「トゥーちゃん!見て見て、すっごいおっきな雪だるま作ったの!」
「おー、本当に大きな雪だるまですね。セドル君、よく頑張りましたね」
自分はセドル君に連れられてキャンプ場の僻地にある雪捨て場にいました。
その雪だるまの大きさは自分と同じか、少し小さいサイズの物でした。
「トゥーちゃんいなかったから一人で作ったんだよ?」
「それは、ごめんなさいね」
「──なんで助けてくれなかったの?」
「…え?」
気がつけばセドル君の体にはいくつものの血痕が浮かび上がってきました。
それと同時に、雪だるまの後ろから数え切れない程の子供達が押し寄せてきました。
「人殺し」
「消えちゃえ」
「政府軍の悪魔め!」
彼らから放たれた言葉は次第に怨嗟となり、その言葉が自分という存在を芯から縛り付けているようでした。
……これは、ラキャさんの時と同じですね。
夢だと自覚した自分は急き立てられるように意識を覚醒させようとしました。
「トゥーちゃん。逃げるの?」
その言葉だけが脳裏にこびりついたまま、目を開けました。
目を開けた先にあったのは、見知った天井でした。
ここ数日間シルフと共に過ごした輸送車でした。
自分の頭に置かれている氷嚢を退かし、かけられた毛布から出て辺りを見渡すと。
「……起きたか」
泣き腫らした目のままシルフがヴォック酒をちびちびと飲んでいました。
「シルフ。どういう状況か説明してくれませんか?」
「ああ、最初から全て話す」
シルフから今回の事件の顛末を聞きました。
シルフは元々『東方司令部で物資を確保し、後続部隊の補給を維持せよ』という命令を出していたようです。
しかし、ヨゼグラード攻略戦を経た兵士達は残虐な略奪行為に慣れきっていました。
そのため『物資』の事を難民キャンプでの物資も含むと誤解して伝わってしまっていたようです。
その後、先遣隊がキャンプを略奪しているのを見て後続部隊も。
『先遣隊がやっている』
『止める命令は来ていない』
『なら問題ないのだろう』
という心理で連鎖的に誤解が加速してしまいました。
いわば最悪の集団心理ですね。
それで驚きなのですが、自分は丸一日以上寝込んでいたらしいです。
その状態の自分を放置する訳にもいかず、こうして再び輸送車に入れられたみたいです。
……それ以上に驚いたのは。
「ポールランド?」
ポールランドとは、サバトとフラメールの国境沿いにある国。
現在、サバト旧政府軍はそこにいるのだそうです。
「我々はこの国を経由してフラメール・エイリス連合軍に合流するつもりだ」
とどのつまりそれは。
「自分も連合軍と合流するという事ですか?」
「……ああ」
自分がまた、敵国に転がり込むことを意味していました。
「……シルフ。セドル君は見つかりましたか?」
「オセロ村の住民は見つからなかった」
……。
何故目の前の少女はこんなにも堂々としてるのですか。
そう、自分の中の黒い感情が渦を巻き始めていました。
一度それを自覚してしまったらもう駄目でした。
故郷ノエルの仇。ラキャさんの仇。
アレンさんの仇。ロドリー君の仇。
──セドル君の仇。
いつの間にか自分はシルフの胸元を掴んで殴りかかろうとしていました。
「やりたければやればいい」
「お前にはその資格がある」
胸倉を掴まれたシルフは、どこまでも凪いた表情で自分を見つめていました。
あまりにも静かなその顔を前にして、拳だけが宙に取り残され。
振り下ろす理由を、急に見失ってしまいました。
その態度はどこかで見たことがありました。
恨み言を聞いて遺族の感情の矛先になる姿は。
まるで『責任を取る時』のガーバック小隊長のようでした。
「……すみません。少し取り乱しました」
結局自分は胸倉を掴んでいた手を離し、振り上げていた拳をそっと下ろして距離を取りました。
怒りが治まった直後、とてつもない無力感に襲われました。
セドル君が行方不明。生死も不明。
それは自分にとって戦う理由そのものを揺るがす事実でした。
「なぁ、トウリ」
あの傲慢なシルフ・ノーヴァは俯いたままの自分を抱き寄せ。
