キキョウより湿度の高い男 in キヴォトス   作:曇りのち晴れ男

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第四話 非合理的なファインダー

 

「いや~、冷却水って大事だね。過熱のランプが点灯しなくなったもん」

 

 遺失物預り所の前にボロ車を停めるなり、陽介が満足げにボンネットをポンと叩いた。

 私は助手席のドアを開け、冷たい風に尻尾を揺らしながら小さくため息をつく。

 

「あれだけ煙を噴いておいて、水を足しただけで直ったと喜べるその危機管理能力には驚くわ」

 

「ぶっぶー、冷却水は水じゃなくてエチレングリコールです〜」

 

「……さっさと中に入りましょう。第七廃棄区画へ向かう前に、依頼人を呼び出してカメラの正確な特徴をヒアリングする必要がある」

 

「あ、無視! 無視良くない!」

 

 現場に大量のスクラップや盗品があることを想定すれば、類似品の中から本物を瞬時に特定するための情報が不可欠。

 そう計算を巡らせながら、陽介に続いて預り所のドアを押し開けた、その時だった。

 

「あ、おかえりなさい」

 

 薄暗い室内のソファで、見慣れた制服姿の生徒が立ち上がった。

 これから呼び出そうとしていた矢先の、依頼人本人だった。

 

「……あなたがなぜここにいるの? まだ連絡はしていなかったはずだけれど」

 

「すみません、なんだか落ち着かなくて。勝手に待たせてもらっていました」

 

 彼女は少しだけ気まずそうに笑うと、陽介から手渡された温かいお茶の紙コップを両手で包み込んだ。

 

 悲壮感はない。カメラを盗まれてひどく取り乱していた当初に比べれば、どこか憑き物が落ちたような、ある程度吹っ切れたような顔をしていた。

 

「なんででしょうね。あのカメラがないと私、意外と写真撮れないみたいで」

 

 ぽつりと、彼女が自嘲気味にこぼす。

 

「カメラなんて、今はスマホでも綺麗に撮れるじゃないですか。最新のデジタルカメラなら失敗もしないし。でも、不思議とシャッターを切る気になれなくて。あの重たくて不便な機械じゃないと、駄目みたいなんです」

 

「……不便な機械じゃないと、駄目」

 

「はい。昔は、あの子と一緒ならどこへでも行けたんです」

 

 彼女は温かいお茶を一口だけ啜ると、膝の上の紙コップへと視線を落とした。

 

「水たまりに反射する街灯の光とか、路地裏であくびをする野良猫とか。放課後の空が燃えるようなオレンジに染まるグラデーションとか……」

 

 彼女の目が、少しだけ細められる。

 

「そういうのを全部記録したくて、あの重たいカメラを毎日首から提げて歩き回ってました。ファインダー越しに見る世界は特別で、シャッターを巻き上げてピントを合わせる手間すらも、すごく愛おしかったんです」

 

 懐かしむような、少しだけ熱を帯びた声だった。

 だが、彼女はすぐにふっと息を吐き、ソファの背もたれに体を預けた。

 

「でも、コンテストで賞をもらったり、周りから期待されるようになったりしてから……なんだか、息苦しくなっちゃって」

 

「息苦しく、ですか」

 

 私が静かに相槌を打つと、彼女は力なく頷いた。

 

「ええ。完璧な構図、正確な露出、誰が見ても文句のない正解の写真を撮らなきゃって、そればかり考えるようになったんです。いつしか、ファインダーを覗いても心が動かなくなって……失敗を恐れる計算ばかり」

 

「……よく聞く話、だね」

 

「次第にカメラの重さが、ただの苦痛に変わっていきました。だからあの日、重圧から逃げるように、機材車に置き去りにしてしまったんです」

 

 彼女はそこで言葉を区切り、顔を上げて私と陽介を交互に見た。

 

「もう情熱なんてすっかり冷めきったつもりだったんです。盗まれた時も、どこかでホッとしている自分がいたくらいで」

 

 そう言って、彼女は手持ち無沙汰に指先を擦り合わせる。

 

「でも、いざ無くなってしまうと、あのファインダーの匂いとか、フィルムを巻き上げる硬い感触ばかり思い出しちゃって。未練がましいですよね」

 

 情熱を失ったと頭では理解し、吹っ切れたつもりでいても、心が、指先が、あのカメラの重みを求めている。完全に捨て去ることなどできていないのだという痛切な想いが、ただ話を聞いているだけの私にもはっきりと伝わってきた。

 

「未練がましいなんてことないさ」

 

 陽介が、いつもの呑気な、けれどどこか真っ直ぐな声で笑う。

 

「失くしたくないから、預り所で待ってたんだろ? なら、俺たちが必ず君の手に返してみせるよ」

 

 ■■■

 

