落星の継承者 重量変化だけしか使えない主人公が、バカでかい武器を振り回す話 作:青井リンボ
(ここは……)
サビは、瓦礫とごみの散らばる、かつての住処の前に立っていた。
鼻を刺す腐臭。湿った土。崩れた壁の隙間から吹き込む冷たい風。
忘れたはずの感触が、足元からじわりと這い上がってくる。
そこにいたのは、アオだった。
深い青みを帯びた髪。体の一部に浮いた鱗。
怯えた時には、琥珀色の瞳が獣のように揺れる。
その姿を気味悪がられ、アオは「アオヘビ」と呼ばれていた。
サビは、そんなアオを見ていた。
震えていた、うずくまる小さな体。
痩せた指。何かを言う前に、奪われることへ慣れきってしまったような目。
――あの時、どうしてだったのか。
サビにも分からない。
ただ、なけなしの食糧を差し出していた。
腹は減っていた。自分だって余裕はなかった。
それでも、気づけば手が動いていたのだ。
それが、始まりだった。
一緒にごみを漁った。
食えるものを探して歩き回り、寒い夜には身を寄せ合って眠った。
だが、見つけたものを必ず持ち帰れたわけではない。
ある日、二人は崩れかけた倉庫の奥で、固くなったパンを見つけた。
黴の生えていない部分だけでも、二人なら一日は食いつなげる量だった。
それを抱えて外へ出ようとした時、四人の子供が入口を塞いだ。
先頭に立っていたのは、サビと同じくらいの年頃の金髪の少年だった。
その後ろには、二人の少女と一人の少年が立っている。
全員痩せてはいたが、サビたちよりも幾分ましな服を着ていた。
「そこは俺たちの縄張りだ」
少年はサビの抱えたパンを見ながら言った。
「先に見つけたのは俺たちだ」
「だから何だよ」
少年は声を荒らげなかった。
ただ、当然のように手を差し出した。
「置いていけ」
サビは答えず、アオを背中へ庇った。
次の瞬間、少年の拳に青白い魔力がまとわりついた。
サビは先に殴りかかった。
だが拳は受け止められると、逆に腹へ強烈な一撃を受けた。
息が詰まり、その場に膝をつく。
残る三人も一斉にサビへ飛びかかった。
何度も蹴られ、地面へ押さえつけられる。
当時のサビには魔力を武器や体へまとわせることができず、まともな勝負にもならなかった。
「もういい」
先頭の少年が言うと、三人はすぐにサビから離れた。
「パンまで潰れる」
少年はサビの腕からパンを取り上げると、その場で4つに分けた。
自分だけが多く取ることもなく、後ろの三人へ順に渡していく。
それから、倒れたサビと、その傍らへ駆け寄ったアオを見た。
「対して強くもねえのに、足手まといまで抱えてどうすんだ」
「……うるせえ」
サビが睨みつけると、少年は僅かに肩をすくめた。
「……まあ、好きにしろ」
四人はそれ以上何もせず、倉庫を出ていった。
それからも、食料やごみ漁りの場所を巡って何度も争った。
サビはそのたびに食らいついたが、一度も勝てなかった。
それでも、アオを置いていこうとは思わなかった。
誰にも顧みられず、誰にも守られず、それでも二人で生き延びた。
アオはサビへ抱きつくと、胸に顔を押しつけた。
寒がりなアオの癖だった。
そんな触れ合いを、サビはいつしか大事なものだと思うようになっていた。
「サビはあったかいね」
抱きついたまま、アオが顔を上げて笑う。
普段はどこか無機質な表情が多い。
それでも時折こぼれるその笑顔は、サビの心を温かくした。
「アオ、お前は大丈夫か?」
サビは急いで尋ねた。
ここが夢の中だと分かっていても、そう聞かずにはいられなかった。
「何が? いきなり変なの」
アオはそう言って、ころころと笑う。
その姿を見たサビは、胸を掻きむしりたくなるような気持ちになり、アオを抱きしめる腕に力を込めた。
だが次の瞬間、周囲の景色が急に切り替わった。
サビはアオの手を強く握ったまま、必死に走っていた。
小雨の曇り空の下、狭くて薄暗い路地裏だった。
二人は何度もつまずきかけ、水しぶきを上げながら走る。
何度も後ろを振り返る。
それでも足は止めなかった。
前方には、人通りの多い大通りへ続く道が見えていた。
サビはごみや瓦礫を押しのけながら、必死に前へ進む。
「あとちょっとだ!」
サビはアオの手を強く握り、声を掛けた。
アオは息を切らしながら頷くことしかできない。
「いたぞ!」
その声と同時に、前へ一人の男が立ちはだかった。
後ろからは、瓦礫やごみを蹴散らす音が近づいてくる。
焦ったサビは、しがみつくアオの手を強く握り返した。
