夕方の衛宮邸。士郎が冷蔵庫から卵を取り出していると、台所へ入ってきたマリアが「今日は私が作ろう」と言った。
「夕飯を?」
「ああ。いつも作ってもらっているからな」
「それは助かるけど……それで、何を作るんだ?」
「無論、英国料理だ」
卵を持つ士郎の手が止まった。マリアはその手元から顔へと視線を移し、わずかに眉を上げる。
「何だ、その間は」
「……いや、イギリスの料理だろ? どんな料理かと思って」
「食べれば分かることさ。野菜を洗うのを頼めるか?卵も使わせてもらうぞ」
「おう、分かった」
調理台に並べられたのは、ベーコンに太いソーセージ、トマトとマッシュルーム。食パンと豆の缶詰に続いて、黒いソーセージのようなものまで出てきた。
士郎が野菜を洗っている間に、マリアは外套と帽子を台所の外へ置き、手を洗った。差し出されたエプロンを受け取ってシャツの上から掛けると、士郎がまじまじとこちらを見ている。
「その……めちゃくちゃ新鮮だな」
「たしかに。このトマトは新鮮だな。良い血色をしている」
「いや、そういう事じゃないんだけどなあ」
マリアはトマトを手にしたまま首を傾げたが、士郎は説明を諦め、洗い終えた野菜を隣へ置いた。
◇
フライパンに並んだソーセージを、マリアが一本ずつ転がしていく。その隣ではベーコンが脂を落とし、半分に切ったトマトにも焼き色がつき始めていた。マッシュルームを炒め、黒いソーセージを厚めの輪切りにする間にも、小鍋で温めている煮豆を時折かき混ぜる。
次第に香ばしい匂いが台所を満たしていった。
「多少大きめの皿を頼む。人数分と、もう一枚だ」
「おう、分かった」
士郎が食器棚へ向かうと、入れ替わるようにセイバーが入口へ顔を出した。
「おや……今日は、マリアが作っているのですか?」
「ああ、英国料理だぞ。もう少しでできる。期待して待つがいい」
英国料理と聞いたセイバーは顔を上げ、コンロから調理台へ視線を巡らせた。焼き色のついた肉に、温められた豆。士郎が運んできた皿へ、野菜も次々と盛られていく。
「……随分と、豊かな食事ですね」
「夕食だからな。腹いっぱい食べるといい。おかわりも用意するぞ」
おかわりもあると聞くと、セイバーは何度も頷いた。それでも視線はフライパンから離れず、マリアの手元を追い続けている。
そこへ、帰ってきた凛も顔を出した。
「あら……あなた、何を作ってるの?」
「よく分からんけど、英国の料理だってさ」
士郎の答えに、凛は近くの皿を覗き込んだ。ベーコンとソーセージ、焼きトマトにマッシュルーム。そこへ目玉焼きが二つ滑り込むのを見て、眉を寄せる。
「……まるで朝飯じゃないのよ」
「その通りだ。これは、フルイングリッシュブレックファストだ」
「夕飯なのに、朝食なの?」
自慢げに料理名を告げたマリアは、凛の疑問にも動じなかった。
「英国でうまいものを食べたければ、一日三度、朝食を食べればいいそうだ」
「あなたねぇ……それ、実際に向こうでもやってたの?」
「無論だ。夕食にも使えるし、便利だな」
答えながら豆を盛り、焼いた黒い輪切りを添える。最後にトーストまで載せると、皿の空いているところがほとんどなくなった。
「おお……まあ、これなら夕飯でも十分だよな。むしろ多過ぎるくらいだ」
一人前の皿を見た士郎が言い、セイバーはその隣で完成した料理を見つめていた。
「盛り過ぎたな。こぼれやすいから、気をつけて運ぶぞ」
「分かりました」
声をかけると、すぐにセイバーの手が伸びた。マリアは皿を一枚ずつ渡し、自分も両手に持って食卓へ向かった。
◇
「調子に乗って色々と取り過ぎた、バイキングの皿みたいになってるぞ……」
「そうだな。盛り付けが不慣れな事は否定しない」
食卓へ並んだ料理を観察していた士郎に、マリアはあっさり認めた。
その向かいでは、セイバーが早速ソーセージを口へ運んでいる。
「ふむ……これが、今の英国料理……」
続いて焼きトマトを少し食べ、皿に並ぶ他の品へも目を向けた。
「どうだ、セイバー」
「……おいしいです。私の知る食事とは、随分違いますね」
