「毒ガスは低所に滞留する。したがって、塹壕内では──」
サバト旧政府軍は、シルフが考案した対毒ガス戦術の訓練を廃村で行っていました。
自分とシルフは訓練の様子を監督し、兵士たちに毒ガス発生時の退避方法や風向きの確認、風銃の扱いなどを指導するのが主な仕事です。
ですが、一通りの訓練が終わってしまうと自分達は特にすることがなくなってしまいました。
そんな中、自分達は村の中央にある既に枯れてしまった井戸に腰をかけていました。
「……暇ですね」
つい本音を零してしまいました。
「あー、そうだな」
シルフも自分の発言に頷くと二人して廃村の家屋を眺めていました。
ヨゼグラード市街地とは対照的に建物は何一つとして壊れておらず。
それなのに人の気配が全くと言っていい程感じられず。
どこまでも不気味でした。
「なあ、トウリ。一つゲームをしないか?」
「ゲーム、ですか?」
そう言うとシルフは立ち上がって、不敵な笑みで振り向きました。
「模擬戦だ」
こうして自分とシルフの戦争が始まりました。
シルフは模擬戦と評しましたが、実際に模擬戦闘を行うのではなく、廃村そのものを巨大なチェス盤として使う指揮官ゲームでした。
例えば、石ころを兵士に見立てたり、木片を防衛陣地に見立てたりします。
イメージ的には人間将棋に近いですね。
「じゃあ、私が防衛側で良いか?」
「構いません」
「兵力は?」
「自分の方が少ない方が面白いでしょう」
そう言って自分とシルフは地面に散らばる
「……お前、そういうところだけ妙に好戦的だよな」
「少ない兵力で勝つ方が、頭を使いますから」
「じゃあ、こっちが三十。そっちが十」
「随分と多いですね」
「なんだ。不満か?」
地面に散らばる
「いえ。シルフが自分に勝たせるつもりがないことは理解しました」
「ふん。最初から勝つ気で来い」
手に抱えきれないほどの石ころを持ちながら、シルフは廃村全体を見渡しました。
その姿は戦場で盤面全体を見渡すのと同じ気配を纏わせており。
自分もそれに釣られるようにして廃村全体を俯瞰して見ました。
シルフはまず、村の中央に
井戸と広場を押さえ、そこから各路地へ対応できるようにする定石的な一手でした。
「中央ですか。分かりやすいですね」
「ああ。分かりやすいからこそ崩しにくいんだ」
「なるほど」
自分は少し考えて。
「では、正面から突撃します」
シルフの支配する中央に兵力を割きました。
「……は?本気か」
「ええ」
「お前らしくない。愚直過ぎる一手だ」
「そうでしょうか」
自分は正面から少数の兵を突っ込ませましたが、当然シルフは迎撃しました。
「右側面から回り込ませましょうか」
そう言って兵士役の石ころを動かしました。
そうしたら自分の部隊の一つが潰されてしまいました。
「終わりか?」
シルフは余裕綽々な笑みを浮かべながらも、どこか退屈さを隠さず不満げでした。
「いえ。今のでシルフの部隊を三分の一動かしました」
「ん?」
「ありがとうございますね」
「……なるほどな」
シルフは先程の退屈さが嘘のように消え去って、好戦的な笑みを浮かべました。
「───トウリ。お前最初から勝つためではなく、私の防衛配置を確認するために正面攻撃をしていたな?」
「あら、バレてしまいましたか」
自分は軽口を叩きつつも残った兵を撤退させました。
「逃げるのか?ここで」
「ええ、ここでです」
「お前はほんとうに逃げるのが好きだな」
「生き残れますからね」
勿論シルフがただ撤退するのを指くわえて待っている筈もなく、追撃を命じました。
ですが自分の兵を村から出させずに、近くの空き家に潜伏させました。
シルフの追撃部隊が村の外まで出て行ったところで。
「……今です」
残った部隊が別の路地から出て、シルフの補給役を模した石を倒しました。
「……」
「補給線を切りました」
