礼拝堂には、マリアの祈りだけが響いていた。
外套と帽子は、彼女の脇に置かれている。マリアは頭を垂れ、組んだ手を胸の前に捧げていた。
「聖血を得よ」
教会へ戻った言峰綺礼は、扉のそばで足を止めた。
「祝福を望み、よく祈るのなら、拝領は与えられん」
彼女は祈っている。ならば、終わるまで待とう。言峰は声をかけず、礼拝堂の静けさを乱さぬよう、ただそこに立っていた。
「拝領は与えられん」
聞き慣れぬ文句だった。だが、異教の祈りだと決めつける気にはならなかった。祈る者が誰に捧げているのか、言峰には分からない。それでも、祈りであることは疑いようがなかった。
「密かなる聖血が、血の乾きだけが我らを満たし、また我らを鎮める」
言峰は目を伏せた。
「聖血を得よ。だが、人々は注意せよ。君たちは弱く、また幼い」
声が途切れるたび、礼拝堂の静寂が深まる。
「冒涜の獣は蜜を囁き、深みから誘うだろう。だから、人々は注意せよ」
マリアは身じろぎもしない。
「君たちは弱く、また幼い。恐れを失くせば、誰一人君を嘆くことはない」
最後の言葉が消えた。
マリアはしばらく頭を垂れたまま動かなかった。やがて組んだ手を解き、ゆっくりと立ち上がる。言峰はその姿を見届けてから、口を開いた。
「その祈り、聞き慣れぬ文句だな」
「地元にいた、教区長の言葉だ」
「教区長か……その名は?」
「エミーリアだ」
「……ふむ。知らぬ名だな」
「だろうな。もういない者だ」
「故人か」
「ああ。私が殺した」
言峰は、わずかに目を伏せた。
「…まだ、祈るかね?」
「いや、もう十分だ」
「そうか……懺悔は必要かね?」
「いいや、結構。遠慮させてもらう」
祈りの時間は終わった。
言峰は礼拝堂の奥へ歩み、祭壇側でマリアと向かい合う位置に立った。マリアの背後には、彼が入ってきた扉がある。
「……貴様も、この街で随分と動いているようだな」
その声に、マリアは言峰を見返した。
「執行者よ、この教会に何の用だ?」
「青い全身タイツの槍男に言われて来た」
「……ほう。その青い全身タイツの変質者とやらに、何と言われた?」
「変質者かどうかは知らないが、バゼットのことだ。教会に来れば、何か分かると言われた」
「そうか。なかなかに親切な変質者だな」
言峰の表情は変わらない。マリアもまた、相手の言葉を気に留めた様子もなかった。
「つまり、バゼットの所在を懲りもせず再び尋ねに来たという事か」
「ああ。貴公は彼女と以前から面識があったそうだからな」
「ほう…誰から聞いた?」
「別に…時計塔に問い合わせた。それだけだ」
「そうか」
「神父。あの時、なぜ言わなかった」
「聞かれなかった。それだけだ」
短い沈黙が落ちた。
「残念だが、答えは前回と変わらない。要するに、貴様に答える義務はないということだ」
「時計塔から、正式な照会があってもか?」
「その場合は話が別だろう。だが、貴様たちの期待に沿う答えを、こちらが持ち合わせていないことに変わりはない」
マリアは言峰の顔を見たが、追及を重ねなかった。
「では、こちらからも質問をしよう。バーサーカーのマスターを保護したのは、貴様か?」
「保護したのは、そうだ」
「ならば、セイバー陣営の拠点よりも、この教会に連れてくるのが道義ではないのかね」
「絶対に嫌だ。無理だ。前に来た時、金色のアイツがいたし」
「……気づいていたのか」
「ああ。匂いがしたからな。派手な匂いだ」
「その金色の男は、どうなった?」
「死んだぞ」
「そうか……バーサーカーと相討ちになった、と見るのが妥当か。…まあいい」
マリアは答えなかった。
