異変未満の午後 ~ Tea, Cola, Math and a Little Practice   作:折無堂

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7. 整数論と氷の妖精

 大妖精は、氷の湖のほとりで足を止めた。

 チルノがいた。

 それ自体は珍しくない。チルノはだいたい湖のほとりにいる。氷を作ったり、蛙を凍らせたり、強い自分について考えたりしている。

 ただ、その日のチルノは地面に枝で何かを書いていた。

 

 数字だった。しかも、妙に多い。

 数日前、湖の近くで外の世界の数学書を一冊拾ったらしい。どういう経緯で幻想入りしたのかは分からない。最初から最後まで読んだわけでもない。連続だの極限だのと書いてある辺りは「ぐにゃぐにゃしていて分かりにくい」と早々に投げた。

 

 ただ、整数の章だけは妙に気に入った。

 数が一つずつ、きっちり分かれているからだという。

 

「チルノちゃん?」

 大妖精が声をかけても、チルノは振り向かなかった。

「待って。今、いいところ」

 

 チルノは真剣な顔で、地面にこう書いた。

 5,13,17,29,37,41……

 それから、少し離れた場所に別の列を書く。

 3,7,11,19,23,31,43,47……

 

 大妖精は首をかしげた。

「えっと……数を数えてるの?」

「違うよ。素数を、四で割った余りで分けてる」

「よんでわったあまり」

「そう」

 

 チルノは枝の先で、最初の列を指した。

「素数って、1と自分でしか割れない数でしょ。2、3、5、7、11、13、17……」

「う、うん。そこまでは、なんとなく」

「で、奇数の素数は、四で割ると必ず余りが1か3になる。だって偶数じゃないから」

「うん?」

「5は4で割ると1余る。7は3余る。11も3余る。13は1余る」

「うん……?」

「ここまでは簡単」

 

 大妖精には、すでに少し簡単ではなかった。

 チルノはさらに地面へ大きく書いた。

 5=1²+2²

 13=2²+3²

 17=1²+4²

 29=2²+5²

 37=1²+6²

 41=4²+5²

 

「見て」

「見てるよ」

「四で割って1余る素数は、二つの平方数の和で表せる」

「へいほうすう」

「同じ数を二回かけたやつ。1、4、9、16、25、36。氷の四角みたいな数」

 

 チルノは得意げに胸を張った。

「たとえば13は、4+9。つまり2²+3²。17は1+16。つまり1²+4²」

「へえ……」

「でも7はできない。7=1+6だけど6は平方数じゃない。4+3でもだめ。11もだめ。19もだめ」

 

 チルノは最初に書いた、もう一方の列を指した。

 3,7,11,19,23,31,43,47……

「こっちは四で割って3余る素数。こいつらは、二つの平方数の和にできない」

 

 大妖精は、じわじわ不安になってきた。

 これはチルノだろうか。

 見た目はチルノだ。羽もある。青い。偉そう。地面に座っている。間違いなくチルノだ。

 でも、言っていることがチルノではない。

 

「チルノちゃん」

「なに?」

「おかしくなっちゃったの?」

「なってないよ」

「巫女に相談しなくちゃ」

「なんで霊夢が出てくるのさ」

「だって、異変かもしれない」

「異変じゃないよ。数論だよ」

「すうろん」

「整数の話」

 

 チルノは地面の数字を指でなぞった。

「解析より分かりやすいよ。数が一個ずつカチッとしてる。凍ってるみたいでしょ」

「解析ってなに?」

「連続とか極限とか測度とか」

「そくど」

「あのルベーグとかいうやつの話は、よく分からない」

 

 チルノは心底嫌そうな顔をした。

「区間を切ったり、変な集合を測ったり、ほとんど至る所とか言い出したりする。何なの、ほとんどって。全部じゃないなら全部じゃないって言えばいいのに」

「チルノちゃん、なんにも分からないよ」

「あたいもルベーグはよく分からない」

「そこじゃないよ」

「あたいは連続じゃないと嫌だ。いや、連続も嫌だ。整数がいい。整数は途中で溶けない」

 

