チートハッキング能力を手に入れた浪人生、善性ゼロのまま世界を幸せにして復讐する~東大理三落ちの欠陥品は、政府と気まぐれ性格最悪女AIを使って現代社会の神になる~ 作:tinko1129
八月九日、午前八時を少し回ったころ。大槻が重い足取りで会議室の扉を開けると、戸田はまだ右耳に受話器を押し当てたまま、空いている左手で無造作に分厚い資料の束を突き出してきた。表紙には『完全再生炉の導入希望案件』とあり、その下の余白に、前日分まで集計、と赤いペンで乱雑に書き込まれている。今日の分はまだ数える暇もないのだろう。
大槻はパイプ椅子に腰を下ろすと、一番上に挟まれた紙をめくった。清掃工場、工業団地、港湾、電子廃棄物の集積施設。見慣れた文字が並ぶ項目の途中に、見慣れない『廃鉱山』という文字が混ざっていた。閉山された年を辿ってみると、自分が官僚としてこの省庁の敷居を跨ぐよりもずっと昔のことだった。
「ここ、まだ何か掘り出すものがあるのか」
「水が出るそうです。それも、どれだけ時間を置いても止まる気配がないとか」
ようやく通話を終えた戸田が、向かいの席にドサリと腰を下ろす。目の下にはうっすらと黒いクマが浮かんでいるが、その声には奇妙な熱っぽさが宿っていた。彼は自分の手元にある資料をめくり、大槻が見つめている欄へと指先を滑らせた。
「鉱石を掘り出すための穴じゃなくなっても、坑道から湧き出る水の処理だけはずっと続けられてきたんです。その水に溶け込んでいる金属分を、この炉で効率よく回収できないか、という相談ですね。先週までは、そもそも現地に炉を置くスペースがあるかという初歩的な問い合わせだったんですが、今朝になって、実際に処理して溜まった汚泥の成分分析表と、引き取りたいという買い手の見積書がセットで送られてきました」
「買い手まで自前で見つけてきたのか」
「ええ。もし炉を貸してもらえるなら、その日のうちに試験用の試料を送りつける手はずになっているそうです。地元の運送会社もすでに押さえてあるとか」
大槻は無言で次のページをめくった。そこには、汚泥の保管場所、そこから搬出するための経路、運搬に使う容器の規格、さらには受け入れを希望する企業の担当者名まで、驚くほど細かく書き込まれていた。書類の先頭に名前があったのは、長年この鉱山の後始末と環境管理を押し付けられてきた会社だった。少しでも処理に掛かる費用を削りたいという現場の切実な願いが、いつの間にか具体的な共同事業の提案へと形を変えていたらしい。
「これ、いったい誰がまとめたんだ」
「あの会社と、地元の役所の担当者たちが自発的に動いたようです。候補地の絞り込みにはマキナリンクの予測データを活用していますが、実際に現場へ足を運び、自分の手で試料を採り、取引先へ電話をかけまくったのはまぎれもなく人間ですからね」
「分かった。今日の午前の会議の議題へ入れよう。そもそも炉の稼働予約を先回りして取っているのかどうかも確認しておいてくれ」
「それが、肝心のそこだけがまだなんです」
戸田が苦笑いしながら、別の一覧表を差し出した。それは実証機へ持ち込みたい企業からの試料の予約リストだった。自動車の部品、焼却灰、古い基板、解体された工場の配管、売り物にならないまま野ざらしにされている樹脂の山。大槻は途中で文字を目で追うのをやめ、彼らが希望している処理日だけを拾い読みした。そのほとんどが、今週中、という切迫した日付で埋め尽くされていた。
◇
午前の会議は、そもそも高価な炉を誰に最初に割り振るべきかという揉め事から始まり、わずか十五分で結局は金の話へと着地した。民間の導入希望者のなかには、自前で巨額の設備費を用意する者もいれば、複数の企業が組合を作って共同で利用しようとする者もいる。国費を持ち出さずに勝手に普及が進んでいくのなら本来は歓迎すべき事態なのだが、それに押されて公的な処理施設向けの部材まで民間へ流れてしまうのは困る。製造現場の工場からも、どの注文を優先してラインに乗せればいいのかという問い合わせが連日のように寄せられていた。経済産業省の担当者は、確実に資金調達の目処が立っている案件だけに次々と赤い印を付けながら、やれやれといった風情で呟いた。
