ようこそ山菜定食より美味い弁当屋へ 作:一皿亭
校舎の階段を上り、1年生のフロアへと足を踏み入れる。
壁に掛けられた案内板に従って廊下の奥へと進むと、一番端に設置された扉の横に『1‐D』と書かれたプレートが掲げられていた。
「ここだね」
「うわ、一番端っこなんだ。……よし、入ろっか」
篠原さんが少しだけ深呼吸をしてから、ガラリと音を立てて教室のドアを開けた。
室内にはすでに半分以上の新入生が到着しており、それぞれの席に座っていたり、早くも数人で集まって打ち解け合っていたりする。教室の中には、新しい出会いへの期待と少しの緊張感が混ざり合った独特の空気が漂っていた。
中でも一際目を引いたのは、教室の中央付近で爽やかな笑顔を浮かべている男子生徒だった。整った容姿と育ちの良さを自然と感じさせる立ち振る舞いで、すでに周囲の生徒と楽しそうに言葉を交わしている。彼の周囲だけ、まるで明るいスポットライトが当たっているかのように華やかだ。
「あの男の子、なんかすごいモテそう……」
篠原さんが小声で呟く。ボクも大きく頷いた。クラスの中心になるような華やかさと、他人を惹きつける雰囲気を持った生徒だ。
(料理で例えるなら、メインディッシュを飾る第一級の素材というところだろうか……)
一方で、窓際の最後列付近に視線の先を移すと、全く対照的な光景が目に入った。
一番後ろの窓際の席には、どこか影のある無表情な男子生徒がポツンと座り、窓の外をぼんやりと眺めている。自分を主張することを避けているかのような静けさだ。
そしてその隣の席には、黒髪ロングの凛とした美少女が、周囲を寄せ付けない冷ややかなオーラを纏って読書に没頭していた。整った横顔と凛と伸びた背筋が印象的で、近づくことすら許さないような雰囲気を感じさせた。
(色んな人がいるんだな……)
黒板に貼り出されていた座席表を確認し、ボクと篠原さんはそれぞれの席へと向かった。
ボクの席は、あの凛とした黒髪の少女のすぐ前の席だった。
鞄を机の横に掛け、静かに椅子へと腰を下ろす。
すぐ後ろからは、彼女がページをめくるササッというかすかな紙の音だけが聞こえていた。向こうから少し離れた席に着いた篠原さんが、こちらに向かって小さく手を振って見せたので、ボクも苦笑いを浮かべながら手を振り返した。
窓の外を眺めると、広大な校庭の向こうには洗練された施設が見える。ここが高校の敷地内だということが、未だに信じられない感覚だった。
「……何か問題でも?」
突然、すぐ後ろから冷ややかな声が落ちてきた。
驚いて振り返ると、黒髪の少女が本から視線を外し、氷のような瞳でボクを真っ直ぐに見つめていた。
「えっ? あ、ごめん! 窓の外を見てただけなんだ。不快にさせたらごめんなさい」
「そう。ならいいけれど。私を凝視していたのかと思ったわ」
「そんなことないよ! えーっと……ボクは御厨湊。よろしくね」
気まずさを誤魔化すように差し伸べかけた言葉だったが、彼女は冷たい瞳のまま一瞬ボクの顔を見ると、再び手元の本へと視線を落とした。名乗る気すらなさそうなその態度に、ボクは苦笑いしながら前を向き直すしかなかった。
(うーん、やっぱり一筋縄ではいかない人が多そうだな……)
※
やがて始業のチャイムが教室内に響き渡り、それとほぼ同時に一人のスーツ姿の女性が現れた。
隙なく着こなされた黒のスーツ。ポニーテール調に後ろで束ねられたやや長い黒髪。遠目からでもわかる鋭い眼光と、冷徹な美貌。手に持った書類を教卓へ置く音が、ざわめいていた教室を一瞬で静まり返らせた。お世辞にも「親しみやすい先生」とは呼べない圧迫感があった。
彼女が教卓に向かう数秒の間に、立ち上がっていた生徒たちが慌てて自席へと戻る。
「新入生諸君。私はこのDクラスを受け持つことになった茶柱佐枝だ。担当科目は日本史。当校では卒業までの三年間クラス替えはしない。よって、私たちは三年間共に過ごすことになる。よろしく」
自己紹介は驚くほど淡泊だった。笑顔一つ浮かべることなく、茶柱先生は教卓の上に書類を置く。
「今からおよそ一時間後に入学式が行われるが、その前に当校の特殊なルールについて説明をしたいと思う。まずはこの資料を配布するので、前の生徒は後ろの生徒に回してくれ」
指示に従い、前の席から回ってきたプリントを受け取り、後ろの少女へ手渡す。彼女は素早く受け取った。
手元の資料に目を通す。それは合格通知と共に送られてきていた、あのマニュアルだった。
全寮制、外部との連絡禁止、敷地外への外出禁止。
だがその一方で、敷地内にはカフェやブティック、スーパーに娯楽施設まで整っているという異例の環境。
「今から配る学生証端末。この端末にはポイントが振り分けられており、ポイントを消費することによって敷地内にある施設の利用や売られている商品の購入が可能だ。……この学校の敷地内で買えないものはなく、何でもポイントで購入する事ができる」
