十月十八日、未明。
燃え上がるロンドン市街の喧騒の中、バッキンガム宮殿前広場。
そこでは、人間の限界を遥かに超越した、神話クラスの死闘が繰り広げられていた。
「おおおおおッ!!」
聖人・神裂火織の振るう七天七刀の『唯閃』。
かつて敵対した、同じく聖人にして元神の右席である後方のアックアの巨大な大剣。
そして、イギリス騎士派のトップである
三人の化け物じみた猛攻が、世界を切り裂く究極の霊装『カーテナ=オリジナル』を振るう第二王女キャーリサへと同時に襲いかかる。
雷鳴のような轟音と、衝撃波による旋風が広場の石畳を粉砕していく。
「チィッ……! 忌々しい!」
さすがのキャーリサも、世界最高峰の戦闘力を持つこの三人の同時攻撃には押され気味になっていた。
だが、彼女は不敵に、そして狂気的に笑い、カーテナの柄を強く握り直すと、空中に向けて無造作に振り抜いた。
ギギィィィィィィンッ!!!!
空間そのものが物理的に悲鳴を上げる。
空中に固定された、全次元を切断した絶対的な『断面』。キャーリサはそれを自らの足場にして三人の攻撃を躱すだけでなく、その切断面から生み出される恐るべき破壊のベクトルを、広場全体へと無差別に『乱反射』させたのだ。
「なっ……! 上条、伏せろッ!!」
後方で戦況を見守っていた瀬川空は、エミュレーターの眼が警鐘を鳴らすよりも早く、本能で叫び、コートの裏地からありったけのトランプを空中に展開した。
騎士団長たち三人のバケモノはともかく、後方にいる上条当麻や天草式の面々、そして傷ついた必要悪の教会の魔術師たちに、あの次元の斬撃が直撃すれば一瞬でミンチになる。
『エミュレート——絶対防壁、空間固定……全リソース解放ッ!!』
空は両腕を前に突き出し、上条たちと宮殿の間に、何層にも重なる分厚い不可視のドームを構築した。
ガギィィィンッ!! ズガァァァァァァァァァンッ!!!
空間そのものを切り裂く無差別攻撃が、空の防壁に嵐のように降り注ぐ。
「ガ、アァァァァァッ……!!」
空の眼球の毛細血管が限界を超えて弾け飛び、真っ赤な血の涙が噴き出した。鼻腔と口からドス黒い血が滝のように溢れ出し、シャツを汚していく。全身の骨がミシミシと軋み、筋肉が断裂の悲鳴を上げる。
『次元を切断する威力』など、本来の物理学の延長線上にある空の能力で相殺できるはずもない。それを、バックグラウンドの『肉体再生』と『痛覚遮断』を全開にして脳を焼き切りながら、強引にベクトルを逸らし、結界の形を再構築し続ける。
「瀬川ッ!!」
上条が、血反吐を吐いて踏ん張る空を見て絶叫する。
「俺にかまうな……! 前を見ろ、上条ッ!! お前のやるべきことはなんだ!!」
空は、口から血の泡を飛ばしながら怒鳴り返した。
その時だった。
ガギィィィンッ!!
キャーリサが驚愕に目を見開く。
イギリスの最高権力者、エリザード女王が、騎士団長たちの猛攻の隙を突き、自らキャーリサの懐へと切り掛かったのだ。
その手には、もう一つの王権の剣——『カーテナ=セカンド』が握られている。
ガァンッ! キィィンッ!
しばらくキャーリサとエリザードが、互いの国を想う絶対的な覚悟を剣に乗せて激しく打ち合ったかと思うと。エリザードは、自らのカーテナ=セカンドを手放し、キャーリサに向けて無造作に投げつけた。
キャーリサがそれを弾き落とした、まさにその瞬間。
「……変革だよ」
エリザードは、懐から取り出した『一枚の旗』を夜空に向けて大きく振るった。
イギリスの国旗。
国家全土の力を操作する究極の霊装——『
「命じる。カーテナに宿り、四文化から構築される『全英大陸』を利用して集められる莫大な力よ! その全てを解放し、今一度イギリス国民の全員へ、平等に再分配せよ!!」
エリザードの号令とともに、世界が変わった。
キャーリサの持つカーテナ=オリジナルから、大天使ミカエルの膨大な力が強制的に吸い上げられ、光の粒子となって全英上空へと拡散し、イギリス国民一人一人へと等しく分け与えられていく。
キャーリサを絶対のバケモノたらしめていた無尽蔵の力が、急速に失われていく。
「さあ、群雄割拠たる国民総選挙の始まりだ!!」
その号令に呼応するかのように、ロンドン市内、いやイギリス中から、武器を手にし、カーテナの力を分け与えられた『ただの一般人だった人々』が、バッキンガム宮殿へと集結し始めた。
彼らはもう、誰かの指示で動く兵士ではない。一人一人が自分の判断で戦い、自分の愛する国を守るために立ち上がったのだ。
「クソッ……! ならば、残った力で全員を薙ぎ払うまで!」
焦燥に駆られたキャーリサがカーテナを振り上げようとした、その隙を。
銀髪の修道女が見逃さなかった。
インデックスの『
「アックア!!」
「応ッ!!」
上条の叫びに呼応し、アックアがその巨大な剣の腹の上に上条を乗せると、聖人の膂力で上条を空高く跳ね上げた。
無防備となったキャーリサの頭上。
夜空から、上条当麻が落下しながら、右の拳を真っ直ぐに突き出す。
「おおおおおおおォォォォォォォォォォォッ!!!」
ガキィィィィィィィィィンッ!!!!
