6話
夕刻。既に子供達は家に帰っていて、大人達が馬鹿騒ぎする酒盛りが始まっていました。
自分はあの子供が帰った後もその場から動けずに、どこかぼんやりとその宴を眺めていました。
隣に座っているシルフも自分の肩に寄りかかって、ずっとその光景を眺めているようでした。
しばらくするとシルフがふと、何かを思い出したかのような表情になりました。
「明後日の朝、村から出るぞ」
「……どこへ?」
「フラメール司令部から呼び出しが来た。ピュエリ鉱山という場所だ」
フラメールは鉱山資源が豊富な国家であり、同時に鉱山が生命線と言えます。
国力で劣るオースティンからしたら、これ以上ない作戦目標なのでしょう。
「戦場に、決戦の地になるのですか?」
「ああ。おそらくな」
「そうですか」
突如、シルフが自分の顔をまじまじと見つめているのに気がつきました。
どこか慈しむような感情と策謀を巡らせている感情が同時に、瞳に同居していた気もします。
「トウリ。お前も来い」
「え、自分も?」
「お前は私の副官だろう」
────お前は私の副官だろう。その言葉が頭の中で何度も何度も反復しました。
自分は子供を助けるためとはいえ、オースティン兵を撃ち殺しました。
現在サバト旧政府軍に属しているとはいえ、自分はサバト人ではありません。
では、今の自分って何者なのでしょうか?
どれも正しいかもしれませんが、自分はどこか腑に落ちていませんでした。
まさに、宙ぶらりんと言える立場です。
そんな中、シルフに与えられた言葉は、まるで。
息もできない深海で、突如として酸素を吹き込まれたかのような衝撃でした。
自分はまだ、シルフの副官なのだと少しだけ安心してしまったのかもしれません。
翌朝。久しぶりに小鳥のさえずりが響くような時間帯に目が覚めました。
自分は手早く身支度を済ませた後に、昨晩のお酒が残っているサバト兵達を起こしに行きました。
「皆さん。起きてください」
「……あと、五分だけ」
「あははー、酒の席のサバト人舐めんな」
ですが、全くと言って良い程に彼らは目を覚ます気配は微塵もありませんでした。
あのヨゼグラードの地獄のような戦いを生き抜いた歴戦の兵士とは思えませんでした。
……なので。
自分は近場の水場から桶に冷たい水を汲んで来て。
「えい」
彼らの顔面に冷水をぶちまけました。
「つっ……冷たッ!?」
「冷った!おい、何すんだよ!?」
「朝です、起きてください。ブリーフィングの時間です」
自分はそんな愉快な彼らを一瞥して、彼らの枕元にタオルだけ置いて踵を返しました。
「……今オースちゃん笑ってなかったか?」
「まさか、あいつが笑うわけないだろ」
その後、サバト旧政府軍はピュエリ鉱山へ出発するために荷物をまとめ始めていました。
自分は非力なので、大きな荷物を運んだりすることにはお役に立てません。
なので自分は彼らの運んだ荷物の確認を行ったり、簡単な指示を出していました。
「こちらの食糧は三番の方に配置しておいてください」
「おお、分かったー」
自分は荷物を点検している中、ふと目を惹かれる物がありました。
「……これはお酒、というかワインですか?」
「お、オースちゃんも気になるか?実はこれはな、村の人から譲って貰ったものなんだ」
素人の自分が確認しても分かるほど、高級そうなワインがズラっと並べてあったのです。
話を聞いてみると、どうやら先の戦いでのお礼として大量のワインを頂いたそうです。
「流石に食糧などを渡すことはできないが、村の恩人を無下にするほどフラメール人は腐っとらん」
と、この村の村長さんが昨日の酒の席での発言が発端となって各家庭にあるワインを貰えることになったみたいです。
まあ、サバト人はお酒が大好きなので一番の贈り物でしょう。