 大妖精は両手を胸の前で握った。

「でも、チルノちゃんが難しいこと言ってる」

「難しくないよ。たとえば、こう」

 

 チルノは地面に円を描いた。いや、円というより、氷の輪のようなものだった。その中に点をいくつか打つ。

「平方数の和って、こういうこと。5=1²+2²なら、横に1、縦に2進んだ点までの距離の二乗が5」

「距離?」

「ほら、三角形。横1、縦2。斜めの長さの二乗が1²+2²で5」

「斜めの長さは?」

「√5」

「るーと」

「そこは気にしない。大事なのは、整数の格子点で考えること」

 

 チルノはまた枝を動かした。

「で、四で割って3余る素数が、もし二つの平方数の和になったとする」

 7=a²+b²

「平方数を4で割った余りは、0か1しかない」

「どうして?」

「偶数なら、二乗しても4で割り切れる。たとえば2²=4、4²=16。余り0。奇数なら、二乗すると4で割って1余る。1²=1、3²=9、5²=25」

 

 大妖精は指を折って数えた。

「ほんとだ。9は4で割ると1余る」

「でしょ。だから、二つの平方数の和を4で割ると、余りは0、1、2のどれかにしかならない。0+0、0+1、1+1」

「3にならない」

「そう!」

 チルノはぱっと顔を輝かせた。

 

「だから、4で割って3余る数は、二つの平方数の和にはならない。7も11も19も23もだめ」

「それは……分かったかも」

「でしょ!」

 

 大妖精は少し安心した。

 チルノがおかしいことはおかしい。でも、言っていることの一部は、確かに分かる。少なくとも、完全に異変という感じではない。

 

「じゃあ、4で割って1余る素数は、全部そうなるの?」

「そう」

「ほんとに?」

「ほんと。フェルマーの二平方和定理」

「ふぇるまー」

「外の世界の強いやつ」

「妖精?」

「たぶん人間」

「人間なのに強いんだ」

「数では強い」

 チルノは自信満々に言った。

 

「ただし、証明はちょっと難しい」

「チルノちゃんでも?」

「あたいでも」

「じゃあ難しいね」

「でも、雰囲気は分かる」

 

 チルノは枝で新しい式を書いた。

 (a²+b²)(c²+d²)=(ac−bd)²+(ad+bc)²

 

「見て。二つの平方数の和どうしをかけると、また二つの平方数の和になる」

 大妖精は式を見た瞬間、目が泳いだ。

「チルノちゃん、なんにも分からないよ」

「大ちゃん、逃げないで。ここ大事」

「逃げてないよ。心が少し遠くに行っただけ」

「戻ってきて」

 

 チルノは式の横に具体例を書いた。

 5=1²+2²

 13=2²+3²

 5×13=65

 そして、

 65=1²+8²

 65=4²+7²

 

「「ほら。今の式に1、2、2、3を入れると、65=4²+7²になる」

「ほんとだ。16+49で65」

「そう。で、足すところと引くところを反対にすると、今度は65=1²+8²にもなる」

「1と8でも65……ほんとだ」

「同じ5と13なのに、二つあるんだよ」

「二つあるんだ」

「そう。ここが面白い。表し方が増える」

 

 チルノは楽しそうだった。

 大妖精は、その顔を見て、少しだけ安心した。

 難しいことを言っているけれど、チルノはチルノだった。自分が強いと思ったものを見つけて、得意げにしている。蛙を凍らせる代わりに、今は数字を凍らせて並べているだけだ。

 

「でも、どうして急にそんなことを?」

 大妖精が聞くと、チルノは胸を張った。

 

