ロード・エルメロイⅡ世の書斎に、執行者が大荷物を抱えて入ってきた。
彼女の両手が塞がっている。
小型のテレビ、据え置きの箱が二つ、絡まった配線、それに大きな袋。
袋の口からは、ポテトチップスの油の匂いと、甘い炭酸の気配がした。
Ⅱ世はペンを置き、椅子の背に体重を預けた。
「おい、今日は何だ。その荷物は何だ。何をしに来た」
執行者——マリアは、床に視線を落として荷物を下ろした。
ドスン、と鈍い音が続く。
「ゲームしに来た」
テレビと、据え置きゲーム機が二種。
配線が蛇のように広がる。
Ⅱ世の口が、一度だけ開いて閉じた。
「……は?」
グレイが扉の近くで固まっていた。
フードの影から、床の山だけが覗いている。
「師匠。あれは……」
「分かる必要はない。いや、分かるな。分かるのが嫌だ」
マリアは黙って電源と配線を繋いだ。一度は映らなかった。
彼女は荷物の底から別の線を出し、差し替え、画面を点灯させる。
Ⅱ世が眉を寄せる。
「なぜ予備まであるんだ」
答えはなかった。
代わりに、大きな袋が机の端に置かれる。
ポテトチップスと、コーラ。
マリアはコントローラを手に取り、袋を開け、薄く塩のついた菓子を口に放り込んだ。
そのまま、油の気のする指でボタンに触れる。
「ポテチを食った手でコントローラを握っても、私は構わない。私は気にしない」
(至極どうでも良い)
Ⅱ世は無言で、画面を見つめた。
グレイは袋の端を見つめ、それから小さく頷いた。
拒否ではなく、了解に近い。
ゲーム画面が立ち上がる。
「グレイ。無双シリーズやるか」
「はい。あの、拙で、よろしいのでしょうか」
「いい」
画面が上下に割れ、協力が始まった。
グレイが選んだのは槍の武将、蜀の趙雲。槍の軌跡が素直で、説明が要らない。
操作は下手だった。方向を誤り、チャージ攻撃が空振る。
それでも、フードの下で肩の力が抜けていくのが分かった。
やめない。
もう一回、を口に出さずとも、指がボタンを操作したがる。
Ⅱ世はしばらく傍観していた。
執行者が選び使用していた諸葛亮が、画面の中で光を放つ。
直線のビームが、雑兵の横を空しく横切る。
間合いも、溜めも、乱舞の通る位置も、考えていない。
刃物は日常で足りている。だからカッコいいビームが欲しい。
それだけの選択だった。
「ええい、見てられん!この下手くそめ」
Ⅱ世がコントローラを取り上げた。
「諸葛亮はこうやって運用するんだ。当てろ。撃つだけが仕事ではない」
直線が、今度は敵の列を穿った。
グレイが小さく息を飲む。マリアはポテチを噛み、空いた手で炭酸の口を開けた。
まったく怒ってはいない。
ビームが出れば、とりあえずはいい、という顔だった。
交代が続く。
グレイの趙雲が敵陣に突っ込み、返り討ちに近い形でHPを減らして戻ってくる。
Ⅱ世が短い指示を出し、また諸葛亮のビームが走る。
油と塩気と、炭酸の甘い刺激が、書斎の紙の匂いに混ざっていく。
扉が開いたのは、その頃だった。
「おやおや?兄上の部屋が、随分と子供じみているね」
ライネス・エルメロイ・アーチゾルテが、トリムマウを連れて立っていた。
視線が、床の家電と、執行者の油じみた指と、グレイのコントローラへ順に落ちる。
愉悦が、すぐに色を持った。
「無双シリーズ、か。悪くない趣味だ」
マリアが司馬懿を使っていた。
放射状に広がる光を、彼女はまた雑に撃った。
画面が華やぐ。
当てるより、散らす方が楽しい、とでもいうように。
