空は上条当麻と一時的に別れ、再びエドワード・ウィンスレット首相の護衛として、クーデターによって阿鼻叫喚と化したロンドン市内を駆け抜けていた。
街のあちこちで魔術的な爆発炎上が起き、黒煙が曇天に立ち昇っている。
本来であれば市民を守るはずのロンドン警視庁の機能は完全に麻痺し、代わりに第二王女キャーリサに与する武装した『騎士派』の連中が、パトロールという名目で強圧的な市街地制圧を行っていた。
だが、暗部の最深部でバケモノたちを相手に死線を潜り抜けてきた空の前に、完全武装とはいえ有象無象の騎士たちは、全く敵ではなかった。
「……ッ! そこにいるのはウィンスレットだ! 捕縛しろ!」
路地の十字路で、数名の騎士部隊と遭遇する。
「下がってろ、閣下。……『エミュレート——摩擦ゼロ、及び念動力』」
シュンッ!!
空がコートの裏地から指先で弾き出したタングステン内蔵のビー玉が、音速を超えて騎士たちの足元の石畳を粉砕し、物理的な摩擦を完全にゼロへと書き換える。
「うわぁッ!?」
体勢を崩して見事にすっ転んだ騎士たちの首元へ、空は流れるような動作で接近し、容赦のない手刀を叩き込んで意識を刈り取っていく。
空は一切の足止めを食らうことなく、遭遇する騎士派の部隊を無音のまま気絶させ、ただの障害物として道を切り開いていく。
「……見事なものだ。まさに一騎当千だな」
ウィンスレットは、乱れたスーツのネクタイを直し、息を切らしながらも、空の人間離れした手際と冷徹さに舌を巻いていた。
「俺は裏方だからな。目立つ大立ち回りは、さっき別れたツンツン頭のアイツに任せておけばいい」
空はポケットから極甘の缶コーヒーを取り出し、暴力的な糖分を補給しつつ、ロンドンのさらに中枢へと足を向けた。目指すは、イギリスの王権の象徴であり、エリザード女王が留まっているはずの『バッキンガム宮殿』だ。
しかし。
宮殿を遠望できるトラファルガー広場付近の大通りまで辿り着いた二人は、建物の陰に隠れ、すぐに足を止めることになった。
「……チッ、遅かったか」
ウィンスレットが、双眼鏡を覗き込みながら忌々しげに舌打ちをする。
バッキンガム宮殿の周辺は、すでに第二王女キャーリサ率いる騎士派の完全な包囲下にあり、至る所に彼らの紋章が掲げられ、重装甲の騎士たちが蟻の子一匹逃さないような厳重な警備を敷いていた。
「宮殿は完全に騎士派の手に落ちているな。……女王陛下や王室派の要人たちは、すでに捕縛された後か」
「……いや。だが、女王が処刑されたなら、クーデターを正当化して清教派の士気を削ぐために、大々的に宣伝しに行くはずだ」
空は、遠目に宮殿の警備の動線をエミュレーターの眼で解析しながら推測を口にした。
「生け捕りにした女王を、どこか別の強固な施設か、処刑場へ護送したはずだ。……首相閣下、俺たちもその護送の動きを追うぞ」
ウィンスレットが「君の判断に従おう」と頷いた、その時。
ブルルルルッ!!