 私たちを乗せた車は、まるで人が乗っていることを考えていないかのように激しく揺れる。それと同時に、車内に充満した熱風が私の顔を容赦なく襲った。

 私は助手席の窓を限界まで全開にし、百鬼夜行の冷たい夜風を無理やり車内へと取り込んだ。

 

「……この状況について、作戦参謀として論理的な説明を求めたいのだけれど」

 

「いやあ、ミノリちゃんの修理技術は本当に大したものだねえ。あんなに冷え切ってたヒーターが完全に復活するんだから」

 

 陽介はハンドルを握りながら、空いた手で額の汗を拭った。

 

「復活の度合いが常軌を逸してる。調節ダイヤルが完全に固着していて、常時最大出力の熱風を吐き出し続けているけれど」

 

「あっちぃ……」

 

「あ、本音……」

 

「気のせいです! いやー、あったかいなぁ!!!!!」

 

 窓を閉め切れば、ものの数分で意識が遠のくほどの熱気。

 

 ここは極寒のレッドウィンターではない。百鬼夜行の気候でヒーターを最大出力にするなど、ただの拷問でしかない。左半身は涼しい夜風に晒され、右半身はサウナのような熱風に炙られるという、劣悪極まりない環境だった。

 

「まあまあ、頭寒足熱って言葉もあるし、戦士の精神を研ぎ澄ますにはちょうどいい環境だよ、きっと」

 

「私の精神はすでに、この車をスクラップ工場へ直行させる計算で十分に研ぎ澄まされてる。えぇ、それはもう」

 

「この子はまだ走れるよキキョウちゃん」

 

「それ以外が終わっている、と言っているのだけれど」

 

 私が冷徹な視線を送ると、陽介は引きつった笑いを浮かべて速度を落とした。

 ボロ車がキュルルと情けない制動音を立てて停車する。

 

 目的地である、百鬼夜行の端に位置する第七廃棄区画の入り口に到着した。

 

「うは──っ! ととのう──っ!!」

 

「……馬鹿なの?」

 

 車外へ出ると、ひんやりとした夜気が火照った体を冷ましていく。目の前に広がっているのは、うず高く積まれた金属のスクラップと、廃材の山だった。地平線の彼方まで、不毛な鉄の墓場が続いている。

 

「さて、この広大なゴミ捨て場から、どうやって悪党の隠れ家を見つけるかだけど……。さすがにノーヒントじゃ厳しいかな」

 

 陽介が首を傾げながら、広大な廃棄区画を見渡す。

 

「無能な指揮官ほど、足元のヒントを見落とすもの」

 

 私はその場にしゃがみ込み、地面の土を観察した。

 

「見て。新しくつけられた、複数台の車両のタイヤ痕。それに、地面を踏み固めた足跡の密度が、このルートだけ妙に高い」

 

 指先で軽く土を払い、その下にあるものを確認する。そこには、ミノリに見せたものと同じ、粗悪な防腐処理が施された輸入木材の木屑が点々と落ちていた。

 

「建材を運び込んだ際の破片ね。これだけの物証があれば、ルートを導き出すのは容易」

 

 私は立ち上がり、衣服についた砂埃を払った。

 

「ここから南西へおよそ三百メートル。あそこに見える巨大なクレーン車の残骸の裏側に、不自然な生活動線が集中している。敵のバリケードは、そこに間違いない」

 

「さっすがキキョウちゃん。俺の自慢の作戦参謀だね」

 

「『あんたの』作戦参謀になった記憶はないけれど……まぁ誉め言葉として受け取っておく」

 

 陽介は感心したように頷きながら、懐から通信端末を取り出した。

 私はその端末を横目で睨みつける。

 

「ミノリ部長への連絡は、私が正確な包囲網を計算してからにして。無計画な突入は作戦とは呼ばない」

 

 私たちは足音を殺し、巨大なクレーン車の残骸の裏側へと回り込む。

 

 そこには、粗悪な木材と錆びたトタン板、そして無数のスクラップを無造作に組み合わせて作られた、いびつなバリケードが築かれている。

 

「いやあ、こんなスクラップの山によく基地なんて作る気になったよね。隙間風だらけで寒そうじゃない?」

 

「しっ。無駄口を叩かないで、陽介。頭を下げてちょうだい」

 

 呑気に身を乗り出そうとする陽介のコートの裾を引っ張り、私は強引にしゃがませた。

 

「……静かに、中にいる」

 

「お、どれどれ」

 

 私たちはドラム缶の陰に身を潜め、バリケードのわずかな隙間から内部の様子を覗き込んだ。

 

 そこには、焚き火を囲んでたむろする数名の不良生徒たちの姿があった。首から見覚えのある年代物のフィルムカメラを提げている見知らぬ生徒がいる。どうやら彼女が、機材車からカメラを盗み出した張本人らしい。

 

 そして、その隣に座っている人物に視線を移した瞬間、私の隣で陽介が素っ頓狂な大声を上げた。

 

