冬木の夜は、まだ明けていなかった。
洋館は空振りだった。
路地では王に殺された。
バゼット・フラガ・マクレミッツは、表にいない。
次の当たりは、はっきりしている。
聖杯戦争の監督役——冬木の教会だ。
門をくぐると、中は意外なほど静かだった。
戦の匂いより、古い木と蝋の匂いが強い。
執行者だと名乗る。
敵意はない、とも先に伝えた。
用件は一つだけだ。
「バゼット・フラガ・マクレミッツを探している。連絡が途絶えた。監督として、把握していることはあるか」
神父の言峰綺礼は、椅子から立ち上がらなかった。
目だけが、静かにこちらを見る。
貼り付けたような笑顔はある。
中身は、無い。
「……協会の執行者か。こんな時間に、一人で来るとはな」
茶を勧める仕草だけがある。
受け取らない。
神父は、構わず手元の杯を置いた。
「マクレミッツか。開戦の前後、一度だけ顔を合わせた」
「あくまでも手続きの話だ。その後の居所までは、こちらも追っていない」
「最後の滞在は?」
「深山の洋館、と聞いている。しかし今は聖杯戦争の最中だ。消える者は珍しくない。監督の権限で、参加者の全てを開示できるわけでもない」
——空っぽだ。洋館と同じ種類の空だ。
言峰の視線が、一瞬だけ執行者の背に触れる。
代行者の手が、脳裏で相手の背後を測っている。
(殺すか)
時計塔の魔術師を、執行者を教会の中で。
メリットは排除。
デメリットは騒ぎと、未知のリスク。
ともすれば、いったんの優先は監督の顔だ。
測りは、すぐに引いた。
「深入りはするな。冬木は、今は穏やかでない。それだけは忠告しておく」
門まで、歩幅を合わせるでもなく見送られる。
礼は最小で出た。
得たものは、なかった。
——マリアが街の闇に溶けると、教会の奥で別の声がした。
「あの異物を、直接手にかけなかったのは正解だ。言峰」
ギルガメッシュだ。
私服の王が、神父の肩越しに声をかける。
言峰は、短く応じた。
「……心得ておく」
詳細は、語られない。
王はそれ以上を言及しない。
しかし、”直接手を出すな”、という忠告は、すでに守られていた。
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冬木の市街地は、聖杯戦争の夜にしては街灯が多い。
落葉を手に収めたまま歩く。
次の手がかりは、薄い。
それでも探す。それだけだ。
先に動いたのは”向こう”だった。
朱槍が、路地の角から伸びる。
前ステップで刃先を外し、落葉を分離する。
二刀が離れる感触が、夜に開いた。
「ちっ……お前も二刀流かよ!!」
槍兵——ランサーが、歯を見せて笑った。
口は悪い。動きは速い。
偵察の質が違う。
ただの追い剥ぎではない。
「マスターでもなさそうだな。魔術師か?目立ちすぎだろ」
「邪魔をするな」
「悪いが、命令なんでね」
朱槍と二刀が、短い間合いで噛み合う。
穂先が、左右の刃を同時に測ってくる。
相手のリーチが長い。詰めなければ届かない。
前ステップで一歩入り、右の刃で穂先を弾く。
左の刃が胴を狙う。
槍の柄が、それを殺す。
数合。
石畳に、金属の音が続く。
ランサーの目が、細くなる。
遊びではない。
押し引きの質が、想定より上だ。
「……思ったより、手強いじゃねえか」
朱槍が一度大きく薙ぎ払う。
間を取り、再び突く。
マリアは受けるのではなく、外す。避けて、同時に詰める。
狩人の回避は、守りではない。
前に出るためのものだ。
「速いな。執行者ってヤツはみんなそうなのかよ」
「知らない」
「つれねえなぁ」
また槍が来る。
落葉の二刀で受け止め、スライドさせて返す。
