翌日。
「これで全部だな」
「ああ」
衛宮士郎が確認する。
米。
鶏肉。
卵。
玉ねぎ。
紙に書かれているのはそれだけだった。
「昨日使った分だからな。別に食べるなって言ってるんじゃないぞ」
「分かっている」
「本当に分かってるか?」
「使ったら補充する」
「……まあ、それでいいけど」
マリアは紙を折った。
懐に入れる。
帽子を被る。
「行ってくる」
「ああ。気をつけてな」
「買い物だぞ」
「いや、あんたの場合は買い物でも何が起きるか分からないから言ってるんだよ」
「そうか」
玄関を出る。
戸が閉まった。
「……分かってない気がする」
士郎の声だけが残った。
米を買った。
鶏肉を買った。
卵を買った。
玉ねぎを買った。
これで昨日使った分は戻った。
マリアは両手に袋を提げて商店街を歩く。
米は重い。
だがマリアにとっては軽い。
「マリアさん?」
声がした。
振り返る。
間桐桜がいた。
制服姿だった。
「桜か」
「こんにちは。お買い物ですか?」
「ああ」
桜が袋を見る。
「すごい量ですね……」
「使った分だ」
「使った?」
「昨日、怒られた」
「えっ」
「米を五合炊いた。私は三合食べた」
「三合」
「ああ」
「一人で?」
「ああ」
桜が袋とマリアを交互に見る。
「……それは、先輩も驚いたでしょうね」
「怒っていた」
「でしょうね……」
歩き出す。
桜も隣を歩き始めた。
「持ちましょうか?」
「いらない」
「でも」
「大丈夫だ、問題ない」
片手の袋を持ち上げてみせる。
米が揺れた。
「そうですか……」
「ああ」
少し歩く。
「桜」
「はい?」
「士郎とはどうだ」
「はい?」
桜の足が止まった。
マリアも止まる。
「進展はあったか」
「な、なんのですか!?」
「恋路」
「ありません!」
即答だった。
「そうか」
歩き出す。
「あっ、ちょっと待ってください!」
桜が追いつく。
「なんで残念そうなんですか!」
「残念だからだ」
「そんなにはっきり……」
「以前も言っただろう」
「……覚えてたんですか?」
「覚えている」
桜が黙った。
頬が少し赤い。
「先輩は、そういうのじゃないですから」
「そうなのか」
「優しいんです。先輩は誰にでも」
「知っている」
「だから私だけが特別とか、そういうわけじゃなくて……」
「そうか」
「それに今は色々ありますし」
「セイバーか」
「えっ」
「凛もいるな」
「…………」
「敵が多い」
「敵って言わないでください!」
声が少し大きくなった。
通行人がこちらを見る。
桜は小さくなった。
「……もう」
「なら、急いだ方がいい」
「何をですか」
「告白」
「無理です!」
「そうか」
「そうか、じゃありません!」
マリアは少し考える。
それから前を見る。
「私は桜を応援しているぞ」
「…………」
返事がなかった。
横を見る。
桜は俯いていた。
耳まで赤い。
「……ありがとうございます」
「ああ」
それで話は終わった。
少なくとも、マリアの中では。
商店街を抜ける。
人が少なくなった。
「ところで」
「はい」
「間桐の家はどこだ」
桜の足が止まった。
今度は違った。
「……え?」
「場所を知らない」
「どうして、ですか」
「人を探している」
「うちに?」
「ああ」
桜の顔から赤みが消える。
「誰を、ですか?」
「バゼット・フラガ・マクレミッツ」
「……外国の方ですか?」
「アイルランド人だ」
「女の人?」
「ああ」
桜は考える。
やがて首を横に振った。
「知らないです。少なくとも、私は会ったことがありません」
「そうか」
ならばいない。
とは限らない。
桜が知らないだけかもしれない。
「行くのは、やめた方がいいと思います」
「なぜだ」
「それは……」
桜が言葉を探す。
「お祖父様がいますから」
「祖父」
「はい」
「怖いのか」
桜が黙った。
しばらくして。
「……はい」
「そうか」
「だから――」
「なら、気をつける」