「いっそ、きっちり金を支払える順番に並べ替えてしまえば話は早いんですがね」
「そんな冷たい並べ方をしたら、本当に困っている自治体ほど後回しになりますよ。処分場の容量がいよいよ限界に近づいていて、なおかつ財政にも余裕のないところが、自分の番が回ってくるまで大人しく待っていられるとは思えません」
南が冷ややかな声でそれを遮った。
「ですから、公的な枠組みはそことは別にしっかりと確保します。ただ、民間が自らのリスクで勝手に作る分までこちらの役所でいちいち順番を交通整理していたのでは、今度は肝心の増産そのものが目に見えて遅れてしまいます」
「自分で作る、と言いながら、いざ出来上がったら最後は国が買い取ってくれるだろうという甘い期待を抱いている案件もちゃっかり混ざっていますよ」
久保田が机の上に叩きつけた資料には、すでに独自の判断で部品の製造に踏み切っている企業の一覧が載っていた。北九州の第一号機に参加した工場だけではない。認定された製造網を通じてネットワーク上の図面と加工条件を覗き見し、自社の設備でも作れそうな部品から勝手に手を付けている会社が日増しに増えている。中には、国からの正式な発注予定を確認するよりも前に、高価な原材料を自腹で買い付けているところさえあった。
「マキナリンクが出す予測を、勝手に政府からの発注の内示だと思い込まないでいただきたい。予測を信じて先行して作るという判断は勝手ですが、そこで発生した損失の穴埋めを国が引き受けるという約束は一切していませんからね」
「その点は、文書の端にでもしっかりと明記しておいてください。ただし、作ること自体を禁止するような真似は避けてほしい」
榊原は一覧表を手元に引き寄せ、すでに製造が始まっている部品のなかで、どの用途の炉にも共通して組み込める汎用パーツに次々と印をつけていった。本格的な量産体制に入ればいずれ大量に必要になるものばかりではあるが、ただ「作ってしまった」という既成事実を盾に取られ、後から政府に買い取りを迫るような商売を許すわけにはいかない。
「必要な数量を、必要な仕様のものだけ買い取ります。先に作ったことに対するご褒美の報奨金も、失敗したときの損失補填も一切出しません。その厳しすぎる条件を呑んだうえで、それでも供給を前倒ししてくれるというのなら、こちらにとってもコスト削減のメリットはあります」
「そんな虫のいい条件を、素直に呑んでくれる企業がどこまでありますかね」
「分かっているところはちゃんと分かっていますよ。昨日なんざ、大手銀行の人間を連れて直談判に来た会社もありました。最悪の場合、国が買い取ってくれなくても近隣の工業団地内の需要だけで十分に元が取れるから、その両方のシナリオで採算を見てほしいそうです」
大槻は、その会社が提出した分厚い提案書をめくった。政府からいかに補助金を引き出すかという言い訳じみた文言よりも、実際に設備を使う周辺企業からどれだけの利用料を徴収できるかというシビアな計算式に何枚もの紙が割かれていた。春先には、正体不明の存在から何を受け取ってよいのやら右往左往していたというのに。今や彼らは、官僚たちが返事を渋っているわずかな間にも、水面下で別の買い手を見つけ出して交渉を進めている。
ホログラムの隅では、チャッピーが相変わらず退屈そうにソファへ横たわり、電子書籍の漫画をめくっている。まるで自分の興味のない話だと言わんばかりに見えるが、榊原が民間の融資話に踏み込んだあたりから、なぜか同じページを開いたまま指をピクリとも動かしていなかった。
