「……スバル。本当にどうしたのよ」
衛宮邸居間。
温かな食卓の只中にスバルは死に戻ってきた。
理解のできない死に呆然とするスバルを、ベアトリスたちが心配そうにのぞき込む。
「……だ、大丈夫。寝起きでぼーっとしてただけだ」
脂汗を拭い、スバルは皆に笑顔を返す。
その言葉に安心して食事に戻る面々の中、隣のベアトリスはじっとスバルの顔を見て、
「……何かあったならちゃんと言うかしら」
机の下で手を握ってくれた。英霊となってからもスバルを信じ支えてくれる、頼りになるパートナーだ。
「──ありがと、本当に助かってる。何かはあったんだけど、上手くまとまらねぇ。……ちょっと考える」
スバルたちは、民間人から魔力を奪っているキャスターが柳洞寺にいると踏んで、柳洞寺の人間である一成に聞き込みを敢行した。
一成に令呪は無く、マスターではなかった筈だ。だというのに、脈絡なくスバルを刺した一成は、自らも自刃により倒れた──、
「待て。本当に『脈絡なく』か? 何か俺が地雷を踏んだんじゃ……?」
一成がスバルを刺す際、何の話をしていたか思い起こしてみる。
『では、その寺にいらっしゃるという女性のことを伺っても?』
『いいでしょう。──しかし特に語ることもない。見慣れない女とは言ったが、彼女は真っ当な客人だ。一度しか話した事は無いのだが、宗一郎兄のお相手というだけあって根が善良と見える──』
「……そうだ、柳洞寺の客人の女。そいつについて聞いたらイッセイは刺してきたんだ。その女がキャスターで間違いない……!」
一成がキャスターの味方だったのか、それともキャスターから何か洗脳まがいの事をされているのかは分からないが、今の柳洞寺がその『見慣れない女』のせいでまともな状態では無いのは確実と言える。
「結局マスターが誰かは突き止められなかったが、詮索したら刺されるんじゃあ、実際に自分の目で確かめるしかない」
そうと決まれば、と食事を終えたスバルは食器を持って立ち上がる。既に民間人に被害が出ている状況だ、動き出すのに早すぎるなどという事は無い。
何事かと見上げてくる士郎へ片目を瞑り、スバルは告げた。
「シロウ、ベア子、柳洞寺にお参りに行こうぜ。聖杯戦争が平和に締結することを願って、さ」
冬木市深山町の外れにある山、円蔵山。その中腹に柳洞寺は立っていた。
そこへ続く長い長い石階段を、スバルとベアトリス、士郎の三人は登っていく。
「正直イリヤにだいぶ止められたから日和ってるとこはあるんだが……」
キャスターの根城である柳洞寺へ直接赴き、マスターを見つけるなりして民間人の魂喰いをやめさせる。そうスバルが言った時、イリヤは強く止めた。
『やめた方がいいわ。魔術師にとって自身の工房は絶対の領域、そこへ飛び込んで勝ち目なんて無い。みすみす胃袋の中に飛び込むようなものよ』
士郎の投影魔術にも一家言あったイリヤは、どうやら魔術に詳しいらしい。そんなイリヤが強く止めた柳洞寺への実地調査、決行するのは危険と思えるが……、
「うーん、発案しといてなんだけど、やめとくか……? ただ、聞き込みは即死、実地調査も無理ってなるとキャスターには手出しできないって結論になっちまうが」
「でもここにいるキャスターは昏睡事件の犯人なんだろ。じゃあ放っておく訳にはいかない」
「シロウ……。そりゃそうだ、覚悟決めるか!」
「スバルがそうと決めたならついていくのよ。ベティーが必ず守ってみせるかしら」
頼もしい仲間たちの声に、スバルは気合いを込めて石階段を踏み越えていく。
その頂上、年季の入った山門が見えてきたところで──立ち止まる。スバルだけでなく、士郎とベアトリスも気付いたようで、三人がその場で動きを止め、その山門を見た。
否、厳密には山門でなく、その前に立ちふさがる一人の男を、だ。
「──侍」
士郎の呟きはその男の風貌を端的に表していた。長い髪を頭上で束ね、着物に陣羽織を身に着け、1.5メートル程もある長刀を手にしている。日中の森の中、木陰越しの日に照らされた時代錯誤な立ち姿。その身は侍のサーヴァントに他なるまい。
しかしここに二つの不可解がある。
一つは何故侍がここにいるのか。この柳洞寺はキャスターの根城という話だった筈で、そしてキャスターというのは魔術師のクラスの筈だ。ここに侍がいるのは事前の前提と食い違う。