「十人しかいないくせに、随分と生意気だな」
「少ないからこそです」
ですがシルフは補給線を切られた事にも動じず、少し思案していました。
「中央を捨てる」
「何故でしょうか?」
「お前が欲しいのは中央じゃない」
シルフは中央の兵を撤退させました。
「────私の兵を村の外に引きずり出すことだろう?」
……。
「……正解です」
「ならば、こちらから餌を撒いといてやろう」
シルフは明らさまに兵力の少ない場所を作りました。
自分はしばらく思案しました。
「罠ですね」
「ああ」
目に見えた罠。しかしシルフがそんな単純な罠を設置するはずがありません。
「では、乗りましょうか」
「……は?」
「罠だと分かっているので」
シルフが明らさまな罠を設置した以上、それを避ける手を打てば誘導されるのがオチです。
「シルフは、自分が『罠だと分かっていても攻撃する』と考えているでしょう」
「……」
「だから、それすらも囮です」
そこでシルフは初めて黙りました。
しばらく互いに黙り込んでいました。
「……じゃあ、どうするつもりだ?」
「何もしません」
「何もしないだと?」
「ええ」
シルフが困惑した表情を浮かべつつも、自分はそこから本当に何もしませんでした。
「それでは勝てんだろ?」
「シルフが勝てないようにするだけです」
「……」
互いに盤面を見続けました。
自分も攻めず、シルフも攻めませんでした。
そうしたら、いつの間にか兵士達が自分達を囲うように集まってきていました。
「……なあ、これいつ終わるんだろうな?」
「さあ……」
外野の言葉を受け流しつつも、自分は動きませんでした。
十分経過、はたまた二十分経過した頃でしょうか。
「トウリ。お前もしかして」
「はい」
「……私を待たせているだけじゃないのか?」
「その通りです」
「なんで暇潰しで暇になっているんだ!!」
周囲の兵士達が吹き出しました。
あまりにも自分の策が本気過ぎて、シルフは癇癪を起こしてしまいました。
「模擬戦ですから」
シルフを宥めつつ、しばらく経った後に彼女は一手だけ動かしました。
「……詰みだな」
「どちらが?」
……。
「引き分けにしましょうか」
「全くもって賛成だ」
自分が地面膝をついた瞬間、糸が解けたように座り込んでしまいました。
「えっ、終わったのか?」
「ああ、終わりだ」
シルフも同様に座り込んだら周りにいた兵士達が駆け寄って来ました。
「お、クソガキ様とオースちゃん。どっちが勝ったんすか?」
「引き分けだ。……というか何だその口の利き方は、処刑されたいのか?」
「でも、どっちも相手の本陣を取ってないよな?」
「だから引き分けなんだ馬鹿」
シルフがその兵士と受け答えしていたら、周りの兵士達が騒がしくなりました。
「どうしましたか?」
「いや。二人とも、暇潰しでやるには怖すぎんだろ」
「ふん。褒め言葉として受け取ってやる」
「自分は褒められてないと思います」
「……あの二人は何をやってたんだ?」
「模擬戦らしい」
「二人だけで?」
「うん」
「どうやって?」
「小石」
「小石?」
「小石」
「……」
そして、残された兵士達の前には。小石、木片、紙切れ、枝が大量に並んでいた。
「……これ、俺達が片付けるのか?」
模擬戦後。自分達は比較的小綺麗な廃屋に入って休憩していました。
「……疲れました」
「戦ってないだろ」
「頭を使いました」
「まあ、それはそうだな」
自分達は互いに横並びに椅子に座っていました。
ここの廃屋は外観だけでなく、室内も整ったまま放置されていて。
持ち主は帰って来ないのに、家自体が持ち主を待ち続けているようでした。
「結局また暇になってしまいましたね」
「全くだ。お前が本気でやり過ぎたからだろ」
「本気で来いと言ったのは誰でしたっけ」
自分は立ち上がって、何か面白そうなものがないか室内を調べ始めました。
