落星の継承者 重量変化だけしか使えない主人公が、バカでかい武器を振り回す話 作:青井リンボ
老人は読みかけのコミックを木箱の上へ置いた。
サビは老人の全身へ目を向ける。
見た目には、痩せた老人だった。
腰は僅かに曲がり、露店の奥へ座ったまま立ち上がろうともしない。
だが、纏っている魔力は見た目ほど弱くなかった。
(……妙だな)
魔力そのものは、今まで見てきた並の傭兵より濃い。
しかし、その流れは全身へ巡っていなかった。
胸元から肩へ伸びる途中で何度も途切れ、行き場を失った魔力が薄く漏れ出している。
片腕や脚へ向かう流れも不揃いだった。
古い傷なのか。
それとも、魔力を扱えなくなるほど何かを壊されたのか。
サビが僅かに眉を寄せた時、背後から露店の商品を蹴る音が響いた。
「相変わらず、くだらねえ物ばかり並べてるな」
老人の表情から、先ほどまでの軽さが薄くなる。
サビが振り返る。
通りの奥から、三人の男が歩いてきていた。
先頭の男は短く刈った髪を油で撫でつけ、腰へ湾曲した剣を提げている。
その後ろには、革鎧を身につけた大柄な男と、短い棍棒を肩へ担いだ男が続いていた。
祭りを見物しているようには見えない。
周囲の露店商たちは三人へ気づくと、声を落とした。
客の何人かも、関わりを避けるように道を空けていく。
「今日はまだ払う日じゃなかろう」
老人が座ったまま言った。
「大市が始まって客も増えてる。場所代も今日から上がった」
「勝手に上げただけじゃろうが」
「嫌なら店を畳めばいい」
先頭の男は木箱へ積まれたコミックを一冊掴んだ。
表紙を眺めることもなく、無造作に頁を曲げる。
「こんな紙屑を売って、いくら稼げるってんだ?」
「触るなら買え」
「これに金を出せって?」
男は鼻で笑い、コミックを地面へ落とした。
そのまま靴を乗せようとする。
「やめんか」
老人が立ち上がろうとした。
その動きに合わせて、途切れていた魔力が僅かに膨らむ。
だが全身へ回り切る前に崩れ、老人は顔を歪めて木箱へ手をついた。
先頭の男が笑みを深める。
「まだ昔のつもりか、爺さん」
サビは三人へ意識を向けた。
魔力は感じる。
だが、ゴアグリズリーとは比較にもならない。
先頭の男が最も強い。
棍棒を持った男は、実際に殴る役。
後ろの大柄な男は周囲へ目を配り、逃げ道や加勢がないかを確かめている。
ただ因縁をつけに来た三人組ではない。
こういう連中の動きは、昔から何度も見てきた。
前に立つ者が脅し、後ろの者が殴る。
残った一人が周囲を見張り、相手が抵抗すれば仲間へ知らせる。
厄介なのは、目の前の三人そのものではなかった。
ここで追い払っても、後から人数を増やして戻ってくる。
殺せば、さらに多くの人間が動く。
目の前の三人だけなら、問題なく倒せる。
ミリーも隣にいる。
殺さずに無力化することもできるだろう。
だが、こういう集団には関わらない方がいい。
それが、孤児だった頃、身につけた知恵だった。
逆らえば殴られる。
目をつけられれば、食べ物だけでなく寝床も奪われる。
サビの脳裏にふと昔のことがよぎった。
(そういや、毎日隅っこでびくついてたな……)
鱗の浮いた肌と、縦に割れた瞳孔を持つアオは、気味悪がられていた。
サビも、まともに魔力を扱えない弱い子供でしかなかった。
二人で建物の隅へ身を寄せ、足音が近づくたびに息を潜めていた。
腹を空かせたまま夜を迎え、冷えた体を抱き合わせる。
毎晩、アオを腕の中へ抱き締めて眠る時だけは、何も奪われないような気がした。
サビは駆動軸を持ったまま、動かなかった。
その視線が、地面に落とされたコミックへ向く。
少し前まで、その本の周りには子供たちが集まっていた。
服を汚し、痩せた体を寄せ合いながら、それでも楽しそうに老人の言葉を聞いていた。
かつての自分とアオにも、ああして座っていられる場所があっただろうか。
(……なかったな)
食い物にもならない。
寒さを防げるわけでもない。
それでも、あの子供たちは続きを聞きたがっていた。
先頭の男が本を見下ろす。
その靴底が持ち上がった。
踏みつけるだけではない。
体重を掛け、頁ごと地面へ擦り潰すつもりらしい。
関わるべきではない。
そう考えていたはずだった。
だが、男の靴が落ちるより先に、サビは駆動軸を握り直していた。
「おい」
先頭の男が、サビへと顔を向ける。
「あ?」
「それを拾え」
男は一度コミックを見下ろした後、サビの姿を上から下まで眺めた。
「何だ、てめえ」
「聞こえなかったのか」
サビは駆動軸の先端を僅かに持ち上げた。
「拾って、元へ戻せ」
通りから、音が消えた。
先頭の男は、サビの言葉をすぐには理解できなかったらしい。
地面に落ちたコミック。
それを踏みつけようとしていた自分の足。
目の前に立つ、長大な鉄の棒を持った若い男。
順番に視線を動かし、ようやく言葉を続ける。
「……お前、誰に物を言ってるか分かってんのか?」
「知らねえ」
