異変未満の午後 ~ Tea, Cola, Math and a Little Practice 作:折無堂
紅魔館の応接室は、昼でも薄暗い。
厚いカーテン。磨かれたテーブル。銀の燭台。壁にはよく分からない古い絵。主の趣味なのか、咲夜の整え方なのか、どちらにせよ客に「ここは普通ではない」と思わせるには十分だった。
その部屋で、レミリア・スカーレットは得意げに笑っていた。
「心を読む、ね」
向かいに座る古明地さとりは、静かに紅茶を口へ運んだ。
「ええ。そういう能力です」
「ふふん。面白いわね。でも、私の能力なら、その程度はどうにでもなるわ」
「運命を操る程度の能力、でしたか」
「そうよ」
レミリアは胸を張った。
「あなたが私の心を読もうとする運命を、私が操ればいい」
さとりは瞬きをした。
「なるほど」
「分かった?」
「いえ、分かりません」
「そこは分かりなさいよ」
「私の能力は、相手の心に浮かんだことを読むものです。あなたの能力は、運命を操るという説明ですが、作用範囲も手順も結果も曖昧です」
「曖昧じゃないわ。高貴なのよ」
「高貴さは仕様ではありません」
レミリアは少しだけ口を尖らせた。
さとりはその表情を見て、また紅茶を飲んだ。
「今、“こいつ面倒ね”と思いましたね」
「思ってないわ」
「では、“なんだか理屈っぽいわね”」
「それは思った」
「素直で助かります」
レミリアは咳払いした。
「まあいいわ。能力の相性など、余興よ。大事なのは会話ができるかどうか」
「その点では、あなたはとてもやりやすいです」
「当然ね。私は高貴で寛大だから」
「感情が素直なので」
「そこは高貴で寛大だからと言いなさい」
「高貴で寛大な方は、褒め言葉の指定をしません」
レミリアはまた口を尖らせた。
さとりは少し笑った。
心が読める者にとって、レミリアは厄介ではなかった。むしろ、分かりやすい。誇り高い。見栄を張る。すぐ機嫌を直す。妹の話になると、さらに分かりやすい。
「ところで」
レミリアがカップを置いた。
「あなたの妹、うちのフランと桃の木を見ていたそうね」
「ええ。お燐から聞きました」
「ふむ。あの子、変なことをしていなかったでしょうね」
「どちらの妹の話ですか?」
「当然、あなたの妹よ」
「こちらとしては、同じ質問をしたいところです」
二人はしばらく見つめ合った。
レミリアが先に言った。
「フランは少し危なっかしいけれど、根はいい子よ」
「こいしも、少しどこかへ行ってしまいますが、悪い子ではありません」
「フランは壊せるものを壊さないで見ていられるようになったわ」
「こいしは見つけたものを、ちゃんと誰かに見せに来ることがあります」
「フランは日傘を気合でどうにかして外に出たのよ。私より根性があると言っていたわ」
「こいしは桃の木がまだ自分を桃だと知らないと言っていました」
「何それ」
「私にも分かりません」
「でも、少し良いことを言っているような気はするわね」
「ええ。そこが困ります」
最初は、お互いの妹のどこが危なっかしいかという話だった。
フランドールは力加減が危ない。
こいしは存在感の加減が危ない。
フランドールは何かを壊せる。
こいしは何かに気づかれない。
どちらも目を離すと困る。
それなのに、気がつくと話は自慢になっていた。
「フランはね、本当はとても賢いのよ。少なくとも、つまらないことはすぐ見抜くわ」
「こいしも、こちらが考えすぎているところを、何も考えずに抜けていくことがあります」
「それは賢いの?」
「賢さではありません。でも、時々こちらの方が間違っている気がします」
「妹というのは、姉の計画を壊すためにいるのかしら」
「おそらく」
「困ったものね」
「ええ」
二人は同時にカップを傾けた。
しばらくして、レミリアがふと思い出したように言った。
「ところで、地霊殿はどうやって収入を得ているの?」
さとりはカップを置いた。
「急ですね」
「経営者同士の話よ」
「あなたは経営者なのですか?」
「紅魔館の主よ。ほぼ同じことだわ」
「主と経営者は違うと思いますが」
「では、あなたは地霊殿の経営者ではないの?」
さとりは少し考えた。
「管理者、という方が近いでしょうか」
「何の?」
「旧地獄の怨霊、施設、熱、猫、鴉、その他いろいろです」
「それでお金が入るの?」
「お金という形ではないものも多いですね。管理料、通行の便宜、燃料、労務、物品、貸し借り。旧地獄は旧地獄で回っています」
「ずるいわね。地の底に独自経済圏があるのね」
「紅魔館はどうなのでしょうか?」
「……紅魔館は」
レミリアは堂々と沈黙した。
さとりは首をかしげた。
「今、“咲夜が何とかしている”と思いましたね」
「思ってないわ」