「行くんですか?」
「人を探しているからな」
「…………」
桜は困ったような顔をした。
マリアを見る。
袋を見る。
またマリアを見る。
「マリアさん」
「なんだ」
「本当に、気をつけてくださいね」
「ああ」
住所を聞いた。
遠くない。
マリアは覚える。
「ありがとう」
「いえ……」
「桜」
「はい?」
「今日は士郎の家に来るのか」
「あ、はい。夕飯のお手伝いをする予定です」
「そうか」
一拍。
「頑張れ」
「何をですか!?」
「色々だ」
「マリアさん!」
声を背中に受けながら歩く。
途中で振り返った。
桜がまだ立っている。
片手を振る。
桜も小さく振り返した。
マリアは歩いた。
家が見えるより先に。
「臭うな」
足を止めた。
湿った土。
古い血。
腐った内臓。
その下に、蠢くものの臭い。
「蟲か」
袋を見る。
米。
鶏肉。
卵。
玉ねぎ。
少し考える。
近くの塀際に置いた。
「後で取る」
誰に言うでもなく呟く。
進む。
間桐の屋敷が見えた。
古い洋館。
門。
庭。
静かだった。
静かすぎる。
門の前で止まる。
見る。
空気の流れが違う。
「結界か」
詳しいことは分からない。
分からないが、ある。
そして踏めば何が起こるか。
大体は分かる。
「入るぞ」
一歩。
何も起きない。
二歩。
何かがこちらを見た。
構わず進む。
庭を抜ける。
蟲の臭いが濃くなる。
玄関まで来た。
扉に手を伸ばす。
その前に。
「これはこれは」
嗄れた声がした。
老人の声。
「柳洞寺の石段で、随分と派手にやっておったそうじゃな」
振り返る。
小柄な老人がいた。
杖を持っている。
笑っている。
「時計塔の執行者が、この家まで来おるとはな。カカカッ」
マリアは老人を見る。
“臭う”
同じだった。
桜の中にいたものと。
同じ臭いがする。
「間桐臓硯か」
「左様」
「見ていたのか」
「いいや。儂ほど長く冬木に住んでおれば、自ずと聞こえてくるものもある」
「そうか」
「それに、その装束じゃ」
老人の目が、帽子から金糸の刺繍へと落ちる。
「お主、隠す気もあるまい。時計塔の噂、儂の耳にも届いておるぞ」
「隠す気はないな」
「カカカッ。ならば話が早かろよ」
「バゼット・フラガ・マクレミッツを知らないか」
老人の眉が少し動いた。
「ほう」
「探している」
「なるほど。それで態々、儂の家まで来たか」
「ああ」
「せっかちな御仁じゃ。まあ入れ。立ち話もなんじゃろう」
「そうか」
入る。
臓硯が一瞬だけ目を細めた。
「……ほう」
「なんだ」
「いや」
笑う。
「何でもないわい」
茶が出た。
マリアは座っている。
臓硯も向かいに座っている。
茶を見る。
飲む。
「うまいな」
「毒を疑わんのか?」
「入っているのか」
「入っておらんよ」
「そうか」
もう一口飲む。
臓硯が笑った。
「変わった執行者じゃな」
「よく言われる」
「それで、バゼット・フラガ・マクレミッツじゃったか」
「ああ」
「知らんな」
即答だった。
「協会枠なら、もう一人は序盤で死んだはずじゃ。女の生き残りは、儂の知る限りおらん」
「そうか」
茶を置く。
立つ。
「なら帰る」
「待て待て」
臓硯が笑う。
「せっかちな御仁、と言ったばかりじゃろう」
「用は済んだ」
「他にはないのか?」
マリアが止まる。
「他?」
「この家まで来て、探し人一人。それだけか?」
「ああ」
「本当かのう?」
マリアは老人を見る。
少し考えた。
「ああ…ある」
「ほう」
「桜に着くの、気持ち悪い。やめた方がいい」
笑い声が止まった。
静かになる。
臓硯がマリアを見る。
先ほどまでと同じ顔だった。
目だけが違った。
「……バレたか」
「ああ」
「お主、やりおる喃」
「私には見えている」
「何が見えておる?」
「蟲」
「ほう」
「桜の中にいる」
臓硯が杖を撫でる。
「魔眼か?」
「違う」
「霊視?」
「知らん」
「知らんじゃと?」
「ああ」
「では、どうして見える」