「そうか。こちらも悪くないだろう?」
「はい」
微かに笑って頷いたところへ、士郎がパンの皿を寄せた。
「パンもあるぞ」
「いただきます」
返事は早かった。
◇
自分の夕食を済ませると、マリアは台所へ戻り、取り分けておいたアーチャーの分を仕上げ始めた。
ソーセージとベーコンを温め直し、豆も小鍋で火にかける。新しく焼いた目玉焼きを載せ、トーストを添えたところで、士郎が顔を出した。
「まだ食べるのか?」
「アーチャーの分だ。上にいるだろう。持っていくから、梯子を貸してくれ」
「あるけど……その皿を持って登るのか?」
マリアは頷いた。
士郎は改めて皿を見た。先ほど自分たちが食べたものに劣らず山盛りで、豆のソースまで縁に迫っている。
「……先に梯子を出すよ」
◇
屋根の上にいたアーチャーは、庭の物音に視線を落とした。
士郎が長い梯子を運び、その後ろからマリアがついてくる。外套を着直し、肩には小さな袋を提げていたが、目を引いたのは片手に持つ大皿だった。
梯子が軒へ掛けられる。士郎は足元を確かめ、下から声をかけた。
「アーチャー、飯だぞ」
「……ここまで運ぶ必要はないのだが」
「できたから持ってきた」
マリアはそう返すと、ためらいなく梯子へ足を掛けた。
片手で皿を支え、もう片方の手で梯子をつかんで登ってくる。一段上がるたびに目玉焼きの黄身が揺れ、豆のソースが皿の上を動いた。そのたびに手首をわずかに傾け、元の位置へ戻している。
「君は、もう少し運び方を考えたまえ」
「考えた。だから梯子だ」
足元では士郎が梯子を支えていた。二人とも真面目にやっているらしい。
アーチャーが軒へ近づくと、まず湯気の上がる皿が屋根の縁へ届き、その向こうから羽根つきの帽子が現れた。
「先に持ってくれ」
「……ああ」
皿を受け取ると、マリアは空いた手も使って登り切った。瓦へ足を置いてから、下の士郎へ礼を言う。
「ありがとう。もういいぞ」
「皿、帰りも気をつけろよ」
「ああ」
士郎が家へ戻っていくのを見送り、アーチャーは手元の料理へ目を落とした。豆も卵も、一つとしてこぼれていない。
「君ならば、梯子など使わずとも上がれただろう」
「豆がこぼれる」
「……なるほど」
マリアは肩の袋を下ろし、ナイフとフォークを取り出して渡した。
「夕食だ。温かいうちに食べるといい」
「朝食に見えるが」
「夕食に作った」
アーチャーはひとまず追及をやめ、料理を見渡した。焼きトマトの脇に添えられた黒い輪切りに、目が留まる。
「ブラックプディングまであるのか。このような代物、よく手に入ったな」
「そうだな……まあ、色々だ。それはうまいぞ」
曖昧な答えだけ残し、マリアは腰を下ろした。アーチャーも隣へ座り、皿を膝の上で安定させる。
「私が食べている間、周囲は見ていてくれるのだろうな」
「ああ、任せておけ」
女が通りへ目を向けるのを確かめ、ソーセージを一口食べた。外側には焼き目がつき、中にはまだ熱が残っている。続いて卵へフォークを伸ばすと、隣から感想を求められた。
「悪くない」
短く答えると、マリアは満足そうに頷いた。
◇
最後のソーセージがなくなるのを待って、マリアが手を差し出した。
「皿は持とう。あと、これもどうだ?灰皿もあるぞ」
受け取った皿を脇へ置き、上着から小さなケースを取り出す。開いた蓋の内側に並んでいたのは、葉巻だった。
「喫煙とは珍しいな。しかも、ただの葉巻ではないようだ」
「時計塔のロード特製だ。最近吸えてなかったから、無理を言って送ってもらった」
アーチャーは伸ばしかけた手を止め、ケースからマリアの顔へ視線を移した。
「ロードを葉巻の調達係にするとは、君も大したものだな」
「最初は断られたぞ。何度か頼んだら送ってくれた。諦めない事は大切だ」
「断る方が面倒になったのだろう。礼くらいは言っておきたまえ」
「ああ。今度、日本の土産でも持っていく事にする」
マリアは一本取り出して先を整え、アーチャーにもケースを差し出した。彼が選んでいる間にライターを点け、自分の葉巻に火を移す。それから差し出された火へ、アーチャーも顔を寄せた。