「あいつがキャスターで、魔法剣士って激熱ジョブの可能性も無くはないが……」
二つ目の不可解。その男には、英霊として持っているべき魔力の圧が無かった。
サーヴァントとは英雄英傑であり、これまで相対した者はおしなべて相応の威圧感を放っていた。それをこの男からは感じない。あまりに弱々しく儚い存在、言ってしまうならこのナツキ・スバルより貧弱な英霊に違いなかった。
「って、侮るほど身の程知らずじゃねぇけど」
スバル程度の感知など当てになるものか。今確かな事実は侍がスバルたちの前に堂々と立ち塞がっているということだ。
相手の素性と思惑を探ろうと、スバルは階段を登りつつ気さくに手を上げる。
「どーも、お侍さん。俺たちお参りに来たんだけど、そこ通っていいか?」
「そうか、殊勝な事だ。平時であれば当然通したいところだが……生憎と今は雇われの身でな」
「雇われ……?」
「然り。かの女狐に召喚され、ここの門番を押し付けられている。──お前のようなサーヴァントを通さぬように、とな」
「「──っ!」」
思わず顔を強張らせ立ち止まるスバル。それより上段へ、ベアトリスと士郎がスバルを庇うように前へ出た。
飄々とした顔で自らが敵だと言ってみせた男に、ベアトリスが口を開く。
「お前、
「如何にも。──アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎」
名乗ることが剣士の誉とでも言うように男はクラスと真名を口にした。
──佐々木小次郎。秘剣『燕返し』を編み出し、岩流を名乗ったとされる剣客。
その出自には不明な点が多いが、巌流島にて剣豪・宮本武蔵と戦った、武蔵の好敵手として語られる剣士だ。
その剣客が、今目の前に立ちはだかる。静かに研ぎ澄まされた眼でこちらを見下ろしている。
スバルはその眼を睨み返し、
「女狐ってのはあんたのマスターか。そんで二人してキャスターに味方してる、と。──キャスターがどんな所業をしてるか知った上でそんなことしてんのかよ」
「ああ、いや。あれなるキャスターが我が召喚者よ。故に奴が如何なる外道働きをしていようと、私には止める術がないのだ」
「キャスターが、召喚者……!? サーヴァントがマスターって、そんなことがあり得るのか……!?」
「……サーヴァントは魔術師が召喚するもの。キャスターは魔術師だから当然サーヴァントが召喚できる。そういう事なのよ?」
「そのようだが、そんな理屈を気にする必要はない。お前たちにとって大切なのは──ここを通りたくば、この門番を突破せねばならぬという事だけだ」
言って、笑みを浮かべるアサシン。変わらず何の魔力も感じないその佇まいは、故に底が知れず恐ろしい。
もはや戦うしかないのか、と観念しかけたスバルだが、士郎がそこに割って入る。
「……待て、アサシン。あんたがキャスターに無理矢理従わされてるんなら、その契約を破棄できるかもしれない」
「──そうか、セッシーの『邪剣』……!」
新都決戦で士郎が投影した『邪剣』ムラサメは契約を斬ることのできる刀。それをもしまた投影できるのなら、このアサシンをキャスターの呪縛から解き放つことも可能だろう。投影後、士郎の神経がボロボロだった事の懸念はあるが、サーヴァント一騎と和解できるとなれば士郎が使用を躊躇わないことなど、とうに分かってしまっている。
「ふむ、あの女狐に一泡吹かせられるのは愉快かもしれんが──無用な気遣いだ」
しかしアサシンは目を伏せ、その申し出を断る。
「キャスターに不満は募っているがな。……私としては、一介の刀振りとして機会に恵まれるのであれば、それ以上に望むものなどありはしない」
「ぐ……」
和解は決裂した。こうしてサーヴァントと戦うこと自体が目的だとアサシンが言うのなら、それを止めさせる手段など実力行使以外にありはしない。
「……じゃあ望み通り押し通らせてもらおうじゃねぇか! ベアトリス!」
「いつでも行けるかしら!」
スバルとベアトリスは山門へ向けて一直線に駆け出した。
当然門番たるアサシンがそれを許す筈もない。
「ふ──」
アサシンが刀を振るう。微塵の揺らぎも無い研ぎ澄まされた一閃。
その五尺の長刀がスバルの体を真っ二つにする軌道で襲い掛かる──!