空の懐で、学園都市の暗部専用端末がけたたましい緊急のバイブレーションを鳴らした。
空は即座に路地裏の深い影に身を潜め、周囲の気配を殺して通信に出た。
『——お兄ちゃん! 繋がった! とイツキは、かなり焦った声で報告します!』
スピーカー越しに聞こえてきたのは、学園都市の廃研究所で留守を預かる、妹・イツキからの緊急連絡だった。
「どうした、イツキ。また『
空の声音が、冷酷な掃除屋のそれへと切り替わる。
『はい! 彼らの残党が、統括理事会からの情報開示を諦めきれず、第三学区にある暗部の拠点——個室サロンを占拠して立て篭もりました! 今、第一位たち「グループ」が、その残党処理と機密保持のために現場へ向かっています!』
「なるほどな。あの第一位や土御門のことだ、迎電部隊のテロリストごとき、すぐにミンチにして制圧するだろう。……だが、俺に直接電話をかけてくるくらいだ。お前が焦っている理由は、それだけじゃないんだろ?」
『……はい』
イツキのタイピング音が、スピーカー越しに激しく響く。
『同時に、別の「新生暗部組織」が動き出しています。……標的は、「アイテム」の残党……絹旗最愛と、浜面仕上です!』
「浜面……」
空の瞳が、剣呑な光を帯びた。
第二位・垣根帝督による襲撃によって組織が崩壊した後。かつて麦野沈利の狂気の暴走から、滝壺理后を命懸けで守り抜いた、ただの
表の世界に憧れながらも暗部の泥沼に巻き込まれ、それでも必死に、泥臭く生きようとするあの少年が、またしても理不尽な暴力の標的にされている。
『彼ら、滝壺理后の退院祝いをしようと第七学区のファミレスに集まっていたところを、重武装の新生暗部に襲撃されています! 現在、必死に逃走中ですが、戦力差からして絶望的です、とミサカは状況の深刻さを伝えます!』
「お兄ちゃん、どうしますか? とイツキは指示を仰ぎます。今のミサカには、学園都市のセキュリティや信号網を操作する管理者権限があります!」
「……俺は、今すぐそっちへは戻れない」
空は、銃声が響くロンドンの曇天を見上げながら、口元に不敵な笑みを浮かべた。
自分は今、イギリスの泥沼のど真ん中にいる。空間移動の飛距離では、到底学園都市には帰還できない。
「だが、お前がいるだろ、イツキ。……お前のハッキングで、彼らを裏から支援してやれ」
『えっ……ミサカが、ですか?』
イツキの声が、少しだけ驚きに上ずった。
「そうだ。まず、『グループ』の第一位たちに、個室サロンへの最短ルートと、テロリストが書き換えたセキュリティコードの解除キーを裏回線から流して、迎電部隊の残党を迅速に潰させろ。あいつらの仕事のスピードを上げさせるんだ」
空は、イギリスにいながらにして、頭の中で学園都市の盤面を動かしていく。
「同時に、浜面たちの逃走経路の信号機や防犯扉、スプリンクラーのシステムをハッキングして操作し、追手の新生暗部を徹底的に妨害するんだ。浜面の無能力者の機動力でも逃げ切れるように、お前が『見えない道』を作ってやるんだよ」
『…………』
「お前が俺の代わりの、エラーチェッカーの『裏方』だ。アイツらを、何としても生き延びさせろ」
『……了解です! お兄ちゃんの代わり、完璧にこなしてみせます! とイツキは、最高速度でキーボードを叩く音を響かせます!』
頼もしい、ハッカーとして成長した妹の返事を聞き、空はフッと表情を和らげて通信を切った。
「学園都市でも、何か問題が発生したのかね?」
ウィンスレットが、空のただならぬ気配を察して問いかけてきた。
空は肩をすくめ、再び冷酷な眼差しを前方のバッキンガム宮殿へと向けた。
「俺の優秀な家族が対応してますよ。学園都市の火種は彼女に任せます。……さあ、こっちも気合を入れて、女王陛下の護送車を追いかけましょうか」
◇
それから数時間。
ロンドン市内の騎士派の包囲網を、空とウィンスレットは戦闘と逃走を繰り返しながら強行突破していった。
追手の魔術師たちを空間断裂のトランプで気絶させ、時には建物の壁を『念動力』で吹き飛ばしてショートカットを作り出し、彼らはついにロンドン郊外の、緑の広がる荒野へと脱出することに成功した。
「ハァ……ハァ……。まったく、君の規格外の護衛は、私の寿命を確実に縮めているぞ。心臓に悪い」
乱れたスーツの埃を払いながら、ウィンスレットが荒い息を吐く。
パカラッ、パカラッ、パカラッ。
その時、静寂を取り戻した郊外の荒野の遠くから、馬の蹄の音が複数、急速に近づいてくるのが聞こえた。
「伏せろ! 騎士派の追手か? ……二騎いるな」
空は、即座にウィンスレットを背の高い草むらに押し倒し、コートの裏地からチタンのペンを引き抜いて『敵』を警戒した。
しかし。