穂先が肩をかすめる。
生地が裂け、薄い血が滲む。
痛みは、すぐ遠のく。
ランサーの口角が、上がる。
「いいぜ、お前」
熱が、乗ってきた顔だ。
仕事の測りから、戦いの色へ寄っている。
——ここで、型を変える。
二刀の落葉を、手元で合わせる。
刃が一つに戻り、片手の感触になる。
空いた左手に、銀の銃——エヴェリンが収まる。
狩人の型だ。
発砲音が、路地に弾ける。
だが朱槍の穂先が、軌道の先にすでに在った。
弾は、空を切る。
矢避けの加護——投射を許さない守護が、ごく短い距離でも顔を出す。
「銃かよ。趣味じゃねえが——通らねえな」
二発、三発。
どれも、射線が殺される。
パリィの前提が、崩れている。
しかし通らない。
エヴェリンを下ろす。
再び落葉を両手に分ける。白兵に戻るしかない。
「諦めが早えな。まあ、通らねえもんは通らねえ」
朱槍が、間合いを支配する。
突かれる。弾く。返される。
一進一退だ。
どちらも、まだ本気を出していない。
数合のあと、ランサーの目が、別の色になる。
「お前……もしかすると、人間じゃあねえな?」
断言ではなく、感触だ。
朱槍の穂先が、一度、低く落ちる。
測るための槍術が、そこで区切られた。
「なら、試しに…いっちょ使ってみるか」
空気が、変わる。
朱槍に、呪いの熱が走る。
名が夜の石畳に落ちる前に、結果が先に来る。
心臓が、すでに貫かれている——その確定が、因果の裏側から押し出される。
槍が放たれるから当たるのではない。
当たっているから、槍が放たれる。
「——その心臓、貰い受ける! 刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)!!」
世界が、一度だけ、逆向きに軋む。
穂先は、胸の中心を目指してはいなかった。
最初から、そこに在った。
熱が内側から炸裂し、口から血が溢れる。
膝が沈む。石畳が赤く汚れる。
必中の呪いが、血管の地図を走っていく。
内臓を突き破る感触が、遅れて神経に追いつく。
——それでも、死の中断までは、行かない。
あの夜は、剣雨のあとに心臓を取られた。
今は違う。
削られていない体に、単発の因果が来ただけだ。
膝はつく。血は出る。
だが、目は落ちない。
「マジか……まだ立ってんのかよ」
ランサーの声が、ざらつく。
宝具を通した相手が、血を吐きながらもこちらを見ている。
想定を、一つ、外れた顔だ。
歯が、見える。
腹立たしさではない。
ランサーの内側に興が乗る。
太ももに、輸血液の瓶を突き立てる。
ガラスの感触。
血が体内に戻るような、強引な回復。
傷の口が塞がる。痛みが遠のく。
しかし服の血糊は、残る。
見た目は惨状のままだ。
「やっぱお前、人間じゃねえな!!」
ランサーが、朱槍を立て直す。
続きを、やりたがっている。
命令の枠を、熱が押し広げかけている。
マリアの手が、落葉の柄端を、己の腹へ寄せる。
血を纏わせる寸前——第二の型の入り口だ。
自傷の予兆が、夜の空気を一瞬だけ重くする。
そのときだ。
「 セイバー!誰かやられてる!」
若い男の声、衛宮士郎。
隣に金髪の少女、セイバーが足を止めている。
セイバーの直感が、この場の危険を先に読んだ顔だ。
「待ってくださいシロウ。あれは、助けて終わる相手ではありません」
「でも、放っておけない!」
士郎が前に出る。
セイバーは舌打ちに近い息を吐き、シロウの前に割って入った。
不可視の剣が槍の線を殺す。
ランサーの顔が、一瞬だけ歪む。
ちょうどいいところだった。
熱が入った相手と、続きができる、その直前だ。
セイバーまで出れば、戦線が濁る。