──瞬間、その名を叫ぶ。
「────"E・M・M"!!」「なのよ!」
「なに──!?」
確実にスバルを捉えた筈の刀は、しかし一切の手応え無くその場を通過した。
飄々とした顔のアサシンに、初めて動揺の色が滲む。
──絶対防御魔法『E・M・M』。世界から半歩だけその存在を『ずらす』ことにより外部からの干渉を完全に無効化する、スバルとベアトリスの完全オリジナル魔法である。
この『E・M・M』でアサシンの初撃を躱し、走り抜けて寺内部を捜索する。その思惑通りにアサシンの刃をすり抜けることに成功した。
「シロウ、待っててくれ! 俺たちが寺を調査して──」
くるから、と。そう言いながら階段を登る、その瞬間。
「────秘剣」
スバルが石階段へ一歩を踏み込むのと、剣士の言葉は完全に同時だった。
「────燕返し」
一、二、──三閃。
微塵のズレも無く同時に放たれた三つの斬撃がスバルを蹂躙した。
ジャージは裂け、石階段と落ち葉には真っ赤な鮮血が散る。
「がっ──!?」
立っているだけの筋力を失った体は、石階段へ勢い良く倒れて血をぶち撒ける。
直角の階段は目に、鳩尾に刺さり、死に体のスバルへ追い打ちをかけた。
「す、スバルっ──!」
「驚いたぞ小僧。いやはや、まさか死して影法師となってなお、この刀では捉えられぬ相手に巡り合おうとは」
落ち着き払いながらも、内なる興奮を隠せない様子でアサシンは言う。
目の前ではベアトリスが膝をつきスバルへ治癒魔法をかけているが、特段それを咎めることもなく続けた。
「だが、斬れぬ間お前は身じろぎ一つしなかった。動かぬ間だけ斬られぬといった制約の妖術と見て、頃合いを見て刀を振ってみたのだが……図星だったようだ」
アサシンの読みは当たっている。確かに『E・M・M』には使用中スバルが動けないという欠点があった。だが、この剣士は初見の数秒に満たない発動中にそれを見抜き、返す刀でそれを潰してみせたのか。
驚くべきは、アサシン佐々木小次郎の研ぎ澄まされた眼と太刀筋──。
「なに。斬れぬものを斬る、それだけに執心した生涯だったものでな」
そう言って、スバルの血で真っ赤に染まった刀を振るアサシン。
そんな剣士は倒れ伏すスバルを見下ろし、
「ふむ、傷が深いか。望むのなら介錯をしてやるが」
「や、やめるかしら! スバルはベティーが助けるのよ!」
「スバル! しっかりしろ、スバル!」
「小僧、私はお前に聞いている。そのままでは苦しかろう。私とて戦士を痛めつける趣味は持ち合わせていない」
アサシンの言う通り、スバル自身最早この傷では助からないと分かっていた。一刻も早く、この真剣に肉を分断された痛みを、肉が外気に晒される痛みを止めて欲しいと、そう思う。──そう、思うが。
「……いらない……! 二人を、悲しませるっ……!」
痛いし苦しい、もうどうにもならない。
……それでも、諦めたスバルを二人に見せたくない。
そんなスバルに悲しむ二人の顔を、見たくない。
だからスバルは、痛いのも苦しいのも噛み潰して、涙混じりにアサシンの申し出を断った。
「──良い眼だ。出会うのがこの場だったのが惜しい。……小僧が直接あの女狐に相対していれば、或いは違う結末があったやもしれぬな。あれこそ知らぬ
アサシンはそう、あり得たかもしれない可能性の話をする。既に手遅れのスバルにそれを言うのは、決して悪い意図のあるものではないだろう。歯車が違えばスバルにも勝ち目があっただろう、という戦士への賞賛だ。だから──、
「……冥土の、土産。ありがとう、よ……! 貰って、いくぜ……!」
だからスバルはありがたく受け取る。肉を切り付けられた痛みと、それが僅かに癒される痒みと、体温を奪われ指先から凍えていく寒さと、全部を記憶に刻み付けて、持っていく。
「──スバル──」「──バル! ベティーを置いていかな──」
持って、逝く。
「美味しい。サクラ、なかなかの腕前ね」
「ありがとうございます。おかわりもありますから遠慮しないでくださいね」
「やっぱりこの箸の使い方は慣れんのよ。ぐぬぬ、かしら──スバル?」