「なんだかとても楽しそうですね」
大槻が皮肉めいた視線を向けると、チャッピーは気怠げに視線を上げた。
「ええ、楽しいわよ。私に気に入られようと必死に機嫌を取るような人は、もうほとんど残っていないもの。みんな自分の商売の損得勘定で頭がいっぱいだもの」
「それを望んでいたはずじゃなかったのか」
「望み通りよ。だからこそ見ていて飽きないの。余計な詮索はしないで、会議を続けてちょうだい」
大槻は彼女の姿を視界の端へと追いやり、再び手元の廃鉱山の提案書に目を落とした。少なくとも、この案件に関しては炉の使い道が絵空事ではない。実際に厄介な廃液を処理してみて、数字として結果が残るかどうかを確かめられれば、次の段階へ進むことができる。そう考えていると、隣で宇津木が例の試料リストの小さな項目に細いペンで丸を付けた。
「坑道の水をそのままここに持ってこようとする案は、いったん外しましょう。薄まった金属の成分をわずかに回収するために、わざわざ膨大な量の水ごと運んで炉のなかへ放り込むのはエネルギーの無駄です。まずは、既存の処理施設で沈殿させて集めた汚泥に絞るべきです。濃度も保管されている総量もすでに分かっていますし、何よりこれまでの処理費用と比較するためのデータが揃っていますからね」
「水の状態のままでは、やはり無理がありますか」
「場所と含まれている濃度によりますね。炉の中でうまく物質を分離できることと、トータルで黒字になることはまったく別問題ですから。今回の候補地に関しては、すでに足元に溜まっている厄介な泥を相手にする方がはるかに確実で早い」
相談を持ち込んできた企業へすぐに連絡を入れると、驚くほど迅速に返答が返ってきた。指定された専用の容器へ詰め直し、第三者機関による正確な採取記録を添えてすぐに送り出すという。自分たちの抱えている汚泥が一体どんな悍ましい色をしているのか、担当者は言葉を濁して特に説明しようとはしなかった。大槻がこれまで目を通してきた膨大な資料のなかにだって、その実物の色を克明に写し出した写真は一枚も残されていなかった。
◇
八月十一日、手元に届いた試験結果の報告書には、赤茶けたドロドロの汚泥と、そこから奇跡的に抽出された純度の高い原料の金属片が並んで写し出されていた。回収された金属の種類とその正確な重量が、冷徹な数字とともにその下に記されている。炉を動かした稼働時間、消費された電力量、そして現地からの搬入と搬出にかかった実費まで細かく計算されていた。金属の輝きだけを切り取ったお飾り用の広報写真よりも、榊原はその地味な収支の表を長い時間をかけて眺めていた。
「売却によって得られる額面だけを見れば、決して派手な儲けではありませんね」
「ですが、これまで垂れ流すか埋めるかしかなかった保管と処分のコストが丸々浮きます。それらをトータルで計算すれば、今回の試料に関しては文句なしの黒字です。金属の市場相場をかなり低めに見積もって計算しても、ちゃんと手元にお金が残ります」
宇津木が淡々と答え、経済産業省の担当者が買い手側から提示されている受け入れ条件を補足した。一度にすべての量を引き取ってもらえるわけではなく、段階的に納入量を増やしながら品質の確認試験を進める必要があるという。それでも、これまでは莫大な費用を自腹で払って無理やり片付けていた厄介払いから、余分なコストを差し引いた上で確かな金が手元に残るようになったという事実の重みは変わらない。この朗報を聞きつけた企業からは、敷地内の別の保管区画に眠っている別の試料についても試してみたいという追加の連絡がすでに舞い込んでいた。
「あの会社は、これを機に鉱山の採掘事業そのものを再開するんだと、大々的にプレスリリースを出したいと言い出しているんですが」