「うわっ! この前戦った生徒!!!」

 

「うるさい……っ!!」

 

 私は咄嗟に陽介の口を両手で塞ぎ、力任せに地面へと押し倒した。

 

 視線の先にいた生徒、それはこの前私が戦った黒ずくめの生徒だ。しかし、静まり返った廃棄区画で響いたその声は、バリケードの中にも確実に届いてしまった。

 

「ん? おい、今外で何か声がしなかったか?」

 

「誰かいるのか?」

 

 焚き火を囲んでいた不良生徒たちが、一斉に武器に手を伸ばして立ち上がる。ザクザクと足音がこちらへ向かって近づいてくるのが分かった。

 

 陽介の口を塞いだまま、私の背筋に冷たい汗が伝う。

 見つかる。包囲網の計算が完了する前に乱戦になれば、カメラを無事に奪還できる確率が下がる。

 

 私は数秒の葛藤の末、プライドをかなぐり捨てて、震える喉から絞り出すように声を出した。

 

「にゃ、にゃーん……」

 

「……なんだ、ただの野良猫か」

 

「脅かすなよ。こんな寒いところに人がいるわけないだろ」

 

 私の渾身の猫の声真似を聞いて、不良生徒たちは警戒を解き、再び焚き火の周りへと戻っていった。

 足音が遠ざかったのを確認し、私は深く、ひどく深い溜め息を吐いてから、陽介の口を塞いでいた手を離した。

 

「可愛かったよ」

 

「今度こそ、その命ないと思って」

 

「いや、なんか今回ばっかりは本当にごめん……」

 

 へらへらと笑う陽介を極寒の視線で射抜いてから、私は再びバリケードの隙間へと視線を戻した。

 

「……不良集団のリーダーに、百花繚乱の参謀が苦戦していたなんてね……」

 

 ただの車上荒らしの不良グループのリーダーが、まさかあの凄腕だとは計算外だ。こんな末端のコソ泥集団を束ねているような器には見えなかったのに。

 

 私が警戒を強めていると、カメラを盗んだ張本人が、素人丸出しの手つきでレンズを覗き込み始めた。

 しかし、その表情はどこか楽しげだ。

 

「すっご……スマホのカメラと全然違う。ダイヤル回すと景色がボヤけたりくっきりしたりするし、シャッターの音、ガシャッてすげえ重たいし……!」

 

 彼女は寒さも忘れたように、焚き火の炎や、夕闇に沈みかけたスクラップの山を夢中でファインダーに収めようとしていた。ピント合わせに悪戦苦闘しながらも、古い機械の独特な手触りと性能に触れ、湧き上がるワクワクとした気持ちをどうしても抑えきれない様子だった。

 

「……なんだか、盗んだ本人はすっかりあのカメラの虜って感じだね」

 

「そうね」

 

 私が短く答えると、バリケードの中で黒ずくめのリーダー格が鼻で笑う音が聞こえた。

 

「おい、そんなガラクタいじってないで早くしまえよ。素人が適当に触って傷でもついたら、売り飛ばす時の値段が下がるだろうが」

 

「えー、でもこれ結構面白いよ? もうちょっとだけ……」

 

「さっさと鞄に入れろ。ただの金目のモノに愛着なんか湧かせてどうすんだよ、馬鹿らしい」

 

 リーダー格の生徒は苛立たしげに煙草の煙を吐き出し、カメラを早く換金することしか頭にないようだった。

 

「皮肉なものね」

 

 私は静かに呟いた。

 

「依頼人が重圧の末に見失ってしまった情熱を、カメラを盗んだ泥棒が見出している。そしてそれを束ねるリーダーは、ただの換金用のガラクタとしか見ていない」

 

 私はその光景を静かに脳裏に焼き付け、暗がりの中で自身の武器を構えた。

 隣にいる陽介へと視線で合図を送る。彼は小さく頷き、これから始まる乱戦に向けて準備運動をするように首を鳴らす。

 

 懐から通信端末を取り出し、待機している工務部のミノリ部長へと、正確な座標と開戦の合図を送信しようとした、その直後だった。

 

『バキッ』

 

 静まり返った廃棄区画に、無情にも乾いた破裂音が響き渡った。

 先ほど私が目印として目をつけた、粗悪な木材の欠片を思いきり踏み抜いてしまったのだ。

 

「誰だッ!!」

 

 バリケードの中にいた不良生徒たちが一斉にこちらを振り向く。

 ドラム缶の焚き火の光が、物陰から半身を乗り出していた私と陽介の姿を、誤魔化しようのないほどはっきりと照らし出していた。完全に目が合っている。

 

 極限の緊張感と、作戦参謀としての計算がショートした結果。

 私は、どうしてそんなことをしたのか自分でも分からないまま、再び震える喉から声を絞り出した。

 

「にゃ、にゃーん……」

 

