時計塔にいる、時計塔のマリアさん(偽)   作:アスタロット

5 / 19
教室にいる、時計塔のマリアさん(偽)

 

特別枠の講義は、いつもより早く始まる。

エルメロイ教室——ノーリッジの第十二科、現代魔術の棟の一室は、朝の光を斜めに受けて、チョークの粉と古い紙の匂いがしていた。

私は教壇脇に立ち、出席簿ではなく、今日の「特別講師」の方を見ていた。

羽根つき帽子に金糸の刺繍に彩られた、古臭い貴族的な装い。

落葉と呼ばれる仕込み刀を、当たり前のように帯びている。

時計塔の執行者としては目立ちすぎるし、講師としては、なおさら場違いだった。

 

「時間だ」

 

「分かっている」

 

短い返事だけが返る。

彼女は——マリアは、教壇の中央へ歩いた。

私用の報告、という名の世間話は授業後。

そう釘を刺したはずだが、果たしてどこまで守られるかは、過去の実績からして怪しい。

講義でいきなり、カレーや牛丼の素晴らしさを語ってもおかしくない。

そう思える程度に、彼女は自由だった。

 

それでも、今日の枠は必要だった。

対獣の現場知を、机上の定義だけで終わらせたくなかったからだ。

封印指定の執行者が、案件の合間に教室へ顔を出す機会など、そう多くない。

変則であっても、使える時間は使う。

 

生徒たちの視線が、一斉に集まる。

特に最前列のスヴィン・グラシュエートは、すでに背筋を伸ばしていた。

フラット・エスカルドスは、興味本位の笑みを浮かべている。

グレイはフードの陰で、静かに筆記具を構えていた。

 

私は咳払いをして、導入を切り出した。

 

「本日の特別講義は『獣』だ。定義は複数ある。実演は提示まで。質問は後でまとめて受ける」

 

マリアは、短く頷いた。

 

「では、始めろ」

 

「血の医療、というものがある」

 

教壇の声は、意外なほど澄んでいた。冷たく、短い。余計な飾りがない。

 

「しかしそれは同時に、人を獣にもする」

 

チョークの音はしない。

彼女は板書をほとんどしない。言葉だけを、必要な分だけ置く。

 

「血によって人を失った獣。これは外敵である前に、内側の問題だ。なるな。借りても、寄るな。狩れる位置に立て」

 

教室の空気が、わずかに締まる。

 

「抑えが強いほど、その蓋が外れたとき反動は大きい。戻る手順がない力は、時限だ」

 

私は内心で舌打ちしたくなった。

内容は悪くない。

悪いのは、その飛ばし方だ。

現代魔術科の用語に落とす前に、結論だけが先に来る。

 

「質問は?」

 

私が促すより先に、手が挙がった。

 

「死徒と同じ、ですか?」

 

「当然違う。血に寄る点で似て見えるが、同じ棚ではない」

 

「では、強化と何が違うんです?」

 

フラットの軽口が混じる。

 

「強くなる話と、人でなくなる話は、別ですよね?」

 

「別だ。強さの話をするな。戻れるかどうかの話をしろ」

 

グレイのペンが、小さく動いた。私は補足を挟む。

 

「死徒化現象と、獣性の暴走と、単なる身体強化は、協会の分類では分けて扱え。今日の主題は、内側に寄っていく変化と、それに対する現場の距離感だ。混線させるな」

 

そこで、スヴィンが口を開いた。

 

「講師殿。一つ、よろしいでしょうか」

 

礼を失わない声だ。家門の矜持はあるが、教壇への敬意が先に来ている。

 

「なんだ」

 

「制御と時限は、同じではないと愚考します。回帰できるなら、それは制御の範疇かと。往復できる器もある。『寄るな』だけでは、成功例まで否定することになりませんか」

 

獣性魔術の家門らしい、核心を突いた指摘だった。

それでも詰問にはなっていない。マリアは、スヴィンを見据えたまま、短く答える。

 

「戻れるうちは、人の側だ。手順があるなら制御。ないなら時限。成功を否定はしない」

 

スヴィンの耳が、ぴくりと動いた気がした。否定されなかったことへの、わずかな安堵か、それとも別の違和感か。私には、後者にも見えた。

 

「いいだろう。制御と処理は併記する。成功例を、現場の失敗だけで潰すな。それは後で私も繰り返す。よし、実務に入れ。ただし、提示までだ」

 