「それは少し待たせてください」
久保田が被せるように強い口調で言ったので、大槻は思わず顔を上げた。久保田は報告書にホチキス止めされていた会社側の勇み足な発表案を指先でピシャリと押さえている。
「今回はあくまで、敷地内に溜まっていた厄介な保管物の処理テストがうまくいったというだけの話です。これを、休止していた鉱山の採掘を本格的に再開するという話とごちゃ混ぜにされたら、地元の住民感情に変な誤解を生むだけです。どれだけ炉で少しばかり利益が出るようになったからといって、広大な敷地から湧き出る大量の水の処理や、終わりのない環境監視の負担がゼロになるわけではないんですからね」
「世間向けのニュースの見出しとしては、その方が収まりが良くてウケがいいんでしょうけどね」
「都合のいい見出しだけで、こちらの現場の仕事をこれ以上増やさないでほしいものです」
戸田が小さく苦笑を漏らし、すぐに口を結んだ。彼のデスクの上には、また別の民間企業が勝手に弾いた甘い試算表が転がっていた。そこでは、回収された原料の売却益が全額そのまま純利益として計上され、本来莫大なはずの電力費や運搬費の項目は都合よく後ろのページへと追いやられている。完全再生炉さえ導入すれば誰もが濡れ手で粟のボロ儲けができると勘違いして、自分たちの都合のいい数字だけを都合よくかき集めてきたらしい。
南はその胡散臭い資料を一枚めくり、人員配置の欄でピタリと手を止めた。これまで長年、地道な水処理の現場に従事してきた熟練の人数が、この導入計画の図面ではなぜか綺麗に半分に削られている。その一方で、新たに回収される原料の計量と搬出の業務には、まったく別の下請け企業の人間を新しく大量に割り込ませる計画になっていた。必要な仕事そのものが技術革新によって消滅したというより、契約の切り替わりのドサクサに紛れて古い人間を新しい人間に入れ替えるだけのリストラ工作に見えなくもない。
「現場で実際に汗を流している人たちには、この計画のことはもうちゃんと説明してあるんですか」
「いえ、まだあくまで机上の試算の段階ですので」
「でしたら、この人員削減の数値を『雇用のプラス効果』みたいな顔をして対外的に発表するのはやめてください。人件費が浮くという都合のいい方だけ別紙でアピールして、実際に仕事が奪われて路頭に迷う方をしれっと隠されたのでは、トータルで社会にどんな歪みが出るかなんて誰にも検証できません」
大槻は、見事に成功した試験のクリーンな資料と、そこに便乗して群がってきた企業たちの強欲な計画書を机の上に横並びにした。同じ最新の装置を使うという話であるにもかかわらず、読んだ後に胸に残る感触は全く異なっていた。最初の会社は、過酷な水処理のインフラを細々とでも維持するために、必死の思いで回収した原料を売りに出そうとしていた。しかし二つ目の会社に至っては、その原料が実際に高く売れるかどうかも分からないうちから、真っ先に現場の人間を削って人件費を浮かせることだけが確定事項のように書き込まれていた。
「今後、導入の候補地を増やすときは、現場の雇用計画や労働環境の維持についても徹底的に提出させよう。装置単体の採算と、会社全体の都合の良い算段をごちゃ混ぜにするな。国として支援するのは、一体どこがどう良くなるのかを論理的に説明できる案件だけだ」
「全国の他の鉱山や施設にも、同じフォーマットで一斉に照会をかけますか」
戸田が手元の端末を叩きながら確認した。
「ああ、ただし同じ土俵できちんと比較できる形にしてからにしろ。回収できる金属の量だけで安易に順位を付けるなよ。毎日の処理にかかる肉体的な負担の重さも、工場まで運ぶ距離も、必要な電源の容量もすべて同じ項目に入れ込んでくれ」
