落星の継承者 重量変化だけしか使えない主人公が、バカでかい武器を振り回す話 作:青井リンボ
翌朝、サビは腕から肩へ残った鈍い痛みで目を覚ました。
昨日、魔導車の駆動軸を何度も振り回したせいだろう。
体を起こして両腕を伸ばすと、固くなった筋肉が引き攣るように痛んだ。
「……やりすぎたな」
枕元へ置いていた短剣を腰へ差し、寝台から降りる。
窓から差し込む光はまだ淡い。日が昇ったばかりのようだった。
サビは大きく伸びをすると、寝台の脇に置いた鞄へ手を伸ばした。
中から取り出したのは、遺跡で回収した薄い本だった。
表紙は汚れ、角の一部が欠けている。
中を開けば、枠で区切られた絵の中で、剣を持った男や見たことのない魔物が動き回っていた。
サビは何度かページを捲った。
絵を見れば、何が起きているのかは大体分かる。
怪物が街へ現れる。
武器を持った男が立ち向かう。
誰かが傷つき、別の誰かが助けに入る。
だが、人の口元から伸びた白い枠の中の文字は、サビには読めない。
(大体の流れは分かるが……こいつら、何を話してるんだ?)
サビは眉間に皺を寄せた。
しばらく絵と文字を見比べていたが、やがて諦めて本を閉じる。
コミックを手にしたまま、部屋の外へ向かった。
魔力の気配から、ミリーはすでに起きていると分かった。
リビングへ近づくにつれ、煮込んだ野菜の匂いが漂ってくる。
扉を開くと、鍋の前に立っていたミリーが振り返った。
「おはよう、サビ」
「ああ。おはよう」
ミリーは鍋の中で、刻んだ野菜と崩した携帯食を煮込んでいた。
サビはコミックをテーブルの端へ置くと、壁際の保存庫を開ける。
魔力によって冷やされた庫内から、葉に包まれたゴアグリズリーの肉を取り出した。
「朝から、よく食べるわね」
「ああ。だが、こいつの肉を食ってから、前より力が出る気がする」
「ゴアグリズリーの?」
ミリーは鍋を混ぜていた手を止め、サビが取り出した肉へ目を向けた。
「昨日の訓練でも、前より体が動いた。疲れも残ってるが、回復は早い気がする」
「強い魔物ほど、肉の栄養も多いのかしら」
「かもな」
サビ自身、それ以上の理由は分からない。
肉を適当な厚さに切ると、熱した鉄板の上へ並べた。
脂が弾け、獣臭の混じった香ばしい匂いが室内へ広がっていく。
「それにしても、本当に平気なのね」
ミリーが焼かれていく肉を見ながら呟いた。
「何がだ」
「除染もしていない魔物の肉よ。普通なら、一口食べただけでも寝込むのに」
「前から食ってる」
「知ってるけど、見てると改めて変な感じがするのよ」
サビは気にした様子もなく肉を裏返した。
「食えるなら、それでいいだろ」
「あなたはそうでしょうね」
ミリーは呆れたように答え、煮込みを2つの器へよそった。
焼き上がった肉も皿へ移し、二人は向かい合って朝食を始める。
サビは大きく切った肉へ齧りつきながら、テーブルの端に置いたコミックへ何度か目を向けていた。
「どんな内容?」
いつの間にか、ミリーが卓の向こうから覗き込んでいた。
食事後に、コミックを再度開いてサビは目を通していた。
「分からねえ」
「何が?」
「こいつらが何を話してるのか」
サビは、剣を構えた男が大きく口を開いている絵を指差した。
「絵を見れば、戦ってるのは分かる。でも、こいつが何を言ってるのかは分からねえ」
「読んであげましょうか?」
「いや」
サビは即座に答えた。
「自分で読めるようになりてえ」
ミリーが僅かに目を見開いた。
何かおかしなことを言っただろうかと、サビが顔を上げる。
「何だ」
「別に。あなたから勉強したいって言うとは思わなかっただけ」
「読めねえと不便だろ」
「本当にそれだけ?」