茶柱先生は淡々と説明を続ける。
「ポイントの使い方は簡単だから迷うことはないだろう。それからポイントは毎月1日に振り込まれる。現在、新入生のお前たちには10万ポイントが振り込まれているはずだ」
教室内が一瞬にして静まり返り、直後に破裂したようなざわめきが広がった。
10万ポイント──つまり実質、十万円分。高校生が毎月手にするお小遣いとしては、驚くほどの巨額だ。
「10万!? マジかよ!」
「毎月もらえるの!? ヤバすぎでしょこの学校!」
「意外か? 最初に言っておくが、当校では実力で生徒を測っている。非常に倍率が高いこの高校の入学試験をクリアしてみせたお前たちにはそれだけの価値があるということだ。……ポイントをどう使おうが自由だ。男子だったら最新鋭のゲーム機が売られているぞ? 女子だったら様々な服屋があるぞ? 自分が使いたいように使え」
茶柱先生は冷ややかな微笑を浮かべたまま事務的な説明を終えると、喧騒に包まれる教室からあっさりと立ち去っていった。
先生が去った途端、教室は爆発的な歓喜の嵐に包まれた。
「10万だって!? マジかよ、何でも買えるじゃん!」
「服買おうよ! 私、この学校に入れて良かった〜!」
浮足立つ同級生たちの声を耳にしながら、ボクも胸の高鳴りを抑えきれずにいた。
(毎月、10万ポイント……! これだけあれば、自炊の食材はもちろん、前から気になっていた調理器具や調味料だって気兼ねなく買い揃えられる……!)
頭の中で欲しい調理器具や調味料のリストが次々と浮かび上がり、胸が踊る。
実家の手伝いをして料理に親しんできたボクにとって、食材や道具を自由に試せる環境はありがたい。仕入れや予算の心配をすることなく、自分の好きな料理をいくらでも作ることができる。
後ろの席の黒髪の少女が「思ったよりも堅苦しい学校ではないみたいね」と小さく呟くのが聞こえた。確かに、制限こそあれどこれほど恵まれた環境はないように思えた。
※
「皆、ちょっと良いかな?」
歓喜に沸く教室の中で、響き渡る爽やかな声があった。
先ほど中央で周囲を和ませていた、あの男子生徒だ。
「僕らは今日から三年間共に過ごすことになる。だからみんなで自己紹介を行って、一日も早く友達になれたらと思うんだ。茶柱先生の言葉を信じるなら、入学式までに一時間はある。どうかな?」
「いいんじゃないの~?」
「賛成ー! 私ら、まだお互いの名前すら知らないし~」
女子を中心に賛同の声が上がり、彼を中心にして自己紹介が始まることになった。
「僕の名前は平田洋介。気軽に『洋介』って呼んでくれると嬉しいかな。趣味はスポーツ全般だけど、サッカーが好きでサッカー部に入部する予定だよ。よろしく」
爽やかな笑顔と完璧な立ち振る舞いに、教室中から拍手が送られる。
そこから順々に、自己紹介が続いていった。
気弱ながらも一生懸命話す、裁縫が得意だという井の頭心さん。
卓球全国・野球部エースと大風呂敷を広げて笑いを取る山内春樹くん。
ギャルっぽい華やかな雰囲気を纏った軽井沢恵さんや、明るく馴染んでいる女子生徒たち。
クラスの雰囲気が出来上がっていく中で、ボクは順番が近づいてくるにつれて緊張で心臓が跳ね上がっていた。
(どうしよう……ボクの取り柄なんて、料理が作れることくらいだぞ。みんなスポーツとかの話をしてるのに、地味すぎないかな……)
そんなボクの焦りを余所に、司会役の平田くんが次の生徒へと声をかけた。
──だが、その生徒は正面から平田くんを鋭い眼光で睨みつけた。
赤毛を派手に染め上げた巨漢の男子生徒だ。
「俺らはガキかよ。自己紹介なんて、やりたい奴だけやればいい」
「僕に強制させることは出来ない。不愉快にさせたら謝りたい」
平田くんは嫌な顔一つせず頭を下げたが、赤毛の男子生徒はけっと吐き捨てた。
「うっせぇ。俺は別に、仲良しこよしするためにここに入ったわけじゃねえよ」
ガタリと激しく椅子を蹴り飛ばすと、赤毛の男子生徒は乱暴に足音を響かせ、ドアを激しく叩きつけて教室を飛び出していってしまった。
それを合図にしたかのように、自己紹介に興味を示さない数名の生徒たちが立ち上がり始める。
ボクのすぐ後ろに座っていたあの黒髪の少女も、冷ややかな瞳のまま本を抱え、何も言わずに教室を後にした。高円寺と名乗る豪快な男子生徒や、眼鏡をかけた真面目そうな生徒も、それに続いて出ていってしまう。
一瞬でシラけた空気が漂う中、平田くんは申し訳なさそうに苦笑いを浮かべながら、その場をなだめて自己紹介を再開させた。
途中でボクの番が回ってきた時も、なんとか喉を鳴らして言葉を絞り出した。
「御厨湊です。得意なことは……料理を作ることくらいです。よろしくお願いします」