「馬鹿かお前!? 私らに見つかってるのに猫の声真似して誤魔化せるわけねぇだろ!」

 

「うるさい……っ」

 

 私は顔から火が出るほどの羞恥心に襲われながら、自身の不甲斐なさにギリッと奥歯を噛み締めた。

 

「キキョウちゃん、悪いけど俺もその通りだと思う」

 

「あんたは黙ってて!!」

 

 追い打ちをかけてきた陽介を怒鳴りつけ、私は即座に自身の武器を構えた。

 失敗した。奇襲で陣形を崩す前に見つかってしまった以上、正面からの撃ち合いは避けられない。敵の数は、黒ずくめのリーダー格を含めておよそ五名。

 

 カメラを弄っている真犯人は戦闘には参加しなさそうだが、厄介なことになった。

 

 ミノリ部長からの返信はない。最高時速が数十キロしか出ないショベルカーがこの奥地まで到着するには、まだかなりの長時間を要するはずだ。

 

 それまで、この不利な状況で五人を相手に耐え凌がなければならない。

 

 武器を構えて散開する不良生徒の一人が、自信満々に声を張り上げた。

 

「教えてやる! 私たちは夜に溶け込み正義を討つ、クロヌマ組だ!!」

 

「その口上ダサいからやめろって言ってるだろ。……お前ら、カメラ盗んだ場所を探ってた百花繚乱の残党か」

 

 リーダー格の生徒が、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえながら部下を制止し、鋭い視線をこちらへと向けてきた。

 残党。その言葉が、私の胸の奥にある空洞をチクリと刺す。

 

 だが、私が何かを言い返すより早く、隣にいた陽介が一歩前に出た。

 

「残党とは失礼な! キキョウちゃんは立派な作戦参謀だ!」

 

 彼は武器も持たないまま、まるで自分のことのように胸を張って言い放った。

 その間抜けな、けれど一切の迷いがない声に、私の胸の痛みがふっと和らぐのを感じた。

 

「……陽介、下がって。ここから先は作戦参謀の仕事だから」

 

 私は深く息を吸い込み、冷え切った夜の空気を肺に満たす。

 羞恥も焦りも捨て去り、頭の中の計算式を戦闘モードへと切り替えよう。ショベルカーが到着するまでの耐久戦。遮蔽物の少ないこの地形で、いかにしてカメラを守りながら敵の体力を削るか。

 

「来るよ」

 

 私が言い放つと同時、クロヌマ組の銃口が一斉に火を噴いた。

 

 ■■■

 

 銃撃音が廃棄区画に木霊する。

 陽介は素早く巨大な鉄板の陰へと転がり込み、そこから顔を半分だけ出して戦場を見渡した。

 

「キキョウちゃん、右のクレーンの裏から一人! 次、正面のドラム缶越しに二人来る!」

 

 陽介の大きな声が、銃声の合間を縫って私の耳に届く。

 

 私はその指示に従い、頭の中の計算式を省略して即座に引き金を引いた。跳弾がクレーンの裏に潜んでいた生徒の足元を打ち据え、正面から飛び出してきた二人の武器を正確に弾き飛ばす。

 

「左からも回り込んでる! 足元の鉄骨に気をつけて!」

 

 言われた通りにステップを踏み、左から迫っていた最後の一人を制圧する。

 無防備な遺失物預り所の所長。彼に戦闘能力はない。しかし、遮蔽物から戦況を俯瞰し、的確に情報を伝達する彼の指示は、驚くほど私の動きと噛み合っていた。

 

 自分で状況を計算し、自分で動く。それが私の「作戦参謀」としての戦い方だった。

 だが今は、索敵と警戒の計算を陽介に預け、私は「撃つ」ことだけにリソースを集中できている。不思議なほど体が軽く、動きやすいとすら感じていた。

 

「っ、キキョウちゃん、前だ!!」

 

「くっ……!」

 

 陽介の焦燥に満ちた叫びと同時。

 部下たちが次々と倒されていく中で、ただ一人、黒ずくめのリーダー格だけが私の死角を突き、一気に懐へと飛び込んできた。

 

 重い踏み込みから放たれた強烈な拳。

 私は咄嗟に銃を盾にしてガードするが、金属同士が軋むような嫌な音が鳴り、その凄まじい膂力にギリギリと腕が押し込まれる。

 

「よお、アタシはクロヌマ組の頭張ってる黒沼シオリってんだ」

 

 至近距離で、彼女は獰猛な笑みを浮かべて自己紹介をしてきた。

 私は腕の痛みに耐えながら、冷たく睨み返す。

 

「ご丁寧に。でも生憎あんまり興味ない」

 

「ハッ、つれないねぇ!」

 

 シオリは戦闘をとことん愛しているようだった。

 自分の部下たちが全滅し、私との一騎打ちになろうとも、その目に焦りはない。むしろ強敵との闘いに歓喜しているように、攻撃の手を一切緩めてこなかった。

 