「調子に乗るなよ!」
隣で控えていた男が、すかさず棍棒を肩から下ろしながら踏み込んでくる。
走り出すほどではない。
逃げる間を与えず、かといって周囲を巻き込むほど派手にもならない歩調だった。
こういう連中が最初に狙う場所を、サビは知っている。
頭ではない。
いきなり殺せば、騒ぎが大きくなりすぎる。
肩か、腕。
あるいは腹を殴り、地面へ倒してから何度か蹴る。
殺さずに痛みを覚えさせ、自分から逆らったことを後悔させる。
貧民街では、何度もやられて、見てきたやり方だった。
男が棍棒を振り上げる。
狙いは右肩。
武器を持てなくするつもりらしい。
サビは避けなかった。
片手で持っていた駆動軸から、さらに重さを抜く。
手の中にある長大な金属が、細い木の棒ほどに軽くなった。
棍棒が振り下ろされるより早く、サビは駆動軸を両手へ持ち替え、そのまま横薙ぎに振るった。
男の目が見開かれる。
その長さの鉄塊が、そんな速度で動くとは思っていなかったのだろう。
風を引き裂く音が、遅れて響いた。
サビは頭を狙わなかった。
駆動軸の中ほどが、男のがら空きの脇腹へ迫る。
接触の直前、抜いていた重さを戻す。
男も咄嗟に魔力を込めたのだろう。
脇腹の接触箇所に、青い燐光が走った。
だが、魔力防護は高速で叩き込まれた質量に耐えきれず、霧散する。
鈍い音がした。
「おごっ――!」
棍棒が手からこぼれる。
駆動軸を叩きこまれた男の体が、横向きに吹き飛んだ。
隣の露店へ突っ込む寸前で地面へ落ち、土の上を転がる。
「ぐ、ぁ……」
男は脇腹を押さえ、呻いていた。
立ち上がる様子はない。
サビは駆動軸を再び軽量化し、振り抜いた勢いを殺して構え直した。
完全に元の重さまで戻していれば、あれくらいでは済まなかっただろう。
周囲にいた者たちは、誰も声を上げなかった。
何が起きたのか理解できず、倒れた男とサビを交互に見ている。
先頭の男も同じだった。
先ほどまで浮かべていた薄笑いが消えている。
「まず一人」
サビは駆動軸の先を、残った二人へ向けた。
「まだやるか?」
大柄な男が歯を食いしばった。
だが、すぐには踏み出さない。
倒れた仲間と、サビが軽々と構える駆動軸を見比べている。
「てめえ……」
先頭の男が腰の剣へ手をかける。
先ほどまでとは違う動きだった。
脅すためではない。
刃を抜く覚悟を決めようとしている。
サビはその手を見ながら、僅かに腰を落とした。
ここから先は、向こう次第だった。
先頭の男は剣へ手を掛けたまま、倒れた仲間へ一度だけ視線を落とす。
それから、隣に残っていた大柄な男へ短く顎を振った。
「呼んでこい」
「だが――」
「早くしろ」
押し殺した声に、大柄な男は口を閉じた。
サビを睨みつけながら後ずさり、十分に距離を取ったところで身を翻す。
そのまま露店の間を抜け、奥の路地へ走り去っていった。
サビは追わなかった。
あの男を止めたところで、いずれ他の誰かが知らせに行く。
それよりも、目の前の男から意識を外す方が危険だった。
(面倒なことになったな)
分かっていた事だった。
こういう連中は、一人を倒せば終わる相手ではない。
目の前の男たちを無視し、そのまま立ち去ればよかったのだ。
それが一番、安全で確実だった。
そう思いながらも、サビは駆動軸を下ろさなかった。
通りには、先ほどまでの賑わいが嘘のような静けさが落ちている。
周囲の客は遠巻きに離れ、露店の商人たちも口を閉ざしていた。
完全に立ち去る者がいないのは、この先どうなるのかを見届けたいからだろう。
先頭の男は剣を抜かない。
サビも駆動軸を振るわない。
互いに相手の目と手元を見ながら、次の動きを待っていた。
男が剣を抜けば、サビも動く。
だが男も、先ほどの一撃を見た後では、迂闊に踏み込めないらしい。
「サビ!」
その均衡へ、鋭い声が割って入った。
ミリーがサビの隣へ並び、困惑した表情を浮かべる。
「ちょっと、何してるの!?」
声には驚きと、隠しきれない心配が混じっていた。
突然始まった喧嘩に、倒れた男と、剣へ手を掛けた男を交互に見る。
「何でいきなり、突っかかるのよ……」
「こいつらが、本を踏もうとした」
「本?」
ミリーは一瞬だけ目を瞬かせた。
地面に落ちたコミックへ視線を向け、それから改めてサビを見る。
「それで殴ったの?」
「先に殴りかかってきた」
「そういう問題じゃなくて……まあ、気持ちは分かるけど……」
ミリーは額へ手を当てかけ、途中で動きを止めた。
先頭の男から視線を外さないまま、サビの隣へ立つ。
「怪我は?」
「してない」
「ならいいけど」
短く息を吐くと、ミリーの手元に淡い光が集まり始めた。
問い詰めたいことはあるらしい。
だが、それは目の前の男たちがいなくなってからにするつもりのようだった。
先頭の男の視線が、サビからミリーへ移る。
その手に形成され始めた魔力の短剣を見て、剣の柄を握る指が僅かに緩んだ。
「二人組か」
「ああ」
サビは駆動軸を向けたまま答えた。