落星の継承者 重量変化だけしか使えない主人公が、バカでかい武器を振り回す話 作:青井リンボ
「じゃあ次は、私の家に行きましょうか。……こっちよ」
工房を後にした二人は、ミリーの先導で大通りから細い路地へ入っていった。
太陽はすでに街並みの向こうへ傾き、家々の壁と石畳を赤く染めている。
通りでは、店先の商品を片づける商人や、両手に水桶を提げて家路を急ぐ人々の姿が増えていた。軒先に取りつけられた魔石灯にも、1つ、また1つと淡い光が点り始めている。
サビはふと空を見上げた。
茜色に染まった雲のさらに向こうに、細い光の筋が網目のように広がっている。
光はゆっくりと形を変え、ところどころで幾何学的な模様を結んでいた。その中に、四角い窓のような影や、意味の分からない文字列、人間の顔にも見える像が一瞬だけ浮かんでは消えていく。
荒野でも何度か見た光景だった。
サビには、それが雲や星とはまったく違う何かだということしか分からない。
だが、その下を歩く人々は空を気に留めることもなく、それぞれの家へと急いでいた。
サビも足を止めず、ミリーの後を追った。
しばらく歩くと、二人は住居の立ち並ぶ区画へ出た。
木材と石を組み合わせて建てられた家の間に、旧時代の建物を補修して使っている数階建ての集合住宅が混じっている。
建物と建物の隙間には洗濯物が吊るされ、窓からは料理の湯気や、子供を呼ぶ声が漏れていた。
さらに奥へ進んだところで、ミリーは一軒の家の前に立ち止まった。
旧時代に建てられたらしい小さな一戸建てだった。
灰色の壁にはひび割れを木材や金属板で塞いだ跡があり、窓枠も左右で異なる素材が使われている。
何度も修理されながら、長く使われてきたことが分かった。
「ここよ」
ミリーは腰から鍵束を取り出した。
扉には3つの錠前が取りつけられている。
ミリーはそれを1つずつ解除し、最後に扉の内側へ引っかかっていた金属棒を外した。
重い音を立て、扉が開く。
閉め切られていた家の中から、木材と埃の混じった空気が流れてきた。
ミリーは一瞬だけ動きを止めたが、すぐに中へ足を踏み入れた。
「……ただいま」
誰へ向けたものか分からない、小さな声だった。
サビも少し遅れて、家の中へ足を踏み入れた。
室内には、旧時代の金属製の机と、後から作られたらしい木製の椅子が並んでいた。
壁際には補修跡の残る棚が置かれ、その上に食器や調理道具、巻かれた地図が積まれている。
乾いた木材や古い布、僅かに残った香草の匂いが混じっていた。
嫌な匂いではない。
だが、サビがこれまで寝起きしてきた遺跡や荒野、奴隷たちの集められた広間とはまるで違う。他人が長く暮らしてきた場所にだけ残る、嗅ぎ慣れない匂いだった。
サビは落ち着かない様子で、室内へ視線を巡らせる。
壁には、使い込まれた外套が三着掛けられたままになっていた。
そのうち一着はミリーの体格に合うものだったが、残る二着は1回り以上大きい。
床の隅には大人用の靴が二足並び、机の上には中身の空になった3つの杯が残されている。
埃は積もっていたが、長く放置された廃屋ではない。
少し前まで、ここでは三人の人間が暮らしていた。
「……ここが我が家よ」
ミリーはフード付きのマントを脱いだ。
押さえつけられていた銀髪が肩から背中へ広がる。
ようやく人目から隠す必要がなくなったためか、その顔には微かな安堵が浮かんでいた。
だが、壁に残された外套へ視線を向けた瞬間、その表情に寂しさが混じった。
サビは何を言えばいいのか分からず、家の中へ視線を巡らせる。
他人の住居へ招かれた経験など、ほとんどなかった。
入り口に立ったままでいると、どこに座り、何に触れていいのかすら分からない。
「……ところで、俺はどうすればいい?」
「あっ」
ミリーは我に返ったようにサビへ顔を向けた。
背負っていた荷物を床へ下ろす。
「まずは荷物を整理して、道具の手入れをしましょう。そのあとで、サビが使う部屋に案内するわ」
「使える部屋があるのか?」
「空いている部屋があるから。掃除は必要だけどね」
「……分かった」
サビは僅かに戸惑いながらも頷いた。
それから、肩に担いでいた巨剣槍を壁際の丈夫そうな床へ置く。
軽量化を解除した瞬間、床板が大きく軋んだ。
「……ッ」
ミリーの表情が固まった。
