梅雨も明けて夏の本番が到来したというのに、その日の教室内は熱気に包まれていた。
「エアコンが壊れるなんて、ありえないっしょ」
一番後ろの席に座るギャルが、スカートの中身が見えそうなくらい脚を開いて、下敷きをウチワ代わりにして扇いでいる。
クラス中のどこを見ても、うだるような暑さに耐えられない、といった様子でなんとか快適に過ごそうとしていた。
そんな生徒の心中を無視して、先生は「今年は受験なんだから、少しは真面目に授業を受けなさい」とカッカッと黒板にチョークを走らせて授業を進める。
窓際の席のボクはというと、時折カーテンを揺らす風を眺めて平静を保とうと努力していた。
暑さはまだいい。耐えられる。
けど、セーラー服がじっとりと湿り気を帯びて、女子の下着が透けて見えるこの状況に耐えられそうにない。
隠されたものを垣間見るのは、どうしようもなくエッチで興奮してしまう。
だからボクは必死に目を反らして、心を落ち着けるべく努力していた。
「ショータ?」
そんなボクの様子を不審に思ったのか、隣の席のネネコが小声で話しかけてくる。
その額は汗で髪の毛が張り付いてしまっている。
(なんだかちょっとエッチだ)
ボクが彼女の額から目を離せずにいると、キョトンとした表情を浮かべて
「どったの?」と聞いてくる。
「べ、別に……なんでもない」
ボクはハンカチをびしょびしょにしながら授業を進めるおじさん先生を眺めて心を落ち着けることにした。
――困ったことに、ボクの頭はピンク色に染まっていた。
鐘の音を響かせて3時間目の授業が終わる。
次は音楽の授業だ。移動教室の先には冷房の効いている部屋がある。
オアシスを求めて、みんな一目散に道具を抱えて移動していく。
だというのに、ボクは未だ席を立てずにいた。
「ほら、ショータ。一緒に行くよ」
ネネコが笛を抱えてボクを誘う。
彼女とは家が近いこともあって、家族ぐるみの付き合いで……いわゆる幼馴染ってやつだ。
お互い一人っ子だからなのか、昔から姉のようにボクの面倒を見たがる。
「いいよ、先行ってて」
ボクにはまだ席を立てない理由があった。
「なに読んでるの……って、参考書?」
「うん、もうちょっと勉強したら行くよ」
「ふぅん。あんたも急に真面目になったものね」
ネネコが少し寂しそうな表情をする。
「ぼ、ボクたち受験生だよ」
「そう?」
腑に落ちてない表情をして、ネネコがボクの耳元に顔を近づけてくる。
「今日のショータ、なんだか変な匂いがするね。
……もしかして、カノジョでもできた?」
「そ、そんなわけないじゃないか。汗のにおいかな」
ボクは大げさに自分の匂いを嗅ぐ仕草をする。
「そうよね、こんなに可愛いんだもの。彼女なんてまだまだ先かぁ」
朗らかに笑うと、彼女がボクの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「もうっ、放っておいてくれよ」
「はいはい。それじゃ、先に行ってるね」
ボクに背中を向けたネネコが教室を出ていくのを見送る。
――ふぅ、何とかごまかせた。
それにしても、ネネコの手、柔らかくて気持ちよかったな。
自己主張を辞めない聖剣エクスカリバーを鬱陶しく思いながらも、ボクは再び参考書に向き合うのだった。
きっかけは数日前のことだ。
