落星の継承者 重量変化だけしか使えない主人公が、バカでかい武器を振り回す話 作:青井リンボ
拠点へ戻ると、サビは装備を外しながら、自分の部屋へ向かった。
「俺は少し休む」
「またコミックを読むの?」
「ああ。昨日、レオルに借りた」
サビは革袋から薄い冊子を取り出した。
表紙には、剣を持った少年が仲間と共に、炎を吐く魔物と向かい合う姿が描かれている。
傭兵の間でも、人気がある旧時代のコミックらしい。
「もう字は読めるの?」
「分からねえところは絵で見る」
「それ、読んでるって言えるのかしら」
「前よりは読める。それに、何度か読むと何となく分かってくる」
サビはそう言い残し、自室へ入っていった。
ほどなくして、壁の向こうから紙を捲る小さな音が聞こえ始める。
ミリーは自分の荷物を置くと、廊下の奥へ視線を向けた。
そこには、父と母が使っていた部屋がある。
両親がいなくなってから、一度も中へ入っていなかった。
片づけなければならないとは、何度も思っていた。
けれど、扉の前まで来るたびに、何か理由をつけて後回しにしていた。
今日まで部屋を閉じたままにしていたのは、忙しかったからではない。
ミリーは掃除に使う布と水桶を用意し、扉の前へ立った。
ミリーは一度だけ深く息を吸うと、取っ手へ手を掛けた。
そしてゆっくりと扉を引いて行く。
扉を開けた瞬間、ミリーは僅かに息を止めた。
両親の部屋の中は、何も変わっていないように見えた。
窓際に置かれた寝台。
壁際の古い棚。
二人で使っていた机と、背もたれの高さが違う二脚の椅子。
けれど、閉じきった空気の匂いは、ミリーの記憶にあるものとは少し違っていた。
以前は、衣服や木材の匂いに混じって、微かに油と香草の香りがしていた。
今はそれよりも、埃と乾いた布の匂いが強い。
古くなっている。
そう思った。
両親の部屋は、扉を閉めておけば、あの日のまま残るような気がしていた。
だが、誰も入らなくても時間は過ぎる。
触れなかったところで、何も変わらないわけではなかった。
ミリーは部屋へ入り、窓を覆っていた布を開いた。
外から差し込んだ光が、薄暗かった室内を照らす。
舞い上がった埃が、光の筋の中をゆっくりと漂った。
「……ひどいわね」
思わず呟き、窓を開ける
少し冷たい風が流れ込み、閉じていた空気を押し出していった。
ミリーは入口に置いていた布と水桶を持ち上げると、まず棚へ向かった。
最上段には、一本の笛と、小さな太鼓が並べて置かれている。
笛の表面には細かな傷があり、穴の周囲だけ僅かに色が薄くなっていた。
何度も指で押さえられた跡だった。
太鼓の革も、中央だけが少し黒ずんでいる。
ミリーは笛へ手を伸ばし、指先で表面をなぞった。
薄く積もった埃が指につく。
養父は、酒を飲むとよくこの笛を吹いた。
上手い時もあったが、酔いが回ると音が外れた。
すると養母が太鼓を叩きながら、音が違うと笑っていた。
ミリーも笑いながら、弦楽器を合わせて鳴らしていた。
養父は間違っていないと言い張り、もう一度吹く。
大抵は、最初よりひどい音になった。
ミリーは笛を持ったまま、僅かに口元を緩めた。
その笑みは、長くは続かなかった。
笛を元の場所へ戻し、布で丁寧に埃を拭う。
続けて太鼓も持ち上げ、革を傷つけないように表面を拭いた。
棚の下には、小さな箱や古い本が雑然と積まれている。
いつか片づけると言いながら、結局そのままになっていた物ばかりだった。
寝台の近くにある椅子には、薄い上着が掛けられていた。
袖の片方は背もたれから落ち、床へ触れかけている。
ミリーはそれを持ち上げた。
「ママって、外ではあんなにきちんとしてたのに」
家の中では、脱いだ服を椅子へ掛けたままにすることが多かった。
養父が注意すると、自分の靴下を先に片づけろと言い返していた。
実際、椅子の下を覗くと、片方だけの靴下が転がっている。
「やっぱりあるし……」
ミリーは呆れたように息を吐いた。
上着を広げ、皺を伸ばしてから畳む。
胸元へ抱えた時、布から微かに懐かしい匂いがした気がした。
手が止まる。