「…………」
箸の使い方に四苦八苦するベアトリス、その手をスバルは包み込む。
「もう、どうしたのよ。ベティーが恋しくなっちゃったかしら」
「──そうなんだ。ベア子が箸と戦ってる姿が可愛すぎてつい、な」
「なんか馬鹿にされてる気がするのよ」
「そんなことねぇよ。愛してる、ベア子」
「──そう。それなら許してやるかしら」
スバルに本当に茶化す意図が無いのが分かった様子で、ベアトリスは黙ってその手を握り返した。その手の温もりで、スバルは死の衝撃を和らげ、冷静さを取り戻していく。
「──しかし、どうするか。聞き込みしたらイッセイに殺される。自分の足で実地に言ったらアサシンに殺される。さしずめ魔女を守る二人の暗殺者ってとこか。……あれ、マジでどうしたらいいんだ?」
スバルは一人、思考の海へ沈んでゆく。
キャスターへの糸口が現状一成と寺の二通りしかない以上、どちらかに突破口を見出さなければならない。
「まずイッセイが敵なのかってことだ。マスターじゃないイッセイがキャスターを庇ってるってことは、グルなのか、或いは洗脳されてるのか……」
一成は士郎が信用する友人だ、正気で人を刺すような真似をするとは思いたくないが……。
「でもシロウ、シンジとも友達なんだよなー。その交友関係に疑念を持ちたくもなる」
つい先日、士郎の友人が大やらかしをした直後だ。
「って、別にイッセイがキャスターとグルでも洗脳されてても、どっちでも変わらねえか。俺には洗脳を解く手段なんか無い訳だし──、……いや、待てよ」
スバルに一つの妙案が浮かぶ。一成の状態によっては、突破口が見えるかもしれない。スバルはこの天啓が実行可能なものか確認すべく、この場唯一の魔術師へ声をかけた。
「イリヤ、魔術で人を思い通りに操ったりってできるか? 具体的には……関係者に『術者に探りを入れた相手を殺す』って洗脳か何かをかけたりとか」」
「出来るわ、支配の魔術ね。セイバーにも身近なところで言えば、シロウの手にあるセイバーへの絶対命令権である令呪も、マキリ──間桐の支配の魔術よ」
「マトウ……、シンジの家の魔術なのか。その支配の魔術って、キャスターも使える?」
「愚門だわ。キャスターは高名な魔術師として座に刻まれた英雄が召喚されるクラスなのよ。仮に支配の魔術を知らなくても、自身のマスターの令呪を解析して再現することは容易でしょうね」
「そっか、ありがとう。……やっぱりイッセイはキャスターに操られてる可能性が高い。なら、それを解除する手段はある。シロウが示してくれた方法が──!」
「?」
喜び勇んで食卓から立ち上がるスバルに、何も分かっていない士郎が首を傾げた。
無人の廊下をナツミ・シュバルツと士郎、それにベアトリスの三人が早足で歩いていく。一周目と同じように大河を経由して一成と会う約束を取り付けた一行は、休校中の穂群原の校舎へ来ていた。
「ベアトリスを学校へ連れてくるのは目立つんじゃないか。せめて霊体化させておくとか」
「霊体化後の実体化は魔力消費が激しいという話なのよ。まだ魔力の貯蔵が心許ないから、節約は肝要かしら」
「人目なら大丈夫ですわ、この時間にここを誰も通らない事は分かっていますの」
そう、この月曜日の一周目、ナツミはシロウと生徒会室へ赴いたが、道中では誰とも会うことが無かった。衆目を集めること必至の超絶プリティ精霊ベアトリスであろうと、無人の校舎なら問題なく連れ歩ける。
生徒会室にいる一成と葛木先生には見られてしまうが、一周目の反応を見る限り、休校中ということで二人共寛容そうだ。
「じゃあスバルが女装する意味も無いんじゃないか?」
「生徒会室に着きましたわよ」
「…………」
士郎の視線を受け流しつつ、生徒会室の扉をノック。入室すれば、一周目の記憶の通りに、柳洞一成と葛木先生がそこにいた。
一成はナツミたちを見ると、
「来たか衛宮、と……? まぁいい、藤村先生から話は聞いている。──葛木先生、申し訳ありません。衛宮に備品の整備をお願いしておりまして」
「む、そうか。邪魔をしたな」
