異変未満の午後 ~ Tea, Cola, Math and a Little Practice   作:折無堂

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5. 桃の木の世話

 博麗神社の裏手に、桃の木があった。

 正確には、桃の木になる予定のものがあった。

 天子が置いていった桃の種を、霊夢が「変なものを置いていくな」と言いながらも、なんとなく土に埋めた。すると、忘れた頃に小さな芽が出た。

 

 そしてなぜか、火焔猫燐が世話をしていた。

「うーん。葉っぱは出てるんだけどねえ」

 お燐はしゃがみ込み、まだ頼りない若木を眺めていた。尻尾がゆらゆら揺れている。

「根は悪くないと思うんだ。地面も、死んでるわけじゃないし」

「死んでる地面ってあるの?」

 

 こいしが隣で首をかしげた。

「あるよ。何も育たない土とか、怨みが溜まりすぎて変なものしか生えない場所とか」

「へえ。じゃあ、ここは?」

「さびれてる」

「そっかあ」

 

 こいしは納得したように手を打った。

「さびれてる土って、静かでいいよね」

「それ、霊夢さんには言わない方がいいよ」

「言わなくても聞こえてるかもしれないよ」

「それは怖いねえ」

 

 二人は笑った。

 そこへ、紅美鈴がやってきた。

 その後ろに、フランドール・スカーレットがいる。

 フランドールは大きな日傘を差していた。差しているというより、日傘にしがみついているようにも見えた。日差しを完全に避けられているわけではない。傘の端からこぼれた光が、時々白い頬に触れる。

 

 美鈴が慌てて傘の角度を直した。

「妹様、もう少しこちらへ。日が入ります」

「平気よ」

「平気ではありません」

「平気。私はお姉さまよりも根性があるから」

「根性で日光をどうにかしないでください」

 

 フランドールは胸を張った。

「お姉さまはすぐ日陰に戻るもの。私はちゃんと外に出ている」

「レミリアお嬢様は賢明なのです」

「つまり私は勇敢なのね」

「そういう分け方は危険です」

 美鈴は困ったように笑ったが、日傘を持つ手は真剣だった。

 

 お燐が振り返る。

「あれ、珍しいお客さんだね」

「桃の木を見に来たの」

 

 フランドールは若木を指さした。

「天人の桃なんでしょう?」

「たぶんね。まだ桃どころか枝も細いけど」

「壊れやすそう」

 

 フランドールがそう言った瞬間、美鈴の肩がわずかに動いた。

「妹様」

「壊さないわよ。今日は見に来ただけ」

「本当にお願いします」

「壊れやすいものを見るのは好きよ。壊さないで見るのは、もっと難しいから」

 

 お燐は少しだけ目を細めた。

 おかしなことを言っている。けれど、幻想郷では、そのくらいならまだ普通の範囲だった。少なくとも、今すぐ退治されるほどではない。

 

 こいしが桃の若木の周りをくるりと回った。

「この木、まだ自分が桃だって知らなそう」

 美鈴が瞬きをした。

「木が、ですか?」

「うん。土から出てきて、光を見て、水を飲んで、なんとなく伸びてるだけ。まだ桃のことは知らない」

「桃の木なのに?」

「桃の木だって、最初から桃の実のことを考えてるわけじゃないんじゃないかな」

 

 こいしは若木の葉を覗き込んだ。

「ある日、気づいたら桃になってるのかも」

 

 フランドールはそれを聞いて、少し笑った。

「それ、吸血鬼みたいね」

「そうなの?」

「最初から吸血鬼になりたかったわけじゃないもの。気づいたら吸血鬼だった」

 

 美鈴は何か言いかけて、やめた。

 お燐が代わりに言った。

「猫もそうだね。気づいたら猫だった」

「お燐は最初から猫でしょ」

「たぶんね。でも、火車になろうと思って生まれたわけじゃないよ」

「そっかあ」

 こいしはまた納得した。

 

 若木の葉が、風に揺れた。

 

 美鈴はしゃがみ込み、土を見た。

「水は足りていますか?」

「足りてるよ。最近はこまめに見に来てるから」

「肥料は?」

「それはちょっと悩んでる」

 

 お燐が真面目な顔をした。

「桃に何を食べさせればいいのか、よく分からなくて」

 

 美鈴は嫌な予感がした。

「あの、お燐さん。念のため確認しますが」

「うん?」

「変なものは埋めていませんよね?」

「変なものって?」

「具体的には、死体とか」

「埋めてないよ」

 

 美鈴はほっとした。

「それはよかったです」

「桃の木に死体は強すぎると思うんだよね。もっと大きくなってからじゃないと」

「今後も埋めないでください」

「冗談だよ」

 お燐は笑った。

 

 美鈴には、半分くらい本気に聞こえた。

 フランドールが若木に顔を近づけた。日傘も一緒に動く。美鈴が慌てて影を調整する。

 

「ねえ、この木、実がなったら食べてもいいの?」

「霊夢さんに聞いた方がいいね」

「霊夢はくれるかな」

「お賽銭を入れたらくれるんじゃない?」

「お金は持ってないわ」

 

 美鈴が小さく咳払いした。

「妹様、そこは紅魔館で用意しますので」

「じゃあ買えるのね」

「実がなれば、ですが」

「実がならなかったら?」

 

 こいしが言った。

「その時は、桃じゃなくて木だったってことだね」

「それはそれでいいの?」

「木は木で、木だよ」

 

 お燐がうなずいた。

「日陰も作るしね。霊夢さんの神社には、日陰があると助かる客も多いし」

 

 フランドールは日傘の内側から空を見た。

「それはいいわね。私のための木になるかもしれない」

「妹様のため、というより皆様のためですが」

「私も皆様の中に入っているからいいの」

 美鈴は少し笑った。

「それは、その通りですね」

 

 こいしが突然、若木の前で手を合わせた。

「大きくなりますように」

 

 お燐も真似をした。

「枯れませんように」

 

 美鈴も少し迷ってから、手を合わせた。

「無事に育ちますように」

 

 フランドールは手を合わせなかった。

 代わりに、若木に向かって小さく言った。

「壊れないでね」

 それは祈りというより、約束のようだった。

 

 風が吹き、桃の葉がまた揺れた。

 境内の方から、霊夢の声が飛んできた。

 

「ちょっと、そこ! 変なもの埋めてないでしょうね!」

 お燐が大きな声で返した。

「まだ埋めてないよー!」

「まだって何よ!」

 

 美鈴が慌てて手を振った。

「埋めてません! 何も埋めてません!」

 

 こいしは笑っていた。

 フランドールも笑った。

 

 日傘の下で、ほんの少しだけ陽の匂いがした。

 桃の木はまだ小さい。

 けれど、まだ枯れてはいなかった。

 

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