 重い蹴りが飛び、銃床での殴打が空を切り、息つく間もない近接格闘と銃撃戦が続く。

 

「(作戦参謀ともあろうものが、なんて落ち込んでたけど……)」

 

 陽介の言う「風車」のような在り方に振り回され、自分の計算が通じないことに塞ぎ込んでいた私。

 

「(そんな余裕もないかも……っ)」

 

 悩む暇などないほど、シオリは強力な手練れだった。

 防戦一方に追い込まれ、私の足がスクラップの破片に引っかかった、そのほんのわずかな一瞬。

 

「もらったァ!!」

 

 シオリの目が獲物を捉えた猛禽のように鋭く細められ、私の急所を正確に撃ち抜く決定的な一撃が放たれた。

 

 避けられない。

 そう覚悟して目を閉じた瞬間。

 

 ドンッ、と強い力で横から突き飛ばされた。

 

「ぐぁっ……っっっつぅぅぅぅ!! さすがに……痛いねぇ……」

 

 倒れ込んだ私の目に飛び込んできたのは、肩を血で赤く染め、苦悶に顔を歪めて膝をつく陽介の背中だった。

 彼は遮蔽物から飛び出し、私の盾となって、生身の体で銃弾を受けたのだ。

 

「アンタ、なんで!」

 

「ははっ……相棒が致命的な一撃を撃たれようって時に、おとなしく見てるほど、大人じゃなくてさ……」

 

 陽介は肩を強く押さえながら、荒い息を吐いて強がった。

 私たち生徒とは違う、ただの一般人である彼が生身で銃弾を受ければどうなるか、計算するまでもない。

 

「チッ、ヒラヒラと鬱陶しい」

 

「おあいにく様、『飛車』みたいに、信じた方へまっすぐ突っ込む性分でね……」

 

 シオリは舌打ちをして、容赦なく再び銃口を私たちに向けた。

 負傷した彼を庇いながらでは、確実に次の攻撃を防ぎきれない。絶体絶命。

 

 ──その時だった。

 

 静寂に包まれていた百鬼夜行の空き地に、聞こえるはずのない重低音が響き渡った。地響きが足元を震わせ、背後のスクラップの山がグラグラと揺れる。

 

「うおおおおおおおおお!! 悪を滅せぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 凄まじい土煙と咆哮と共に、強固なバリケードの壁を粉砕して突っ込んできたのは、工務部の真新しい黄色いショベルカーだった。

 操縦席でレバーを握りしめているのは、白いヘルメットを被ったミノリ部長だ。

 

「な、なんだアイツ!?」

 

 突然の重機の乱入に、さすがのシオリも目を剥いて後ずさった。

 ミノリ部長はショベルカーを急ブレーキで停車させると、窓から身を乗り出して叫んだ。

 

「遅れてすまない! この重機、最高時速が数十キロしか出ないからな! 遅さを危惧して、ヨウスケたちが出発した直後に工務部の輸送車に乗せてすぐ百鬼夜行へ向かっていたのだ!」

 

 圧倒的な質量と轟音。スクラップの山を軽々と薙ぎ払う重機の暴力的なまでのパワーを前に、シオリは完全に動きを止めていた。

 

「チッ……! 冗談じゃねぇ、なんだよあのバカでかい重機は!」

 

「詰みよ、黒沼シオリ」

 

 私は肩を押さえて蹲る陽介の前に立ち塞がりながら、動揺する彼女の眉間へと正確に銃口を突きつけた。

 

「背後には工務部の重機、正面には私の銃。大人しく武器を捨てなさい。今ならまだ、窃盗の共犯と多少の騒乱罪で済む」

 

「……くそっ!!」

 

 これまで負け知らずだったであろう彼女は、ここで初めて「完全な敗北」と「捕縛」という現実を突きつけられたのだ。

 だが、自らの武力で全てをねじ伏せてきた彼女にとって、降伏という選択肢はひどく恐ろしいものだったのだろう。敗北の恐怖と保身から、彼女は強行突破という最悪の悪手を選んだ。

 

「舐めるなァッ!!」

 

 シオリは錯乱したように叫びながら、残っていたありったけの弾丸を乱射し、激しい土煙が煙幕代わりに舞い上がる。

 

「くっ……!」

 

 私が陽介を庇うように身を屈め、再び視界が晴れた時には。

 

 すでにシオリは身を翻し、半壊したバリケードの隙間から夜の闇へと駆け出していた。

 

「頭っ! 見捨てないでくれ!」

 

「シオリさんっ!」

 

 取り残されたクロヌマ組の部下たちが悲痛な声を上げるが、彼女が振り返ることはない。

 ミノリ部長がショベルカーから飛び降り、力強い手つきで次々と部下たちを縛り上げていく。その中には、首から年代物のカメラを提げたまま呆然としている真犯人の生徒の姿もあった。

