信都県城を制圧してから、数日が過ぎた。
城内では、戦いの後始末が続いていた。
崩れた城門。
破壊された建物。
戦場に残された武器や物資。
負傷した兵の手当ても進められている。
凌天も自ら城内を見て回っていた。
城壁の上へ上がり、周囲を見渡す。
安平郡の中心に位置する信都県城。
ここを押さえた意味は大きい。
陳玄が隣へ歩み寄った。
「改めて見ましても、ここは拠点として申し分ございません」
「そう思うか」
「はい」
陳玄は城下へ視線を向けた。
「周辺へ兵を動かすにも、物資を集めるにも都合がよい」
「何より、これほどの城を一度手に入れた以上、ここを捨てる理由がございません」
「問題は、この城を維持する力です」
「兵糧、武具、軍資金、そして馬」
「我らだけで賄い続けるには限界があります」
凌天はしばらく城下を眺めていた。
「ならば、使えるものは使う」
「はい」
「家に書状を書く」
陳玄が頷く。
「承知しました」
その日のうちに、凌天は書状を書いた。
信都県城を制圧したこと。
今後、この地を拠点とすること。
兵糧、武具、軍資金、馬などが必要であること。
そして、これらの支援を求めること。
書状を封じる。
「韓蒼」
「おう」
「これを届けてくれ」
韓蒼は書状を受け取った。
「ああ」
「頼む」
韓蒼は頷いた。
その日のうちに、数十騎を率いて城を出た。
同じ頃。
鍛冶場では、職人たちが集められていた。
凌天は職人たちの前に立つ。
「新しい武器を作る」
「どのような物でございましょう」
「長柄の武器だ」
凌天は形を説明していく。
長い柄。
その先には、槍の穂先ではなく、刀のように斬れる幅広い刀身。
そして――
「柄も鋼にする」
職人たちが顔を見合わせた。
「柄まで鋼に?」
「ああ」
「かなりの重さになります」
「構わない」
凌天は即答した。
職人は凌天を見る。
「承知しました」
「強度を優先しろ」
「振るった時に曲がるようでは困る」
「かしこまりました」
職人たちはすぐに材料の準備へ取りかかった。
凌天は鍛冶場を後にした。
◇
韓蒼が信都県城を出てから、幾日かが過ぎた。
その間、城では復旧が進められていた。
城門の修復。
城壁の補修。
兵糧や武具の整理。
周辺の警戒。
凌天の軍は戦後も動き続けていた。
そして、ある日の夕刻。
城門から騎馬の一団が入ってきた。
先頭にいた韓蒼が馬を降りる。
「元覇」
凌天が振り返る。
「戻ったか」
「ああ」
韓蒼は懐から書状を取り出した。
「これだ」
凌天は書状を受け取る。
封を開き、内容に目を通した。
兵糧。
武具。
軍資金。
馬。
必要な物資を可能な限り用意するという返事だった。
「それと、朝廷にいる親族にも話を通してくれたらしい」
陳玄が韓蒼を見る。
「朝廷にも?」
「ああ」
「元覇の戦功について、話を通しているそうだ」
陳玄は頷いた。
「それならば、朝廷も動くでしょう」
凌天は書状を閉じた。
「そうか」
それから数日。
信都県城では、周辺の治安維持が続いていた。
黄巾の残党が現れれば討つ。
街道には騎兵を走らせる。
村々にも兵を巡回させる。
少しずつ、城下に人の姿が戻っていった。
ある日の夕刻。
凌天が城壁の上から城下を眺めていると、陳玄が歩み寄ってきた。
「城内の状況は、かなり落ち着いてまいりました」
「そうか」
「周辺の村々からも、少しずつ人が戻っております」
凌天は頷いた。
「ならば、このまま続けろ」
「承知しました」
その時だった。
城門の方から兵の声が響いた。
「凌天様!」
凌天と陳玄が振り返る。
「朝廷から使者が参りました!」
「通せ」
