異変未満の午後 ~ Tea, Cola, Math and a Little Practice 作:折無堂
博麗神社の縁側には、なぜか地獄コーラの瓶が並んでいた。
黒い液体。強い泡。厚手の瓶。河童が「人間にはおすすめしない」と小さく注意書きをつけた、鬼向けの試作品である。
それを、比那名居天子は平然と飲んでいた。
「ん。悪くないわね」
天子は瓶を軽く振り、泡の上がり方を眺めた。
「天界にはない刺激だわ。桃ばっかり食べてると、こういう下品な味がたまに欲しくなるのよね」
「天人の発言とは思えないぜ」
魔理沙が呆れたように言った。
「私は天人よ。だからこそ、地上の味を評価してあげているの」
「その割には、妙に地上人っぽいわね」
霊夢がぼそりと言った。
「失礼ね。地上人っぽいんじゃなくて、地上の退屈を理解しているだけよ」
「だいたい同じじゃない」
もう一人、地獄コーラを手にしている者がいた。
八雲紫である。
紫は日傘を傾けながら、瓶を優雅に持っていた。外の世界を好き勝手に出歩いているだけあって、コーラそのものには驚かない。むしろ、知っている飲み物を幻想郷風に荒くしたものとして眺めていた。
「香りは悪くないわね。焦がし砂糖に薬草、少し柑橘。河童もなかなかやるじゃない」
そう言って一口飲む。
次の瞬間、紫はわずかに目を細めた。
「……ただ、ちょっと炭酸がきつすぎるわね」
天子が小声で言った。
「ほら、おばあちゃん」
紫の目が、すっと天子に向いた。
「何ですって?」
「何でもないわよ」
「今、非常に不愉快な単語が聞こえた気がしたのだけれど」
霊夢は萃香の茶をすすりながら、何の遠慮もなく言った。
「でも、あんたが長生きなのは事実でしょ」
「霊夢まで」
「それに、藍が娘なら、橙が孫のようなものじゃない。ほら、何もおかしくない」
紫はこめかみを押さえた。
「あのね、霊夢。式神は親子関係ではないの」
「藍はともかく、橙は藍のことを親か何かとして見ていないようだけど」
魔理沙が境内の方を見ながら言った。
紫も、霊夢も、天子も、そちらを見る。
境内では、橙が藍の袖を引っぱっていた。手には小さな花が握られている。
「藍様! 見つけました!」
藍は腰をかがめて、橙の手元を覗き込んだ。
「おお、これはナズナだね。よく見つけたな、橙」
「はい! これであと、ほとけのざだけです!」
「そうだね。橙はえらいな。さすが、さびれた神社だ。すぐ見つかった」
「そうですね! 藍様! さすがさびれた神社です!」
霊夢の湯呑みが、かたりと鳴った。
「あんたらねえ」
藍ははっとした顔で振り向いた。
「い、いえ、霊夢。これはその、植物相が豊かだという意味で」
「さびれたって言ったわよね」
「言葉の綾だ」
「橙も言ったわよね」
橙はにこにこしたまま、境内の端を指さした。
「あ、藍様! あっちにあるの、ほとけのざじゃないですか?」
「本当だ。これで春の七草がそろうな」
「やったあ!」
「聞きなさいよ」
霊夢が唇を尖らせると、天子が瓶を片手に笑った。
「いいじゃない。植物が多いってことでしょ」
「それを寂れてるって言うのよ」
紫はようやく炭酸の刺激から立ち直り、口元を扇で隠した。
「まあ、博麗神社は昔からこういう場所ですもの。今さら少し草花が増えたくらいで、寂れたとは言えないわ」
「それ、慰めてる?」
「歴史的評価よ」
「一番腹立つやつね」
霊夢は縁側に置かれた瓶を見た。
「というか、あんたたち、少しはお金を落としてくれてもいいのよ」
天子は首をかしげた。
「桃のタネはあげたじゃない。天人が好きそうな桃のタネよ。ありがたいでしょ」
「変な石を落とさないで、と言ったら今度は種なの?」
「石じゃないわ。桃よ」
魔理沙が横から言った。
「すぐ枯れたな」
「枯れてないわよ」
霊夢は即座に反論した。
「燐がお世話してくれているわ。まだ枯れていない」
「なんで地霊殿の猫が博麗神社の桃の世話をしてるんだよ」
「知らないわよ。気づいたらやってたのよ。あの子、変なところで面倒見がいいから」
紫が楽しげに目を細めた。
「つまり、神社の植物管理は怨霊を運ぶ猫任せなのね」
「言い方」
天子は瓶の残りを飲み干し、満足そうに息をついた。
「でも、このコーラはいいわね。桃には合わないけど、退屈には合うわ」
「退屈に合う飲み物って何よ」
「刺激があるってことよ」
「天界にも持って帰ればいいじゃない」
「瓶が重いのよ。あと、天界でこれを飲むと、たぶん怒られる」
「じゃあ地上に金を落として飲みなさい」
天子は少し考えてから、袖の中を探った。
「じゃあ、これ」
霊夢の前に置かれたのは、小さな石だった。
霊夢の目が据わる。
「変な石落とさないで」
「ただの石じゃないわよ。天界の石よ」
「それが一番困るのよ」
魔理沙が石をつまみ上げ、光に透かした。
「面白い石ではあるな」
「あげないわよ」
「要らないのか要るのかどっちなんだ」
紫はくすくす笑いながら、再び地獄コーラを一口飲んだ。今度は少しだけ慎重だった。
「まあ、霊夢。神社が寂れているからこそ、こうして皆が集まるのかもしれないわよ」
「寂れてなかったらもっと集まるわよ」
「そうかしら」
「そうよ」
境内では、橙が七草を抱えて藍に見せていた。
「藍様! 全部そろいました!」
「よくやった、橙。さすがだ」
「はい! さすがさびれた神社です!」
霊夢は額に手を当てた。
「あんたらのせいで余計寂れるのよ」
天子と紫は、ほとんど同時に言った。
「もともとじゃない?」
「もともとでしょう?」
魔理沙も湯呑みを置いて、平然と続けた。
「もともとだな」
霊夢はしばらく黙っていた。
それから、萃香の茶を一気に飲み干した。
「……集中力が欲しい巫女にはおすすめ、ね」
「効いてるか?」
魔理沙が聞く。
「ええ」
霊夢はにっこり笑った。
「今、誰から退治するか、かなり集中して考えてるわ」
その場の全員が、少しだけ背筋を伸ばした。
地獄コーラの泡だけが、瓶の中で陽気に弾けていた。