 

 私は追撃を諦め、武器を下ろしてシオリが消えた暗闇を静かに見つめていた。

 

「……逃げられちゃった、ね」

 

 背後で、陽介が痛む肩を押さえながら苦しそうに息を吐いた。

 

「ええ。追うには暗すぎるし、あなたの手当てが先」

 

「あーあ……ここで俺たちが捕まえておけば、彼女はただの不良で済んだのにな」

 

「……何を言っているの?」

 

 私が怪訝な顔で振り返ると、陽介は自分の傷よりも、逃げていった彼女の背中を痛ましそうに見つめていた。

 

「あの子さ、今まで暴力で上手くやってきちゃったから、引き際が分からなかったんだよ。ここで捕まってちゃんと怒られておけばやり直せたのに……俺たちが追い詰めすぎたせいで、あの子を本当の『お尋ね者』にしちゃった」

 

 陽介の言う通りだった。

 

 決定的な武装抵抗の末に部下を見捨てて逃亡した彼女は、今まで暴力で蓋をしてきた「罪」に追われることになる。ただの不良集団の頭から、百鬼夜行で手配される重犯罪者へと転落したのだ。

 

「悪いことしたなぁ。たった一人で逃げ続けるなんて、寂しいに決まってるのにさ」

 

「……あなたね」

 

 自分を撃った相手の孤独を思いやり、本気で悔やんでいる陽介の横顔を見て、私は深々と、心底呆れたようにため息をついた。

 

「本当に、底なしのお人よし。相棒をかばって銃弾を受けた挙句、自分を撃った張本人の末路を心配するなんて、計算式が狂っているとしか思えない」

 

「だって、後味が悪いじゃないか」

 

「自業自得。彼女が自分で選んだ道だよ」

 

 私は冷たく言い捨てたが、夜の冷たい空気の中へ消えていった彼女の背中を思い出す。

 

 それは確かに、部下を切り捨てて生き延びた冷酷なボスのそれではなく。自らの罪に追われ、たった一人で暗闇を逃げ続けるしかない、ひどく孤独で哀愁の漂うものだった。

 

 ■■■

 

 日付が変わる頃。私たちは、深夜の遺失物預り所へと帰還していた。

 

 陽介の肩の銃創に最低限の応急処置を施し、依頼人の生徒に「カメラが見つかった」と短いメッセージを送る。

 薄暗い事務所のソファには、私たちが廃棄区画から引きずってきた真犯人の生徒が、ぽつんと一人で座らされていた。

 

「被害者の方へのカメラの返却および確認が済み次第、彼女は我々ヴァルキューレ警察学校で連行します」

 

 入り口のドアの前に立つヴァルキューレの警備局生徒が、事務的な口調で私に告げた。

 

「ええ、構わない。ご苦労様」

 

「逃亡した黒沼シオリの行方は依然として知れませんが……頭を失い、あそこに残されていたクロヌマ組の残党たちも、じきに全員捕縛されるでしょう。もはやあの不良グループは終わりです」

 

 ヴァルキューレの生徒が淡々と告げる現状報告を聞きながら、真犯人の生徒はビクッと肩を震わせた。

 彼女はずっとうつむいたまま、膝の上で両手を痛いほど強く握りしめている。

 

 自分がどれほど取り返しのつかない罪を犯したのか。そして、その結果として自分の居場所だったグループが完全に崩壊してしまった事実を突きつけられ、深い後悔の念に苛まれているようだった。

 

「……ごめんなさい」

 

 静まり返った室内に、彼女の消え入りそうな声が響いた。

 

「私、ただの金目になるガラクタだって思って、機材車から盗み出して……。でも、いざ触ってみたら、あんなに重たくて、カシャッて音がして……ファインダーを覗いたら、なんだか、すごく楽しくて……っ」

 

 懺悔のようにこぼれ落ちる言葉。

 彼女の視線の先、カウンターの上には、泥や埃を丁寧に拭き取られたあの年代物のフィルムカメラが静かに置かれている。

 

 彼女はもう二度と、あの重たいシャッターを切ることは許されない。その事実が、窃盗犯である彼女自身の胸を最も残酷に抉っているようだった。

 

「まあ、盗んだことは立派な犯罪だからね。しっかり反省してもらうしかないよ」

 

 肩を包帯でぐるぐる巻きにした陽介が、温かいお茶の入った紙コップを彼女の横にそっと置いた。

 

「でも、君があのカメラで見た景色が嘘だったわけじゃない。それは、誰にも奪えない君自身のものさ」

 

「……」

 

 真犯人の生徒は、湯気の立つ紙コップを見つめたまま、ポロポロと音を立てて涙をこぼし始めた。

 

 その時、預り所の入り口のベルが静かに鳴った。

 