巨剣槍の下で、床板が僅かに沈んでいる。
「そこに置き続けたら、いつか床が抜けそうね……」
「外に置くか?」
「……まあ、簡単に盗める者じゃないでしょうけど、外に置くのもね。その内置き場所を考えましょう」
ミリーは巨剣槍と軋んだ床を交互に見て、困ったように息を吐いた。
それから一瞬、サビの手元へ視線を向ける。
「今は先に荷物を片づけましょう。詳しいことは、そのあとで話しましょうか」
「ああ」
二人は持ち帰った荷物を床へ並べた。
残った食料や薬、魔物除け、武器の手入れに使う道具。
ギルドへ売らずに持ち帰った小さな魔石も、種類ごとに分けていく。
作業を続けるうちに日は沈み、室内が薄暗くなっていった。
ミリーは棚から小さな魔石を取り出すと、壁に備えつけられた金属製の器具へはめ込んだ。
側面のつまみを回す。
魔石から淡い光が広がり、部屋の中を照らした。
サビは明るくなった室内を見回した。
調理場の脇に、低い台のような金属製の器具が置かれている。
側面には、魔石をはめ込むためらしい窪みがあった。
「あれは何に使うんだ?」
サビが指さすと、ミリーがそちらへ目を向けた。
「加熱器よ。上に鍋を置いて煮たり、鉄板を載せて肉を焼いたりするの」
「火はいらないのか」
「魔石が入っていればね。自分の魔力で動かせる人もいるけど」
サビは加熱器をしばらく眺めた。
「他にはどんなものがあるんだ?」
「生活でよく使うものなら、部屋を暖めたり冷やしたりするものと、水を集めるものくらいね」
ミリーは奥に置かれた別の器具へ視線を向けた。
「水を集める魔道具は便利だけど、時間も魔石もかかるから、普段は給水所から汲んだ方が早いわ」
「それでも、荒野なら役に立ちそうだな」
「ええ。何もない場所では、少しの水でも命を拾えるから」
ミリーは照明器具の側面にある金属板を指した。
「普通の魔力を流せる人なら、魔石を使わず動かせる物もあるわ」
サビも金属板へ目を向けた。
だが、重量変化へ変質した自分の魔力では動かせない。
「ああ。俺には無理だな」
「……そうね」
「気にするな」
サビは壁際に置いた巨剣槍へ目を向けた。
普通の魔道具は使えない。
その代わり、自分にしか扱えない物もある。
ミリーはそれ以上何も言わず、荷物の中から弓の手入れ用品を取り出した。
「疲れているけど、道具の点検を始めましょうか」
「今からやるのか?」
「今だからやるのよ。街の外では、道具1つの不具合で死ぬこともあるわ。使い終わった時に確認しておかないと、次に必要になった時には遅いでしょう」
ミリーは弓の弦を緩め、傷やほつれがないか指先で確かめ始めた。
続いて、残った薬の量や、魔物除けの瓶の蓋を1つずつ確認していく。
サビはその手つきを黙って見ていた。
奴隷だった頃は、渡された道具が壊れていれば、別の物を拾うか、そのまま使うしかなかった。
次に使う時のために備えるという考えもなかった。
サビは自分の短剣を鞘から抜いた。
刃には、血と脂がわずかに残っている。
ミリーの手元を見ながら、布を手に取った。
「これは、どうやって手入れすればいい?」
ミリーは作業の手を止め、サビの短剣へ目を向けた。
「まず汚れを拭き取って。それが終わったら、刃こぼれがないか一緒に確認しましょう」
「ああ」
二人は淡い魔石灯の下で、黙々と道具の手入れを始めた。
その後も二人は作業を続け、持ち帰った道具を一通り点検し終えた。
ミリーは両腕を頭上へ伸ばし、そのまま大きく背を反らす。
「これで作業は終わり。サビが寝る部屋へ案内するわ」
「ああ」
ミリーは立ち上がると、部屋の奥にある扉へ向かった。
その先は細い廊下になっており、左右に2つずつ扉が並んでいる。ミリーはそのうち、入口から2番目の扉を開いた。
「ここを使って」
室内には寝台と椅子、小さな棚が置かれていた。
長く使われていなかったのか、薄く埃が積もっている。それでも、荷物を置いて眠るには十分な広さがあった。
「昔は、クランメンバーが泊まりに来た時に使っていた部屋なの。ほとんど物も置いてないから、好きに使っていいわ」
ミリーはそう言いながら、僅かに視線を伏せた。
だが、すぐに顔を上げ、何でもないことのように笑う。
サビはその変化に気づいたが、何と声をかければよいのか分からなかった。
「……俺が使っていいのか?」