世界中の理不尽をぶち壊してきた『
そしてその勢いのまま、上条の握りしめた拳が、キャーリサの顔面にクリーンヒットする。
ドゴォッ! と重い音が響き、強大なクーデターの首謀者が、吹っ飛んだ。
「……終わっ、た、か……」
空は、限界を超えて維持していた結界の演算を解除し、自らが吐き出した血の海の中へ、ドサリと両膝をついた。
激しい耳鳴りと、身体中の痛みが一気に押し寄せてくる。
だが、その視界に映るロンドンの空は、クーデターの終わりを告げるように、微かな朝焼けの光を帯び始めていた。
イギリスの命運を懸けた巨大なクーデターは、ここに完全に鎮圧されたのだ。
♢
太陽が完全に昇り、冷たい秋の空気がロンドンを包み始めた時間。
空は、上条とともに、上条の最後の一撃によって吹き飛ばされたキャーリサの身柄を回収するため、朝のロンドン市内を歩いていた。
「だからな、上条」
空は、痛む肋骨を押さえながら、極甘の缶コーヒーを煽ってぼやいた。
「資本主義の母国とも言えるこのイギリスで、最大規模の魔術が『王家の剣の力を全国民に平等に分け与える』っていう、共産主義チックなシステムだったってのは、最高に皮肉なもんだよなって話だよ」
「……上条さんは、瀬川が何を言っているのかさっぱりわからないのですよ。というか、お前なんでそんな血まみれなのに普通に歩けてるんだ?」
「気合いだよ、気合い」
そんなくだらない、日常の延長のような軽口を叩いていると。
宮殿から少し外れた街路で崩れ落ちた瓦礫の中に倒れているキャーリサを見つけた。
——いや。より正確にいえば、キャーリサと、『謎の男』を見つけたのだ。
「……なんだ、アイツ」
空は足を止め、エミュレーターの警戒レベルを最大に引き上げた。
赤い修道服に身を包んだ、軽薄そうな笑みを浮かべる男。
その男の『右肩』からは、まるで蜃気楼のように揺らめく、異形にして巨大な『第三の腕』が生えていた。
男が、その巨大な腕を倒れているキャーリサに向けて無造作に振るった。
「危ねぇッ!!」
その時には、上条はすでにキャーリサと男の間に飛び込んで立ち塞がり、その右手で男の異形の腕の一撃をギリギリで防いだ。
「……誰だ、テメェ」
上条が、血の滲む右手を押さえながら鋭く尋ねるが、男は軽薄に笑うばかりだ。
「フィアンマだ。『右方のフィアンマ』だし」
倒れたままのキャーリサが、憎悪と警戒の入り混じった声で告げた。
(右方……!)