 夜気とともに事務所に入ってきたのは、連絡を受けて駆けつけた依頼人の生徒だった。少し息を切らしている彼女の視線が、カウンターの上に置かれた自分のカメラと、ソファで泣きじゃくる見知らぬ生徒の姿を交互に捉える。

 

「……あの、私、連絡をもらって」

 

 戸惑うように立ち尽くす依頼人に対し、私は静かに頷き、カウンターの上のカメラを手で示した。

 

「ええ。約束通り、あなたのカメラを奪還した」

 

「……」

 

 依頼人の生徒は、カウンターの上に置かれた自分のカメラを愛おしそうに撫でた。

 それから、ゆっくりと振り返り、ソファで身を縮めている真犯人の生徒の前に歩み寄った。

 

「ねえ。一つだけ、聞かせて」

 

 依頼人の静かな声に、真犯人の生徒がビクッと肩を跳ね上げ、恐る恐る顔を上げる。

 

「ファインダーを覗いて……あなたは何を、撮りたかったの?」

 

 責めるような響きは一切ない。ただ純粋な疑問を投げかけるようなその問いに、真犯人の生徒はしゃくり上げながら、ぽつりぽつりと答えた。

 

「夕日……。スクラップの山に沈む夕日が、すっごく赤くて、綺麗で……。でも、ダイヤル回してもピントが合わなくて、全然上手く撮れなくて……っ。でも、どうしても残したくて……何度も、シャッターを切って……」

 

 うまく撮れなかったことへの純粋な悔しさ。

 その答えを聞いた瞬間、依頼人の生徒の顔から、すっと憑き物が落ちたような気がした。彼女は柔らかく微笑むと、入り口に立つヴァルキューレの警備局生徒へと向き直った。

 

「おまわりさん。この子がカメラを盗んだという証拠、どこにもないですよね?」

 

「……は?」

 

 突拍子もない発言に、ヴァルキューレの生徒が素っ頓狂な声を上げる。私も思わず目を丸くした。

 

「お待ちください、被害届を出されたのはあなたご自身では……」

 

「被害届はやっぱり取り下げます。だって、このカメラはもともとこの子の物ですから」

 

「なっ……! しかし、彼女は遺失物預り所に対する明確な武力抵抗を行っています! これは見過ごせる事態では……」

 

 食い下がる警備局の生徒に対し、依頼人は毅然とした態度で言い放った。

 

「遺失物預り所に武器での抵抗をしたのは事実。でもキヴォトスじゃ日常茶飯事じゃありませんか。不良だろうが普通の生徒だろうが、同じことですよ、おまわりさん」

 

「そ、それは……」

 

「私がこの子の先輩として、実質的な保護観察と言うことで良いですよね」

 

 強引極まりない、無茶苦茶な論理だった。

 

 しかし、被害者本人が被害を否定し、保護責任まで名乗り出ている以上、ヴァルキューレとしてもこれ以上踏み込む権限はない。警備局の生徒は困惑した表情で私を見たが、私が小さく肩をすくめると、深々とため息をついて引き下がった。

 

「……分かりました。当事者間で解決したというのであれば、我々はこれで引き上げさせていただきます」

 

 ヴァルキューレの生徒が去り、ドアが閉まる音が預り所に響く。

 静寂が戻った室内で、真犯人の生徒は信じられないものを見るような目で依頼人を見上げていた。

 

「どうして……私、盗んだのに。あなたの、大切なものを」

 

 震える声で問う彼女の前に、依頼人の生徒はしゃがみ込み、目線を合わせた。

 

「あなたがSNSに上げていた夕焼けの写真、見たんです。先ほどこの人が、現像して見せてくれて」

 

 依頼人が陽介の方をちらりと見る。陽介は照れくさそうに頭を掻いた。

 

「構図は素人丸出しで右に傾いてるし、ピントも甘くて、お世辞にも上手な写真とは言えなかった。でも……」

 

 そのまま彼女は、真犯人の生徒の泥だらけの手を、両手で優しく包み込む。

 

「どうしてもこの美しい夕焼けを切り取りたいっていう、痛いほどの純粋な熱量と衝動が写り込んでいた。……それは、完璧な写真を求めて息苦しくなっていた私が、ずっと前に見失ってしまった『写真への熱』そのものでした。あなたが、私に思い出させてくれたんです」

 

 大粒の涙が、真犯人の生徒の瞳からボロボロとこぼれ落ちていく。

 

「私に、もう一度写真の撮り方を教えてくれませんか」

 

 依頼人は、かつての情熱を取り戻した、晴れやかな笑顔で──。

 

「私と一緒に、写真を撮ろう」

 

「……っ、うあぁぁぁぁんっ!!」

 

 その提案に、真犯人の生徒はついに声を上げて泣き崩れ、依頼人の胸に顔を埋めた。依頼人は彼女の背中を、まるで本当の妹をあやすように優しく撫でている。

 