サビは答えず、再びコミックへ視線を落とした。
ミリーは小さく笑うと、荷物の中から紙と炭筆を取り出した。
「それじゃあ、簡単なものから始めましょう」
「この本の文字じゃねえのか」
「いきなり全部覚えられるわけないでしょ。まずは、自分の名前から」
ミリーは卓へ紙を置き、炭筆を走らせた。
黒い線が3つの文字を作る。
「これが、サビ」
「……これが?」
「そう。あなたの名前」
サビは紙へ顔を近づけた。
何度見ても、ただの形にしか見えない。
それでも、この3つが自分を表しているらしい。
「書いてみて」
炭筆を渡され、サビは見本の隣へ同じ形を書こうとした。
だが、剣や巨剣槍を握る時とは勝手が違った。
力を込めすぎた炭筆の先が潰れ、最初の線が太く歪む。
「あっ」
「折れてねえ」
「紙が破れるわよ。もっと軽く持って」
サビは指の力を緩め、もう一度線を引いた。
一文字目。
二文字目。
三文字目。
形は不揃いで、見本とは随分違っている。
「……これで読めるのか?」
「どうにかサビには見えるわ」
「どうにかか」
「最初なんだから十分よ」
サビは自分の書いた文字を眺めた。
「これを見れば、俺の名前だって分かるんだな」
「文字を読める人ならね。宿の記帳もできるし、依頼書に自分で名前を書くこともできる」
サビはもう一度、先ほどより慎重に自分の名前を書いた。
今度は少しだけ見本に近づいた。
「ミリーは?」
「私?」
「名前だ」
ミリーは一瞬だけサビの顔を見た後、その下へ新しい文字を書いた。
「これがミリー」
サビは並んだ文字を見比べる。
自分の名前よりも1つ多い。
同じように隣へ書き写そうとしたが、最後の文字の形が上手く作れなかった。
「そこ、逆よ」
「同じに見える」
「全然違うわ」
ミリーはサビの手から炭筆を取り、間違えた箇所の横へ正しい形を書き直した。
紙の上に、二人分の名前が並ぶ。
サビの文字は大きく角張り、線も歪んでいる。
その隣にあるミリーの文字は、細く整った線で書かれていた。
「ふふっ。なんだか、へんてこな感じね」
「何がだ」
「私の名前の隣に、こんな大きな文字が並んでるから」
ミリーは笑みを浮かべながら、二人の名前を眺めていた。
サビも自分の書いた文字へ目を落とす。
(これが俺の名か……気が付いたらそう呼ばれてたからな)
しばらく眺めた後、サビは鞄の中へ手を入れた。
今度は、ベロニカから渡された金属板を取り出す。
「これは?」
「……ベロニカの名刺ね」
「どこが名前なんだ?」
「ここ」
ミリーが、刻印された文字の一部を指でなぞる。
「ベロニカ・エスカ。こっちは魔道具技師って書いてあるわ」
「魔道具技師」
「職業よ。その下は工房の場所」
サビは金属板と紙を交互に見た。
まだ、どの線が何を表しているのかまでは分からない。
だが意味のなかった傷のような形が、少しずつ人の名前や場所へ変わり始めていた。
「次は何だ」
「数字にしましょうか」
「文字じゃないのか」
「大市へ行くなら、値札くらい読めた方がいいでしょう。読めない相手だと思われたら、高い値段を吹っかけられるわよ」
サビは背筋を伸ばした。
「教えてくれ」
「コミックより真剣になったわね」
「金を騙し取られるよりはいい」
「はいはい」
ミリーは呆れたように答えながら、新しい紙を卓へ置いた。
その横では、開いたままのコミックが朝の風に揺れ、ページを一枚捲っていた。
朝食と文字の勉強を終えた後、二人は買い物を兼ねて街へ出た。
サビは魔導車の駆動軸を、長大な杖のように中ほどで持って歩いていた。
先端についた歯車は布で包んである。
大市を控えた街では、露店の柱や看板、祭事用の飾りを運ぶ者が至る所を歩いており、長い鉄の棒を持ったサビも普段ほど注目を集めなかった。