「はっ!」
ほどなくして、一人の使者が城内へ入ってきた。
◇
使者は広間へ通された。
凌天の前まで進む。
その姿を見た瞬間、使者は息を呑んだ。
噂に聞いていた以上の威圧感だった。
だが、すぐに姿勢を正す。
朝廷から命を受けて来た以上、怯えを見せるわけにはいかない。
「凌天」
「朝廷より、そなたに問う」
「聞こう」
「黄巾討伐の功については、すでに朝廷へ届いている」
「だが、そなたは朝廷の許しなく、信都県城に軍を留めている」
「何故だ」
凌天は使者を見た。
「黄巾が残っているからだ」
「それは分かっている」
使者は言い返した。
「だが、黄巾が残っているからといって、朝廷の命を待たず軍を置いてよいわけではない」
「では聞く」
凌天は淡々と問い返した。
「朝廷は、この城を誰に任せるつもりだ」
「それは朝廷が決める」
「いつ決まる」
使者は黙った。
「……まだ分からぬ」
「ならば、その間は誰が守る」
「そなたが勝手に決めることではない」
「俺たちが軍を引けば、この城は空く」
「黄巾が戻れば、また奪われる」
凌天は使者を見据えた。
「その時、朝廷はすぐに兵を送れるのか」
使者は眉を寄せた。
「そなたの言い分は分かる」
「だが、朝廷の許可なく軍を置くことを認めるわけにはいかぬ」
「認めてもらおうとは思っていない」
「正式な者が来るまで守るだけだ」
「正式な者が来たなら?」
「その時に軍を引く」
使者は黙って凌天を見る。
凌天から放たれる覇気に圧されながらも、使者は目を逸らさなかった。
「……よい」
「そなたの言い分は分かった」
「だが、朝廷が正式に退去を命じた場合は従ってもらう」
「正式な命なら従う」
「その言葉、忘れるな」
「覚えておく」
使者は一礼した。
「では、朝廷へ報告する」
使者は広間を出た。
その後を陳玄が追う。
城門へ向かう途中、陳玄が声をかけた。
「使者殿」
使者が振り返る。
陳玄は一つの包みを差し出した。
「これは?」
「長旅の慰労にございます」
使者は包みを見た。
「受け取れぬ」
「中身をご覧ください」
使者が包みを開く。
中には大粒の砂金が入っていた。
使者の目が僅かに動く。
陳玄は静かに口を開いた。
「此度の件、事実をそのままご報告いただければ、それで結構にございます」
「……」
「凌天様が何を申されたか」
「何をしているか」
「それを、そのままお伝えください」
使者は陳玄を見る。
「それだけか」
「それだけにございます」
使者はしばらく黙っていた。
やがて包みを閉じる。
「分かった」
陳玄は一礼した。
使者はそのまま城を出ていった。
◇
信都県城を出た使者は、しばらくして朝廷へ戻った。
朝廷では、すぐに報告が行われた。
「信都県城に軍を留めている理由は?」
「黄巾の残党から城を守るためとのことです」
「朝廷の許可なく軍を置いていることについては?」
「正式な者が派遣されれば、軍を引くと申しておりました」
使者は、凌天とのやり取りをそのまま伝えた。
信都県城を制圧したこと。
黄巾の残党が残っていること。
正式な官吏がいつ派遣されるか分からないこと。
その間、城を守るために軍を留めていること。
そして、正式な者が来れば軍を引くという言葉も。
報告を聞いた朝臣たちの間で、声が上がった。
「朝廷の許しなく軍を留めているのだぞ」
「しかし、黄巾討伐の戦功は事実だ」
「信都県城を取り戻したのも凌天だ」
「その後も治安を維持している」
意見は分かれた。
陳玄はその頃、信都県城で朝廷の動きを待っていた。
朝廷内の政争がどれほど激しいものか。
それを、陳玄は知っている。
