自分達が朝食を終えた頃、サバト旧政府軍は再び行軍を再開していました。
一方その頃。シルフは揺れる輸送車の中で、いつものように地図を広げていました。
自分はその隣で、昨日届いた報告書を整理していると。
しばらくして、シルフが一枚の紙をこちらへ差し出しました。
「トウリ。これを見てくれ」
「……先遣部隊からの報告ですか?」
「ああ。昨夜、先行している部隊から届いたものだ」
自分は紙を受け取り、一通り目を通しました。
内容は単純なものでした。
『……前方の街道に異常なし。小規模な集落を一つ通過。橋梁に損傷なし。』
ただ、最後の一文だけが引っかかりました。
「……この報告、少し妙ですね」
「どこが?」
シルフが顔を上げ、続きを促すよう言ったので。
「『街道に異常なし』とありますが、ここ」
自分は地図の一点を指差しました。
「昨日の偵察報告では、この付近の街道はぬかるんでいるはずです」
ここら辺の土質は粘土質で粒子が細かい土です。
そのため、水を含むと粘って乾きにくく、ぬかるみになりやすいです。
塹壕を作るには持って来いの土地なのですがね。
「輸送車が問題なく通過したなら、誰かが補修したか、別の道を使ったことになります」
「なるほど」
シルフは地図を覗き込みました。
「別の道を使った可能性は?」
「ありますが、その場合は報告に書くべきでしょう」
「……確かに、それもそうだな」
シルフは少し思案してから、通信書を取り出しました。
「では、トウリ。先遣部隊に確認を取ってくれ」
「分かりました」
自分が紙を受け取ろうとすると、シルフの手が止まりました。
「いや、私から通信で聞くより、お前から直接現場で聞いた方がいいな」
「自分から、ですか?」
「ああ」
シルフは地図を指で叩きながら次のように続けました。
「お前は現場にいた人間だ。向こうも、私から質問されるより、同じ現場を知っている人間から聞かれた方が話しやすいだろう」
「……なるほど」
確かに最近はシルフの補佐ばかり務めていますが、元々自分はゴルスキィ小隊にいました。
「確認した内容は私に報告してくれ」
「承知しました」
そこで自分は、ふと疑問に思って尋ねました。
「これは……副官としての仕事でしょうか?」
自分の質問にシルフは一瞬だけ黙りましたが。
「ああ、そうだ」
「分かりました」
そうはっきりと言われたので、自分は書類を受け取りました。
「では、行ってきますね」
「ああ」
しかし、数歩進んだところでシルフの声が飛んできました。
「トウリ。分からないことがあったら、自分で判断して構わない」
「……よろしいのですか?」
通常、兵士が上官からの命令をどう扱うかの裁量権は認められていません。
もし認めてしまえば、指揮系統が混乱してしまうので言語道断という他ありません。
「そのための副官だろう」
その言葉に、自分は少しだけ目を見開いてしまいました。
「……承知しました」
「街道のぬかるみは昨日の雨で酷かったんだよ。だから東側の旧道を使ったんだよね」
先遣部隊に着いたら、親切な先遣兵の方がそう教えてくれました。
「では、こちらの道は輸送車が通れる状態ではない訳ですね?」
「ああ、流石に輸送車となると重量的にも厳しいだろうからね」
その情報をシルフに持ち帰りました。
「……なるほど。ならば予定を少々変えるか」
シルフは地図を見ながらその情報を咀嚼しているようでした。
「シルフ。自分の判断で報告を整理してしまいましたが、よかったでしょうか」
「それを私に確認する必要があるのか?」
「……はい?」
自分の判断で整理した結果、現場との情報に齟齬が生まれてしまうと思ったのですが。
「私はさっき、お前に『自分で判断して構わない』と言ったはずだ。……次からはもっと勝手にやれ」
まあ、確かにそう言われましたが。
「それはそれで、随分と無責任な上官ですね」
「副官を信頼しているだけだ」
ならば今度からはそうさせて貰いましょうかね。
それからの自分は自己判断でどんどん仕事を片付けていきました。
先遣隊からの報告を整理して、シルフにそれを伝える。
野営地候補を確認したり、食料や水の残量の確認をする。
シルフの書類を整理して、部隊の進軍速度を確認する。
これら全てをシルフに言われる前に自分から判断して行動してしまいました。
「……トウリお前、気が利くというか仕事が早いな」
「副官ですから」
シルフは半ば引き攣った笑みを浮かべていましたが、そんな表情を見て自分はご満悦でした。
言われた通りに頑張っちゃいました。
正午。サバト旧政府軍は昼休憩の時間帯に入っていました。
「はい、できましたよシルフ」
「ん、助かる」