庭はすっかり暗くなっていた。家の中からは食器を片づける音が聞こえ、時折、誰かの話し声が混じる。
二人はしばらく黙って葉巻を楽しんでいたが、やがてマリアがゆっくり煙を吐いた。
「……良いな。もう少し送ってもらうか」
「よもや礼のついでに、次の催促までするまいな」
女は笑い、ケースを閉じた。袋から携帯灰皿を出して二人の間へ置くと、今度は屋敷を見下ろす。
「しかし、士郎は随分とモテるんだな。大河は元からだが…凛に桜にセイバー、イリヤまで来た。あと、たまにライダー。アーチャーは、士郎が誰と付き合うと思う?流石にイリヤは厳しいと思うが」
口元へ葉巻を運んでいたアーチャーの手が止まった。
「……知らん。冗談は程々にした方が良い。それに、彼女たちには、それぞれここへ来る事情があるだろう」
「分かっているさ。私もその一員かもしれないし」
「君まで数に入れているのか」
「そうだな。一応、入っても良いように準備はしておこう」
「本人の知らぬところで増やしてやるな」
マリアはさして気にした様子もなく、廊下を歩く足音へ耳を傾けていた。やがて隣へ顔を向け、今度は彼の意見を求めてくる。
「貴公は、士郎と一番仲が良いのは誰だと思う?皆の出入りを見ているだろう」
「見張りの意味を取り違えているぞ。そういうことは本人に聞きたまえ」
「聞いたら、皆と仲が良いと言いそうだな」
アーチャーはすぐには答えなかった。否定しようにも、あの少年がそう答える姿は容易に想像できる。
「……まあ、否定はしない」
「そういうところなのかもしれないな。士郎の周りに女が増えるのは」
妙に納得した顔で頷かれ、アーチャーは煙と一緒に息を吐いた。
「君は他人の色恋に随分と興味があるようだが、今夜はそれを聞きに来たのか?」
「メインは差し入れだ。貴公が食べている間は、ちゃんと周囲も見ていたぞ。今は暇だからな」
そこは疑っていない。ただ、食後の話題まで選べるなら、もう少し別のものを選びたかった。
そう思っていると、マリアが足元の袋を探り、「これもあるぞ」と別のものを取り出した。
ワインだった。
ただし、小さめのペットボトルに入っている。
「その葉巻に合わせるには、随分と気取らない酒だな」
「酒屋で買った。飲み切りサイズで安かったぞ。飲んでから考えよう」
マリアはカップを二つ出し、彼へ一つ渡してから赤い液体を注いだ。蓋を閉めたペットボトルは袋へ戻し、自分は早速一口飲む。
「うん、悪くない」
「……安いならば、それ相応ではあるな」
アーチャーも味を確かめると、女はそれで十分な返事を得たらしく、カップを膝の上で支えた。
「普段もこういう酒を飲むのか?葉巻の選び方とは、ずいぶん違うな」
「酒も最近はあまり飲んでいなかった。ヤーナムでは、酒ではなく血に酔っていたからな」
目を見開いたアーチャーが顔を向けると、マリアはカップの中を眺めていた。赤い液体を少し揺らし、もう一口飲む。
「……血は酒の代わりという意味か?」
「代わりにしていたつもりはないが。今はこちらの方が、気楽でいい」
アーチャーは葉巻の灰を灰皿に落とし、問いを重ねる代わりにワインへ口をつけた。
「ならば、今夜はそれでよいだろう」
「ああ、それが良い」
煙が夜風に流れていく。二人はしばらく通りを見ていたが、家の中から凛の声がすると、マリアはそちらへ顔を向けた。士郎が何か答え、さらに別の声が重なる。
「それで、士郎は誰と付き合うと思う?」
アーチャーはカップを下ろした。
「……まだ続くのか」
「酒も入ったし、話しやすくなったかと思ってな」
「答えを渋っていたのではない。そもそも、私に相談することではないだろう」
マリアは意外そうに彼を見た。
「えぇ……だって、貴公すごくモテそうだし」
アーチャーは返事をしかけたが、一度口を閉じて手元のカップへ目を落とした。それから、少しだけ肩をすくめる。
「……それについては、コメントを差し控えさせてもらおう」
「否定はしないんだ」
マリアが微笑した。
アーチャーは、それ以上答えずにワインを飲んだ。