翌朝の衛宮邸は、明らかに人数が増えていた。
アインツベルンのマスターと、その従者二人。
大河と桜には士郎が、苦しいながらも説明をした。
「その……遠縁なんだ。しばらく居ることになったから、よろしくしてやってくれ」
大河も桜も、マリアが居候していることで過剰に驚くことはなかった。
だが、聖杯戦争の話は出ない。
登校を前に、士郎はいつも通り味噌汁を温める。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ士郎!いつの間に家族増えてんのよ! 城?遠縁?その子、何歳?誰の子!?ご飯はどうするの?布団は?学校は!?」
「行かない」
イリヤの声は小さかった。
顔は上げない。
セラが代わりに返答する。
「お嬢様の御年齢は、申し上げかねます」
「ま、まぁいいわよ!当分はね! でも説明はあとでちゃんとしなさいよ!これでも私、士郎の保護者代理なんだからね!」
桜は士郎の顔を見た。
つぎにイリヤを見て、短い会釈をした。
セラの礼には礼で返した。
リーゼリットは変わらず無表情だった。
士郎の負担が増えたことだけが、桜には怖かった。
「先輩……大丈夫ですか?」
「食費はマリアさんが出してくれるって言うし、まあ大丈夫だろう」
そう士郎は言った。
「先輩、そういうことじゃ……」
しかし、ひとまず桜はうなずいて、靴を揃えた。
そこで凛は大河や桜に聞こえぬよう、マリアに原則を切り出した。
「聖堂教会があるじゃないの。脱落したマスターは、あそこに預けるのが筋でしょう。それも監督役の仕事なのよ」
「いや、ダメだ」
「理由を言いなさいよ」
「あそこの空気は、なんとなく診療所に似ている」
「……どこの診療所よ」
「ヨセフカだ」
「ヨセフカって、なによ」
「女医だ。保護すると言って、預けた者を返さない。治療もしない」
「あのねぇ、伝わるようにお願いしたいんだけど」
「ここの方が安全だ」
短い回答に凛が畳みかけた。
「無責任よ」
「この家が最も安全だ。それが選択だ」
イリヤは顔を上げなかった。
教会の名が出ても、行きたがる様子はなかった。
しばらくの問答の後、登校の時間になった。
大河、士郎、桜、凛が靴を履く。
士郎の傍らに付いたセイバーが、マリアに言う。
「戻るまで、無闇に動かない方がいいでしょう」
「動く予定は無い」
「そうですか。私も言いたいことはありますが、その文句はあとで」
・
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学園組が出発すると、衛宮邸が静かになった。
残ったのは帽子の女と、白い髪の少女と、メイド二人。
リーゼリットは戸口に立つ。
セラは礼の位置に下がった。
イリヤは座卓に坐ったまま、家の間取りを測っていた。
四人は、ただ居るだけ。
イリヤが先に口を開いた。
「あなた、本当は誰?」
「講師だ。狩人が本職だ」
「それはお茶のとき聞いたし、足りないわ。あの霧、なに? 結界?」
「近いが、違う。あそこだけヤーナムになった」
「ヤーナムって、なに」
「第二の故郷だ」
「故郷にしては、空気が悪いわ」
「良くはない」
「結界なら中に入れるわ。うちの森の線……アレ見えたでしょう、あなたには。でも、あの霧へは入れなかった。近いのに、違う」
「違うな」
「空が夜になったわ。月も近かった。霧の外にいても、上は見えた」
「あれはヤーナムの夜空だ」
「そう……でも中は見えなかった。わかるのは音と、霧から透ける光だけ。鉄の雨みたいな音と、折れる音……あと、隕石が降ったみたいだった」
「降った」
「あなたは甦ったけど……バーサーカーは、戻らないのね」
「そうだ。戻らない」
「分かってる。あなたは霧の中で倒れた。それでも、私の隣で目が開いた。アインツベルンの式でも、あの蘇生は掴めない」
「死んだのは間違いない」
「それで、なんで立ってたの?」
「灯が在った」
「灯? それって結界の核みたいなもの? そんなもの、私の側には無かったわ。見えない工房の炉? 令呪の代わり?」
「道標であり、死から戻る中継地点だ。昨夜は、貴公の傍らにあっただけに過ぎない」
「バーサーカーみたいに死なないわけじゃないのね」
「死ぬ。戻る」
「同じ夜に、死は二つあったわ。バーサーカーは戻らない。あなたは戻った」
「夢をみる狩人は、灯と使者を通して甦る。あちらには無かった」
「あなた、夢をみてるの? 眠ってるみたいに」
「みていた」
「今は?」
「夢を作る側に、近い」
「誰の夢」
「私のだ」
「あの円だけ、ってこと?」
「そうだ。あの円だけだ」
「アレ、あんまり長くやると世界が嫌うわ。孔を開けすぎると締め返される。お爺さまの計画、何度もそこで折れてるもの。あなたの場も、同じ種類に見える。長くやると、良くないわ」
「知っている。だから小さくした」
「自覚はあったのね」
「一度だけやった。あの時は、ひどい目にあった」
セラが戸口で一度だけ動いた。
「それはもはや、魔法なのでは」
イリヤは答えなかった。
座卓の木目を指でなぞる。
考えている。
「……違うわ」
「お嬢様?」
「少なくとも、この人が魔法使いってわけじゃない」
「ですが、死者の蘇生など――」
「だから変なのよ」
イリヤはマリアを見る。