それでも、人混みを通る時には先端が誰かへ当たらないよう、駆動軸を僅かに立てて歩いている。
「そこの文字は?」
「生活雑貨。鍋や食器を売ってる店ね」
「その下の数字は」
「小さい鍋が三百エクスから」
「高えな」
「大市が近いから、少し値段を上げてるのかもね」
サビは店先の札と、ミリーが教えた数字を交互に見比べた。
朝に覚えたばかりの文字の大半は、まだ意味のない線にしか見えない。
それでも、幾つかの数字や単語だけは、街の中から浮き上がるように目へ入ってきた。
二人が歩いているのは、商業区の中でも日用品や雑貨を扱う店が集まった一画だった。
通りの両側には、食器や調理道具、革袋、布地、灯りに使う魔石などが並んでいる。
店舗を持たない商人も地面へ布を広げ、地方から運んできた籠や木工品を売っていた。
客を呼び込む声。
荷物を運ぶ者の怒鳴り声。
値段を巡って言い争う声。
朝早い時間にもかかわらず、通りには様々な声が飛び交っている。
道の中央には、石で固められた細い水路が流れていた。
人々は水路の脇へ降り、桶へ水を汲んだり、野菜や道具の汚れを洗い流したりしている。
一定の間隔で小さな石橋が架けられ、その上を人や荷車が絶え間なく行き交っていた。
サビは朝日を反射する水面へ一度目を向けた後、水路をまたぐように渡された飾り布を見上げた。
布には、金色の円と銀色の三日月が並んでいる。
その周囲を、小さな星形の模様が幾つも囲んでいた。
「あれ、昨日も見たな。何の印だ?」
「ああ。双星祭の飾りよ」
「そうせいさい?」
「星神教のお祭り。もうすぐ祭事の日だから、街のあちこちに飾り始めてるの」
ミリーも足を止め、頭上の布を見上げた。
「金色の方が太陽で、銀色の方が月らしいわ。2つの星へ、今年も無事に過ごせるよう祈るのよ」
サビは金色の円と、細く欠けた銀色の月を見比べた。
「何で2つだけなんだ。夜にはもっとあるだろ」
「……そう言われると、確かに変ね」
ミリーは少し考えてから、肩をすくめた。
「古い教えでは、特別な2つの星があったらしいわ。それを今では太陽と月のことだと考えてるの」
「本当は違うのか?」
「知らないわよ。教会の人たちの間でも、意見が分かれてるみたいだし」
ミリーは再び歩き始めながら、通りに並ぶ露店へ目を向けた。
「それに、今は祭事より大市を楽しみにしてる人の方が多いかもしれないわね」
「祭りと大市は別なのか?」
「元々は別よ。双星祭に合わせて各地から聖都クエーサーやこの街に巡礼者が集まって、その人たちへ物を売ろうと商人も来るようになったの。それが年々大きくなって、今の大市になったらしいわ」
ミリーは、荷物を積んだまま通りを進む隊商を指した。
「商人にとっては、祭りの前後が一番物を売れる時期なのよ。だから双星祭の日だけじゃなくて、その少し前から街が賑わい始めるの」
ミリーは、荷物を積んだまま通りを進む隊商を指した。
「祭りが終われば、今度は商品を売り終えた行商や隊商が一斉に街を出るでしょう。その時期は、帰り道の護衛依頼も一気に増えるわ」
「そうなのか。確かに傭兵みたいなやつも多いな」
「売れ残った物もあるし、帰りの荷物や護衛も用意しないといけないから、しばらくは残るわ。大市には、祭りみたいに決まった終わりの日はないのよ」
「人が集まって、少しずついなくなるのか」
「そういうこと」
サビは周囲を見渡した。
祭りの飾りを取りつける職人。
荷物を積み下ろす商人。
露店の場所を巡って言い争う男たち。
双星祭はまだ始まっていない。
だが、その周囲に生まれた大市は、すでに街の形を変え始めていた。