私はそう言って、次へ促した。

 

マリアの手が、空を掻いた。

落葉は最初から腰にある。だが次に現れた得物は、明らかに「持って入室した」ものではなかった。

何処からともなく——と言ってしまえばそれまでだが、教壇の前に、二つの異形が置かれる。

 

一つは、杭を打ち込むような機構を思わせる鎚。
もう一つは、火薬の匂いを想像させる、無骨な爆発用の金槌。

 

生徒の誰かが、息を呑んだ。

 

「対獣の仕掛け武器だ。工房の異端——火薬庫と呼ばれる技術集団の系譜」

 

彼女は、一方を手に取り、変形の機構だけを見せる。

刃や杭が位置を変え、用途が切り替わる。

実弾も、爆発音もない。

それでも、設計思想の暴力性は伝わる。

 

「つまらないものは、それだけでよい武器ではあり得ない」

 

その一文は、説明というより、暗記した格言のように落ちた。

私は眉間を押さえた。

許可したのは提示で、理念の宣伝ではない。

 

「間合い」

 

マリアは、変形を戻しながら続ける。

 

「避けて、詰めろ。敵を削り、割れ」

 

短い。あまりにも短い。

だが、現場の人間が言うと、重みが違う。

フラットが何か冗談を言いかけるのを、私は目配せで止めた。

 

誰かが例に出したのか、あるいは彼女から触れたのか。

“ある”単語が空気に乗った瞬間、教壇の温度が落ちた。

 

「犬は——」



 

優先順位が変わったような、短い沈黙がある。

 

「…犬は真っ先に潰せ」

 

それだけ言って、マリアは得物を手放した。

 

異形の二振は、また何処へともなく消える。

腰に残るのは、落葉だけだった。

 

私は回収に入った。

 

「以上を、今日の共有部分とする。獣化魔術の制御と処理は対立させすぎるな。現場は両方いる。火薬庫と呼ばれる技術者集団の思想については、あくまでも備考欄に留めておけ。対獣の機構は、ひとつの実例を示したに過ぎない」

 

拍手が起きるほど賑やかな終わり方ではなかったが、講義としては成立した。

少なくとも、私はそう自分に言い聞かせた。

 

教室で、スヴィンが残った。

 

「講師殿。一つだけ、お伺いしてもよろしいでしょうか」

 

「一つだぞ」

 

「はい。あの——本日の内容は、よく分かりました。ただ、講師殿の獣の知り方は、家門の制御とは何か大きく違うように感じます。何というか、匂いが……分類できない、とだけ……その、講師殿も、獣性魔術を使えるのですか?」

 

丁寧に切り出そうとして、それでも嗅覚の話が出てしまう。

スヴィンらしい。

マリアは、振り向きざまに短く言った。

 

「獣化は私も使える。貴公の家とは、技術体系がまったく違うが」

 

スヴィンは、深く頭を下げた。

 

「ッ!?……そうですか。本日は、ありがとうございました」

 

スヴィンはそれ以上問わない、優秀だ。

下手に深入りすると、私の胃の領域になる。

 

「解散だ」

 

「はい、先生」

 

スヴィンが去ると、教室に残るのは私と、執行者だけになった。

 

「書斎へ来い。フィードバックする」

 

「分かっている」

 

善処する気があるのかどうか、声からは読めなかった。

 

 

書斎の窓からは、ノーリッジの空がよく見える。

私は机の向こう側に座り、彼女を立たせたまま話を始めた。

 

「先に言っておく。中身が無意味だと言っているのではない」

 

マリアの目が、わずかに動く。

 

「対獣の実務として、聞く価値はあった。命題の骨格も、現場の距離感も、悪くない。スヴィンの指摘への返し方も、最低限はできていた」

 

「なら」

 

「なら、二点だけだ」

 

私は指を二本立てる。全部を並べても、彼女は動かない。

動かす気がない相手に、優先順位のない説教は無意味だ。

教室の縁だけを押さえる。

それが私の仕事の仕方だった。

 

「一点目。理念の披露だ」

 

「つまらぬものは、よい武器ではない、か」

 

「そうだ。独自の技術家思想を宣伝するのは、あまり適切とは言えない。」

 

「格言は、短く、分かりやすい」

 