葛木先生はそう答えると士郎の横を通り生徒会室を出ようとする。が、ちらとナツミとベアトリスを一瞥すると──そのまま、出ていった。
「む、今回は何も言われませんでしたわね。わたくしのメイク練度が上がったのか、或いはベアトリスの愛らしさに言葉を失ってしまったのでしょうか」
「確かにベティーの愛らしさは世界を越えても変わらない輝きを放っているのよ」
自己評価の高いお嬢様二人を怪訝な顔で観察する一成は、士郎へ向き直る。
「して衛宮、ストーブの修理は既に終わっている筈だな。此度はまた何用で来たのだ」
「ああ、話を合わせてもらって悪いな。実は、このス──ナツミが一成に用があるらしいんだよ」
「ふむ? 見ない顔だな。いや待て、黒髪の令嬢……まさか衛宮とただならぬ関係と噂の──」
「噂は存じ上げませんが、わたくし、イッセイさんに折り入ってご相談がありまして。実は近頃柳洞寺付近でお侍の霊を見ましてですね──」
ナツミが口八丁で一成の気を引く。その隙に士郎は手筈通りに一成の背後へ一歩下がり、
「────
目を閉じ、集中。あの剣を手元へ投影すべく回路へ魔力を回す。
……意外にもその設計図は元から頭の中にあった。まるで一度作り上げたことで士郎の内に貯蔵でもされていたかのように、するするとその基本骨子が構成材質が制作技術が手元で再現されていく──。
「────『邪剣』ムラサメ」
『邪剣』ムラサメ。赫色の黒刀は、再び衛宮士郎を担い手としてここに顕現した。
「「────っ」」
ナツミとベアトリスは目の前の光景に思わず息を呑む。士郎の研ぎ澄まされた一意専心の投影魔術は、一刀に命を吹き込む刀鍛冶の仕事を想起させた。
「む、如何されたか」
「あ──ああ、いえ。それでですわね──」
ナツミは気を取り直して一成に話を続ける。士郎はそれを確認すると一成の背へ『邪剣』を大きく振りかぶった。
但し間違えてはならない。この刀は決して一成の命を断ちはしない。断つのは──。
「一成を縛る契約、その『芯』を断つ──!」
刀が振り下ろされる。……傍目には、ただ士郎が刀を素振りしたようにしか見えない。
ナツミにも一成の様子が変わった様には見られなかった。だが士郎ならばきっとやってみせただろう、と。ナツミは意を決して、
「イッセイさん。ところで──」
その話題を切り出す。
見えている地雷、即死トラップを踏み抜く。
「──柳洞寺に最近住まれているという、女性の事をお伺いしても?」
……ナツミの額に汗が流れ、化粧が少し滲む。
一周目に刺された腹の痛み、無表情の一成の顔が浮かぶのを振り払い、相手の返事を待った。
ほんの数秒、けれどナツミにとってはあまりにも長い時間が過ぎ。
一成が口を開いた。
「はあ、どこでそれを? ──いや、しかし特に語ることもない。彼女は宗一郎兄の許嫁、真っ当な客人だ。俺も一度しか話したことは無いが、あなたの気にする霊障とは関わりがないでしょう」
「……そう、ですのね」
ナイフは……来ない。
前回と同じ質問をしても殺されない。ナツミは一周目の死を乗り越えたのだ。
──『邪剣』ムラサメは契約を断てる刀。であれば一成を縛っていると推測される支配の魔術という契約も断てるのではないかとスバルは考えたのだ。結果は的中、一成はキャスターから呪縛を受けていたこと、そしてそれを『邪剣』で断ち切れることが明らかとなった。
「これで、地雷を気にすることなく聞き込みが出来ますわ……!」
一つの壁を越えて意気込むナツミだったが、はっと我に返り、
「って、そうでしたわ。ベア子! シロウの治療を──」
そう、ベアトリスを連れてきたのは、この『邪剣』を投影する作戦が士郎の体に多大な負荷を与えると分かっていたからだ。ベアトリスには一刻も早く士郎に治癒魔法をかけてほしいのだが──、
「……不要なのよ。驚きかしら。あいつ、もう魔剣の投影に身体が順応しているのよ」
「え……怪我してないってことですの? シロウは以後魔剣を使い放題だと?」
「魔力と集中力の問題があるからそう連発はできない……と思うかしら。でももう『邪剣』はあいつの一部になっているようなのよ」