暇を潰せて、面白いもの。そんな都合の良いものがこんな廃屋から見つかるのかと疑問もありました。
ですがそれはまるで自分を招くかのように、タンスの中に居座っていたのです。
「パペット人形か」
シルフが自分の手元にあるそれを、後ろから覗き込むようにして言いました。
自分はシルフにくるりと向き直って。
『わんわん。犬さんです』
「お?」
『わんわん、わんわんー』
「へー、上手いもんだなトウリ」
『わんわん(わおー)、わんわん(わおー)』
「おお!? ハモりだしただと!?」
そのまま人形を使って演劇風に童謡を歌ったら、シルフが度肝を抜かれた顔で自分を見ました。
腹話術の輪唱は、やはりウケが良いですね。
結構な好評を頂けて、自分は満足でした。
「トウリ。お前、そんな楽しげな顔をするんだな」
シルフは珍しいものを見たと言わんばかりに、目をぱちくりとさせました。
そんなに楽しそうにしてましたか。
「面白いな。……トウリ、今の腹話術どうやったんだ?」
どうやらシルフは腹話術に興味を持ったみたいです。
なので自分は基礎的な腹話術の仕方をシルフに伝授しました。
「では、口を動かさずに喋ってみてください」
「分かった。……『こんにちは』」
「どうだ?」
確かに、口は動いていませんでした。……ですが。
「いや、怖いです」
シルフは口も開かずに、無表情で。人形からシルフの冷たい声が聞こえてきました。
「何がだ?」
「人形からシルフの声が出ていることです」
「そりゃあ腹話術だからな」
いえ、そういう意味ではないのですが。
『こんにちは』
「だから怖いですって!」
「ククク、これは思ったより面白いな」
ですが、シルフは大変満足そうな表情をしていたので。
「失敗していますよ」と言える空気ではありませんでした。
「ふふっ」
そんなシルフの様子がおかしくて仕方がなく、自分はつい笑みが零れてしまいました。
ひとしきり笑った後、自分達はシルフが持っていたチェス盤を使っていつものようにチェスを始めました。
「……それでだな。補給線を分散化し、既存の大動脈に依存しない独立輸送網を構築することを考えているんだ」
シルフが戦術論を語りながら、ポーンを動かしました。
「ヨゼグラード攻略戦では無茶な行軍で多くの脱落者を出しましたからね」
それに呼応して自分もナイトを展開しました。
ヨゼグラード攻略戦──それは自分が従軍して以来、最も過酷な行軍でした。
ですが、シルフはそんな無茶な行軍に反対し続けていました。
「……そういえばブレイク将軍閣下や旧サバト政府の要人達はどうしたのでしょうか」
「前に聞いた事があったよな。……『トウリ。お前がもし、誰かを殺すことで大多数の命を守れるとしたらどうする』って」
それはヨゼグラード攻略戦の最中、シルフが自分に零した質問でした。
それに自分は何と答えたのか。
「すみません。……今の質問は忘れてください」
「懸命な判断だ」
シルフはどこか困ったような、乾いた笑みをしていました。
サバト旧政府軍がここにいる。それ以上の明確な答えはありません。
それから暫しの間、静かな時間が流れました。
そしたらシルフはふと、何かを思い出したかのような表情をしました。
「……トウリ。お前は──」
おそらく『オースティン軍に戻るのか?』という質問だったのでしょう。
しかしシルフは口を開きかけたまま、その先を言いません。
遂にはそれ以上の言葉が紡がれる事はありませんでした。
自分は何も聞き返さず、盤上の駒を眺めていました。
しばらくして、自分がルークを動かしました。
「……貴方の番ですよ」
シルフは小さく頷き、駒を動かしました。
「ああ。そうだったな」
それ以降、自分達の間には意識的か無意識的かどうか分かりませんが。
オースティンにまつわる話題は一切出てきませんでした。
廃村にはチェスをする音だけが静かに響いていました。