「前線の兵士達の状況を軽んじて、曖昧な命令を出した私の責任なんだ」
「謝って済む事じゃないのは百も承知だけど」
「ごめんなさい」
叱られた子供のような表情でつつましく謝罪したのでした。
それからしばらく会話は途切れました。
ですが、互いに沈黙を埋めようとはしませんでした。
それは気まずい沈黙ではなく。
言葉がなくても、互いの存在だけは確かに感じられる──そんな静けさでした。
その後も、夜な夜なセドル君や子供達の怨嗟の声が響いてましたが。
何故だかシルフの近くにいる時は少しだけその声が小さくなったので。
寝る時にもシルフの近くにいました。
……そのせいで朝起きたら、何度かシルフの背中からガッチリと手を回してしまっていたので少々気まずかったです。
そういえばロドリー君の荷物にも抱きついてましたっけ。
そんなこんなで数日が経って、我々旧政府軍はとうとうフラメール国内へと到着しました。
我々は道中でフラメールの村落を発見したのでそこを訪ねました。
村に入ってから、誰も口を利きませんでした。
死体が多すぎたのです。
道端に一人。
井戸の脇に二人。
家の中に三人。
その先には、さらに十人。
老人も、女も、子供もいました。
ですが、不思議なことに、銃創が一つもないです。
家屋にも大きな破壊の跡はありませんでした。
扉は開いたままで。
食卓には食べかけのパンが残り、椅子は倒れたままでした。
まるで、村人たちが生活の途中で一斉に倒れたようでした。
「……何があったんだ」
誰かが呟きました。
ですが、答えられる者はいませんでした。
死体を調べていた兵士が、突然顔を上げました。
「参謀殿。こちらへ」
シルフが呼ばれて近づくと、その兵士は一人の死体を指差していました。
「外傷はありません。ただ……」
その遺体は唇が青黒く変色していて。
顔には苦悶の跡が残り、両手の指は喉元を掻きむしったまま硬直していました。
別の死体を見ると。
同じでした。
その隣も。
さらに奥も。
「全員、同じ死に方をしている……?」
そこで、風が吹きました。
鼻の奥を刺すような、奇妙な臭いがしたのです。
腐臭とは違う。火薬とも違う。
薬品のような、青臭い刺激臭。
思わず顔を背けると。
「風上は?」
「……あちらです」
指差した先は、村の外れにある丘でした。
そこから風が村全体へ吹き抜けていました。
そして風上の遥か奥には、オースティン軍の陣地。
誰も言葉を発しませんでした。
しばらくして、自分は地面に何かを見つけました。
それは金属製の容器で、いくつも並べられていました。
その周囲には、目盛りとオースティン語で書かれた記録板があったのです。
日付。風向。風速。気温。
そして、村の名前。
「……これ、は」
記録板を持つ手が震えました。
そこには、この村で倒れた人間の数が記されていたのです。
その横には、別の数字。
風向き。散布時間。濃度。
まるで、人間が何人死ぬのかを測るためにでした。
「実験……?」
そう、自分がふと零してしまいました。
その言葉だけが、死に絶えた村の中に落ち。
誰も否定できませんでした。
これは戦闘ではありません。
オースティン軍はここで、戦争をしていたのではありません。
何かを試していたのでした。
自分はそこで前世の記憶が過ぎりました。
────毒ガス。
毒ガス兵器。それは前世において、国際条約によって固く禁止されていた兵器でした。
生前の自分は、ずっとそのことに疑問を抱いていたのです。
銃や大砲で人を殺すことは許されているのに、なぜガスによる攻撃だけが禁じられるのか。
人を死に至らしめるという点で何が違うのか。
銃はよくて、ガスがダメな理由は何なのか。
────その答えは、村全体に折り重なる無数の死体を見たことで、初めて理解できました。
理由は至極単純です。
ただただ、あまりにも非人道的だったからです。
村には、ガスと吐物で異臭の漂う顔面蒼白な死体がたくさん転がってました。
その殆どが仰向きにひっくり返っていて、その死に方はまるで。
「……害虫駆除だな」
誰もが内心で思っていたことをシルフは、はっきりと断じてしまいました。