もう一度確かめようとしたが、感じたのは古い布と埃の匂いだけだった。
ミリーは唇を結び、畳んだ上着を寝台の上へ置いた。
それから黙々と片づけを続けた。
床を掃き、棚の埃を拭う。
衣服を養父と養母の物に分け、使えそうな物と、処分する物を分けていく。
初めは1つ手に取るたびに思い出が浮かんだ。
だが、作業を続けるうちに、少しずつ手が動くようになった。
聖都の大聖堂で見た光景が、ふと頭に浮かぶ。
高い天井。
差し込む光。
静かに祈る人々。
そして、その中に立っていたサビ。
サビは星神教を信じているわけではなかった。
祈り方を知っているわけでもない。
それでも、誰かが残したものを馬鹿にすることはなかった。
分からないなりに見つめ、そこにあったものを受け止めようとしていた。
サビも、自分の過去を忘れたわけではない。
アオを連れ去られたことも。
奴隷だった頃のことも。
身体に残った傷も。
何1つなくなってはいない。
それでも、立ち止まったままではなかった。
三ツ星になった傭兵証を見つめるサビの顔を思い出す。
周囲から褒められることを持て余しながら、それでも僅かに嬉しそうだった。
出会ったばかりの頃なら、その変化に気付けなかったと思う。
「私も、片づけくらいはしないとね」
誰に聞かせるでもなく呟き、ミリーは机へ向かった。
机の上には、使いかけの筆記具と、乾いたインク壺が残されている。
端には何枚かの紙が重ねられ、その上に小さな木箱が置かれていた。
紙のほとんどは、買い物の記録や祭事の日程だった。
養父の字と養母の字が混ざり、余白には互いへの短い伝言が書かれている。
ミリーはそれらを1つにまとめ、机の引き出しを開けた。
中には紐や針、楽器の手入れ道具が乱雑に入っている。
奥の物を取り出そうとすると、引き出しの底に何かが引っ掛かった。
「何かしら」
手を入れ、薄い冊子を引き出す。
暗い茶色の表紙には飾りも題名もない。
角が擦れ、何度も開かれた跡が残っていた。
家計簿かと思った。
だが、表紙を開くと、最初の頁には日付と共に長い文章が書かれている。
養母の字だった。
ミリーは何気なく数行へ目を通す。
そして、自分の名前を見つけた。
指が止まった。
そこには、今よりもずっと幼い頃の日付が記されている。
開いた冊子を、両手で持ち直す。
片づけの途中で読むべきではない。
そう思ったが、頁から目を離せなかった。
書き出しには、こう記されていた。
――今日、私たちはあの子を連れて帰ることにした。
ミリーの指が、次の行へ移りかけた。
だが、そのまま動きを止める。
これは、養母が自分へ残した手紙ではない。
誰かに読ませるために書かれたものかどうかさえ分からなかった。
部屋を片づけることと、この日記を読むことは別だ。
ミリーは開いた頁をしばらく見つめたあと、静かに冊子を閉じた。
元の引き出しへ戻そうとして、手が止まる。
結局、日記は片づける物とは分け、自分の鞄の中へしまった。
◇
サビは寝台へ腰掛け、レオルから借りたコミックの頁を捲っていた。
物語の主人公は、小さな山村で育った両親のいない少年だった。
幼い頃、村を訪れた老戦士に剣の才能を見いだされ、それから何年も修業を続けている。
少年が何度打ち倒されても、老戦士は立ち上がるまで待っていた。
構えが悪ければ杖で足を叩き、上手くできた時には大きな手で頭を撫でる。
その傍らには、幼い頃から共に育った二人の仲間がいた。
一人は魔法を使う少女。
もう一人は、様々な道具を作るのが得意な少年だった。
三人は村を出たあとも行動を共にしていた。
主人公が先走れば少女が怒り、装備が壊れれば少年が文句を言いながら直す。
老戦士も時折姿を現し、三人が越えられない敵と出会った時には、新しい技へ至る手掛かりを残していった。
話の途中には、サビにも読めない文字が多かった。
それでも、何度か繰り返し絵を追えば大まかな流れは分かる。
今回、三人が戦っているのは、山中の砦を占拠した巨大な魔物だった。
主人公は一度敗れ、折れた剣を抱えて逃げ帰っている。
少女は傷の手当てをしながら怒り、少年は夜通しで新しい剣を作る。