「死者蘇生なら、死んだ人間を生きている状態へ戻すでしょう」
「そうだな」
「あなた、戻されてないじゃない」
「死んで、戻った」
「そこよ」
指が止まる。
「死んだことを無かったことにしてない」
昨夜。
霧の中でマリアは死んだ。
それはイリヤにも分かった。
バーサーカーとは違う。
命が切れた。
それなのに、隣で目を開いた。
「時間を巻き戻したなら、バーサーカーも戻るはずよ」
「戻らなかった」
「なら、世界を戻してるんじゃない」
一つ消える。
「死体から魂を戻したなら、死体が要る。でもあなたは私の横に出てきた」
もう一つ。
「肉体は?」
「戻る」
「同じもの?」
「私だよ」
「そういう意味じゃないんだけど」
少し苛立った。
「魂を肉体へ戻してる? 肉体を新しく作ってる? 死ぬ前の状態をどこかに保存して、そこから再現してる?」
「知らない」
即答だった。
セラの眉が動く。
「ご自身のことではありませんか」
「狩人はそういうものだ」
「説明になっておりません」
「だろうな」
イリヤは頬杖をついた。
「肉体を作って魂を移してるなら、それはそれで別の問題になるわ」
魂。
器。
アインツベルンが千年を費やして追い続けたもの。
「魔法みたいな結果だけ出してる。でも、魔法を使ってる感じがしない」
「使えないからな」
「魔術は?」
「知らない」
「でしょうね」
イリヤは少しだけ呆れた。
「なのに死んでも戻る」
「戻るな」
「腹立つわね」
「そうか」
リーゼリットがマリアを見る。
「マリア。死ぬの、怖くない?」
「怖いさ」
少しだけ間があった。
イリヤが顔を上げる。
「痛いものは痛い。死ぬ時は苦しい」
「でも、戻れる」
「戻れることと、死ぬことは別だ」
誰もすぐには返さなかった。
朝の衛宮邸は静かだった。
遠くで車の音がする。
イリヤが目を伏せた。
「……それなら」
声が少しだけ変わる。
「昨日、バーサーカーが死んだ時」
止まる。
「あなたには、どう見えたの」
「死んだ」
「それだけ?」
「そうだ」
「戻せない?」
「戻せない」
即答だった。
「あなたは戻るのに」
「ああ」
「ずるいわね」
「そうだな」
否定しなかった。
セラが口を挟む。
「では結局、あの蘇生は何なのです」
「狩人の特権だ」
「それでは説明になりません」
「夢をみる狩人は、死んでも夢へ戻る。灯があれば、また狩場へ行ける」
「その夢を、今はあなた自身が作っている」
イリヤが言った。
「そうだ」
「なら、昔とは違うじゃない」
「少しな」
「少し?」
「昔は、夢に捕まっていた」
イリヤの目が細くなる。
「今は?」
「夢を連れて歩いている」
沈黙した。
異界を作る。
その中だけ世界を塗り替える。
死んだ狩人が帰る場所があり、そこから再び現実へ出てくる道がある。
そして、その夢を本人が持ち歩いている。
イリヤは小さく息を吐いた。
「……やっぱり魔法よりタチ悪くない?」
「つまり、魔法よりすごいのか?」
「褒めてないわよ」
「そうか…」
「ところで」
マリアが言った。
「なによ」
「昼はどうする」
イリヤは時計を見た。
いつの間にか、昼が近かった。
・
・
・
米、五合。
鶏肉。
玉ねぎ。
卵。
マリアは冷蔵庫にあるものを確認した。
「何作るの?」
「親子丼だ」
「多くない?」
イリヤが炊飯器を覗く。
「四人いる」
「四人で五合?」
「私が三合食べる」
「そう」
イリヤは納得しなかったが、それ以上は聞かなかった。
セラは何か言いたそうだった。
リーゼリットは鍋を見ている。
「いい匂い」
「もう出来る」
四人で食べた。
味について文句は出なかった。
マリアは三合食べた。
・
・
・
夕方。
学校から戻った士郎は冷蔵庫を開けた。
止まった。
閉めた。
もう一度開けた。
「…………」
朝にはあった。
確かにあった。
鶏肉がない。
卵もかなり減っている。
玉ねぎもない。
嫌な予感がして、米櫃を確認した。
減っている。
かなり。
「マリアさん」
居間から顔が出た。
「なんだ」
「今日、昼飯作った?」
「ああ」
「何作った?」
「親子丼だ」
「何人分?」
「四人分」
「米は?」
「五合」
「五合!?」
声が大きくなった。
「三合は私が食べた」
「そういう問題じゃない!」
「そうなのか」
「そうだよ! 食べるなとは言わないけど、使うなら一言言ってくれ! 晩飯の分まで考えて買ってあるんだから!」
「む」
「卵も鶏肉もごっそり無くなってるし! 玉ねぎだって明日の分だったんだぞ!」
「美味しかったわよ」
イリヤが言った。
「イリヤはちょっと黙っててくれ!」
「はーい」
「マリアさん!」
「はい」
「そこ座って!」
座った。
正座だった。
「だいたいマリアさんは、食費出すからって何でも好きに使っていいわけじゃないんだからな。買い物にも予定があるんだし――」
帽子は外している。
銀髪が少し落ちた。
俯いていた。
「…………はい」
死んでも甦る狩人だった。
時計塔の特別講師だった。
封印指定執行者だった。
昨夜は英霊と殺し合った。
魔法ですら説明のつかない何かを、その身に抱えている。
今は衛宮士郎に、食材を勝手に使いすぎたことで叱られている。
「聞いてる?」
「聞いている」
少ししょんぼりしていた。
台所にいるマリアさんは、怒られた。