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時は令和、これはある一人の人間の物語である。
ある11月の曇天の午後3時ごろ東京から新青森へ向かう「はやぶさ51号」が東京駅から出発した。私は仕事で東京拘置所から新青森の最寄りにある刑務所に収監される若者Aを護送中である。この車両には私の同僚や同じく護送される囚人らだけでなく一般の乗客も乗車している。私たちが乗車している座席は普通席である。そしてたまたま若者Aを窓側の席、私が通路側に座るということになった。たいていの新幹線の普通席の場合護送対象のことも考慮して3人座席を用いる。しかし都合により私の場合は2人席を使うことになった。
東京駅を出てからしばらく経った頃、外の景色が気になり窓の方を向いた。Aの口元がわずかながら動いているような感じがした。おそらく光の加減でそう見えたであろう。そう思った私だがふと彼の顔を見るとあながち間違っていないのではと直感で感じた。なぜなら多くの場合不貞腐れたり、悪びれもなかったり、緊張したりする。だがAからはそのようなそぶりや感情はなさそうだ。むしろこれからの人生に向けてまっすぐ向かい合っている。
Aを見ることで夢中になっていた私は、新幹線がトンネルに入ったことでふと現実に戻っただけでなく、Aに関する報道されていた内容やネットでみかけた情報等が少しずつ思い出していた。完全にそのことを思い出したのは福島に到着した時である。
そうAは介護していた親を殺したとして世間の批判の的にされていた。報道では、若者Aは生活苦から介護をしていた実の親を殺したことになっている。ワイドショーではその行動を「無責任な自分勝手な殺人」、「生活苦を理由に介護の親を殺すことは許されない」と批判し、ネットでは嘲笑の的になっていた。
私は、マスメディアで語られる彼と実際の若者Aの人物像に大きな乖離があるように思えた。そのためすぐにでもAの情報を得るためにスマホに手を伸ばそうとした。しかし、今は護送任務という仕事の最中だ。うかつに触れるわけにはいかない。そういえば、Aに関する書類があったと、足元に置いたカバンからAに関する書類を取り出した。 その書類にはAに対する調書も含まれていた。
調書には次のような内容が記されていた。
今年の7月7日、Aは前日からの仕事が長引いた影響で帰宅するのがいつもより遅くなってしまった。事件当夜快晴の満月であった。Aの家は浴室もない老朽アパートに住んでいた。A自身も年老いた介護が必要である病気の母親とAがその母親を介護しながら生活を送っていた。Aは日雇い労働でその日の金銭を稼いでいた。事件当日、Aが家に入ると、母親が窓際のカーテンレールを利用し、彼女自身が着ていたカーディガンで首を吊ろうとしているところを発見。それをAは止めた、がその母からAに殺してくれと嘆願。そのことに耐えることができなくなったAは追い詰められた末、台所にある包丁で母親の喉を刺して殺害。その後自ら警察に通報し現行犯逮捕された。その後の聴取や裁判でも一貫として犯行を認めた。しかし、裁判では懲役5年が下され彼自身上訴しなかったことで刑が確定した。
私が調書を読み終えたころには盛岡に差し掛かっていた。Aの本当の姿を知りたいと私は思った。だが私は職務上Aに話すことができない。そう思いながら書類をカバンにしまいながら、Aに話しかけるか迷い始めた。私が職務と、一人の人間として真実を知りたいと思いの間で揺れている最中、ふと窓の外へ目を向けた。東京を出た時とは違い、空はどんよりと曇り、日はすでに暮れていた。絶え間なく雪が降り積もっていた。その中を「はやぶさ51号」は新青森のホームへ静かに入っていた。私の仕事はここまである。すなわちAという人物を知りえる機会を永遠に失ってしまった。
私はAの護送を引き継ぎの担当者に引き渡し。新青森の駅のロビーへ戻ってきた。近くのベンチに私は深く腰を下ろした。先ほどの光景はまるで【高瀬舟】ではないかと私は心の中で叫んだ。ふと私は近くの柱にある掲示板に目を向ける。東北の大震災の復興応援ポスターの中に東北のある地方の町『松平町』の災害復興ポスターが貼ってあった。そこには、災害で両親を失った男児が青年になってマタギとして活躍しているという演出である。私も以前、テレビの報道で、彼が松平町のマタギとして銃を手に活躍する姿を見たことがあった。私はAがこの青年のように、新たな道を歩んでいける日が訪れることを願うばかりだった。
この度先月亡くなった東野圭吾さんに哀悼。そして広島の方々にも哀悼