馬が近づいてくると、その騎乗者が、騎士派の厳つい甲冑などを全く身に纏っていないことに空は気づいた。それどころか、戦場には全く不釣り合いな、見た目も麗しい煌びやかなドレスを着ているのだ。
騎乗者は三人の女性だった。
一人は、王冠を頂き、豪快で威厳のある雰囲気を漂わせる五十代の女性——イギリスの最高権力者であるエリザード女王。
もう一人は、自身の身長の二倍以上ある長い金髪を風に靡かせた、修道服の少女——イギリス清教のトップたる
そして、知的な眼鏡をかけた、第一王女のリメエアであった。
「おう、無事だったか、エドワードの小童」
馬から降りたエリザード女王が、草むらから顔を出したウィンスレットに向かって、鋭くも威厳のある声で豪快に言葉をかけた。
「ええ、陛下。こちらの学園都市からの『特使』殿の規格外の護衛のおかげで、なんとか。……そちらも、第一王女殿下含めて無事に包囲網を逃げ延びられたようで何よりです」
ウィンスレットが恭しく頭を下げる。
空もまた、名目上は学園都市の外交使節であるために、一応は丁重に振る舞うことにした。
「お初にお目にかかります、女王陛下、第一王女殿下。私、学園都市より派遣されました、特使の瀬川空と申します。ご機嫌麗しゅうございます」
空の、全く似合っていないコッテコテの敬語に、リメエアが微かに眉をひそめて怪訝な顔をしたが、エリザードは豪快に腹を抱えて笑った。
「はっはっは! 小僧、無理をするな。貴様、普段からそのようなへりくだったタチではないであろう。状況が状況だ。そう言う面倒臭い話し方はしなくても良い」
しばらく笑った後、エリザードは一国のトップとしての真面目な顔つきに変わった。
「……さて。キャーリサが手にした霊装『カーテナ=オリジナル』は、大天使ミカエルの力を引き出し、このイギリス国内において絶対の力を誇る。あれがある限り、正面からの武力による制圧は不可能だ」
「なら、ありがたく普段通りの口調にさせてもらう」
空はペンを懐にしまい、肩の力を抜いた。
「どうやってその『絶対の力』をひっくり返すんだ? こんな郊外で逃げ回ってるだけじゃ、国は取り戻せないだろ。それに首相閣下が言っていたが、『このクーデターを盤面ごとひっくり返す手立て』があるんだろ?」
空の問いへの応答と言わんばかりに、エリザードは隣に立つローラへ視線を向けた。
「おい、大英博物館にある例の旗、準備は大丈夫なんだろうな?」
「五分五分なりし、と言ったところかしらね」
ローラが、扇子をパチンと鳴らして妖しく微笑む。
「一般収蔵品の中に紛れ込ませたアレが『霊装』だと気づき、目を向ける者は少ない。博物館所属のチャールズ=コンダーが、期待通りの働きをしてくれれば、なんとか使い物になりけるかもね」
「やはり、『
ウィンスレットは頷きながら言う。エリザードの瞳に、国を背負う者としての強烈な覚悟が宿る。
「どう言う霊装だ? それは」
空の重ねての質問に、エリザードが力強く応える。
「『カーテナ』の持つ強大な天使の力を、カーテナの使用者一人に集中させるのではなく、この英国民全てに等しく分け与える国家規模の霊装だ。これを発動させて、キャーリサの持つカーテナの力の制限し、同時に国民全員に抵抗の力を与えることで、逆転を図る」
「……なるほどな。国家総動員で、一人のバケモノの出力を下げるってわけか。理にかなってる」
空が感心したように頷くと、ローラ=スチュアートが、長い金髪を揺らして空に視線を向けた。
「というわけで、学園都市からの特使殿。……妾たちは、その『連合の意義』が完全に使えるようになりし時までは、隠れたりけることなのよ。……それまでは、第二王女キャーリサの足止めを、我が
クーデターの首謀者であり、大天使の力を振るう化け物、第二王女キャーリサの足止め。
それは、死を意味するかもしれない極めて危険な役回りだった。
空は、エリザードとローラの顔を交互に見比べた。
そして。
いつもの虚ろさを孕んだ、けれどどこか楽しげなニコニコとした笑顔を浮かべ、黒いコートの裏地から再びチタン合金のペンを引き抜いた。
「別に構わないぜ。……どうせ俺の仕事は、いつでも誰かの後ろで泥を被る
「まったく。英国の行末のためとはいえ、ろくに切り札も持たんまま、気合と根性だけで最終決戦に望みやがって。あのバカども」
エリザードは少し笑みを浮かべ、空の背中を見ながら悪態をついた。
「うふふ。口調の割に、結構嬉しそうね。お母様」
リメエアが、くすりと笑う。
科学の街の掃除屋が、魔術大国の命運を懸けた反撃の『盾』となる。
イギリスの冷たい風が吹き抜ける荒野で。世界大戦へと繋がる最大の決戦の火蓋が、静かに、そして苛烈に切って落とされようとしていた。