「へえ、男の子なのに料理ができるんだ!」
「すごいね!」
パラパラと温かい拍手が上がり、ボクは照れくさそうに頭を下げて席に着いた。
そして最後に自己紹介をしたのは、ボクの斜め後ろ──窓際の一番後ろに座っていた影の薄い男子生徒だった。
「えー……えっと、綾小路清隆です。趣味は読書ですが……えー、得意なことは特にありません。えー、皆と仲良くなれるように頑張りたいです」
ぎこちなく立ち上がり、消え入りそうな声でそう言い終えてそそくさと座る彼に、周りからはどこか同情を込めた「よろしくね、綾小路くん」という声が掛けられていた。
こうして、どこか不穏な空気とギクシャクした緊張感を残したまま、自己紹介は幕を閉じた。
※
やがて館内放送が鳴り響き、体育館への移動がアナウンスされた。出ていっていた生徒たちも戻り、全員で巨大な体育館へと向かう。
格式高い空気の中で執り行われた入学式。
校長先生や生徒会長による祝辞、そして「社会に貢献する人材の育成」という学校の理念。
式の間、新入生たちは静かに背筋を伸ばしていた。
(本当に、ボクはこんなすごい学校に来たんだな……。父さんに安心してもらえるよう、ここでしっかりやっていこう)
体育館の天井を見上げながら、ボクは胸のポケットに入れた携帯端末の存在を確かめた。
手に入れた10万ポイントという莫大な生活費。
これで自立した生活を送る準備は整ったはずだ。
約1時間に及ぶ入学式が無事に終了し、解散となって教室へ戻ってきた後──。
解散の指示が出ると同時に、生徒たちは一斉に端末を手に取りながら、嬉しそうに放課後の予定を話し合い始めた。
ボクも鞄を肩に掛け直し、自席から立ち上がろうとした、その時だった。
「御厨くん、ちょっといいかな?」
爽やかな声に振り返ると、そこには平田くんが笑顔で立っていた。その隣には、軽井沢さんや篠原さん、松下さんといった女子生徒たちの姿もある。
(えっ……平田くん? なんでボクに……?)
クラスの中心で輝いていた平田くんと、その周りに集まる華やかな女子グループ。地元にいた頃は、そういった目立つグループと自分から進んで関わることはあまりなかったため、急に声をかけられた驚きでボクの心臓はドキンと跳ね上がった。
「平田くん? どうしたの?」
「これからみんなでケヤキモールへ買い物に行こうかって話をしてたんだよ。そうしたら篠原さんが『御厨くんも誘おー!』って言ってくれてね。さっきの自己紹介で御厨くん、料理が得意って言ってたよね?」
「うん、一通りなら自分で作れるけど……」
「へえ〜、男のくせに料理ができるんだ? なんかちょっと意外かも」
軽井沢さんが髪をかき上げながら、興味深そうにボクを覗き込んできた。少し気圧されそうになるけれど、篠原さんが「でしょ? 御厨くんは料理がすごく上手なんだよー」と胸を張って相槌を打ってくれているのを見て、すっと緊張が解けていくのを感じた。
(そっか……料理が得意っていうボクの自己紹介を、みんなちゃんと覚えててくれたんだ)
実家を出て一人暮らしを始める不安が頭の片隅にずっとあったけれど、こうして自分の特技をきっかけに頼りにされるのは、気恥ずかしくもすごく誇らしかった。それに、これから毎日口にする食べ物を選ぶ第一歩だ。平田くんたちに協力できるなら嬉しいし、何よりボク自身、学校内のスーパーの品揃えを早くチェックしたくてウズウズしていたのだった。
「……改めて御厨くん、よかったら僕たちと一緒にケヤキモールに行かないかな? モールにはスーパーもあるから自炊に必要な食材とか、おすすめの調味料なんかも教えてもらえるとみんな助かると思うんだ」
平田くんが心底嬉しそうに、けれど押しつけがましくなく優しく誘ってくれた。その屈託のない笑顔を見ていると、自然とこちらの心も温かくなっていく。
(クラスのリーダーみたいな平田くんや、軽井沢さんたちと買い物……なんだか、本当に『普通の高校生』として新しい生活が始まるんだな)
父が倒れたあの日誓った自立するという決意が、温かい現実味を帯びて胸の中に広がっていった。気さくな仲間たちと買い物を楽しめるなんて、これ以上の学校生活のスタートはないだろう。
「もちろん、ボクで良ければ喜んで一緒に行くよ! 買い出しのコツなら任せて」
「本当? 良かった、ありがとう御厨くん! やっぱり頼りになるね。じゃあ、みんなで行こうか」
平田くんが朗らかに微笑み、ボクたちは和気あいあいとした雰囲気で教室を後にした。
これから始まる一人暮らしと、10万ポイントという莫大な買い出しの予算。
この学校が秘める「本当の姿」をまだ誰も知らないまま、ボクは新しい仲間たちと共に、高鳴る期待を抱いて歩き出したのだった。
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