「とうとう着いたみたいだな」
「ここが、ピュエリ鉱山ですか」
春も終わりに近づくころ。
自分はシルフの隣を歩きながら、鉱山周辺を散策していました。
「あれが山ですか?」
「まあ、自然の山には見えんな」
それを山と呼ぶには、あまりにも人間の手が入りすぎていました。
剥き出しの岩肌には無数の坑道が穿たれ、斜面を縫うように鉄路と搬送設備が延びており。
山腹には黒い穴がいくつも口を開け、その一つ一つが、山の内部へ続く暗闇を覗かせていました。
稜線には塹壕が走り、岩陰には砲座が築かれてます。
かつて鉱石を運んだであろう線路は、今や兵員と弾薬を運ぶために使われているみたいでした。
ここでは、山を掘ることも、山を守ることも、同じ人間の営みなのでしょう。
そして今、その山を奪うために、人間同士が殺し合おうとしていました。
今自分やシルフがいるのは、ピュエリ鉱山の麓部分にあたる場所です。
長い旅も終わりを告げて、これからサバト旧政府軍はフラメール軍と合流する予定です。
その中に自分がいることにどのような意味を持つかを考えて、止めました。
坑道へ続く道の両側には、灰色の石造りの家が並んでいました。
窓は閉じられ、戸口には砂袋が積まれています。
軒先に吊るされた洗濯物だけが、風に吹かれてかすかに揺れていていました。
道の先では、鉱石を積むための貨車が、弾薬箱を満載してゆっくりと進んでいるのが見えます。
「かつてこの町を行き交っていた人々は、今どこにいるのでしょうか」
自分の独り言にシルフは答えを考えず、どこか悲しげな瞳のまま視線を前へ戻しました。
『サバト連邦軍が、到着した。一同、敬礼』
両軍の邂逅はフラメールが築いた防衛陣地にて執り行われました。
我々サバト旧政府軍を出迎えてきたのは見覚えのない軍服を着た兵士たちでした。
『我が名はシルフ・ノーヴァ。サバト政府軍の参謀指揮官を務めている』
シルフがフラメール語で話しながらフラメール軍の代表者に近づいていきました。
フラメール軍には疑念と動揺が渦巻いているようでした。
しかし、それは仕方のないことではありました。
年齢が二十にも満たない金髪碧眼の少女が、あのオースティン軍に白星を挙げたことを信じられる兵士は多くはありません。
『噂はかねがね聞いておりますよ。シルフ攻勢の考案者にして、塹壕の魔女』
そう言って現れたのは老獪そうな笑みを浮かべ、紺色の礼服を纏った老人でした。
『私はジュール・ヴァルラン少将。フラメール軍西方司令部の司令官を務めております』
その老人の雰囲気としては軍人というよりも、政治家を思わせる眼光をしていました。
白髪で髪もほとんど抜け落ちているにも関わらず、その眼光はどこまでも黒かったです。
……掴みどころの無いその雰囲気は、ベルン・ヴァロウに似ていてあまり好きではありません。
『サバトにとってもフラメールにとっても、オースティンは憎き敵でしょう』
その老人はシルフに手を差し出しました。
『貴女を歓迎しますぞ。新たなる両国の架け橋として』
シルフは差し出された手を握って、
『ああ、よろしく頼む』
両国は手を取り合ったのでした。
その後、シルフは合流に伴う調整や指揮系統の確認をするために司令部に呼び出されました。
かくいう自分もシルフの副官として同席することを認められました。
ちなみにフラメール語については、実は少し前からシルフから教えられていました。
その成果もあって読み書きはできませんが、日常会話程度ならできるようにはなりました。
『こちらへどうぞ』
出迎えてくれたのはフラメール軍の女性でした。
おそらく先程の少将の副官である彼女に連れられて、自分たちは司令部の天幕を潜りました。
『さてと、始めるとしましょうかね』
自分とシルフは座ることを促されて、椅子に腰掛けました。
そこには多くの参謀将校たちが大きなテーブルを囲ってこちらを見ています。
『手始めに合流に伴う調整や指揮系統を───』
『その必要は無い』
ジュール少将の言葉を遮ったのは紛れもなく、シルフでした。
司令部内がピリつくのを肌で感じました。
『……シルフ殿。それはどのような意味で?』