 誰も予想しなかった、あまりにも非論理的な結末。

 計算式では決して導き出せない、奇跡のような大団円。

 

「いやぁ、一件落着だねぇ」

 

「……本当に、あなたたちって人は」

 

 呑気に笑う陽介の横顔を見つめながら、私は呆れたように、けれどどこか心地よい敗北感とともに小さく息を吐いた。

 

 風車のように、出会う人々の心を巻き込み、見失っていた情熱の風を呼び覚ましていく。そんな彼らの非合理的な歩みを、もう少しだけ一番近くで見ていたいと、私は密かに作戦の計算式を書き換えたのだった。

 

 ■■■

 

 嵐のようにやってきて、嵐のように去っていった二人の足音が完全に聞こえなくなり、遺失物預り所に再び深夜の静寂が訪れた。

 

 私は張り詰めていた緊張の糸が切れたように、小さく、けれど誤魔化しようのない欠伸を一つこぼした。

 

「なんだか遅い時間まで付き合わせちゃったね」

 

 カウンターの片付けをしていた陽介が、申し訳なさそうに眉を下げてこちらを見る。

 

「別に構わない。ここ最近不眠気味だったから、あくびはいつもの事……」

 

 私は口元を手で隠しながら、素っ気なく返した。

 実際、百花繚乱の今後を考えて不安になりすぎてしまい、まともな睡眠をとれていなかったのだ。けれど不思議と、今の私にそこまでの精神的な疲労感はない。

 

「それにしても……」

 

 私は、二人を見送ったドアの向こう側を静かに見つめた。

 

「ああいう結末もあるって。少し驚いてる」

 

「被害者が加害者を許して、一緒に写真を撮りに行くなんて、キキョウちゃんの計算式にはなかった?」

 

「全くの規格外。本来ならヴァルキューレに引き渡して、きっちり罪を償わせるのが論理的な正解だもの。でも……」

 

 夜道を連れ立って歩いていった、情熱を取り戻した依頼人と、純粋な熱を持った真犯人。あの二人の姿を思い出す。

 

「あの子たちがこれから撮る写真は、きっと計算通りの正解よりも、ずっと価値のあるものになるんだろうね」

 

「うん。俺もそう思うよ」

 

 陽介が優しく微笑むのを見て、私は急に、どうしようもないほどの睡魔に襲われた。

 

 この預り所に漂う空気のせいか、それともこの男の底なしのお人よしさに呆れて毒気を抜かれたせいか。自分でも驚くほど抗いがたい眠気だった。

 

 うとうとと頭が揺れ、視界がぼやけ始める。

 

 カクン、と首が前に倒れそうになった私を、陽介が慌てて声で引き留めた。

 

「おっと……限界みたいだね。こんな時間に百花繚乱まで帰すのは危ないし、預り所の二階で泊まっていきなよ。空き部屋があるからさ」

 

「……変なことするつもりじゃないといいけれど」

 

 私は薄れゆく意識の中で、彼をジロリと睨んで牽制した。

 

「まさか、ショベルカーに誓って無いよ」

 

 ミノリ部長の理不尽な重機を引き合いに出す彼の間抜けな言い回しに、私は思わず小さく口角を上げてしまった。

 

「ふふっ……知ってる。あんたなら手を出すなんて愚かな真似しないだろうね」

 

「向井陽介という男を分かってきたねキキョウちゃん!」

 

 得意げに胸を張る陽介。

 その間抜けな笑顔と、彼に対する自分のあまりにも自然な返しに、私はハッと我に返った。

 

「(……な、何。今の空気)」

 

 まるで、長年連れ添って互いを理解し尽くしている「相棒」同士のような、妙に甘ったるくて居心地のいい空間。自分がこの男に対して、そんな無防備な態度をとっていたことに気づき、一気に顔に熱が集まるのを感じた。

 

「……っ、やっぱり訂正する」

 

 私は慌てて表情を引き締め、いつもの冷徹な作戦参謀の顔を作って彼をキッと睨みつけた。

 

「えっ? 何を?」

 

「アンタが手を出さないのは理性が勝るからじゃなくて、ただ単に度胸も甲斐性もないヘタレだから……! 勘違いしないで」

 

「ええー……さっきのいい雰囲気どこいったのさ」

 

 不満げに唇を尖らせる陽介を無視して、私はぷいっと顔を背けた。

 

「先に寝るから。せいぜい私が起きるまでに、次の仕事のお粗末な計画でも立てていて、バカ所長」

 

「口が悪いザマ──」

 

「それ以上は言わせない……!」

 

 これ以上彼と一緒にいると計算式が狂う。

 

 私は誤魔化すように足音を荒立てて、二階への階段へと向かう。「おやすみー」という背後からの呑気な声を背中で受けながら、私は赤くなった顔を冷ますように、少しだけ早足で階段を駆け上がった。

 

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