言峰も、それ以上は追及しなかった。彼の手元にある情報だけでは、城で何が起きたのか分からない。マリアの沈黙も、推測の裏付けにはならなかった。
「私から貴様に話せることは、もうない。祈りが済んだのなら、大人しく帰るがいい」
「……そうか。邪魔をしたな」
マリアが言峰から目を離した。
その背後で、教会の扉が開いた。
「いよう、美人の姉ちゃん。また会ったな。悪いが……いっちょ、死んでくれや!」
槍を構えたランサーが踏み込む。
マリアは振り返りざま、腰の落葉を二振り抜いた。
赤い槍の穂先が二枚の刃に挟まれ、甲高い音を立てて止まる。
「俺の槍を止めるかぁ!相変わらず、やるじゃねえか姉ちゃん!」
ランサーが体重をかけた。刃が震え、マリアの靴底が床を滑る。
両腕に力がこもり、彼女の視線は目の前の槍兵に据えられていた。
その直後。
胸元から、黒い刃の切っ先が突き出した。
「……ぐふっ!」
マリアの肩が震え、口元から血がこぼれる。
「卑劣の誹りは受けよう」
槍を挟んだ二人の視線が、胸を貫く刃へ向いた。刃を辿るように、視線がマリアの背後へ移る。
言峰が立っていた。彼女の背から突き込まれた黒鍵が、胸を貫いている。
それでも、落葉は手から離れなかった。
槍を押さえていた片手が引かれる。マリアは身をひねり、言峰へ刃を返した。
しかし、反撃の一太刀が届くより早く、言峰はもう一本の黒鍵を肩口へ打ち込む。腕の動きが止まり、刃先が逸れた。
「ランサー、やれ」
ランサーの顔が歪む。
「勝負に水差しやがって……胸糞悪ぃな」
それでも槍を引いた。マリアの刃がわずかに外れる。
「……!?」
その一瞬を逃さず、赤い穂先が首元を横切った。
「獲った!」
女の首が飛ぶ。
マリアの身体が膝から崩れ、二刀の得物が床に落ちて乾いた音を立てた。
首は石床を転がり、祭壇の手前で止まる。
言峰は歩み寄り、目を見開いた女の首を持ち上げた。
「ふむ、やはり整った顔立ちだ。……今となっては、何の意味もないが」
その直後、言峰の手から首の重みが消えた。
一方のランサーは床に目をやった。
身体も、二刀も、血の跡もない。マリアがそこにいた痕跡は、何ひとつ残っていなかった。
「……なんだァ?」
周囲の空気が変わっていた。
異変を感じたランサーは教会の扉へ向かい、外を見た。
夜空には一際大きな月が浮かんでいる。
月明かりを受けた雲が、その背後を流れていた。雲の輪郭は月の縁で途切れ、月の向こう側に再び現れている。
「何だ?あの月…雲より手前にいやがる。気味わりぃなぁ……」
教会の敷地の外では、白い霧が広がり始めた。
門の向こうの道が、端からゆっくりと白に埋もれていく。空は見えている。あの月も、霧に隠れることなく浮かんでいた。
ランサーは外門まで走った。槍を霧へ突き入れる。穂先は抵抗なく向こう側へ抜けた。続いて本人も踏み出そうとする。だが、足は門の先へ進まなかった。
「おい、言峰!この霧、出られねぇぞ!」
「出られんとは、どういうことだ」
「そのまんまだよ!しかもこの霧……魔術じゃねえな」
槍だけが、門の向こうの霧へ伸びていた。
槍を引き戻し、ランサーは門から教会へ戻った。言峰もその後に続く。
開け放たれた扉の向こうでは、霧が門の先を覆い隠していた。
けれど、教会の中まで白く染まってはいない。石床の上を、薄い靄が這っているだけだった。
「おいおい、やべぇぞ。言峰、こっちも妙だ」
ランサーが礼拝堂の奥を顎で示す。
祭壇までの距離が、先ほどより遠い。床の石目は奥へ向かうにつれ細かくなり、視線を祭壇へ引き込んでいく。
両脇の柱は、いつの間にか高く、太くなっていた。柱頭から伸びた尖頭アーチが、暗い天井へ連なっている。
次に、壁際に並んでいた木の長椅子が、音もなく輪郭を失った。