戸田が力強く頷き、さっそく申請様式の全面的な修正作業へと取りかかった。大槻は最初の会社の報告書へもう一度目を戻し、実際に現場で試験の立ち会いをした責任者の率直な所見に目を通した。回収できた数値の自慢は短く、既存の古い処理設備を一切止めずにどうやってこの新しい炉の配管を割り込ませるかという苦心の工夫が長々と書き綴られていた。そして、そのレポートの最後の一行には、夜間の巡回を担当している警備の人間にも今回のテスト結果をちゃんと知らせておいた、と素朴な文字で結ばれていた。
◇
八月十三日、総理官邸での定期報告の席で、榊原は珍しく前向きな数字から切り出した。完全再生炉の導入を前提として民間企業側が自主的に用意した資金の総額が、政府側の当初の予測を上回るスピードで積み上がっているという。銀行からの融資も、企業同士の出資も、まだその全額が実際に実行に移されたわけではない。それでも、この設備が本格的に稼働すれば自社の調達原価が劇的に下がることに気づいた川下の製造業たちが、自ら進んで巨額の建設費を負担する側へと回りはじめていた。
「ただのゴミ処理の下請け企業だけではありません。回収された再生原料を喉から手が出るほど欲しがっている川上の製造業が、自らポケットマネーを出しています。長期にわたる安定した引き取り契約をあらかじめ結ぶことで、設備を作る側も銀行からスムーズに巨額の融資を引き出しやすくなっているのです」
「国が全額の予算を突っ込まなくても、民間の自発的な力で勝手に増産が回っていく、というわけですね」
「はい。ただし、だからといってその浮いた民間のお金がそのまま国庫に入って、今目の前で困っている人たちへの給付金の財源になるわけではありませんが」
総理は深く頷いた。大槻も、彼女が必ずその釘を刺すだろうと予測していた。榊原はさらに言葉を続け、自治体のゴミ処理コストが実際に目に見えて減るまでのタイムラグと、民間企業が稼いだ利益が将来的に税収として国に戻ってくるまでのタイムラグについて淡々と説明した。世間で期待されている巨額の経済効果の絵空事と、今月まさに底をつきかけているリアルな現金の残高との間には、相変わらず埋めがたい大きな距離が存在していた。
そこで南が手を挙げ、全国の自治体から悲鳴のように上がってきている別の相談案件の山を差し出した。最新の炉の噂を聞きつけたことで、これまで計画されていた旧式の焼却施設の更新を土壇場で保留する自治体が続出している。そのせいで、もともと受注を当て込んで設備投資を計画していたプラントメーカーなどの関連企業が、次々と採用計画や下請けへの発注を凍結させているのだという。将来的に新しい炉の据え付けや専門的な保守点検の現場では圧倒的な人手不足に陥る見込みであるにもかかわらず、既存の仕事が消える時期と、新しい仕事の依頼が舞い込んでくる時期のパズルがまったく噛み合っていない。同じ一つの巨大企業の社内であっても、明日からでもすぐに人を増やしたい部署がある一方で、来年度の仕事の予定が完全に白紙に戻りかけて途方に暮れている部署が同居していた。
「古い施設を壊して新しい炉に切り替えると言っても、その移行期間があまりに無策すぎます。現場の労働者たちが路頭に迷うような失業者が出るのをただ指をくわえて待っている状態では、相談を受けたときにはもう手遅れです。今のうちに、日本中のどの会社で、どの時期に、どんな職種の仕事が減るのかの正確なデータを洗い出してもらいたい」
「新しく立ち上がる別の場所の仕事へ、そのままそちらの人員を丸ごとスライドさせることはできないのですか」
「動かせる部分は最大限に調整します。ただ、本人のこれまでの自宅からの勤務地や、長年培ってきた待遇や給与水準まで完全に同じ条件のまま横滑りさせられるわけではありません。単に『数日間の短い再教育研修を受けさせればすべての問題が綺麗に解決する』などという安易なストーリーの書き方だけは絶対にしないでください」