「あ、でもオースちゃんはあまり飲まない方が良いかもな」
「もしかして度数が強かったりしますか?」
「いや、度数が強いってのもあるけどさ……」
そこでその兵士はどこか言いにくそうな、困った笑みを浮かべていて。
「だってオースちゃん酒癖悪いじゃん。この前だってゴルスキィさんの胸板に頭でグリグリしてたし」
……思ったより反論できない理由でした。
やはり酒の場での失敗というものはずっと残るみたいですね。
お酒の力は恐ろしいです。
トウリ・ロウは、普段と変わらぬ様子で兵士達に指示を出したり、談笑をしていた。
声も、表情も、立ち振る舞いも変わらない。
少なくとも、傍から見ればそう見えた。
だが、少し離れた場所からその様子を眺めていたシルフ・ノーヴァには、それがただの平静を装っているだけだということが分かっていた。
先程から、トウリは何度も自分の銃を確認している。
弾倉を確かめ、銃身を確認し、また同じことを繰り返す。
整備の必要など、とうにないにも関わらず。
それでも彼女はやめない。いや、やめられない。
また、オースティン兵の死体を運ぶ輸送車を見ると目を逸らす。
そして時折、何かを探すように周囲を見回す。
その視線が自分を捉えると、シルフは何事もなかったかのように目を逸らす。
「……僥倖だな」
シルフは、誰にも聞こえない声で呟いた。だが、その表情はどこまでもあくどかった。
「このままではトウリは壊れる。ならば私の側に置けばいい。私なら彼女を使えるし、彼女も私を必要とするだろう」
あの少女は、自分が何をしたのか理解している。
自分自身の意思で。
ならば、もう以前と同じ場所には戻れない。
オースティン軍人として生きてきたトウリにとって、それはあまりにも大きな亀裂だった。
しかし、人間というものは不思議なものである。
自分の立っていた場所を失えば、別の場所を求める。
そして今のトウリには、その『別の場所』が必要だった。
シルフは、遠くで兵士に指示を出しているトウリを見つめた。
彼女はまだ気づいていない。自分が、何を求めているのか。
「だからこそ、都合がいい」
シルフは小さく息を吐いた。
これは好機だ。あの少女を、自分の側に置いておくための。
……いや。
そこまで考えてから、シルフは僅かに眉を寄せた。
自分は一体、何を考えているのだろう。
ただ優秀な副官を手放したくないだけだ。それ以上の意味などない。
そう結論づけて、シルフは再びトウリへ視線を戻した。
正午。太陽が真上に上がって来た頃、我々サバト旧政府軍の出発準備は着々と整い始めていました。
自分は少し休息を取って、ぼんやりと辺りを散策していました。
「トウリ。ちょっとこっちに来い」
そうしたら地図を広げて睨めっこしているシルフから呼び出されていまい。
「この道をどう思うか?」
自分が近づいてみると、机の上にはピュエリ鉱山までの地図が並べれられていました。
「……どう、と言われましても自分は作戦を提案する立場ではありません」
「構わん、許可する。敵がこの街道を使うとしたら?」
「……」
地図を見てみるとその道の周辺には谷があり、お世辞にも良いルートだとは思えませんでした。
「こちらの谷は避けた方がいいと思います」
「理由は?」
「道幅が狭いです。伏兵がいた場合、隊列を崩せません」
自分が率直に思いついた事を言ってみたら、シルフは小さく頷いて。
「ああ、私もそう思う。伏兵がいるかもしれないと考えるのは懲り懲りだ」
自分の提案したルートに、地図を簡単に書き換えてしまいました。
「では、こちらの道にするとしよう」
「お役に立てたのならば何よりです」
そう言って自分が踵を返そうとしたところ。
「待てトウリ」
「はい?」
「明日からも、この辺りの地形はお前に見てもらう」
……自分に?