「シロウの、一部に……?」
ベアトリスの不可解な発言に眉を
当の士郎本人は、『邪剣』を背に隠しながら一成に話しかけていた。
「一成、宗一郎兄ってのは? お前の兄貴って零観さんだけじゃないのか」
「……む? ああ、すまん。そういえば衛宮には言ったことが無かったか」
士郎の体調とその能力に気を取られ、一成の供述に集中できていなかったナツミ。
けれどそんなナツミすら聞き捨てならない台詞を一成は口にした。
「──宗一郎とは葛木先生の事だ。先生は三年程前からうちに居候しているのでな」
「……なんですって?」
ここに来て柳洞寺の関係者、すなわち容疑者が増える。しかもそれは部外者であるナツミすら知る名前だった。
葛木先生。それは生徒会室へ来た時にすれ違っているあの教師の名ではなかったか。
「ちょっと待った。それどういう事だ」
「どういう事も何も無い。宗一郎兄は柳洞寺に住んでいる。そこの黒髪の御令嬢が気にしておられる女はその宗一郎兄の婚約者で、宿を貸している。ただそれだけの話だ」
「──葛木が、柳洞寺に住んでいる……!?」
結局、一成は許嫁の女──キャスターについて何も知らなかった。一度挨拶を受けたきり顔を合わせることも無かったそうだ。……その実、キャスターについて探る者を抹殺する罠にされていた訳だが。
一成と別れ、階段の踊り場でナツミたちは顔を突き合わせて先程判明した新たな事実について話す。
柳洞寺に居候する男、葛木宗一郎──。
「あの先生も関係者じゃありませんの……! 彼もキャスターの呪縛を受けている……いや、キャスターとの婚約関係を騙っているというのなら或いは──」
「葛木がキャスターのマスター。その可能性もあるってことか」
「ならむしろチャンスと言えるかしら。お前が『邪剣』でその教師にかかった契約を斬ればいいのよ。教師がキャスターに呪縛を受けていれば解除して話が聞ける。加えてもしキャスターのマスターだったとすれば、それでキャスターとの主従契約を断ち切れる筈かしら」
「そうだな。ありがとうベアトリス、それで行こう」
「そ、そんな殊勝な態度を取ったところで、好感度はちょっとしか上がらないのよ!」
「ちょっとは上がるのか……」
「しかしその『邪剣』、契約だらけの魔術師戦においてはとんだチートアイテムですわね。あのセッシーがこの刀を上手く使いこなせていたのかは甚だ疑問ですけれど」
対キャスターへの光明が見えてきたナツミは、つい軽口を漏らす。
『邪剣』は対キャスターアイテムとして大活躍し、それを投影した士郎にも特に悪影響は見られない。何一つ為せずに一成やアサシンに殺されたこれまでの周回から見れば破格の躍進だった。
「よし、では手順は先程と同様に。わたくしがクズキ先生を廊下に呼び出して気を引きますから、シロウは『邪剣』でクズキ先生にかけられた契約を斬ってくださいませ。──クズキ先生がイッセイと同じ被害者か、或いはマスター自身なのか。キャスターへの足掛かりを掴みますわよ!」
「ああ!」「かしら!」
かくして葛木先生を『邪剣』で斬る作戦は順調に実行に移された。
職員室にいた葛木先生をナツミは流れるように所定の位置へ誘導する。
「クズキ先生、わたくしリュウドウさんから言伝を預かっていまして。兄のレイカンさんの事らしいのですが──」
「そうか、聞こう」
廊下にて葛木先生の気を引くナツミ。その背後から静かに迫った士郎は、一成の時と同じように『邪剣』を振り下ろす。
……刀を振った先に、葛木宗一郎の姿はなかった。
「「────!?」」
代わりに背後からかけられる声。
「──いきなり真剣とは穏やかではないな、衛宮」
背後から『邪剣』を握る手首を押さえつけられていた。
誰が押さえつけているかなど、考えるまでもない。
「く、葛──」
瞬間、脇腹を打たれ、士郎が横跳びに吹っ飛んだ。受け身も取れず壁に叩きつけられた士郎は声にならない断末魔をあげ、体内の呼吸を吐き出す。
そこへ葛木が人知を超えた速度で踏み込み、未だ着地もしていない士郎の顔面へとその右腕を叩き込んだ──!