その後、旧政府軍はしばしの間この村に滞在することになりました。
「トウリ。ちょっといいか?」
自分はエライアさん達、衛生兵と共に遺体の検分をしていました。
そんな中、自分はシルフに呼び出されました。
「ええ、大丈夫ですが。……何かありましたか?」
「すまないが重要な話だ。あの空き家に来て欲しい」
自分は作業していた手を止め、衛生兵達に礼をしてその場を後にしました。
「この記録板についてだ」
そう言ってシルフは自分が先程拾い上げた目盛りとオースティン語で書かれた記録板を机の上に広げました。
「オースであるお前も読めるだろう?」
「……ええ」
「これは間違いなく実験の記録だ。人体実験のな」
シルフは忌々しそうな表情で記録板を見下ろしていました。
「オースティン軍は気体状の毒物を風に乗せて散布する兵器を開発したのだろうな」
「それは、毒ガスという事ですよね」
「ああ」
なんと、目の前の少女は一目見ただけで毒ガスの核心に迫っていたのです。
それだけではありません。
「じゃあ風向や風速によって効果や範囲も変わる訳だ」
シルフはニヤリと笑みを浮かべながら。
「なら風銃を使えば良い」
「……え?」
あっさりと毒ガスへの『解答』を導き出してしまったのです。
風銃──それは、飛来する手弾を撃ち落とすために用いられる魔法具です。
風銃自体に、本来殺傷能力はありません。強い風を起こすだけの、分類としては防衛用の兵器に過ぎませんでした。
しかし、毒ガスが漂う戦場において、この装備は一変して凄まじい威力を発揮します。
充満する致死性の毒ガスを、そのまま敵陣へと吹き返せるのですから。
それはまさに、ガス攻撃という悪夢に対する、明確な解答でした。
再び自分はこの少女に畏怖を抱いてました。
前世の記憶もなしに、初見である兵器の弱点を即座に言い当ててしまったのですから。
「それで本題に入るが、現在我々はここいる」
シルフは自分のそんな素振りに気づくことなく、地図を広げてペンで書き始めました。
シルフが説明した内容は単純でした。
旧政府軍はサバトの内乱に敗れた敗残部隊です。
そんな部隊が連合軍に合流したとしても、せいぜいこき使われるのは目に見えていました。
なのでシルフは『手土産』を持参するようでした。
その手土産とは。
「戦勝報告だ。白星を上げれば連合軍内でもある程度の影響力は得られるだろう」
実のところ、現在のフラメールはオースティンに連戦連敗でした。
大きな戦いは勿論、局地的な勝利すら収めていません。
「そして、偵察班に調べさせたら次の事がわかった」
この村を南下した先にあるシュテイン村という場所に小規模なオースティン兵が集まっていること。
そのオースティン兵達が大きな金属製の容器を数人がかりで村に運んでいたこと。
「……近隣の村でも、同じ実験を?」
「ああ。三つ確認されている」
シルフは地図上の村を指でなぞり。
「では、実験の条件を変えるとしようか」
「条件を?」
しばらく地図を眺めていました。
やがて、口元がほんの僅かに持ち上がりました。
それは、笑ったというにはあまりにも小さな変化でしたが。
「次の実験場を、戦場に変えるんだ」
その目だけは明らかに愉しんでいました。
「それでだ。トウリ」
しかし、シルフは先程まで浮かべていた笑みを離散させて自分に向き直っていて。
「お前はオースだ。だから帰りたいなら止めん」
それはどこまでも真っ直ぐな瞳でした。
確かに、今の自分ならオースティン軍に落伍兵として帰還する義務があります。
今まではオースティンとサバトの国境付近が封鎖されていましたので帰還は絶望的でした。
しかし、フラメールには現在オースティン軍が駐屯しています。
自分からすれば帰らない理由はないはずなのですが。
「……だがな、トウリ。私はお前を手放したくない」
この時の自分は少々困ってしまいました。
あまりにも愚直に、どこまでも真っ直ぐに本音を吐露したこの少女を前にして。
「……少し考えさせてください」
どこか逃げるように、選択を先延ばしにしてしまいました。