「短くても、ノートに残る。残ると、他科に飛ぶ。飛んだ先で、どんな意味に翻訳されるか、お前は責任を取らないだろう。結果として”機構が派手な武器だけが良い”という思想に繋がりかねない」

 

沈黙。否定もしない。

私は二本目の指を折る。

 

「二点目。得物の出し方だ」

 

「提示した」

 

「提示の許可を、見せびらかしに利用するな。何処からともなく出す挙動も、生徒の印象に残る。カタナはまだいい。常装備として説明がつく。しかしあの二振は、明らかに異質だ。先程のやり取りと重複するが…あれらは、まさに”浪漫”を追い求める武装だ」

 

「対獣の実物が、一番早い」

 

「早さの話をしているのではない。記録と外聞の話をしている。ゲームに出てくるような、浪漫装備を出すな。私はロードの代理でもある。教室から出た噂は、私の机に返ってくる」

 

マリアは、短く頷いた。

 

「分かった」

 

「善処するのか?」

 

「分かる、と言った」

 

同じ意味ではない、と私は理解した。

期待していない、と言ったのは本当だ。

それでも言わなければ、次の特別枠で同じ穴が開く。

徒労を承知で縁を押さえる。

それが、規格外を切り捨てない代わりの、私のやり方だった。

執行者が教鞭を取るのは、それだけで貴重だ。

 

「次は、もっと学生たちに配慮してくれ」

 

「講義内容次第だ」

 

「次はどんな講義をするつもりだ」

 

「………そうだな。宇宙、について語ろうか?隕石…流星を降らせる事もできる」

 

「………冗談、だろう?」

 

「できる」

 

「………それは天体科の領域だ。それと、これは聞かなかったことにしておく。出来るとしても、絶対にやるな」

 

「善処する」

 

私の胃が、小さく鳴った。

そうして——そのタイミングで、扉がノックもなく開いた。

 

「おお!噂の講師が、本当にいるとはな」

 

水銀の気配、トリムマウ。

そして、義妹。

 

「ライネスか。いまは会議中だ」

 

「そういえば!最近、面白い人材を雇っているそうじゃないか、”お兄様”?」

 

私を無視して彼女の視線が、マリアへ移る。

観察の目だ。愉しみの目でもある。

 

「マリアだ」

 

「私はライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。そちらの義妹だとも」

 

「知っている」

 

「執行者に名前を覚えられるとは、光栄だ。あなたの噂も、もう教室の外まで出ているぞ。執行者が教壇に立ち、獣を語り、異形の得物まで出した、と」

 

「それを、今指導しているんだ」

 

「兄上はそう弁明するだろうな。だがそれでは、すでに開いた生徒の口は閉じられない」

 

私は額に手をやった。

椅子も勧められないままに座り、ライネスは足を組む。

まるでこの部屋の主のように。

 

「獣の講義をしたそうだな。で、内容そぐわず今はお叱り中、か」

 

「フィードバックだ」

 

「聞こえる範囲では、お叱りにしか聞こえなかったが。一点目が理念、二点目が得物——だろう? 扉の外にいても、だいたい分かる。で、隕石を降らせる、というのは本当かい?」

 

「聞いていたのか…冗談に決まっているだろ」

 

「冗談じゃな「冗談だ」」

 

強引に言葉を被せる。

もう何も言わないでほしい、本当に。

 

「ああ…冗談だ」

 

「冗談なのか、それは残念だ。面白そうだったのに」

 

そうライネスは言いつつも、焔色が、一瞬だけ彼女の瞳に差す。

 

魔眼だ。

 

私は止める間もなかった。

ライネスの視線が、マリアの瞳へ沈む。

次の瞬間、ライネスの指が目頭へ触れた。

(熱か)

いつもの過剰反応——にしては、魔眼による観察の切り上げが早い。

 

「……ふうん」

 

「その眼で視るな。あまり良くない」

 

マリアは観察の眼を拒絶した。

それは嫌悪というよりは、ライネスを気遣っているように見える。

 

「悪いね、今視た。短いがね」

 

ライネスの声から、笑いは消えていない。

だが、いつもの弄りとは輪郭が違う。

 

「魔眼にしては、中が広すぎる。底がない。回路の地図としても、閉じない。暗い空でも覗いているようだ」

 

「比喩にするな、もう少し分かりやすく言ってくれ」

 

「比喩かどうかは、まだ決めていない。兄上は、この瞳をどこまで見ている?」

 