命令の枠も、もう満たしている。
「……ちっ。ちょうど良いところだったのによぉ」
朱槍を担ぎ直す。
マリアを見て、歯を見せた。
「面白え女だったぜ。またな」
威力偵察の結果は出た。
人ではない。
肝は座っている。
今は引く。
朱槍が、夜の屋上へ消える。
静かな路地に、血みどろの執行者と、少年と、騎士が残った。
「大丈夫か!?」
「死んではいない」
士郎の視線が、服の赤に釘付けになる。
「そんな血だらけで、嘘だろ——救急車を呼ぶ!」
「大丈夫だ、問題ない」
止める。
セイバーも、士郎の手首を軽く押さえた。
「病院はいけません。その傷は、普通の医者の領域ではない筈」
「じゃあどうするんだよ!」
「彼女には申し訳ないですが、捨て置くのが良いでしょう。それが、今のシロウにとって最も良い選択です」
「こんな状態の女の人を、見捨てられないよ」
「ならば教会へ、一緒に連れて行くのはどうでしょう?そこならば、保護と治療も…」
「いや、教会にはさっき行ったばかりだ。もう用はない、戻る気もない」
「なら……ならば連れて帰るしかない。シロウがそう言うなら、私が監視下に置きます。教会へは、また明日に」
折衷だった。
士郎が無理に腕を貸し、衛宮邸の方角へ引きずるように歩く。
セイバーは常に、マリアを間合いにおさめる。
教会へ行く予定は、後回しにされたようだ。
自らの腹へ寄せかけた柄は、すでに下ろされている。
自傷は、避けられた。
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衛宮邸の明かりは、殺伐とした夜にしては温かい。
土間で靴を落とす。
血の匂いを、士郎が慌てて布巾で拭う。
セイバーは門を閉めたあとも、視線を外さない。
「本当に大丈夫なのか。血が——」
「治っている」
信じない顔だ。
当然だ。
見た目が、そのままだから。
「ならば見せるさ」
居間の明かりの下で、上着を外す。
血のついた生地が床に落ち、上半身が露出する。
傷はない。槍が貫いたはずの胸も、皮膚は滑らかだ。
士郎は、即座に顔を背けた。
「見ない見ない!セイバー!頼む!」
セイバーだけが、見る。
剣士の目が、治癒の跡を追う。
驚愕が、表情の奥で一度だけ大きく開く。
アヴァロン——鞘の再生に近い。
だが違う。光ではない。
血の医療の臭いが、理想境の守護とは似ても似つかない。
あとは、体の線の違いが、騎士の眉を、ほんの一瞬だけ寄せた。
それ以上は、何も言わない。
「……傷は、本当にない。シロウ…信じがたいが、事実だ」
士郎は、壁に向かったままうなずく。
「そ、そうか。なら——とりあえず、ご飯だ。冷えるだろ。あと、服を着てくれ」
親子丼だった。
湯気が、血の匂いのあとにくる。
卵は柔らかく、出汁が硬めに炊いた白米に染み渡る。
言葉少なに、完食する。
「悪くない。また食べたい」
士郎が、少しだけ息を吐いた。
セイバーは食べながら、席の端で監視を続ける。
「今夜だけです」
セイバーの声が、短く落ちる。
「シロウ、この家には長居させない事です」
士郎は何か言いたそうにして、結局うなずいた。
「寝間着…あ、藤ねえが置いていったやつがあるか…」
金糸の狩装束を脱ぎ、借りたパジャマに袖を通す。
布は薄い。
戦の匂いが、一度だけ遠のく。
マリアは、反対しない、拒みもしない。
与えられた客間の布団に、体を預ける。
バゼットは、見つからない。 監督役は、役に立たなかった。 槍の男は、手強かった。
それでも今夜は、衛宮邸の屋根の下だ。
朝になれば出る。
探すのは、それからでも遅くない。
灯りの感触だけが、遠くで一度、瞬いた。