「“パチュリーも何か知っているかもしれない”」
「思ってない」
「“美鈴はたぶん知らない”」
「それは思った」
レミリアは眉間にしわを寄せた。
「紅魔館の収入源が謎だと言われるのは心外ね。名家には資産があるものよ」
「どこに?」
「地下とか」
「地下ならうちの領分ですが」
「湖の権利とか」
「湖の権利をどう収益化しているのですか?」
「霧よ」
「霧で収入は発生しません」
「じゃあ、高貴さ」
「高貴さは通貨ではありません」
レミリアは少しむっとした顔で、紅茶を飲んだ。
「あなた、さっきから仕様だの通貨だの、夢がないわね」
「夢で雇用は維持できません」
「正論を言えばいいと思っているでしょう」
「あなたは今、“この地底の女、意外と現実的ね”と思っています」
「思っているわよ」
「素直で助かります」
レミリアは腕を組んだ。
「でも、そちらだって主人が幼女の館でしょう」
「否定はしませんが、こちらの住民はだいたい自走しています。お燐は働き者ですし、お空はエネルギー関係で重要です。怨霊も、管理さえすれば資源です」
「怨霊を資源と言い切るの、すごいわね」
「紅魔館では妖精メイドを労働力として使っているでしょう」
「妖精は勝手に増えるから」
「今、かなり危ないことを言いましたね」
「コンプライアンスに引っかかる?」
「幻想郷基準ではぎりぎりかもしれません」
「外の世界基準では?」
「かなり危ないです」
レミリアは目をそらした。
「まあ、その辺りは咲夜がうまくやっているわ」
「結局、咲夜さんなのですね」
「咲夜は優秀だから」
「そこは読まなくても分かります」
さとりは穏やかに言った。
「あなたは、咲夜さんを信頼しているのですね」
レミリアは一瞬だけ黙った。
それから、少しだけ得意げに笑った。
「当然よ。私の従者だもの」
「今、“私の自慢よ”と思いました」
「思ったわ」
「素直で助かります」
「あなたも、お燐やお空を自慢に思っているでしょう」
さとりの表情が、ほんの少し柔らかくなった。
「ええ。手はかかりますが」
「手がかかるものほど、館らしくなるのよ」
「それは同感です」
二人はまた紅茶を飲んだ。
能力は噛み合っていない。
運命を操るという曖昧で尊大な力と、心を読むという具体的で逃げ場のない力。レミリアは自分なら何とかできると信じている。さとりはそれを読み、でも訂正しすぎない。会話は噛み合わないようで、なぜか噛み合っている。
しばらくして、レミリアが言った。
「つまり、紅魔館の収入源は謎ではないわ」
「では、何ですか?」
「歴史と格式よ」
「それは収入源ではありません」
「咲夜に聞けば分かるわ」
「やはり謎ですね」
そこへ、咲夜が新しい紅茶を運んできた。
「何のお話を?」
レミリアは即座に言った。
「紅魔館の財政についてよ」
咲夜は一切表情を変えなかった。
「問題ございません」
さとりは咲夜を見た。
読める。
今月の食費は予定内。ワインの仕入れは来週。銀器の補修費は確保済み。妖精メイドへの支給にも問題はない。厨房の在庫はあと五日。次に確認する帳簿は――
実に整理されている。
ただし、さとりが知りたい「そもそも何で収入を得ているのか」は、まるで浮かんでこない。
隠しているわけではない。
咲夜にとっては、必要なものが足りていて、支払いに問題がなく、館が明日も回る。それで十分らしい。
これはこれで、別の意味で厄介だった。
レミリアは勝ち誇った顔をした。
「ほら」
「何が、ほら、なのですか」
「問題ないと言ったわ」
「それは説明ではありません」
「でも問題ないのよ」
さとりは少しだけ笑った。
「なるほど。紅魔館は、主の幼女が経営しているのではなく、従者の大人がどうにかしているのですね」
「大人ではなく従者よ」
「地霊殿も似たようなものかもしれません。主人の幼女が仕事をしているというより、周囲がそれぞれの役目を果たしている」
「私たちは象徴?」
「主です」
「その違いは?」
「本人が胸を張れるかどうか、でしょうか」
レミリアは満足そうに笑った。
「なら、私は主ね」
「ええ」
さとりは静かにうなずいた。
「あなたは、とても主らしい」
「ようやく分かってきたじゃない」
「今、“もっと褒めなさい”と思いました」
「思ってないわ」
「思っています」
「……少しだけよ」
さとりは微笑んだ。
紅魔館の外では、湖の霧がゆっくり流れていた。
地の底の館と、湖畔の館。どちらも主人は幼く見える。どちらも収入源はどこか怪しい。どちらも、周囲の者たちが勝手に働き、勝手に支え、勝手に困らせる。
そして、どちらの主も、それを当たり前のように受け取っている。
経営者として正しいかは分からない。
ただ、館の主としては、案外それで合っているのかもしれなかった。