「私は魔眼持ちではない。出来ることは限られている」

 

「知識と経験だけで扱うには、穴が空きすぎているな。執行者、教壇、異形の得物——それに、この深さだ」

 

マリアは、短く言った。

 

「視るな、と言った筈だ」

 

「執行者殿…命令の口調は、嫌いじゃない。だが、私はこれの義妹でね。兄上の講師に、どこまで従う義務があるか」

 

「義務はない。必要がないだけだ」

 

「必要がない、か。だが私は興味がある」

 

ライネスは目薬に手を伸ばし、素早く差してから、私を見る。

愉悦の鉾先は、私に変わったようだ。

 

「執行者を教壇に立たせて、獣を語らせて、特異な得物まで出させる。兄上も、趣味が変わったな」

 

「趣味ではない。戦力と実務の共有だ」

 

「建前はいい。その戦力、他科の人間にも見せてやっても構わないか?」

 

「何の話だ」

 

「天体科だ。オルガマリー•アニムスフィア。例の列車事件以来、私と親交があるのは、知っているだろう?空の話が好きな子でね」

 

私の顔色が、変わったのが自分でも分かった。

 

「なぜ、天体科だ」

 

「今、視たからだよ。底がなくて、広すぎる。私の語彙では、魔眼の棚に載らない。なら、空を扱う子の反応を見た方が早い」

 

「政争の試料にするな」

 

「政争の試料、という言葉は傷つくな。紹介だ。茶会に呼びたまえ。面白い講師がいる、と。私も同席する」

 

「断る」

 

「講師本人に聞いたらどうだ? 執行者なら、案件次第で動くのだろう」

 

ライネスが顎をしゃくる。

マリアは、私を一度見てから、短く言った。

 

「宇宙は、空にある」

 

室内の時計の音が、不必要に大きく聞こえた。

 

「……は?」

 

当たり前の発言に、私は絶句した。

 

「それ以上の事は、ない」

 

ライネスの唇が、ゆっくりとほころぶ。

魔眼で触れた広がり。

そして、その短文が、彼女の中で何らかの経路を結んだのだろう。

 

「いい。とてもいい。頭の上、空か。当たり前の事だが…天体科の子が聞いたら、きっと眠れなくなる」

 

「茶会は、まだ決めていない」

 

「決めるのは私だ、兄上。他派の間諜から勝手に嗅がれるより、よほどマシだろう」

 

「それは、保護か」

 

「愉悦と、盤面だ。どちらが主か、教えたら面白くない」

 

そこで、マリアが口を開いた。

政争の続きではない。

優先順位の、別の棚からだった。

 

「茶会なら…茶菓子は、出るのか」

 

室内の空気が、一度だけ止まった。

ライネスが、目を細める。

 

「もちろん、出るとも」

 

「どんなのだ」

 

「私が催すんだ。無論、豪華絢爛に決まっているとも」

 

短い沈黙のあと、マリアは頷いた。

 

「……行く」

 

私は、思わず声を上げていた。

 

「執行者が、食事に釣られるな」

 

「釣られた、とは限らない」

 

「限っているだろう」

 

ライネスは、腹の底から愉しそうに笑った。

トリムマウが、静かに控えている。

 

「ふっ。いい。動機は菓子で構わない。席には、座ればいい」

 

「もう用は済んだだろう?なら、出ていけ」

 

「はいはい。トリムマウ、メモを。オルガマリー宛に。面白い講師がいる、とな。茶菓子は豪華絢爛——これも書いておけ」

 

「かしこまりました、お嬢様」

 

水銀の足音が遠ざかる。

書斎に残るのは、未完のフィードバックと、私の胃袋と、茶会を承諾した執行者だけだった。

 

「本当に、行くのか」

 

「出る、と言った」

 

「菓子が気になるのか」

 

「豪華絢爛、だぞ」

 

私は机の上の、今日の講義メモを見つめた。

制御と時限。火薬庫。広すぎる瞳。頭上の空。そして茶菓子。

 

「……私の胃は、一つしかないんだが」

 

「知っている。貴公は牛ではない」

 

「そういう事を言ってるんじゃない」

 

マリアは、短く頷いただけだった。

 

特別講師としての本日の実務は、これで終わりである。
終わっているはずだった。

 

だが私は、すでに次の茶会の席が、義妹の手と、執行者の胃袋の都合で、確定しつつあることを理解していた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。