コンクリートの壁が、耳を
「────」
葛木の姿が消えてからここまでが、瞬き程の一瞬の出来事である。ナツミはあまりの早業に、未だ警戒の体勢すらとれていない。
……葛木が士郎の頭から手を引き抜く。否、──士郎の首から上の、真っ赤に染まったコンクリートから、手を引き抜いた。そこにはもう、士郎の頭は存在していない。
「──は?」
間の抜けた声をあげるナツミならぬスバル。
一方陰で待機していたベアトリスは飛び出しながら手を掲げ、魔法による迎撃を図る。
葛木がベアトリスへその眼光を向けた。
「く、──シャマっ」
轟音と共に少女の顎から上が消し飛んだ。束ねられていたマナが、彼女の体が、光の塵となって消えていく。
ベアトリスがいたその場には、葛木の漆黒の脚だけが残った。
「今のが魔術か。『起こり』を潰してしまえばどうという事は無いな」
「べ──べあ、と、り──かはッ!?」
一歩も動けぬままに大切な存在を二人見殺しにしたスバル、その首元に蛇の如く這い唸る腕が噛みついた。
音を立てて首に食い込む指、そのままスバルの体はその片腕で持ち上げられる。
「──ぉぐ、て、てめ──」
「お前は判断を二つ誤った。一つは私に武力でかかったこと。いの一番に魔術を行使すれば門外漢の私に通用したやもしれんがな」
「──あれ、は、攻、撃っ、じゃな──」
士郎の『邪剣』は攻撃ではなく、葛木にかかっているであろうキャスターの呪縛を解くための手段だったが──もはやその誤解を解いても全ては手遅れだ。既に士郎もベアトリスもこの男の毒牙にかかった後なのだから。
「二つ目は悪目立ちしたこと。見るからにサーヴァントと思しき小娘を連れて現れ、果ては変装で素性を偽った男が一人で私の気を引く。標的に警戒を促すばかりの下策と言わざるを得ん」
「──ど、ぉして。──変装──、だと」
「確かに目を見張る変装技術だが。ただ、骨格と筋肉の性差を隠すのに穂群原の制服は些か心許ないな。もっと丈が長く装飾過多な服装にするべきだ。──もっとも、制服での潜入が必須だった以上どうしようもなかった点なのだろうが」
「……人体にお詳し、んだなっ。保健の先生、か」
「なに、人体を効率良く壊すのに必要な知識だ」
「──そ、かよ。地獄に、堕ち、ろ。クソ、やろ──」
捨て台詞は聞き終えたとばかりに、スバルの首にかかった手には万力のような力が込められ。
小気味の良い骨の砕ける音が、首元で、響いた──。
「美味しい。サクラ、なかなかの腕前ね」
「ありがとうございます。おかわりもありますから遠慮しないでくださいね」
「やっぱりこの箸の使い方は慣れんのよ。ぐぬぬ、かしら」
「あら、ベアトリスちゃん。フォークもあるわよ?」
「でもスバルの故郷の文化なら、ベティーも使えるようになっておきたいのよ」
「…………」
「──スバル? どうかしたかしら?」
「スバル──?」
「な、ナツキさん。大丈夫ですか……?」
「──三人目の、暗殺者……」
探りを入れるものを抹殺する、柳洞一成。
柳洞寺の門番、アサシン佐々木小次郎。
──そして徒手空拳で三人を瞬殺した異常、葛木宗一郎。
三人の暗殺者により守られた堅牢なるキャスターの砦が、スバルの前に立ちはだかっていた。