座面も背もたれも脚も、薄闇へ溶けるように消えていく。後には石床だけが続いていた。
ランサーが一歩踏み出した。靄が足元を流れる。
床に、円を重ねた彫刻が浮かび上がっていた。
輪の中心は、マリアが祈っていた場所に重なっている。円の縁は幾重にも広がり、祭壇へ続く石床に刻まれていた。
祭壇の輪郭も変わり始めていた。正面の飾りが高くせり上がり、燭台の火がひとつ、またひとつと灯る。揺れる光の向こうに、幾重もの彫像が並んでいた。
高窓は、見上げるほど細長い尖頭窓へ変わっている。そこから差す月明かりが、靄の薄い床に白い帯を落としていた。
そして、より異質なもの。祭壇には大きな”獣らしき頭蓋骨”が祀られていた。
言峰は振り返った。
教会の扉は、まだ背後にある。だが、その向こうに見えるはずの庭は、白い霧だけに覆われていた。
「……ここは、もうテメェの教会じゃなさそうだな」
ランサーの声が、長く伸びた礼拝堂に響いた。
その奥で、鐘が鳴った。
霧の向こうに、人影が浮かんだ。
マリアはゆっくりと礼拝堂へ戻ってきた。
先ほどまで身にまとっていた静かな気配は消えていた。
口元には、抑えきれない笑みがある。
「執行者よ、それが貴様の本性か」
言峰の声に、マリアは答えない。笑みを浮かべたまま、ランサーだけを見ていた。
「なんだ?さっきと全然ちげぇな、姉ちゃん……ご立派に、血生臭くなりやがって」
「そうさ。血に酔うのが、狩人の性さ」
ランサーの口角が上がった。
「へぇ……良いじゃねえか。戦士としちゃあ最高の女だぜ、アンタ」
ランサーは穂先を低い位置へ向け、地を蹴るために腰を落とした。突貫の構えだ。
対するマリアは落葉を二振り、左右へ開いて構える。切っ先が床すれすれをなぞり、彼女はじりじりと間合いを詰めた。
ランサーが踏み込む。
穂先が床をかすめ、一直線にマリアの胸へ迫った。
その間際、二振りの落葉が噛み合い、一本の仕掛け武器へ戻る。
空いた片手が虚空を探り、銀の銃身が現れた。
エヴェリン。
マリアは突貫の勢いを正面から受け止めるのではなく、槍が届く寸前まで引きつけて引き金を引いた。
銃声が礼拝堂に弾ける。
ランサーは、横へ飛んだ。
弾丸は肩をかすめ、背後の石柱に火花を散らした。着地したランサーは、槍を構え直しながら目を細める。
「おっかねぇ…ソレ、ただの飛び道具じゃあ、なさそうだな」
マリアは答えず、銃口を向けたまま次の機会をうかがう。
ランサーは左右へ動き始めた。足を止めず、射線をずらしながら、少しずつ距離を詰めてくる。
マリアの手元で、エヴェリンが消えた。
噛み合っていた落葉がガキィン、と音を立てて二振りに分かれる。
ランサーが間合いへ入るより早く、左右の刃が交差した。
槍の柄が片方を受け、穂先がもう片方を押し返す。ランサーは足を止めず、押し込む力を刃から柄へ移して、マリアの脇へ回ろうとした。
彼女は一歩だけ前へ出る。避ける動きが、そのまま攻めへ変わった。
右の落葉が槍の軌道を外し、左の刃がランサーの胸元を狙う。ランサーは柄を返して刃を弾き、返す槍で彼女の肩を打った。外套が裂ける。マリアは退かず、体を沈めて槍の下をくぐり、二刀を低く払った。
ランサーは跳び退いた。刃が靴底をかすめる。
互いに呼吸を整える間もなく、次の一合が始まった。
槍が大きく薙がれ、落葉がその柄を滑る。
マリアは半歩踏み込み、ランサーの懐へ刃を届かせようとする。
彼は槍を引き戻しながら身を捻り、穂先を彼女の脇腹へ走らせた。
刃が布を裂き、浅く肌を切る。
マリアは痛みに顔色を変えなかった。切られた脇腹をかばうこともなく、すぐに踏み込み直す。