空の背筋に、氷を突き立てられたような悪寒が走った。
十字教の文化圏において、『右』の位置は対等を意味する。神の右席の『右方』。それは言葉の通り受け止めるならば、大天使ミカエル——神と同等、あるいはそうなるだけの絶対的な力を有する存在であることを示している。
「しかしまあ、奪った霊装を破壊されてしまうリスクを負ってまで、お前のその右手に拘泥することも無いか」
フィアンマは、上条の右手を見てつまらなそうに肩をすくめた。
「奪った、霊装……?」
上条が眉をひそめる。
フィアンマが懐から取り出したのは、古めかしい金属製の『錠前』であった。
フィアンマがその錠前をカチャリと回した瞬間。
真下の石畳が弾け飛び、地下から一人の人間が強引に引っ張り出されてきた。
よく知る人物だった。
「インデックス!?」
上条が悲鳴のような声を上げる。純白の修道服を着た銀髪の少女、インデックスが、意識を失ったままフィアンマの足元に力なく倒れ込んでいた。
「『
そう言い残し、フィアンマがインデックスを連れて空間へ溶け込むように去ろうとした。
「させねぇよ……ッ!」
空は、フィアンマの前に立ち塞がり、チタン合金のペンを引き抜いた。
上条の、いや、学園都市の人間から「日常」を奪おうとする理不尽を、これ以上見過ごすわけにはいかない。
『エミュレート——擬似超電磁砲、空間断裂、十一次元……全リソース解放ッ!!』
空は己の脳が焼き切れるのも構わず、持てる限りの最大火力を、フィアンマに向けて放った。
見えない空間の刃と、音速を超えるタングステンの弾丸が、フィアンマの首を狩るべく殺到する。
だが。
「小賢しい。不要だ」
フィアンマが、ただ何気なく、鬱陶しい羽虫を払うように『第三の腕』を一振りした。
それだけで。
空の放ったあらゆるベクトル、空間の断裂、見えない弾丸、そして防護結界のすべてが。
何の意味もなく、音もなく「消滅」した。
「……は?」
空の空洞化された演算領域が、完全にフリーズした。
相殺されたわけではない。弾かれたわけでもない。ただ、フィアンマが「不要だ」と判断した瞬間、空の攻撃という事象そのものが、世界というキャンバスから消しゴムで削り取られたように、無に帰したのだ。
これが、神と同等の力。
自分の「空っぽの器」では、絶対に届かない、埋めようのない絶対的な理不尽。
「ガハァッ!?」
次の瞬間、空の身体は、フィアンマの見えない巨大な質量によって腹を殴り飛ばされ、石畳を削りながら、周囲の街灯を何本もへし折りながら数十メートル先へと吹き飛んだ。
バキバキバキッ! と、全身の骨が砕け散る悍ましい音が響く。
「瀬川ァァァッ!!」
上条が絶叫する。
「無駄な足掻きだ。お前たちのちっぽけな力では、俺の右腕には永遠に届かない」
フィアンマが冷酷に言い放つ。
直後、強烈な閃光が輝き、空間が歪んだ。
視界が元に戻った時には、すでにフィアンマの姿はどこにもなかった。
後に残されたのは、意識を失ったインデックスと、完膚なきまでに叩きのめされ血の海に沈む空。そして、血に塗れたキャーリサと、親友と大切な少女を奪われ、絶望に呆然と立ち尽くす上条当麻だけであった。
◇
数時間後。
フィアンマの暗躍は、直ちに世界の情勢を最悪の方向へと導いた。
ロシア成教が、学園都市に対して正式に『宣戦布告』を行ったのだ。
世界中の科学サイドと魔術サイドが正面から激突する、人類史上最大にして未曾有の戦争。
十月十八日。
ついに『第三次世界大戦』が勃発した。
ロンドン郊外の仮設医療テント。
空は、ベッドの上で全身の骨が軋む激痛に顔を歪めながら目を覚ました。
「……上条は、どこだ」
ひび割れた声で絞り出した空の問いに。
傍で看病していた天草式の五和が、ポロポロと涙を流しながら、悲痛な表情で首を横に振った。
「上条さんは……インデックスさんを救うために。誰にも何も言わずに、一人でロシアへと向かってしまいました」
「……あのバカ野郎が」
空は、ミシミシと音を立てる身体を無理やり動かし、ベッドのシーツを払いのけて立ち上がった。
圧倒的な理不尽の前に、為す術もなく蹂躙された己の無力さ。
そして、世界を敵に回してでも、大切なものを守るために、たった一人で極寒の地獄へと向かった親友の背中。
「瀬川さん!? ダメです、あなたの身体はまだ……! 骨もくっついてないんですよ!」
「悪いな、五和。俺も、行かなきゃならない場所ができた」
空は、五和の制止を振り切り、血で汚れた黒いロングコートを羽織った。
そして、ポケットに残っていた極甘の缶コーヒーを一気に煽り、強烈な糖分で痛覚を強引に麻痺させた。
世界大戦という、最大の「日常の破壊者」。
これを見過ごして、あの平和な廃研究所に帰ることはできない。自分は、上条が背負い込んだ理不尽の裏側を、舞台の裏側から掃除しなければならないのだ。
瀬川空の虚ろな瞳に、かつてないほど冷たく、そして熱い決意の炎が宿る。
彼は、戦火が広がるロシアの雪原へと向けて、一人静かに、そして確実に歩みを進め始めた。