「あたいは気づいたんだよ」

「何に?」

「⑨って言われるけど、9は平方数なんだよ」

「うん」

「しかも、9=3²。強い」

「強いの?」

「強い。しかも9=0²+3²でもある」

「ゼロも使うの?」

「使っていいでしょ。ゼロだって整数だよ」

「そうだね」

「それに、9は4で割ると1余る」

「それもそうだね」

「平方数で、二つの平方数の和にもなって、4で割ると1余る」

 

 チルノは真剣な顔で言った。

「つまり⑨は強い側」

「何の側?」

「強い側」

「そっか」

 大妖精はもう、深く考えるのをやめた。

 

 その時、湖の向こうから霊夢が歩いてきた。手には新聞を持っている。どうやら文々。新聞の記事に何か余計なことが書かれていたらしい。

「何してるの?」

 霊夢が聞いた。

 

 大妖精はぱっと立ち上がった。

「霊夢さん! チルノちゃんが!」

「また何か凍らせたの?」

「数論を!」

「数論を凍らせたの?」

「違うよ!」

 

 チルノは不満そうに頬を膨らませた。

「二平方和定理を考えてたの!」

 

 霊夢は地面の式を見た。

 しばらく黙った。

 そして、ゆっくり大妖精の方を見た。

 

「異変?」

「やっぱり異変ですか?」

「いや……」

 

 霊夢は難しい顔をした。

「異変というには、被害がないわね」

「大ちゃんが混乱してる」

「それはいつものことじゃない?」

「いつもじゃないよ!」

 

 大妖精は抗議した。

 霊夢はチルノの書いた数字をもう一度眺めた。

 

「で、あんたは何をしたいの?」

「素数の性質を調べる」

「蛙は?」

「今はいい」

「氷は?」

「あとでやる」

「なら、まあ、放っておいていいんじゃない?」

 

 大妖精は驚いた。

「いいんですか?」

「本人が楽しそうだし。神社に被害がないし。賽銭箱も壊してないし」

「でもチルノちゃんが賢そうです」

「賢そうなだけなら、異変じゃないわ」

 

 チルノがむっとした。

「賢そうじゃなくて賢いの!」

「はいはい」

「霊夢も聞く? 平方数を4で割った余りは0か1しかないんだよ」

「それは分かるわ」

「じゃあ、4で割って3余る素数は二つの平方数の和にならない」

「それもまあ、分かる」

「でも4で割って1余る素数は全部なる」

「そこは急に分からないわね」

「でしょ!」

 

 チルノは嬉しそうに笑った。

「そこが強いんだよ!」

 霊夢はため息をついた。

「強いの基準が分からないけど、まあいいわ」

 

 大妖精はまだ心配そうにチルノを見ていた。

「チルノちゃん、本当に大丈夫?」

「大丈夫。あたいは最強だから」

「いつものチルノちゃんだ」

「ただし、今日は数論でも最強」

「それはいつもじゃない」

 

 霊夢は新聞を畳み、湖の方へ歩き出した。

「異変じゃないなら帰るわ。数で神社を壊さないでよ」

「壊さないよ。整数は壊れない」

「そういう問題じゃないわ」

 

 霊夢が去ったあと、チルノはまた地面に向かった。

 大妖精は隣に座った。

「ねえ、チルノちゃん」

「なに?」

「私にも、もう一回だけ教えて」

「いいよ」

 

 チルノは枝で、ゆっくり書いた。

 平方数を4で割ると、余りは0か1。

 だから二つ足しても、余りは0、1、2。

 だから4で割って3余る数は、二つの平方数の和になれない。

 

 大妖精は、今度は少しだけ分かった。

「じゃあ、7はだめ」

「そう」

「11もだめ」

「そう」

「13は、4と9だからできる」

「そう!」

 チルノは嬉しそうに笑った。

 

「大ちゃん、分かってきた!」

「うん。少しだけ」

「じゃあ次は、ガウス整数」

「霊夢さん!」

「待って! まだ異変じゃない!」

 

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