左右から迫る刃を、ランサーは槍の長さで押しとどめた。二人の間に、金属音が幾度も重なる。
やがてランサーの目から、探る色が消えた。
「今度は、しっかり!死んでくれよなァ!!」
朱槍が、呪いの熱を帯びる。
「その心臓、貰い受ける!『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』!!」
槍が放たれるより先に、心臓を貫いたという結果が定まる。
マリアが身をひねる。だが、因果は逃げ道を許さなかった。
穂先が胸を貫く。
マリアの笑みが消えることはなかった。
膝が折れ、落葉が石床へ落ちる。ランサーが槍を引き抜くと、彼女の身体は力なく倒れた。
マリアが斃れても、白い霧は礼拝堂の奥から押し寄せる。
ランサーは槍を構えたまま、その霧を見据えていた。
やがて、また鐘が鳴った。
三度、マリアは戻ってきた。彼女は先ほどより深く息を吐いた。
ランサーが槍を向け、言峰もまた不気味な祭壇のそばから動く。
「今度は二人がかり、か」
「何度も付き合うつもりはないのでな。よもや、卑怯とは言うまい」
「俺はタイマンがいいんだけどなぁ…わりいな、姉ちゃん」
言峰が黒鍵を抜いた。ランサーは槍を構え、二人は間を置かずに攻め込んだ。
正面からランサーの槍が迫る。マリアは落葉を交差させ、穂先を受け流した。
だが、横手から言峰の黒鍵が飛ぶ。身を捻ってかわしたところへ、ランサーの蹴りが踏み込んだ脚を払った。
体勢が崩れる。
マリアは倒れ込む前に床を蹴り、転がるように間合いを切った。追うランサーの槍が外套を裂き、黒鍵が石床に突き立つ。二人の攻めは途切れない。
槍で動きを縛り、黒鍵で逃げ道を削る。最初の殺害と同じ連携だった。
マリアは一度大きく距離を取って、落葉を低く構えた。
すると、彼女は落葉を、自らの胴へ突き立てる。
血が噴き上がった。
「この期に及んで、自傷行為とはな。理解できんが…気をつけろ、ランサー」
「ったりめえだ。んな事、分かってるっつうの」
鮮やかな赤が刀身を濡らし、刃へ絡みつく。引き抜かれた落葉は、血を纏いながら長く伸びた。
血によって伸びた刃が、ランサーを追う。槍の間合いを生かそうにも、今度はマリアの刃が先に届く。ランサーが左右へ動けば、血刃が横薙ぎに空間を塞いだ。
ランサーの朱槍が低く構え直される。再び、必殺の一撃へ移る気配があった。
マリアは血の刃を振り下ろす。長く伸びた刃が床をかすめ、ランサーの前進を押しとどめた。彼は踏み込めない。穂先が届くより先に、血刃がその軌道を断つ。
しかし、言峰の黒鍵が、横合いから二本飛んだ。
一本は血刃に弾かれ、もう一本はマリアの肩をかすめる。
彼女がそちらへ視線を向けた刹那、ランサーが前へ出た。槍の切っ先が血刃の下をくぐり、彼女の胴を狙う。
マリアは長い刃を返して槍を逸らした。ランサーの肩口が裂け、彼は歯を食いしばりながらも退かない。
黒鍵が、また飛ぶ。
今度はマリアの手首を狙っていた。刃を引けばランサーの槍が届く。
受ければ、伸びた血刃の勢いが止まる。彼女は手首を返して黒鍵を弾いた。
その一瞬、血の刃がわずかに流れ、ランサーの前に隙が生まれた。
朱槍が、その隙へ滑り込む。
心臓を狙う宝具ではない。ただの突き。それでも、体勢を立て直す前のマリアには避けきれなかった。
穂先が脇腹を貫く。
マリアはランサーを見た。笑みはもうない。だが、落葉を握る手はまだ緩まなかった。
ランサーが槍を引き抜く。マリアの身体が崩れ、血に濡れた刃が石床を打った。
言峰は黒鍵を構えたまま、白い霧が再び礼拝堂を満たすのを待った。
その後も、死と再来は幾度となく繰り返された。