ライネスは一歩近づき、遠慮なくコントローラを抜いた。
「貸したまえ、執行者殿。司馬懿はこう操作するものだ。彼の無双乱舞は、集団を狙ってこそだ」
ビームが左右に薙ぎ払われる。
トリムマウが、小さな音を立てる。Ⅱ世は眉間を押した。
「ライネス。今度は何の用だ」
「用はあとでいい。今はコレだ」
人数が揃い、画面の意味が変わった。
マリアが二台目の箱を本格的に起動する。
“アリオパーティー”とラベルの付いたソフトが、明るい音楽とともに部屋を占有し始めた。
双六ゲームだった。
スターとコインと、マスの上の悪意。
Ⅱ世は最初、理論を口にした。
「確率と資源だ。浪費しなければ、終盤に勝てる」
中盤までは、その言葉に一理あった。
グレイはルールを一つずつ確認し、「星は、二十で、交換……ですね」と繰り返した。
ライネスは人のマスを見て笑い、マリアはミニゲームだけ妙に上手かった。
説明はしない。指が先に動く。
終盤が来ると、空気が変わった。
ラストに近いターン。
持っている者が狙われる。
スターを奪う機会が、友情より先に手に乗る。
魔王に相当するマスが、持っていた側の数字を溶かす。
Ⅱ世の「管理」が、画面のどこかで嘲笑われる。
そして、チャンスタイムが来た。
ルーレットが回り、光が止まり、結果が示された。
Ⅱ世のスターが、グレイの元へ移る。
グレイはコントローラを持ったまま、固まった。
「……拙が、ですか。拙は、何も……」
悪意はなく、マスがそう告げただけだ。
フードの影で、彼女の声が小さく揺れる。
「ごめんなさい、師匠。返せるなら……」
「いらん、そもそも返せん。そういう仕様だろう、こういうのは」
Ⅱ世の声は平坦で、どこか諦めに近かった。
略奪の制度化、とでも言いそうな顔をして、彼は缶の炭酸を飲み干した。
ライネスは膝に手を置き、愉しげに目を細めた。
「傑作だね、お兄様。内弟子が、ロードから星を奪うなんて」
「分かっているさ。だから面白い」
Ⅱ世の眉間の皺が、ひとつ深くなる。
マリアはポテチの底を叩き、最後の欠片達を口に流し込んだ。
チャンスタイムの結果を、仕様として受け入れている。
勝敗より、塩の味の方が残っている顔だった。
ミニゲームがもう一度入り、誰かの一位が入れ替わり、結局、理不尽な数字が並んで終わった。
星の文字が点灯しても、書斎に残ったのは勝ち誇る声より、ケーブルの熱と、袋の油紙の音だった。
ライネスは満足げに立ち上がる。
「愉しかった。また、変な荷物を持ってきてくれ、執行者殿」
トリムマウが従い、扉が閉まる。
Ⅱ世は画面を消し、残ったノイズを嫌ったように目を細めた。
マリアが、床の配線を一つずつ束ね始めた。グレイが手伝い始める。
Ⅱ世は止めなかった。
「……今夜のことは、教室では話さないでくれ」
「はい、師匠」
マリアは袋を畳み、空になった炭酸を袋に詰めて、出口へ向かう。
「また、する。置いておく」
テレビとゲーム機と宣言だけが残り、執行者の足音が廊下に消えた。
♢
その夜、別のどこか。
子供に見える姿が、月の明かりの端で足を止めていた。
長い銀の髪。
黒が縦縞に伸びるドレスの裏に、髑髏の模様。
口元は愉しげで、目だけが、時計塔の方角を測っている。
「何だか、時計塔にすっごくヘンテコな執行者がいるみたい!」
独り言は、誰に聞かせるでもなく、弾む。
「ちょっとだけ、揶揄ってみようかしら!もしかしたら、すっごく面白いかも!あははっ!」
笑い声が短く散って、姿は影に溶けた。