「そのために案内したんでしょう。空いたままにしておく方がもったいないわ」
「そうか」
サビは部屋の中へ足を踏み入れた。
誰かと奪い合う必要のない寝台がある。
内側から閉められる扉があり、自分の荷物を置いてもよいと言われた。
サビにとっては、どれも馴染みのないものだった。
「じゃあ、私は先に身体を洗ってくるわ。サビはここで休んでいて」
「ああ、分かった」
ミリーは廊下の奥にある扉へ向かっていった。
その姿を見送ったサビは、腰のベルトと短剣を外し、椅子の上へ置く。
寝台へ腰を下ろすと、身体が僅かに沈んだ。
「……柔らかいな」
硬い地面や薄い布の上で眠ることが多かったサビには、それだけでも奇妙な感覚だった。
しばらく警戒するように室内を見回したあと、深く息を吐く。
奴隷だった頃は、どれだけ周囲へ気を配っていても、魔物や罠で傷を負った。
何事もなく帰っても、バーグたちの機嫌が悪ければ殴られた。
眠っている間ですら、安全だったことはない。
それでも生き延び、今は誰かと奪い合う必要のない寝台に座っている。
サビは手のひらで、その柔らかさをもう一度確かめた。
(……運がよかったな)
その結果、アオの手掛かりは失った。
だが、代わりにミリーと出会い、傭兵として活動するための足場を得た。
サビは寝台へ手をつき、その柔らかさをもう一度確かめた。
これも悪いことではないのだろう。
しばらくして、扉を叩く音が聞こえた。
サビが顔を上げると、扉が僅かに開き、ミリーが室内を覗き込んでいた。
旅装からゆったりとした服へ着替え、湿った銀髪を肩から垂らしている。
湯を使ったためか、褐色の頬は僅かに赤くなっていた。
「サビも身体を洗うでしょう?」
「……ああ」
サビは一瞬遅れて答えた。
「じゃあ、使い方を説明するからついてきて」
ミリーに連れられ、廊下の奥にある部屋へ入る。
石張りの床の中央には、人が一人入れそうな大きさの金属製の容器が置かれていた。
その横には水桶や布、固形の石鹼が並んでいる。
部屋の中には、まだ温かな湯気が残っていた。
「この容器は加熱用の魔道具なの。家の貯水槽や用水路から汲んできた水を入れて、魔石で温めるのよ」
ミリーは容器の側面に取りつけられた魔石と金属板を指さした。
「さっき温めたばかりだから、まだ熱いわ。服を脱いで、石鹸で身体を洗って。傷は強く擦らないようにね」
そう言って桶で湯を掬い、布を浸して見せると、大きめの肌着と布の服を籠の上へ置いた。
「着替えはここに置いておくわ。パパの服だから、サビでも多分入ると思う」
「終わったら最初の部屋に来て。食事にしましょう」
「ああ」
ミリーが出ていくと、サビは言われたとおり服を脱いだ。
湯へ浸した布で身体を拭うと、乾いた血や土埃が少しずつ流れ落ちていった。
古い傷へ石鹼が触れるたびに痛みが走ったが、それ以上に温かな湯が心地よかった。
川で身体を洗ったことはある。
だが、安全な家の中で、温めた水を好きに使うのは初めてだった。
汚れを落としていくにつれ、何日も身体へまとわりついていた緊張まで、僅かに薄れていくように感じた。
身体を洗い終えたサビは、ミリーから渡された服へ着替えた。
少し窮屈だったが、清潔な布の感触は悪くない。
サビは僅かに肩の力を抜き、浴室を後にした。
最初の部屋へ戻ると、机の上には湯気を立てる鍋と、茶色い円盤状の配給食が並べられていた。
鍋の中身は、芋や豆、細かく刻んだ野菜を煮込んだものだった。
「適当に作ったものだけど、食べましょう」
ミリーは配給食を手に取り、鍋の中へ割り入れた。
「それは、そのまま食べないのか?」
「そのままでも食べられるけど、固いし味もあまりないから。砕いて煮込めば、少しは食べやすくなるの」
サビも席へ着き、配給食を1つ手に取る。
道中で食べた携帯食と似ているが、それよりも厚く、僅かに甘い匂いがした。
「これは内壁から支給される食料よ。必要な栄養は大体入っているし、安いから、外壁ではこれを食べている人が多いわ」
「これだけで生きていけるのか?」
「一応はね。でも、これだけだと飽きるから、外壁で採れた芋や豆、野菜と一緒に料理するの」
サビは配給食を一口齧った。
固く、味も薄い。
だが、奴隷時代に与えられていた食べ物と比べれば、十分にまともだった。
数口食べたところで、サビは持ち帰った荷物へ目を向ける。
