」

「それを言うな」

 紫が楽しげに言った。

「博麗の巫女を知る第一歩が、物置の掃除。実に霊夢らしいわ」

「全然ありがたみがない」

「ありがたみは、後から見つかることもあるわ」

 

 霊夢はため息をついたが、それでも立ち上がった。

 華扇が少し驚いたように見る。

「今からですか?」

「思いついた時にやらないと、たぶん一生やらないもの」

「それは正しい判断です」

「褒められてる気がしないわね」

 

 霊夢は神社の奥へ向かった。

 その背中を、華扇と紫と萃香と天子が見送る。

 天子が小声で言った。

「本当に異変じゃないの?」

 

 紫が答えた。

「異変ではないわ」

 

 萃香が笑った。

「異変未満だね」

 

 華扇は少しだけ真面目に言った。

「でも、もしかすると大事なことかもしれません」

 

 神社の奥から、霊夢の声が聞こえた。

「ちょっと! 誰よ、こんなところに変な石を詰めたの!」

 

 天子が目を逸らした。

「日頃の行いね」

 三人が同時に言った。

「日頃の行いよ」

「日頃の行いだね」

「日頃の行いでしょう」

 

 境内に、霊夢の怒鳴り声が響いた。

 その日、博麗神社の奥の物置は、ほんの少しだけ開かれた。

 

 埃をかぶった札。古い箱。読めないほど古びた紙束。壊れた御幣。いつのものとも知れない記録。

 霊夢はそれらを見て、少しだけ眉をひそめた。

 面倒なことになりそうだった。

 

 でも、もう少しだけ見てもいいかもしれない。

 博麗の巫女が何なのか。

 それを知ったところで、自分が急に変わるとは思わない。

 

 ただ、今まで見えていたところの外側に、何かあるのなら。

 少しくらい、覗いてみてもいい。

 

 霊夢は埃を払って、古い箱の蓋に手をかけた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。