家が没落した理由も、ただ戦に敗れたからではない。
朝廷で交わされる言葉一つ。
誰が誰を支持するか。
誰が誰を敵とするか。
それだけで、人の立場が変わることもある。
だからこそ、今回も使者に事実をそのまま伝えさせた。
それだけで十分だった。
そして朝廷では、凌天の扱いについて議論が続いていた。
「黄巾の乱はまだ終わっていない」
「これほどの兵を率いる将を、放置するのも危険だ」
「ならば、朝廷の官職を与えて使えばよい」
「官軍として黄巾討伐に加えれば、勝手に動く理由もなくなる」
やがて、一つの案が出された。
凌天に官職を与える。
そして、朝廷の命によって黄巾討伐へ向かわせる。
それが最も都合がよい。
その判断は、徐々に朝廷内で支持を集めていった。
◇
幾日かが過ぎ。
信都県城へ、再び朝廷の使者が訪れた。
広間へ通された使者は、凌天の前まで進む。
高雷、陳玄、韓蒼もその場に控えている。
使者は文書を掲げた。
「凌天!」
「勅命である!」
広間に声が響いた。
凌天は静かに使者を見る。
使者は文書を開いた。
「黄巾討伐において、そなたが重ねた戦功について、朝廷では幾度も吟味が行われた」
「青州において黄巾軍を破り、さらに冀州安平郡において信都県城を制圧」
「その戦いにおいては、大軍を率いた黄巾の将を討ち取り、敵軍を退けた」
「その後も軍を退かず、信都県城を守り、周辺に残る黄巾の残党を討伐している」
使者は一度言葉を切った。
「また、現在の安平郡においては、未だ黄巾の逆賊が勢力を残している」
「官府の立て直しも進んでおらず、朝廷より新たな官吏を直ちに派遣することも難しい状況にある」
「このまま軍を退かせれば、黄巾が再び勢力を盛り返す恐れもある」
凌天は黙って聞いていた。
使者は続ける。
「そなたが朝廷の許しなく軍を留めていたことについても、朝廷では議論がなされた」
「しかし、そなたがこの地に留まり、黄巾の残党を抑え、民を守っていることもまた事実である」
「以上を踏まえ、朝廷はそなたの功績と現在の情勢を合わせて吟味した」
使者が文書へ目を落とす。
「その功、認むべきものとする」
広間が静まり返った。
そして――
「よって、凌天を破賊都尉に任ずる!」
高雷が僅かに目を見開く。
韓蒼も凌天を見る。
陳玄は静かに頭を下げた。
使者はさらに続ける。
「また、冀州に残る黄巾の逆賊を討ち、朝廷の軍とともに乱を平定すべし!」
読み上げが終わる。
使者は続けて、従者へ目を向ける。
従者が一歩前へ出た。
その手には、布に包まれたものがある。
包みが解かれる。
中から現れたのは、印と綬を一体とした印綬だった。
使者がそれを掲げる。
「破賊都尉の印綬である」
「朝廷より、これを賜う」
凌天は一歩前へ進み出た。
そして、その場に膝をつく。
「臣、凌天」
凌天は頭を下げた。
「謹んで詔を拝受いたします」
凌天は印綬を受け取った。
その重みを、静かに手の中で感じる。
使者は詔書を差し出した。
凌天は両手でそれを受け取る。
使者は頷いた。
「では、速やかに軍を整えよ」
凌天は三人を見る。
「準備するぞ」
「はっ」
高雷が大斧を担ぎ上げる。
「兄貴、ようやく次の戦か」
韓蒼も笑う。
「官軍になったところで、やることは変わらないな」
陳玄は静かに使者を見る。
朝廷は凌天を警戒しながらも、その力を必要としている。
今はまだ、黄巾という共通の敵がいる。
それならば、利用できるものは利用すればいい。
凌天は広間の外へ目を向けた。
黒地金龍旗が風を受けている。
「行くぞ」
その一言とともに、次の戦いへの準備が始まった。