落星の継承者 重量変化だけしか使えない主人公が、バカでかい武器を振り回す話 作:青井リンボ
それからしばらく、誰も動かなかった。
先頭の男は剣へ手を掛けたまま、サビを睨んでいる。
サビも駆動軸を向けたまま、相手の呼吸と視線を追っていた。
ミリーはその隣で、魔力の短剣を形作っている。
通りの空気は張り詰めたまま、僅かな物音にも反応しそうになっていた。
やがて、露店の奥から複数の足音が近づいてくる。
最初に戻ってきたのは、先ほど走り去った大柄な男だった。
その後ろに、五人ほどの男たちが続いている。
だが、先頭に立っていたのは、他の者たちとは少し雰囲気の違う男だった。
年は四十前後。
派手な装飾はなく、濃い色の外套の下へ、よく手入れされた革鎧を着込んでいる。
腰には細身の剣。
歩き方にも無駄がなかった。
しかし最も目を引くのは、左手だった。
手首から先は光沢を放つ義手となっており、洗練された雰囲気の中で、異様な気配を醸し出していた。
青に塗装されたその手は生身の腕より1回り大きかった。
周囲の露店商たちは、その姿を見るなり視線を逸らした。
「何の騒ぎだ」
男は倒れている仲間を一瞥し、それからサビとミリーを見る。
怒鳴り声は上げない。
だが、その一言だけで、後ろにいた男たちが黙った。
「こいつが、いきなり――」
「お前には聞いていない」
先頭の男が口を挟もうとすると、上役の男は視線だけで黙らせた。
そのまま地面のコミックと、露店の老人へ目を向ける。
「爺さん。また揉めたのか」
「わしが始めたように言うな」
「いつも似たようなものだろ」
男は小さく息を吐き、改めてサビを見た。
「コッソローネ・ファミリーの縄張りで、うちの者を一人のしたそうだな」
男はそう言いながら、未だに倒れて呻いている手下へ目を向けた。
「先に殴りかかってきた」
「そうか」
男はすぐには否定しなかった。
倒れた下っ端の状態。
転がっている棍棒。
サビが持つ長大な駆動軸。
ミリーの手元に浮かぶ魔力の刃。
順番に見ていく。
「二ツ星か」
サビとミリーの腰元にある傭兵証を見て、男が呟いた。
「大市の前に、ずいぶん面倒な客が来たもんだ」
「そっちが引けば終わる」
サビが答える。
男は僅かに眉を上げた。
「簡単に言うな。こっちにも面子がある」
「俺には関係ない」
「だろうな」
男は笑わなかった。
だが、その声から、先ほどまでの下っ端とは違うものが伝わる。
何を考えているか分からない表情で、じっとサビ達を見つめてくる。
どうやら老人とは、そこまで致命的な関係ではないようだった。
本気で潰すつもりなら、最初からこんなやり取りにはなっていない。
大市の最中に騒ぎを大きくすれば、ギルドや都市側まで動く。
それでも、仲間を殴られたまま引けば、縄張りを仕切る看板に傷がつく。
サビにも、その程度は分かった。
(……早とちりしちまったな)
目の前の男だけなら、戦えば倒せる。
だが、その後まで含めれば、駆動軸を振れば終わる話ではない。
緊張感の高まる場に、老人のしわがれた声が響いた。
「……悪かったな」
その言葉に、サビが僅かに振り返る。
老人はサビではなく、上役の男を見ていた。
「こいつは、わしが困っていると早合点しただけじゃ。お前たちとわしの間にあるビジネスライクな関係があるとは知らんかった」
老人は少しふざけた調子で言葉を並べつつ、頭を下げた。
「爺さん」
「事を大きくした責任は、わしにもある」
上役の男は老人をしばらく見つめた。
やがて、剣へ掛けていた手を離す。
「そういうことにしておくか」
後ろにいた男たちの空気が僅かに緩んだ。
だが、上役はそのまま引かなかった。
「ただし、うちの者を一人のされて、何もなしでは帰れない」
「分かっとる」
老人は露店の奥へ手を伸ばした。
積まれたコミックの中から、布で包まれた一冊を取り出す。
他の物よりも保存状態がよく、表紙の色もほとんど褪せていない。
「お前、これを買え」
老人がサビへ差し出した。
「……何でだ」
「欲しかったんじゃろう」
「……値段は?」
「五千エクス」
サビは眉を寄せた。
「高いな」
「少し珍しい巻じゃ。状態も良い」
「本当か?」
「今は細かいことを気にするな」
老人は小声で言った。
サビはしばらくコミックと老人を見比べた後、腰の袋から金を取り出した。
数えて老人へ渡す。
「確かに」
老人は受け取った金を、そのまま上役の男へ差し出した。
「これでどうじゃ」
上役は金額を確認し、倒れている手下へ目を向ける。
「治療代には足りないな」
「なら、残りは次の場所代にでも上乗せしておけ」
「随分と都合がいいな」
「お互い様じゃろう」
上役は鼻を鳴らした。
それでも金は受け取った。
「今回だけだ」
「ああ」
「次に舐めた真似をされたら、この程度じゃ済まないぞ」
その言葉は老人ではなく、サビへ向けられていた。
「……」
サビも渋々頷く。
上役はそれ以上何も言わず、部下たちへ顎を振った。
倒れている男を担がせ、そのまま通りの奥へ引き上げていく。
男たちの姿が見えなくなると、周囲に張り詰めていた空気がようやく緩んだ。
サビも駆動軸を下ろし、ゆっくりと息を吐く。
戦わずに済んだことへ、遅れて安堵が込み上げてきた。
(……うかつだったな)
老人と男たちの関係も、この辺りの決まりも知らないまま、目の前のことだけで動いた。