『どうもこうも言葉通りだ』
そう言ってシルフは立ち上がると、自信満々で大胆不敵な笑みを浮かべて。
『────私に軍の全権を預ければ、オースティンを壊滅させてやる』
司令部内に爆弾を落としたのでした。
「何であんなこと言ってしまったのですか?」
「今後のためだ」
自分とシルフは司令部から追い出されて、外を歩いていました。
あの爆弾発言の後、予想通りというか当たり前というか、シルフの妄言は却下されました。
いきなりやってきた外様の、それも祖国の内乱で敗走してきた参謀少女の言う事など、信用されるはずもないでしょう。
という訳で自分たちサバト旧政府軍は連合に付き従う一部隊として追従する事になりました。
「今後のため。……むしろ舐められていませんでしたか?」
「そりゃあそうだろうな。だが、私の見た目と敗残兵の指揮官という立場だと何を言っても変わらん」
振り返ったシルフの瞳には野望の灯火が宿ってました。
「だから今後、私が自らの価値を示した時に、要求が通りやすくなるように布石を打ったんだ」
……なるほど、確かにそういう意図があれば有効な一手かもしれません。
「政治的手腕が無いとボヤいていた割には随分と大胆な一手を打ちましたね」
「……政治的手腕が無いこそだ。政治ができればこんな真似せず、司令部に取り入る方が合理的だ」
そう言って、シルフは何とも言えない表情のまま歩き出したのでした。
「エライアさん。消毒液はどこに置けばよろしいでしょうか?」
「そこの棚の上に置いておいてくれ」
現在自分は衛生部で、サバト軍の衛生物資を整えていました。
フラメールは羨ましいことに物資が潤沢でした。
なのでサバト軍の衛生部が現在補給を受けている最中です。
「包帯や縫合用の糸もここまで揃っているのは有難いですね」
「ああ、その通りだな。……もっと早く欲しかったくらいだ」
ですが、あまりにも大量な物資だったので衛生兵としての経験のある自分も手伝うことなりました。
こうやって衛生部で働いていると衛生小隊を率いてた頃が懐かしく思えます。
というか最初は衛生兵として従軍したにも関わらず、今ではほとんど最前線です。
……いや、ガーバック小隊にいた頃から変わらず最前線でしたね。
そんな愚痴をついている間にある程度の仕分けは終わりました。
自分は非力なので、大きな荷物を運ぶことはできません。
なので、少し離れた場所でフラメールの輸送兵を見ながら休憩していました。
フラメールがオースティンに宣戦布告したのは北部決戦の頃でしたか。
あの頃の自分にとって、フラメール兵は
今自分は火事場泥棒的にオースティンに侵略してきた敵と、同じ側に立っています。
もう自分はオースティン兵ではないといえ、その違和感は少し残ってました。
その後、自分とシルフはもう一度司令部に呼び出されました。
『……であるからして、ピュエリ鉱山は我が軍にとって重要な鉄資源の供給源であり──』
どうやらピュエリ鉱山の重要性や概要について、サバト側にも共有してくれるようでした。
オースティンが鉱山を奪えば、フラメールの軍需生産を弱体化させ、戦争を有利に進められます。
ならば、オースティン軍がここを制圧しようとするのは理にかなっています。
……いえ、そもそもオースティンは、戦争を終わらせるために戦っているのでしょうか。
それとも、勝利するために戦争を続けているのでしょうか。
『ジュール少将殿。政府からの報告書です』
そんなことを考えていると、若い通信兵が会議中に入ってきました。
『うむ、ご苦労。下がって良い』
『し、失礼します』
通信兵は少将に報告書を渡したら脱兎のごとく飛び出して行きました。
『……はぁ、やはり駄目だったか』
『その報告書は何だ?』
シルフが怪しがって、尋ねてみると。
『停戦交渉の結果ですよ。ここのところ毎日行ってるのですが』
『失敗しているのか』
ジュール少将はため息混じり頷きながらその内容をこちらにも見せてくれました。
正直に言ってこの時の自分は、フラメールが強情なのだと信じ切っていました。
かつてのサバト旧政府高官のように無茶な講和内容でも書き連ねているのだろうと。
『……これは』