包んでいた布を開き、切り分けてあったグレイウルフの肉を取り出した。
「これも焼くか」
ミリーの表情が変わった。
「その肉、まだ除染してないわよ」
「除染?」
「魔物の肉には魔力が残ってるの。普通の人が食べたら、身体の魔力と反発するわ」
「焼いても駄目なのか?」
「火を通すのとは別よ。専用の魔道具で魔力を抜かないと食べられないの」
サビは手にした肉とミリーを見比べた。
「俺は昔から食ってるぞ」
「……やっぱり」
ミリーは何かを確かめるように、サビを見つめた。
「魔力が大きく変質した人には、そのまま食べられる者もいるって聞いたことがあるわ。たぶん、サビもそうなのね」
「そういうものなのか」
「多分ね」
サビは少し考えたあと、肉を掲げて尋ねた。
「ミリーは食わないのか?」
「食べたら倒れるわよ」
「そうか」
サビは素直に肉を自分の方へ戻した。
その様子に、ミリーは困ったような表情を浮かべる。
「肉は除染にお金がかかるから高いの。外壁では、毎日のように食べられる物じゃないわ」
「魔物はあれだけいるのにな」
「倒せば、すぐ食料になるわけじゃないからね。除染した肉を買えるのは、お金のある人か、大きな仕事を終えた傭兵くらいよ」
ミリーが卓上の小さな加熱器を作動させると、金属板が赤く熱を帯びた。
「これで焼いていいわよ。……まさか、生で食べるつもりだったの?」
肉をそのまま口元へ運ぼうとしていたサビを見て、ミリーは表情を引きつらせた。
「……まあな」
「……体調を崩されると困るから、これからは焼いて食べてね」
「……そうする」
気まずげなサビは、素直に肉を金属板へ置いた。
すぐに脂の弾ける音が響き、グレイウルフの肉から香ばしい匂いが立ち始める。
しばらく焼いてから、サビは肉を口へ運んだ。
表面は香ばしく、噛むと熱い肉汁が染み出した。
生のまま噛み千切るよりも柔らかく、獣臭さも薄い。
生の肉は、腹を満たすために噛み込むものだった。だが、これは違う。
サビは一度飲み込むと、無言で次の肉を焼き始めた。
「……気に入ったみたいね」
「生より食いやすい」
そう答えながらも、焼き上がる肉から目を離さなかった。
その隣で、ミリーは野菜と配給食を煮込んだものを口へ運んでいた。
同じ卓を囲みながらも、二人の皿にはまるで違う物が並んでいた。
食事が終わると、ミリーが明日の話を切り出した。
「明日は、予定どおりサビの能力と、その武器の扱い方を確認しましょうか」
「ああ。だが、この辺りにあれを振り回せる場所はあるのか?」
「街の中では無理ね」
ミリーは巨剣槍が置かれた方へ目を向けた。
「広場はあるけど、人が多いし、あんな物を振り回したら衛兵が飛んでくるわ。中央の防壁に近い場所なら開けた土地もあるけど、ほとんど有力者や開闢軍の管理地よ」
「なら、どこでやる?」
「都市の外周に、傭兵たちが訓練に使っている空き地があるわ。低級の魔物が入り込むこともあるから、見張りは必要だけど」
「その方が、都合がいいな」
「私も一緒に行くわ」
ミリーは手を止め、サビへ視線を向けた。
「サビの能力をきちんと知っておきたいし、私も自分の力を確認したいから」
サビも咀嚼していた肉を飲み込むと、頷き返す。
「ああ、分かった」
「それに、しばらく一緒に動くなら、できることくらいは把握しておいた方がいいでしょう」
その後も軽く予定を確認しながら、二人は食事を終えた。
片づけを済ませる頃には、ミリーは何度も小さな欠伸をしていた。
「それじゃ、今日はもう休みましょう。明日は日が昇ったら出発ね。おやすみ」
「ああ」
サビは自分の部屋へ戻ると、扉の内側にある錠を確かめた。
自分で閉め、自分で開けられる扉を見るのは、ひどく奇妙だった。
鞘に納められた短剣を持ったまま、残った携帯食料と報酬袋も手の届く場所へ寄せた。
そこまでして、ようやく寝台へ身体を横たえる。
柔らかな布が全身を受け止めた。
外から怒鳴り声は聞こえない。
誰かに見張りを命じられることも、眠っている間に殴られる心配もない。
サビは天井を見つめたまま、僅かに息を吐いた。
(……ここなら、寝てもいいのか)
そう思った途端、数日分の疲労が一気に押し寄せてきた。
サビはぎこちなく大きく伸びをしてから、短剣の柄へ手を添えて、深い眠りへ落ちていった。