高校生にもなると、周囲はカレシカノジョがどうこうという話で持ちきりになる。
ボクはと言えば、カップルを見てはため息を吐く日々だった。
「あんたはどっちかって言うと可愛い系だからね。
恋愛対象にはなりにくいんじゃない?」
「なんだよ。ネネコだってカレシいないじゃないか」
そう反論すると
「私はいいのよ。別に欲しいと思ってないしー」
ネネコは本当に欲しいと思っていないのか、ぶっきらぼうに答えた。
「ふぅん。可愛いのにもったいない」
幼馴染のひいき目も入ってるかもしれないけど、ネネコはそこそこ可愛い。
何度か告白されたという愚痴も聞かされたことがある。
「君ねぇ……」
ネネコが何かを言いかけて口をつぐんだ。
「カノジョかぁ……」
カノジョができたら、なんてことを妄想してしまう。
一緒にデートして、手をつないで、それから……。
「あっ、今いやらしいこと想像してるでしょ」
「してないしっ!!」
図星を付かれて、ボクは顔が赤くなるのを感じた。
「かわいいなぁ、ショータは」
「もう、うるさいなぁ」
そんな風にからかわれた日の夜、ボクはどうにかしてカノジョを作れないか考えていた。
いつまでも弟扱いしてくるネネコを見返したかったのかもしれない。
いや、それ以上に恋愛というもの、それに男女の営みに興味があった。
(クラスメートは難しそうだし、他のクラスの人との交流もあまりないしなぁ。
マチアプはあんまりいい話聞かないし……)
ボクは何気なく「彼女 作り方」とネットで検索してみると、婚活サイトやマチアプ、知恵袋などのサイトの一覧の片隅に「サキュバスの召喚方法~こうして私は童貞を捨てました~」というなろう小説のタイトルみたいなページを見つけた。
苦笑しながらサイトを覗いてみると、ただ魔法陣の描かれているだけの不思議なページだった。
それはボクにでも書けそうな簡単な魔方陣だった。
机の上にノートを広げて、見よう見まねで陣を描く。
そこに書かれたラテン語をGGL先生(AIアシスタント)に読み上げてもらい、
「我が呼びかけに応えよ悪魔!」
最後にそう唱えると、ノートを中心に部屋中にドライアイスの煙のようなものが立ち込めた。
「あら、ずいぶんと可愛らしいご主人様ね」
そこから現れたのはピンク色の髪をして、バニースーツのような際どい恰好をしたお姉さんだった。
2本の角とぴょこぴょこと揺れる蝙蝠のような翼が、彼女が悪魔であることを証明していた。
まさかホントに召喚できるなんて!!
最初が肝心だ。
ドキドキしながら、ボクは彼女に命令をする。
「ぼ、ボクと契約して」
「いいけど、キミはワタシに何をしてくれるのしら?」
ボクの机に座ったサキュバスがじゅるりと舌なめずりをする。
「ボクの精気を分けてやる」
「あら嬉しい。けど、一応ネンカクさせてね」
うん? ネンカク? 聞きなれない言葉だけど、なにか魔術的なアレだろうか。
「年齢確認よ」
そう言って彼女はポンっと虚空からパネルのようなものを取り出した。
そこにはボクにも読める文字でこう書かれていた。
あなたは18歳以上ですか?
はい いいえ
あまりにも咄嗟だったので、ボクは正直に「いいえ」を指さす。
「あらら……青少年保護法に引っかかっちゃうわねえ……」
悪魔が子どもをあやすようにボクに告げた。
……青少年保護法?