「見えるからだ」
「…………」
「いるだろう」
「カカカッ」
老人が笑った。
今度の笑いは少し違う。
「お主、面白い喃」
「そうか」
「じゃが、やめろと言われても無理じゃ」
「なぜだ」
「あれは儂の生命線じゃからな」
臓硯は茶を飲む。
「生きながらえるための、な」
「不死が欲しいのか」
老人の手が止まった。
それから。
「欲しい」
笑う。
「とってもな」
「そうか」
「お主には分からんじゃろう」
「分からないな」
「即答か」
「ああ」
「お主、死ぬのが怖くないと言うか?」
「怖いぞ」
臓硯が黙った。
「……何?」
「死ぬのは怖い」
マリアは茶を見る。
「痛いしな」
臓硯の目が細くなる。
「ならば何故、分からぬ」
「戻るからな」
沈黙。
庭のどこかで音がした。
小さな音。
何かが土の下を這っている。
「……戻る?」
「ああ」
「何処から」
「夢」
「夢?」
「そうだ」
臓硯がマリアを見る。
じっと。
「お主」
「なんだ」
「死ぬのか?」
「死ぬぞ」
「死なぬのではなく?」
「普通に死ぬ」
「…………」
「死んで、戻る」
老人の顔から笑みが消えた。
「どうやって」
「教えない」
「肉体の再生か」
「知らない」
「魂の転写?」
「知らない」
「時間の遡行か?」
「知らない」
「では、何を知っておる」
「狩人は戻る」
「それだけか?」
「それだけだ」
臓硯は黙った。
長い。
マリアは茶を飲み切った。
「うまかった」
「待て」
「なんだ」
「お主、その肉体は――」
「教えない」
「まだ何も聞いておらんぞ」
「どうせ教えない」
「カカカッ」
笑った。
楽しそうだった。
「なるほど、なるほど」
杖の先が畳を叩く。
一度。
二度。
「死ぬ」
「ああ」
「そして戻る」
「ああ」
「何処ぞから」
「夢からだ」
「その夢とやらへ行くには」
「狩人になり、死ぬ」
臓硯が止まった。
杖も止まる。
マリアを見る。
老人の瞳の奥で、何かが動いた。
「……なるほど」
「何がだ」
「いやなに」
笑う。
「教えんでもよい。死ねば元に戻るんじゃろう」
「そうだな」
「ならば」
臓硯が身を乗り出した。
「逆を突けば、死にさえしなければ――」
歯を見せる。
「儂のやりたい放題、と言うわけじゃ」
マリアは老人を見る。
右手は動かない。
武器にも触れない。
「そうか」
「怖くないのか?」
「まだ何もされていない」
「…………」
「するのか?」
臓硯は笑った。
「さてな」
「そうか」
マリアが立つ。
「用は済んだ」
「帰るか」
「ああ」
「また来るといい」
「バゼットがいるならな」
「カカカッ。おらんよ」
「そうか」
背を向ける。
襖を開ける。
「執行者マリア・アストラル」
止まる。
「なんだ」
「良い話ができた」
「そうか」
襖を閉めた。
結界を抜ける。
振り返らない。
塀際まで戻る。
袋がある。
米。
鶏肉。
卵。
玉ねぎ。
「無事だな」
持ち上げる。
帰る。
夕飯までには戻れるだろう。
桜も来ると言っていた。
士郎に食材を返さなければならない。
マリアは歩いた。
屋敷の奥。
臓硯は一人、座っていた。
茶は冷めている。
「死ぬ、か」
呟く。
不死ではない。
死なないのではない。
死ぬ。
そして戻る。
ならば、死そのものが条件なのか。
「面白い」
殺す。
それでは駄目だ。
殺せば、あの女はどこかへ行く。
夢。
そう言った。
ならば。
「死なせてはならん、か」
普通の執行者ならば、どう殺すかを考える。
だが。
殺しては、逃げられる。
ならば殺さぬ。
血。
肉。
骨。
眼。
魔術回路。
魂。
何処にある。
何があの女を戻している。
知りたい。
欲しい。
老人は目を閉じる。
そして思い出す。
女は言った。
桜に着くのをやめろ、と。
「…………」
笑う。
小さく。
喉の奥で。
「カカカッ」
なるほど。
殺さず。
逃がさず。
こちらから捕らえる必要すら、ないのかもしれぬ。
老魔術師は、楽しそうに笑った。