自分はシルフに毎度の事ながら食事を用意して、ちゃんと食べているか確認していました。
「というか今日は仕事を片付けないのですね。珍しいこともありますね」
いつもならシルフはこの時間帯でも書類を眺めたりして、仕事を進めているのですが。
「どこかの誰かさんが直近の仕事を片付け過ぎてしまったからな」
「どこかの誰かさんが『自分で判断して構わない』と言ってましたので」
自分達はそんな軽口を叩きながらも、もそもそと昼食を食べ進めていました。
昼休憩が終わり、再び行軍を開始しました。
「トウリ。お前はどう思う?」
直近の仕事が片付いたのにも関わらず、シルフはかなり先の行程を確認してきました。
典型的なワーカーホリックですね。前世の日本だったらシルフは社畜でしょう。
「このまま進むのが妥当だと思いますよ」
「そうか」
そのままシルフは自分の意見を採用したみたいです。
ところが少し後になって、シルフが。
「トウリ。今後も私が見落としていると思ったことがあれば言え」
「それは、命令でしょうか?」
「いや……」
シルフは少しの間悩んだ末に。
「お前に頼んでいる」
『命令』ではなく『頼み』。それは以前のシルフから考えれば想像もつかない返事でした。
まあ、自分としては命令だろうが頼みだろうがあまり関係ありませんね。
結局のところ、シルフの事を手伝うのには何ら変わりませんから。
夕方。野営地を決めて、兵士達が夕食を摂り終えた頃。
自分は個人の天幕で軽い書類整理をしていました。
そんな中、少しだけ引っかかりました。
何故自分は書類整理をしているのでしょうか。
「……自分は、シルフの副官ですから」
しかし。
「では、副官とは何なのでしょう」
命令を伝えることでしょうか。
作戦を補佐することでしょうか。
食事を用意することでしょうか。
シルフの体調を見ることでしょうか。
それとも、シルフの隣にいることでしょうか。
一度湧き上がった疑問は止まることを知らず、激流のように流れ続けました。
自分でも、どこまでが『副官』なのか分からなくなってしまったのです。
夜中になって、先遣部隊から新しい報告が届きました。
自分は受け取った書類を確認し、内容を整理してからシルフのところへ持っていきました。
「シルフ。先遣部隊からの報告です」
「そこに置いてくれ」
「はい」
自分は机の上に書類を置きました。
シルフは地図から目を離さず、そのまま一枚目の紙を手に取ります。
「……待て。この報告、昨日のものじゃないか?」
「え?」
自分は慌てて書類を確認しました。
日付を見ると、確かに昨日の日付でした。
「混ざったか」
「……申し訳ありません。今朝の報告と一緒にしてしまったようです」
自分はすぐに他の書類を確認すると。
何枚かをめくり、今朝届いた報告書を見つけました。
「こちらです。申し訳ありません、すぐに整理し直します」
「いや、構わない」
シルフは自分のミスを気にした素振りもなく、それを受け取りました。
「ですが──」
「トウリ。一枚間違えただけだ」
シルフがこちらの目を見てはっきりと言いました。
「……ですが」
「何だ?」
「自分は、副官ですから」
自分でも、何故そんなことを口にしたのか分かりませんでした。
ただ、胸の奥が妙にざわついていました。
副官として与えられた仕事を間違えた。
ならば、自分は何なのでしょうか。
シルフの隣にいる資格はあるのでしょうか。
「……副官として、失格です」
シルフはしばらく黙っていましたが、机の上に書類を置くと。
「ばーか」
自分の額にデコピンしたのでした。
「痛っ!……何するのですかシルフ?」
額を押さえつつ、恨めしげな表情でシルフを見上げると。
「お前は、何か勘違いしていないか?」
「……何をですか?」
シルフは聞き分けのない子供を諭すような口調で告げました。
「私はお前に、間違えないことを求めている訳ではない」
「では、何を?」
「私が見落としたものを見つけることだ」
何も言うことができずに、ただ黙ることしかできませんでした。
「そして、自分が間違えたと思った時には、それを私に言うことだ」
シルフはそう言って、先ほどの報告書を自分へ差し出しました。
「だから、次からは気をつければいい」
「……それだけ、ですか?」
「それだけだ」
あまりにも簡単な答えだったので、しばらく呆然と書類を見つめていました。
「……分かりました」
「それに、お前は副官として私の役に立っている。だからそんな顔をするな」
……そんな顔をしていたでしょうか。
「自分では分かりません」
「だろうな。……なら今日はもう寝ろ」
「はい」