「手間取らせやがって、クソガキどもが」
目の前の男はにやけながら悪態をつき、ゆっくりと二人へ近づいてくる。
「サビ……」
不安げに揺れる琥珀色の瞳を見て、サビは大きく息を吐いた。
握っていた手を離す。
次の瞬間、一気に駆け出した。
走りながら、サビは地面の瓦礫を両手で掴んだ。
右手の瓦礫を、男の顔めがけて投げつける。
「っち!」
男が顔をかばった、その隙だった。
サビは飛び込むように間合いを詰め、男の横顔へ左手の瓦礫を叩きつける。
「……クソっ!」
だが、瓦礫は男に当たる寸前、青白い魔力に包まれた腕で弾かれる。
「ッチ!……アオ! 逃げろ」
体勢を崩しながらもそう叫ぶ。
だが次の瞬間、鋭い蹴りがサビの胴体へ突き刺さった。
「ガァッ……」
そのままサビの体は壁へ叩きつけられる。
「サビッ! ……やだっ」
そこへアオが、大粒の涙を流しながら駆け寄ってきた。
サビを庇うようにしがみつく。
呼吸も満足にできないまま、サビは朦朧とする意識の中で必死に声を絞り出した。
「……に、げろ……」
だがその時、泣きながらサビに縋るアオの背後から手が伸びた。
髪を乱暴に掴まれ、アオの顔が引き上げられる。
「いやっ!はなせっ!」
「はな、せ……」
その光景を見たサビは、苦しみながらもアオの手を掴んだ。
「うるせえ! いい加減にしやがれ!」
「ガハッ!」
次の瞬間、男の蹴りが再びサビへ叩き込まれる。
たまらずサビは地面へ倒れ込んだ。
そこへ、遅れてきた追手たちも姿を現す。
「ようやく捕まったか」
「サビッ! いやっ。はなせえ!」
アオは髪を掴まれて押さえつけられながらも、なおサビの手を握ったままもがいた。
「めんどくせえな!……オラッ!」
「っ!……」
苛立った男は、容赦なくアオを殴りつける。
小さな体がぐらりと揺れた。
そのまま力なく俯き、アオは意識を失った。
「……ア、オ……!」
「おいおい、殺すなよ!」
さすがに他の連中も見かねたのか、声を上げた。
だが、殴った本人はへらへらと笑っている。
その姿を見ていたサビは、泥に沈みながらも憎悪を込めて男を睨みつけた。
「このトカゲモドキなら、これくらい平気だろ」
男はサビへ視線を向けると、ニヤついたまま唾を吐きかける。
そして、アオの手を掴んだままのサビの腕を無造作に蹴り飛ばした。
「まあ、このバーグ様に手間かけさせた罰ってわけだな」
「……」
サビは赤錆色の瞳に涙を滲ませながらも、睨みつけることだけはやめなかった。
「こっちのガキも奴隷として連れてけ。さあ、帰ったら酒だ!」
サビの視線など意に介さず、バーグはぐったりしたアオを物のように袋へ押し込んだ。
そのまま周囲へ指示を飛ばし、路地の奥へ歩いていった。
体の動かないサビも、他の男たちに足を無造作に掴み上げられる。
雨に濡れる中、サビは袋へ放り込まれていく。
その瞬間まで、逆さまの視点でアオとバーグの姿を見続けた。
(俺はただ、アオと一緒に暮らせれば……! それだけなのに……)
大口を開けたずた袋に吸い込まれる。
闇が落ちた。
そのままサビの意識は、急速に夢から引き剥がされていった。
(……ッ! 夢か)
サビは短剣の柄を握り締めたまま、目を見開いた。
一瞬、見慣れない天井に体を強張らせる。
だが、窓から差し込む朝日と、微かに聞こえてくる街の喧騒を認識し、ようやくここがミリーの家だったと思い出した。
短剣を握る指には、無意識のうちに力が入りすぎていた。
白くなった指を一本ずつ引き剥がすように緩め、額に浮いた汗を拭う。
短剣を腰へ差し、ベッドから降りた。
(クソッ……気を抜きすぎたな)
嫌な夢だった。
それなのに、夢の中でアオに触れた感触が消えていくことを、惜しいとも感じていた。
サビはその考えを振り払うように、赤錆色の髪を揺らした。
「……だいぶ寝てたみたいだな」
意識を自分の体へ向ける。
首と肩を回し、その場で軽く腕や脚を動かしてみる。
昨日まで体にこびりついていた疲労が、驚くほど薄れていた。
サビは自分の腕を見下ろし、何度か拳を握る。
(寝る場所が違うだけで、こんなに変わるのか)
柔らかな寝床。
雨風を防ぐ壁。
眠っている間、魔物や誰かに襲われる心配もない。
そんな場所で一晩眠ったのは、いつ以来だろう。
体は軽くなっていた。
だが、胸の奥には夢の中で見たアオの姿が重く残っている。
(俺だけ休んでても、何も変わらねえ)
サビは小さく息を吐き、部屋を出るためにドアノブへ手を掛けた。