老人が間へ入らなければ、さらに多くの人間を相手にしていたかもしれない。
勝てるかどうかだけでなく、その後に何が残るかまで考えるべきだった。
ゴアグリズリーを倒し、二ツ星にも上がった。
逃げ回るだけだった以前より、力がついたのは間違いない。
(それで、少し増長してたのか)
そう考えると、胸の奥に鈍い不快感が残った。
あの本を踏ませたくなかったことまで、間違いだったとは思わない。
だが、力を振るえば何とかなると考え始めていたのなら、それは別の話だった。
老人は、そんなサビの内心を知ってか知らずか、渡したコミックを指差した。
「落とすなよ。わしが選んだ、お前さんへのおすすめの逸品じゃ」
「取り敢えずあの場を収める為に選んだ奴じゃないのか?」
「違うぞ」
老人はあっさりと答えた。
「お前さんには向いとると思ってな」
「何でだ」
「読めるようになったら、自分で考えろ」
「5千エクス分の価値はあるんだろうな」
「さてな。わしにとっては、5千エクスどころじゃないものじゃな」
老人はそう言って、愉快そうに笑った。
サビは手渡されたコミックへ目を落とした。
表紙には、剣を構えた男と、その背後に立つ数人の仲間が描かれている。
何と書かれているのかは、まだ分からない。
それでも、老人が自分へ選んだ理由が少しだけ気になった。
サビはふと周囲へと視線を巡らす。
視界の端、路地の隅にいくつかの気配があることに気づいた。
崩れた壁の陰。
積み上げられた木箱の隙間。
先ほど逃げていった子供たちが、そこから老人の様子を窺っていた。
どの顔にも、まだ不安が残っている。
老人が無事なのを確かめるように、露店と去っていったマフィアの方向を交互に見ていた。
「邪魔したな」
サビはコミックを鞄へ収め、駆動軸を持ち直した。
「おう。また来い」
老人も子供たちに気づいたらしく、サビへ手を振った後に子供達へと声をかけていた。
「何を隠れとる。もう終わったぞ」
子供たちはすぐには出てこない。
「さっきの続きは、明日じゃ。今日はもう店じまいじゃぞ」
「今じゃないのかよ」
路地の陰から、不満そうな声が返ってきた。
「こんな騒ぎの後に読めるか。明日来い」
「絶対だぞ」
「分かったから、さっさと帰れ」
老人は面倒そうに追い払う仕草をした。
だが、その顔には先ほどまでとは違う、柔らかな笑みが浮かんでいた。
サビは何も言わず、その様子を見ていた。
「行くわよ」
「……ああ」
少し疲れた様子のミリーに促され、目をそらしたサビは露店へ背を向けた。
二人で人通りの多い方へ戻っていく。
しばらく歩いたところで、ミリーが大きく息を吐いた。
「本当に、何を考えてるのよ」
「悪かった」
「そう思ってるならいいけど」
ミリーは横目でサビを見る。
「相手はマフィアなのよ。目の前の三人に勝てるかどうかだけで決める相手じゃないでしょう」
「ああ」
「大市の間は人も多いし、表立って騒ぎを起こせば向こうも困る。でも、あの辺りを縄張りにしてる連中なら、後からいくらでも嫌がらせはできるわ」
「分かってる」
「分かってなかったから殴ったんでしょう」
サビは返す言葉を探したが、見つからなかった。
ミリーもそれ以上責めるつもりはないらしい。
「まあ、先に殴りかかってきたのは向こうだし、本を踏もうとしたのも気分が悪いけど」
「気持ちは分かると言ってたな」
「分かるのと、やっていいかは別よ」
「そうか」
「そうよ」
ミリーは呆れたように答えた後、僅かに口元を緩めた。
「でも、怪我がなくてよかった」
「ああ」
サビは短く答えた。
鞄の中には、五千エクスで買わされたコミックが入っている。
重さはほとんど感じない。
何が描かれているのかも、老人がなぜ自分へ選んだのかも、まだ分からなかった。
二人は大市の準備で騒がしくなる通りを、そのまま歩いていく。
頭上では魔力灯が灯り始め、夕闇の中に並ぶ露店を淡く照らしていた。
祭りが始まるまでには、まだ少し時間がある。
その間に、サビたちにも済ませるべきことが残っていた。
老人の露店で騒ぎを起こしてから、数日が過ぎていた。
その間、サビは朝になると、ミリーが買ってきた安物のコミックや街の案内板を使い、文字を覚えていた。
覚えた文字を確かめるため、露店では自分で品名や値札を読む。
分からない文字があればミリーに尋ね、宿へ戻ってからもう一度書き写した。
老人から買わされたコミックは、まだ鞄の底に入ったままだった。
表紙を眺めることはあっても、中を開いてはいない。
今の自分では、絵を追うことしかできないと分かっていたからだ。
午前の勉強を終えた後は、街外れへ向かった。
ミリーと共に、自身や物体の重量を変える訓練を繰り返す。
巨剣槍が手元にない間は、駆動軸や石、廃材を使い、複数の対象へ別々の変化を与える実験も続けていた。
その数日で、普段と違う出来事があったのは一度だけだった。
巨剣槍の改修について確認したいことがあると、トレックから工房へ呼び出された。
そこでベロニカから、追加する機構についていくつか質問された。
サビが答えるたび、ベロニカは何かを思いついたように笑みを深めた。
そして巨剣槍の受け取り当日。
再び訪れた工作場の中央には、大きな台が置かれている。
その上には分厚い布が掛けられ、長大な何かの輪郭が浮き出ていた。