「お前は現場を見るのが得意だろう」
「ですが、貴方の方が──」
「私に見えないものが、お前には見える」
……。
「承知、しました」
自分は
そんな自分に、部隊の進行に関する仕事を振っても良いのでしょうか。
ただでさえ自分はオースティン人です。
これからの戦いではそのオースティン人を殺しに行くために、サバト旧政府軍は連合軍に合流する訳です。
自分がその中に居るべきではない。いや、居ては駄目なのです。
「シルフ」
「ん?どうした。トウリ」
「……自分は、本当にここに居ていいのでしょうか」
おそらく自分は居ては駄目だと言って欲しかったのでしょう。裁かれたかったのでしょう。
ですが、シルフは少し怪訝そうな表情のまま。
「何を言ってるんだ?」
「だって、自分は……」
自分は先程考えていたことを口に出してみようとしましたが、なぜか言葉がまとまりませんでした。
「お前は私の副官だろう」
……また、その言葉です。傲慢そうな言い草でしたがその実、何よりも自分を安心させる言葉でした。
『オースティン軍人という自分』が揺らごうとも、『シルフの副官という自分』は残ってる。
その事実は今の自分にとって何よりも安心させるものだったのです。
「それと明日の朝、出発するときに兵站を確認しておいてくれ」
「分かりました」
「それと、途中で宿営地を決める必要がある。その時はお前が決めろ」
士官学校を出ていない自分がですか。
「……理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
「私が決めるより、お前が決めた方が部隊が動きやすい」
シルフが自分を信頼してくれているのは嬉しいことなのですが。
「ですがシルフ、自分は士官学校を出ていなくて、部隊運用の知識はないので分からないです」
「ああ、そういえばそうだったな。だったら私がそれを教えるから私の判断に従えばいい」
「……はい」
困ったり、迷ったりしたらとりあえずシルフに聞けばいいと分かりました。
シルフに全て頼れば大丈夫──────
「シルフ、これは何ですか?」
「荷物に決まってるだろう」
自分が手伝いも兼ねてシルフの荷物を点検していたのですが。
「いえ、見れば分かります」
「じゃあ問題ないだろ」
「問題しかありません」
地図や作戦資料、通信具、筆記具などは完璧に整理されていました。
ですが、ほとんどそれらしかありませんでした。
「何で防寒具や替えの靴下がこんなにも少ないのですか?」
「別に必要ないだろ」
「夜は冷えますし、雨が降った際には死にますよ」
あのアレンさんだって、敵兵なんかよりも雨の方がよっぽど恐ろしいと言ってたくらいです。
「……火を起こしたりして暖を取ればいい」
「資源の無駄ですし、敵兵に場所が割れます」
「…………じゃあ我慢する」
「風邪を引きます」
なんと驚くことに『塹壕の魔女』と呼ばれた、この稀代の天才少女は。
「……別に大丈夫だろ」
驚くほどに自分自身の事に無頓着、ズボラだったのです。
「はぁ、これを入れといてください」
自分が荷物から毛布を一枚取り出して、シルフの前に掲げました。
「なんだそれは、命令か?」
「副官としての進言です」
「……あーもう、分かったよ。採用する」
不貞腐れたシルフは、年相応の顔を浮かべたまま雑に荷物にまとめました。
子供ですか。
しかしながら、シルフのズボラ癖はそれだけに留まりませんでした。
夕刻。兵士達が夕食を取っている中、あの少女の姿がいないことに気が付きました。
もしやと思ってシルフの下に向かうと。
「シルフ」
「……ん、なんだトウリか。どうした?」
地図を睨みつけながら、驚くべき速さで文字や記号を書き込んでいるのが見えました。
「食事はもう済ませましたか?」
「……あー、忘れてた」
自分の思った通りでした。
「いつもそうなのですか?」
「何の話だ?」
「食事を忘れることです」
「……まあ」
あのシルフ・ノーヴァがここまで生活力が無いとは思いもしませんでした。
きっと、西部戦線にいた頃の自分に言っても信じて貰えないことでしょう。
「というか今までどうやって過ごしてきたのですか?」
「前まではエライアにやって貰ってたが、今の彼女は忙しくてな」
「では、これからは自分がやります」
「……は?」
シルフは目をぱちくりと、何度も瞬きをして驚いた表情をしていました。
「当然です。自分は貴方の副官ですから」
「……分かったよ。全く」
目の前の少女は辟易としたような表情をしていましたが、どこか満更でもない顔をしていました。
次の日の朝。我らがサバト旧政府軍はピュエリ鉱山に向けて出発するところでした。
そんな中、自分は一人離れた所から一昨日助けた子供を見ていました。
それは一昨日の時と同じで、どこまでも輝かしいもので。
同時に、絶対に守り抜かなければならないものでした。
自分があの
自分が
その二つを並べてみても、今の自分には答えは出ませんでした。
「トウリ。行くぞ」
「はい」
先を歩いていくシルフに自分は、少し遅れて着いていきました。
「シルフ。……ありがとうございます」
「何がだ?」
「……いえ、何でもありません」
シルフは怪訝な表情を浮かべながらも、それ以上追求することはありませんでした。
自分とシルフは後続部隊である輸送車に乗って、村を離れました。
窓から振り返ってみると、村はどんどん小さくなっていって遠ざっていました。
前を見てみると、そこにはシルフがいました。
自分がどこへ行くのかは、まだ分かりません。
ただ、シルフの副官として行くことだけは分かっていました。