しかしどこを取ってもまともな講和内容でした。
割譲する領土、賠償金、不可侵条約、まともどころかオースティン側に極めて有利な内容です。
……ありえません。だって、それではまるで。
『オースティンが望んで戦争してるのか?』
自分の考えていたことをシルフがそのまま口に出してしまいました。
『ええ、忌々しいことに。連中は無条件降伏以外認めないという態度です』
つまりオースティンがその気になれば戦争は終わるということです。
ですが、考えてみれば仕方のないことです。
オースティンはあまりにも周辺国から虐げられ続けました。
おそらく現在のオースティンでは、不可侵条約も紙切れ一枚程度にしか見なされないのでしょう。
そうなれば自然と武力による下地が必要になってきます。
ですが、現在のオースティンには兵力も国力も連合軍に全く及びません。
では何故オースティンが有利に戦えているのか。
『……そして現在、オースティンでは連発式の機関銃という兵器が使用されており──』
それは東西戦争でサバトと競い合った軍事技術という大きなアドバンテージがあるからです。
これはどれだけ豊富な資源があってもすぐには埋まらない差でした。
しかしそれはあくまでもこの一瞬に過ぎません。
もし、停戦条約なんて結ぼうものならば連合側は研究開発に勤しむことでしょう。
そうなればオースティンに勝ち目や未来はありません。
だからこそ軍事的に考えて停戦条約を結ばないのを理解はできます。
……理解はしているつもりです。
戦況が突如として動いたのはそれから数日後のことでした。
自分が司令部でサバト軍の再編成を手伝っていた時にそれはやってきました。
最初に異変を告げたのは、前線から戻った通信兵でした。
『敵陣の後方で、煙が確認されました』
作戦卓を囲んでいた将校たちの視線が、一斉に地図から上がります。
『砲撃による火災か?』
『分かりません。ですが、通常の煙とは色が違うと』
『色?』
通信兵は一瞬だけ言葉を探すように逡巡しているように見えました。
『黄色がかった、緑色です』
その表現に、誰かが眉をひそめるのを感じました。
窓の外では、相変わらず鉱山の稜線が朝の光を遮っていました。
削り取られた岩肌と斜面に穿たれた坑道、その下には鉄鉱石を運ぶための線路と、戦闘に備えて掘り返された塹壕が幾重にも走っています。
山はいつもどおりそこにあったのです。
ただ、その山のどこかで、何かが始まっていることは確かでした。
『続けろ』
ジュール少将の声に促され、伝令は報告を再開します。
『煙は低地に広がっています。前線の一部で連絡が途絶え、負傷者の搬送にも支障が出ているとのことです。敵軍は、煙の発生後も進撃を続けています』
作戦卓の周囲に、短い沈黙が落ちました。
砲撃なら、着弾地点と被害状況からおおよその見当がつきます。
煙幕ならば、その目的は視界の遮断にあります。
ただ、今回の報告はそのどちらにもきれいには当てはまらなかったからです。
地図に視線を落とします。
低地、塹壕、坑道へ続く斜面、そして、黄色がかった緑色。
その色を頭の中で反芻したところでようやく、自分は何を疑っているのかを認めました。
───毒ガス。
その可能性を、自分は以前から知らなかったわけではありません。
実際に
敵兵を陣地から追い出し、地形によっては砲撃以上の効果を得ることさえできるでしょう。
合理的でした、あまりにも。だからこそ、理解できてしまいました。
ここで使用すれば、どれほどの損害を与えられるのか。
どの部隊が前進し、どの部隊が足止めされるのか。
敵が態勢を立て直すまでに、どれだけの時間を稼げるのか。
考えれば考えるほど、作戦としての輪郭が明瞭になっていくのを感じました。
そして、その輪郭が明瞭になるほど、別の疑問が浮かび上がったのです。
──そこまでして、まだ戦争を続けるのか、と。
地図から顔を上げました。
そして、サバトはそれを拒絶しました。
その事実を知っていたからこそ、自分は
ですが、今や
敗北を避けるために、勝利を得るために。
そして、その先に何が残るのかを、自分は考えずにはいられなかったのです。