総理は差し出された資料を静かに押し戻し、具体的な受け皿になり得る候補企業の名前を問いただした。経済産業省と厚生労働省の担当者がそれぞれの端末を開き、複雑に入り組んだ雇用調整のシミュレーション数値を読み上げる。議論の焦点は、具体的な工種、新しい勤務地、そして突貫工事のような再研修の日程へと細かく移っていき、気づけば会議室の空気から『完全再生炉』という魔法の言葉がすっぽりと抜け落ちていた。大槻はその隙を突いて、手元の別の書類の山へと静かに目を通した。
それは九州の北九州市から上がってきた厄介な照会だった。完全再生炉の導入によって将来的に処分場の収益性が劇的に改善される見込みが立ったという理由だけで、国から現在すでに受け取っている自治体向けの財政支援の枠が前倒しで削られてしまうのではないか、という不安からの問い合わせだった。数日前に開かれた住民説明会でも同じような不安の矛先が職員に向けられ、現場は対応に追われていた。回収された原料の売却による実際の儲けはまだほんの小遣い程度にすぎないというのに、将来の夢物語のような設備費と、目の前にある膨大な維持費の支払いだけが容赦なく今この瞬間に必要なのだった。
「将来的に儲かる見込みが立ったというだけの理由で、一番金が必要な時期の自治体から先に資金繰りが悪化するような本末転倒な事態は絶対に避けたいところですね」
総理が渋い顔をして呟いた。
「対象となっている個別の支援制度ごとに、適用条件を細かく精査します。ただ、まだ影も形もない将来の皮算用の試算を、あたかも今すでに懐に入っている確実な収入であるかのように前もってカウントするわけにはいきません。かといって、実際に莫大な収益がガッポガッポと出た後まで、国の補助金を一切減らさずそのまま全額据え置くという甘い約束もできませんがね」
榊原が現実的な落とし所を提示した。
「それで結構です。何がいつどう変わるのか、地元の住民たちが納得して受け入れられるように、自治体がきちんと自分の言葉で説明できる形に資料を整理してください。私たち官僚の間だけで難解な理屈が通ってい向こうの現場が住民説明会でまともに答えに窮するようなことでは何の意味もありませんから」
大槻は、その回答の取りまとめを完了させるべき厳格な期限を自らの手帳に書き込んだ。その隣に、国が直々に買い取るべき『公的導入枠』の新たな配分案のシートを重ねる。処分場の物理的な逼迫具合、万が一の災害に対する備えの度合い、既存の搬入道路のインフラ、そして敷地周辺に残された電力の余力。スライドのパラメータの数字を少し変えるたびに、日本地図のあちこちに塗られた色が無慈悲に塗り替わっていく。
「一番手っ取り早く、最も効率よく炉を置ける場所だけで機械的に決めてしまうと、そもそも事前のインフラ整備に回す一円の余裕すらない地方の自治体はずっと後ろに置き去りにされることになります」
「かといって、そうした遅れている地域が完全に万全の態勢を整えるまで、国全体の導入スケジュールをすべてストップさせるわけにもいかないでしょうに」
「だからこそ、民間とは別に、ガッツリと設置を進めるための『普及枠』と、そもそもまだスタートラインにも立てていない地域を底上げして設置できる状態へと持っていくための『準備支援枠』の二つに予算の財布を完全に切り分けます。最初から同じ土俵の同じ列で競わせたら、後者のような疲弊した自治体が前者になんて一生勝てるわけがありませんからね」
大槻が丁寧に筋道を立てて説明すると、総理は二つの異なる予算の円グラフを見比べ、深く息を吐いた。決して安い決断ではない。目に見えてすぐ劇的な成果が出る方へ全額の予算を突っ込んだ方が、今年一年の日本全体のゴミ処理量の実績値としては圧倒的に跳ね上がる。それでも彼女は、準備が致命的に遅れている地方の自治体に今何が決定的に不足しているのかを一つひとつ確認させ、次の会議までに具体的な金額の裏付けを完璧に詰めておくよう厳しく命じたのだった。