書類を受け取って踵を返したら、数歩進んだところでシルフの声が聞こえました。
「トウリ。お前が一度間違えた程度で、副官を辞めさせたりはしない」
「……」
「そんなに心配なら、覚えておけ」
自分は振り返りましたが、シルフ既に地図へ視線を戻していました。
「……ありがとうございます」
「礼を言うことでもない」
「それでも、ありがとうございます。……それと、おやすみなさい」
それだけ言って、自分はその場を離れました。
トウリが去った後。シルフは一人になったところで、先ほどの書類を見ていた。
そして、トウリが整理した部分を確認すると。
彼女は一枚間違えただけで、それ以外の整理は完璧だった。
「……十分だろう」
そう呟いたシルフは、そしてその書類を捨てずに机の端へ置いた。
翌朝。先遣部隊から新しい報告が届いたので、身支度を整えてシルフの下へ向かいました。
自分は受け取ったばかりの書類をシルフへ渡しました。
シルフはそれを受け取ると、地図の上へ広げます。
「前方十二キロ地点にある橋が使えないそうです。一昨日の雨で橋脚の一部が損傷したとのことです」
「……迂回路は?」
「こちらです」
自分は地図の上を指しました。
「東側へ回れば、旧街道があります。距離はおよそ三キロ増えます」
「なら、そこを使うか」
「……待ってください」
自分の口から、思わず言葉が出てしまいました。
「何だ?」
「旧街道を使うのは、やめた方がいいと思います。この道は、途中から森に入ります」
自分は地図を見直しました。
「昨日、先遣部隊がここを通過した際の報告では、道幅が狭くなっていたそうです」
「輸送車が通れないほどではないだろ」
「それだけではありません」
自分は地図の一点を指しました。
「……ああ、丘陵地帯か」
「はい。ここから先は見通しが悪くなります」
シルフが黙って地図を見つめました。
「敵が待ち伏せするなら、ここを選ぶと思います」
「根拠は?」
「……根拠というほどのものではありません。ですが、前線にいた時、自分ならここを選びます」
シルフは何も言いませんでしたが、しばらくして地図から顔を上げました。
「では、どうする?」
その問いに、自分は少し戸惑いました。
「橋は使えず、旧街道は危険です」
「そうだな」
「なら──」
地図を見渡して、北側の細い道を指しました。
「ここを使うべきだと思います」
「そこは道が悪いぞ。しかも輸送車の速度も落ちる」
「それでも、森を通るよりは安全です」
「時間が掛かるし、物資の到着も遅れる」
シルフがこちらを見て、その意図を確認するかのような瞳で射抜きました。
「それでもか?」
「それでもです。今の状況で一番避けるべきなのは、速度を優先して部隊を危険に晒すことだと思います」
言ってから、自分は少しだけ不安になりました。
これはシルフの命令とは違いますし、自分はシルフのような参謀ではありません。
ただ前線にいただけの人間です。余計なお世話だったでしょうか。
「……出過ぎたことを言いました」
「構わない。私は、お前の判断を聞いている」
顔を上げると、シルフは地図をこちらへ押し出してました。
「だから決めてくれ、お前ならどちらを選ぶ?私はまだ決めていない」
しばらく考えてから、自分は北側の道を指しました。
「……こちらです」
「分かった。北側へ進路を変更する」
シルフは地図に視線を落としつつ、その道を指でなぞりました。
「よろしいのですか、自分の判断で?」
「ああ」
シルフは自分に向けて、少しだけ笑いかけました。
「お前の判断だろう?」
自分は、シルフの命令を変えてしまいました。
ですが不思議と怖くはなく、むしろ──。
「……はい」
少しだけ、嬉しかったと感じてしまいました。
書類仕事が一段落したので、少し外に出て風に当たってました。
こうして何もしないでいると、色んなことを考えてしまいます。
自分は、シルフの副官です。
だから、シルフのことを気にする。
だから、シルフの判断を補佐する。
だから、シルフが間違えれば止める。
だから、シルフが食事を忘れれば食べさせる。
だから──。
……そういうものなのでしょう。
自分は、それ以上の理由を考える必要はありませんでした。
トウリが休憩に入った頃、シルフが一人で地図を見ていた。
「明日の行程は、トウリに聞いてから決めるか」
そう自然に考えたが、そこでシルフ自身が少し止まった。
「……いや。私が決めれば良いはずだ」
どこか腑に落ちないまま、再び作業に戻った。
数分後。トウリが休憩から戻ってきて、シルフは自然と彼女に向き直った。
戻ってきたのならちょうど良いか、そう考えて。
「トウリ。明日の行程についてだが──」