異変未満の午後 ~ Tea, Cola, Math and a Little Practice   作:折無堂

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3. コーラを作りたい

 旧地獄から、河童の工房へ鬼が来た。

 それだけなら、にとりは驚かない。河童の技術は便利である。旧地獄の連中も、壊れた道具の修理や、変な熱機関の相談くらいは持ち込んでくる。

 

 ただ、その日の依頼人は星熊勇儀だった。

 しかも相談内容が、妙だった。

「コーラを作りたい」

 

 にとりは、しばらく瞬きをした。

「……コーラ?」

「ああ」

「酒じゃなくて?」

「コーラだ」

「鬼が?」

「鬼が」

 

 勇儀は大真面目だった。片手には椀ではなく、外の世界から流れ着いたらしい空き瓶を持っている。透明な瓶に、剥がれかけたラベル。中身は当然もうない。けれど勇儀はそれを、宝物のように持っていた。

 

「たまたま飲んだんだよ。一口だけな。あの味が忘れられない」

「どんな味だった?」

「黒かった」

「色じゃなくて」

「甘かった」

「まあ、そうだろうね」

「なのに、喉を殴ってきた」

 

 にとりは少しだけ感心した。

「炭酸だね」

「炭酸というのか。あれはいい。酒は腹に落ちる。だが、あいつは喉で勝負してくる。正面から来る。潔い」

「飲み物に武人の評価をしないでほしいな」

「それでいて、後味に妙な香りがある。薬みたいで、砂糖みたいで、焦げたみたいで、祭りみたいだった」

「詩人か」

 

 にとりは瓶を受け取って、ラベルを眺めた。

 外の世界の飲料。黒く、甘く、炭酸が強い。香料は複雑。糖分は多い。再現できないことはない。炭酸水を作る機械はある。甘味もある。香りの調合も、河童の実験としては面白い。

 

 ただ、ひとつ気になった。

「勇儀」

「なんだ」

「鬼って、実はそんなに酒が好きじゃないの?」

 

 工房の空気が、少しだけ止まった。

 勇儀は意外そうに眉を上げた。

 

「好きだよ」

「即答だ」

「うまい酒は好きだ。強い酒も好きだ。飲み比べも宴会も好きだ」

「じゃあ、なんでコーラ?」

「なんで酒が好きだと、ほかの飲み物を好きになっちゃいけないんだ?」

 

 にとりは少し黙った。

「いや、いけなくはないけど」

「だろ」

 

 勇儀は瓶を見た。

「酒はな、鬼にとってただの飲み物でもない。強さを見せる。腹を割る。昔話をする。喧嘩して、仲直りして、また飲む。そういう場も含めて好きなんだよ」

「なるほど」

「でもな」

 

 勇儀は瓶の口を指で弾いた。

「こいつは酒とは別に面白い。喉に正面から来る。好きなものが一つ増えただけだ」

 

 にとりは腕を組んだ。

 筋は通っている。通っているが、幻想郷の常識が少しずつ壊れている気もした。

 

 鬼が酒を飲む。

 それはいつも通りだ。

 その鬼が茶も飲む。

 その鬼がコーラまで欲しがる。

 

 天狗は宴会で飲ませるが、新聞記者は飲まない。

 河童は茶葉を機械で紅茶にしようとして、外の世界に追いつかれそうになって焦っている。

 

 世も末である。いや、幻想郷はもともと世の末みたいなものだった。

 

「作れるか?」

 勇儀が聞いた。

「試作はできるよ。ただ、完全再現は難しい。外の世界のコーラは香料が複雑だからね。こっちで手に入る素材で近づけるなら、薬草、柑橘、香辛料、焦がし砂糖、あと炭酸。問題は炭酸の圧だな」

「喉を殴るやつか」

「そう、それ。鬼基準で殴る強さにすると、普通の瓶は爆発する」

「じゃあ鬼用の瓶を作ればいい」

「簡単に言うね」

「河童だろ」

「便利な言葉だなあ」

 

 にとりはぶつぶつ言いながらも、すでに紙に図を描き始めていた。高圧用の栓。厚手の瓶。冷却装置。炭酸注入機。香料抽出器。考え始めると、これはこれで面白い。

「名前はどうする?」

「名前?」

「商品名。せっかくだし、試作品に名前くらい付けようよ」

 

 勇儀は少し考えた。

「鬼殺し」

「酒と間違われるから却下」

「喉砕き」

「売る気ある?」

「星熊黒泡」

「急に渋いね」

「じゃあ、地獄コーラ」

「それはちょっといい」

 

 にとりは紙の端に「地獄コーラ(仮)」と書いた。

「ただし、記事にされると面倒だね。文々。新聞がまた変な見出しを付けるよ。『鬼、酒離れ加速』とか」

「書かせておけばいい」

「いいの?」

「隠すことじゃない」

「萃香も同じこと言ってたなあ」

 

 にとりはそこで、ふと笑った。

「鬼って、酒が好きだからって、それだけで満足する連中じゃないんだね」

 

 勇儀は瓶を持ち上げた。

「面白いものがあるなら試すさ。それを鬼というんだよ」

 

 数日後、河童の工房で試作一号が完成した。

 黒い液体。強い泡。焦がし砂糖の甘さ。薬草の香り。柑橘の苦み。炭酸の圧は、人間用の三倍。河童用には危険。鬼用にはまだ少し弱い。

 勇儀はそれを一気に飲んだ。

 

 そして、目を見開いた。

「……いい」

「ほんと?」

「まだ喉への踏み込みが浅い。でも、いい。これは鍛えれば強くなる」

「飲み物を弟子扱いしないで」

 

 にとりはそう言いながらも、試作記録に丸をつけた。

 

 その翌日、文々。新聞には小さな記事が載った。

 ――旧地獄で黒い泡飲料の開発進む 鬼の嗜好多様化か

 

 本文には、珍しく控えめな調子でこう書かれていた。

 ――関係者によれば、当該飲料は酒ではなく、甘味と炭酸を特徴とする嗜好品である。星熊勇儀氏は「酒は好きだ。それはそれとして、喉で勝負してくる飲み物も悪くない」と語った。なお、河童側は瓶の強度に課題があるとしている。

 

 ただし、最後にまた余計な一文があった。

 ――萃香氏の茶と勇儀氏の黒泡飲料。鬼たちは今、酒以外の楽しみを見つけつつあるのかもしれない。もっとも、取材班としては、鬼が本気で好む飲み物を人間が真似することは推奨しない。たぶん喉が負ける。

 

 旧地獄で記事を読んだ勇儀は、少し笑った。

「今回は許すか」

 

 河童の工房で記事を読んだにとりは、頭を抱えた。

「これ、絶対また注文が来るやつだ」

 

 そして博麗神社で記事を読んだ霊夢は、湯呑みを片手にぼそりと言った。

「鬼って、思ったより健康的ね」

 

 華扇は即座に言った。

「炭酸と砂糖を健康的とは言いません」

「また母親みたいなこと言ってる」

「事実です」

 

 その頃、萃香は茶畑で茶葉を摘みながら、遠く旧地獄の方を見ていた。

「勇儀はコーラかあ」

 

 少し考えてから、萃香は笑った。

「まあ、あいつらしいね」

 

 鬼は酒を飲む。

 それは間違いではない。

 ただ、鬼が酒だけを飲むとは、誰も言っていなかった。

 

 

 

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