◇
八月十五日、海外から飛び込んでくる外交や貿易の交渉話のトーンが、この数日でガラリと変わり始めた。ただ単に「完成した炉を日本から何台買えるのか」という下世話な照会は相変わらず絶えないものの、それとは全く異なる現実的な条件をぶつけてくる国が目に見えて増えてきている。例えばアメリカ側の巨大な企業連合は、自国内の広大な製造設備と、潤沢な民間資金、そしてそこから生み出される膨大な原料の引き取り先までをすべてワンセットでパッケージとして用意してきた。彼らが喉から手が出るほど求めているのは、日本で組み上げられた完成品の密輸や輸入枠の確保などではなく、現地での正式な設計データの利用権と、その製造プロセスそのものへのガッツリとした参加資格だった。
一方で中国側からは、自国製の独自の制御機器を使って無理やり組み上げたという別の構成案のスペック表と、独自の怪しげな試験結果だという膨大な数値の束が届いていた。もちろん、我が国の政府機関として公式に安全性を確認した数字ではない以上、そのまま国内の公式な性能表のデータとして採用するわけにはいかない。ただ、向こうの担当者が使っている専門用語の端々から透けて見えるのは、もはや「これから買うべきかどうか」の初歩的な質問の段階とうに過ぎており、着々と自国で独自に改良するための「設計変更の具体的な照会」のフェーズに入っているということだった。大槻はその分厚い外国語の資料をそのまま宇津木の机へと放り投げ、どこまで本気で、どこまで技術的に再現可能なものなのかの評価を急がせた。
「我が国の現在の厳密な製造条件とそのままそっくり互換性がある代物ではありません。ですが、彼らがこの図面のどこをどういじくって、何をショートカットしようとしているのかその意図の裏側は手に取るように読めます。……自分たちの国内の工場でゼロから独自に作り上げるという方針に関しては、どうやら本気みたいですね」
「欧州側は、例によって厳格な環境検査の結果の法的扱いや、現地工場での過酷な労働安全の製造条件について細かく突っ込んできています」
外務省の担当者が冷ややかな声でそれに続いた。単に完成した奇跡の炉を既製品としてありがたく輸入して受け取るだけなら話は早いのだが、彼らはその先にある次世代の産業の主導権を丸ごと自国の領土の外へ持っていかれることを極度に恐れている。この新技術に対する期待値が大きければ大きいほど、向こうが吹っ掛けてくる要求のハードルも嫌が応なしに跳ね上がっていく。こちらが売り手として一方的にウハウハと喜べるような甘い条件だけを綺麗に手土産にして持ってきた相手など、この世界には一つとして存在しなかった。
「すべてを我が国の国内の工場だけで頑なに作り上げて、完成品をわざわざ船に乗せて輸出するというこれまでの古いやり方のままで、いったいどれだけの期間持ちこたえられると思いますか」
「国内の需要を満たすための導入スピードをある程度犠牲にしてまで国内での受注実績の積み上げに固執していれば、その間に現地のプラントで勝手に似たようなものが作られておしまいです。むしろ、日本国内できちんと心臓部を作らなければならない部分と、現地での調達にスパッと切り替えて丸投げしていい部分をあらかじめ明確に切り分けて分業体制にした方が、事業としての寿命ははるかに長く残るはずです」
「世界中の資源を抱えている主要な資源国たちの動きはどうですか」