マリアを殺しても、彼女は再びやって来る。
言峰の黒鍵がその隙を狙うも、鐘が鳴るたび、彼女はまた立ち上がった。
そして、また白い霧の向こうからマリアが現れる。
ランサーは槍を構えたまま、すぐには踏み込まなかった。
「姉ちゃんよォ、あと何回死ねんの?」
「さあな。夢から醒めるまでだ」
言峰が、わずかに目を細める。
「ふむ……封印指定執行者とは、かくも不死なるものなのかね?」
「いや、私だけだろう」
彼女の死は成立している。だが、それで終わらない。ゲイ・ボルクで殺したところで、彼女はまた戻る。宝具を使えば、次の機会を与えるだけだ。
そうなると、言峰が求めるものは、マリアの死ではなかった。
何度立ち上がろうと、何も変えられない。そう悟った時に訪れる無力感。それを味わわせるため、言峰は自らの手に刻まれた令呪へ指をかけた。
「令呪をもって命ずる。宝具は使うな。捨て身で突貫しろ」
言峰の手の甲に刻まれた令呪が赤く輝き、一画が消えた。
ランサーの表情が歪む。だが、槍を握る手は止まらない。
教会の床を蹴り、低く構えた穂先がマリアへ迫る。
彼女は落葉を交差させて受け、槍の線を逸らした。すぐさま返す刃がランサーの肩を裂く。血が飛ぶ。
ランサーは退かず、傷を負いながら一歩、また一歩と踏み込んだ。
言峰の黒鍵が横合いから飛び、マリアの外套を裂いた。腕に赤い筋が走る。
マリアは退かなかった。真っ赤に染めた血が刃に絡まり、引き抜かれた落葉はさらに長く伸びていく。
ランサーが左右へ動き、回り込もうとする。だが、伸びた血刃がその進路を塞いだ。間合いへ入ろうとすれば、刃が先に届く。
言峰の黒鍵も再び飛ぶ。
マリアは血刃で弾き、ランサーへ斬り返した。
槍が彼女の脇を掠め、外套と肌を裂く。赤い飛沫が石床へ散った。
その後。マリアの血が、床に落ちる前に炎を噴いた。
マリアが刃を振るう。斬撃の軌跡に炎が走り、燃える線が空間に残った。横へ回り込もうとしたランサーの足元を、遅れて炎が追う。彼は踏み込みを止め、槍の間合いを作れずに後退した。
言峰の黒鍵も、炎の軌跡と長く伸びた刃に阻まれる。投げるたび、マリアは刃を返してその道を塞いだ。
間合いを支配しているのは、マリアだった。
それでも、ランサーは突っ込んでくる。炎に肌を焼かれ、斬撃を受けても、令呪に押されるように前へ出た。
言峰は、その一瞬を待っていた。
ランサーとマリアを結ぶ線の後方、マリアの背後へと踏み込む。
黒鍵を投げるのではない。あえて自ら間合いを詰めた。
腰を落とし、拳を引く。魔術で強化した八極拳。マリアの背を砕くための一撃だった。
だが、マリアの視線は槍だけを追ってはいなかった。
落葉が一瞬で噛み合い、一本の刃となる。空いた手が虚空を探り、次の瞬間、エヴェリンが握られていた。
言峰の拳が放たれる。
銃声が、ほとんど同時に響いた。
弾丸が、踏み込んだ言峰の肩口を捉える。拳の軌道が逸れ、その身が硬直した。
マリアは炎の向こうへ踏み込む。瞬歩。輪郭がひととき揺らぎ、次に目に映った時には、彼女は言峰の懐にいた。
しかしランサーの槍が、隙だらけマリアを襲う。
令呪の命令は続いている。その槍は止まらない。
弾丸に拳の勢いを断たれた言峰へ、マリアは内臓を抉る一撃を放とうとした。
それと同時に彼女の身体を、ランサーの穂先がすり抜ける。
手応え無し。
それどころか、その槍は彼女の向こう側にいた、言峰の胴を貫いた。
「っ!!なん……だと!?」
言峰の口から血がこぼれる。
マリアはエヴェリンを手放し、言峰の胸へ腕を差し入れた。
そして、その腕を思い切り振り抜く。
血飛沫が礼拝堂に散った。
神父の身体から力が抜け、その場に崩れ落ちた。