悪魔からとんでもない言葉が出てきたぞ。
「最近悪魔界も厳しくてねぇ。若い子に手を出すとすぐ親御さんからのクレームやら魔刑(注釈:魔界警察の略称)やらが乗り込んでくるのよ」
悪魔が法を遵守するんじゃないよ。
口元まで出かかった言葉を、我慢できずにそのまま発すると、
「ほら、ワタシってさ、マジメだから……」
遠い目をする淫魔サキュバス。
「それで今までも失敗だらけで……」
突然メンタルブレークする淫魔サキュバス。
「別に真面目なのはいいと思うよ。お姉さんのいいところなんじゃないかな」
慌ててフォローするボク。
……なんでボクが慰めてるんだ。慰められたいのはボクの方なのに。
「じゃあ契約はできないってこと?」
残念がって尋ねると、
「仮契約ならできるわ」と答えが返ってくる。
「お互い干渉しないけど、ワタシはここに留まり続ける。言ってしまえばキープみたいなものね」
「それってなにもできないってこと?」
そんなぁ。せっかくサキュバスを召喚できたっていうのに……。
「キミが18歳になったら、キミの望むようにしてあげる」
そんな彼女の言葉に後押しされて、ボクは彼女と仮契約を結ぶことにした。
ボクの部屋に居候することになった淫魔はサキと名乗った。
女性と一緒の部屋に住むことになって、ボクの身体には変化が起きていた。
そう、男の子の生理現象である。
淫魔と一緒にいることで欲望が高まっているのだろうか。ちょっとしたことでボクの聖剣は自己主張するようになってしまった。
「辛かったら見抜きしてもいいのよ」
「みぬき……?」
GGL先生に聞くと、酷い答えが返ってきた。
「そ、そんな趣味はないです」
「いいじゃない。どうせワタシとそういうことするつもりだったんでしょ」
「それとこれとは違いますっ」
「んもっ、初心で可愛いんだから」
そうしてボクの生殺しライフが始まった。
その日から、日常生活の難易度がどんどん上がっていく。
ガラにもなくポケットに両手を入れて歩く日々にも慣れてしまった。
(1.2.4.8.16.32.64.128……)
数字を数えると脳が切り替わるのか比較的平穏に日々を過ごせることに気づいたボクは、様々な数え方で聖剣を抑え込めるようになっていた。
「君、最近挙動がおかしいわよ」
ネネコがボクをまじまじと見つめてくる。
「なんか独り言も多いし」
「そんなことないよ」
ネネコに見られていると思うだけで息子が興奮かけているのがわかる。
その声が、わずかに漂う香りが、甘い媚薬のようだった。
(256.512.1024.2048.4096……)
ボクは必死に計算を続ける。
「本当に大丈夫? 勉強のし過ぎでノイローゼになってるんじゃない?」
(8192.16384.32768.65536.131072……)
ん? 今072って言った?
「言ってないけど?」
「っ!?」
ああーっ、最悪だ!! 知らずに口に出してしまっていたらしい。
「ちょっと落ち着きなさいよ」
頭をかきむしるボクの肩に、ネネコの手が触れる。
それがボクの疼きを更に搔き立てる結果となった。
「ネネコっ!」
急に立ち上がったボクにびっくりしたのか、ネネコはボクの顔を見ている。
よかった、気づかれてないようだ。
ボクはポケットに手を入れて、駆け足でその場を逃げ出した。
最悪だ。
明日どうやってネネコと顔を合わせればいいんだろ。
「これが主語だから、これが関係詞になるってのはわかるかしら?」
「あぁ、はい」
サキさんが仮契約のせめてもの礼だと言って英語を教えてくれることになった。
今年受験だし、西洋圏の悪魔からちゃんとした英語を教われるのはありがたい、ありがたいんだけどっ。
「こらっ、集中しなさい」
「だって、今日の格好……なんかエロいし……」
ぴっちりしたパンツスーツをきっちりと着こなす彼女からは、健全なエロスが漂っていた。
「はぁ、これでもダメってどういうことよ……」
呆れ声で彼女がつぶやく。
「全く、ド変態なんだから」
「だってー」
「そんな目をしてもダメ。ワタシを犯罪者にさせないで」
結局、息子が全力起立して、全然勉強に集中できない。
「大丈夫、18歳になったら、その時は……」
ねっ、と可愛くウインクするサキさん。
その申し出は大変嬉しいんだけど、誕生日まであと100日もある。
「じゃあ
「いいえ、ノーチェンジで」
なんだかんだ、茶目っ気のある彼女のことを、ボクは少しずつ人として(悪魔として?)好きになってきていた。
「ふふっ、じゃあ一緒に頑張ろうね。ショータくん♡」
射精管理してるみたいで、これはこれで愉しいわね。
サキさんが恐ろしいことをボソッとつぶやいた。
ボクのドタバタ生活は、まだ始まったばかり。
キミに召喚されて良かった。
キミに選んでもらえて良かった。
――