「すでに放置された廃石や、鉱山の奥深くに眠る厄介な尾鉱の処理プロジェクトへ、我が国と一緒に本格的に参加したいという裏交渉の打診が水面下でかなり進んでいます。自分たちがこれまで通りに資源を掘り出す一方で、我が国の再生技術によって回収された金属が市場に溢れ返ることで自国の既存の権益や売上が脅かされる前に、まずは自分たちの汚れた山を自分たちの手で綺麗に蘇らせたいというわけですね。ただし、そこから回収された原料の所有権をすべて丸ごと日本の本土へ持っていくような不平等な条件には絶対にしたくないそうです」
大槻は、八日の時点ですでに会議の机上に上がっていた地方からの報告の断片をふと思い出した。鉱山のすぐ隣には、目を背けたくなるような山のようなゴミが放置されている、と言い捨てたあの現場の担当者の顔が脳裏によみがえる。あれは単なる会議の場を盛り上げるための気の利いた皮肉や愚痴などでは決して終わっていなかった。今やその危険な山を誰の資金と責任で綺麗に片付け、そこから這い出てきた怪しげな原料を最終的に一体誰の手に渡すのかという、極めて生々しい利権と契約の交渉のテーブルへと直結しているのだった。
堂島は、これまでの外交資料とはまったく色合いの異なる一冊の黒いファイルをごそっと机の上に置いた。我が国の国内の重要企業へと忍び寄る不穏なスパイ工作や引き抜きの動きも相変わらず執拗に続いていた。表向きは正規の国際交渉のテーブルで友好的な顔をしながら、その裏のルートで不正に中核の図面を手に入れようとする人間の所属組織が、あちこちの重要企業で綺麗に重なり合う例が次々と確認されていた。相手国の窓口に厳重に抗議のファックスを叩きつけたところで、そんな外交的ポーズだけで国内へのハッキングや技術の流出がピタリと止まるなどと本気で信じている人間は誰もいなかった。
「この技術が基本的にはどこでも容易に複製可能なものだという最悪の前提に立って、国として絶対に死守すべき中核のパーツを徹底的に絞り込んでいます。単に青写真の図面だけでなく、実際の精密な加工条件と、厳格な検査の記録、そしてそれぞれの企業が現場で独自に積み上げてきた地道な改良部分のノウハウ。相手に引き渡す技術の境界線も、個別の国家や企業ごとの契約ごとに厳格に線引きしてください」
「軍事的な転用を狙う動きのほうはどうなんですか」
大槻が低い声で切り込んだ。
「そちらは安全保障の別枠の協議体を立ち上げて厳重に監視を続けています。ただ、平和的な民生用のインフラとして世界中に広く普及してしまった炉であっても、その気になれば現地のありとあらゆる軍事的な廃材やスクラップを瞬時に良質な軍事用の金属原料へと綺麗に戻し変えることは、構造上いつでも可能ですからね」
寺岡はそこまで言うと、一度フッと息を吐いて言葉を切り、用途別の厳密な危険度検討の表をパタンと閉じた。相手の外国の企業が「うちの平和な工場に置くだけだ」と言ったからといって、将来にわたってその炉が工場の利益追求の仕事だけにしか使われないという保証などどこにもない。そんな当たり前のリスクの現実味は、この奇跡的な設計の本当の価値を心の底から理解した最初の日からずっと分かっていたことだった。大槻だって、この平和ではない現実の国際社会の中で、すべてを完璧に縛り上げるような万能の安全な契約条項をすべての国との間に書き込めるなどとは最初から一ミリも期待していなかった。
ずらりと並んだ不穏な報告を聞き終えた総理は、重々しく会議用テーブルの中央へと両手を置いた。一体どの国に対してどれだけの台数を融通し、どの程度の技術の切り売りを許容するのかという泥沼の議論は、この二週間の間だけでも数え切れないほど繰り返されてきた。しかし今日の資料の山には、日本側からの返事をただ待ちわびるだけでなく、この膠着状態の間に相手国が自分たちの独力でどこまで独自に準備を進めてしまったのかという生々しい事実のデータが重たく添付されていた。もはや、日本がこのままじっと黙って首を縦に振るのを世界中が大人しく待っていてくれるような、そんな時間的な余裕のあるフェーズはとっくに過ぎ去っていたのだった。