翌朝には老戦士も現れ、主人公へ短い言葉を掛けていた。
その台詞だけは、サビにもどうにか読めた。
――お前なら、次はできる。
サビは次の頁を開く。
三人は再び砦へ向かい、それぞれの役割を果たしながら魔物を追い詰めていった。
少女の魔法が魔物の視界を奪う。
少年の作った魔導具が、固い外殻を砕く。
最後に主人公が、師から教わった剣を振り下ろした。
大きく見開きになった頁の中で、魔物の身体が真っ2つに裂けている。
「……」
サビは気が付けば息を止めていた。
次の頁を開けば、三人が倒れた魔物の前に並んでいた。
傷だらけになりながら、誰もが屈託なく笑っている。
砦から救い出された人々が駆け寄り、主人公の故郷では、帰還を祝う宴の準備が始まっていた。
老戦士は離れた場所に立ち、成長した弟子たちを見守っている。
サビは、主人公の笑顔が描かれた絵をしばらく眺めた。
危ない場面はいくつもあった。
途中では、本当に勝てないのではないかとも思った。
それでも最後には、三人が揃って村へ帰ってきた。
悪くない話だった。
続きを読もうと頁へ手を掛けた時、腹の奥から低い音が鳴った。
主人公たちの宴を眺めていたせいか、急に空腹を自覚する。
「腹減ったな」
サビはコミックを閉じ、寝台から立ち上がった。
部屋を出ると、廊下には薄く埃の匂いが漂っている。
養父母の部屋の扉は開かれたままだった。
中を覗くと、ミリーが寝台の上へ畳んだ衣服を並べていた。
床に積もっていた埃は掃かれ、棚に置かれた笛と太鼓も、以前より明るく見える。
「終わったのか?」
サビが声を掛けると、ミリーが振り返った。
髪や袖には、まだ僅かに埃がついている。
それでも、部屋へ入る前よりは表情が柔らかく見えた。
「……全部じゃないけど、今日はこれくらいでいいと思う」
ミリーの返事が僅かに遅れた。
一瞬だけ、寝台の脇に置かれた自分の鞄へ視線を向ける。
だが、すぐに気を取り直したようにサビを見た。
「それより、何かあった?」
「腹が減った」
「帰ってきてすぐコミックを読み始めるからでしょう」
ミリーは呆れたように言いながら、部屋の外へ出た。
二人が廊下を歩いていると、開けられた窓の向こうから槌を打つ音が聞こえてくる。
家々の間へ紐を張り、金と銀の飾りを取りつけているらしい。
遠くの通りからは、店を組み立てる声や、荷車の車輪が石畳を鳴らす音も届いていた。
「まだ店を増やしてるのか」
「明日が本祭だもの。今日中に準備を終わらせたいんでしょうね」
「大市は、もう何週間も続いてるだろ」
「あれは遠くの商人たちが、祭りに合わせて早くから集まるからよ」
ミリーは廊下の窓から、風に揺れる双星の飾りを見た。
「元々は、明日の双星祭に合わせて開かれていた市なの。明日の本祭が終われば、大市も少しずつ店を畳み始めるわ」
「明日で終わりなのか」
「そうね。長かったような気もするけど」
聖都へ向かう前から、街には大市の露店が並んでいた。
その間にサビたちは聖都まで往復し、ファングアントの群れと戦い、三ツ星になった。
同じ祭りの準備が続いているのに、出発前のことが少し遠く感じられる。
「せっかくだから、明日は色々見て回りましょう」
ミリーが言った。
「大市も最後なら、まだ見てない店があるかもしれないし。本祭が始まれば、普段は出ない食べ物や催しもあるわ」
「食う物も増えるのか」
「そこにしか興味がないの?」
「ほかに何があるんだ?」
「音楽とか、踊りとか、祈りの行列とか」
「食いながら見ればいいだろ」
ミリーはしばらくサビを見つめたあと、諦めたように息を吐いた。
「まあ、来るならそれでいいわ」
「ああ。行く」
サビが答えると、ミリーは僅かに笑った。
「じゃあ、今日は早めに休みましょう。明日は人も多いだろうし」
「その前に飯だ」
「分かってるわよ」
二人は並んで居間へ向かった。
窓の外では、金色の太陽と銀色の月を組み合わせた飾りが、夕方の風を受けて揺れていた。
数週間にわたって続いた大市は、翌日に最後の賑わいを迎える。
そして日が沈めば、双星祭の本祭が始まる。