落星の継承者  重量変化だけしか使えない主人公が、バカでかい武器を振り回す話   作:青井リンボ

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 ファングアントの牙が、バーグの赤い胸甲へ食い込んだ。

 金属同士を擦り合わせたような音が響く。

 だが、分厚い鎧には浅い傷が残っただけだった。

 

「うぜえ!」

 

 バーグが鋸刃剣を横薙ぎに振るう。

 青白い魔力をまとった刃が、群がっていたファングアントを三頭まとめて薙ぎ払った。

 

 硬い甲殻が砕け、千切れた体が瓦礫へ叩きつけられる。

 その向こうでは、奪われた魔導車がすでに小さくなっていた。

 

 外側の足場へしがみついているのは、赤錆色の髪をした奴隷のガキ。

 運転席には、逃すはずのなかった銀髪の娘がいる。

 

「待ちやがれええ!」

 

 バーグが追おうと足を踏み出す。

 だが、その前へ新たなファングアントが雪崩れ込んだ。

 

 崩れた建造物の隙間から、後続が次々と押し寄せてくる。

 逃げ遅れた荒くれ者が足を噛み砕かれ、地面へ引き倒された。

 

「助けてくれ、バーグ!」

 

 伸ばされた手を、バーグは一瞥した。

 

「使えねえ奴だな!」

 

 その男へ食らいついたファングアントごと、鋸刃剣を振り下ろす。

 

「やめっ……」

 

 肉と甲殻がまとめて潰れ、男の声が途切れた。

 

 バーグは鋸刃剣を引き抜き、横から飛びかかってきた一頭を蹴り飛ばした。

 赤い鎧に覆われた足が甲殻を砕く。

 宙へ浮いた魔物を追うように刃を振り上げ、その腹を両断した。

 

 それでも群れは止まらない。

 牙が鎧へ食い込み、青い巨体が何度もぶつかってくる。

 だが、赤い鎧は揺らぐだけで倒れなかった。

 

 鋸刃剣が振るわれるたび、砕けた甲殻と青い体液が瓦礫へ飛び散る。

 

 

 

 やがてバーグは、押し寄せていた最後の一頭へ鋸刃剣を突き立てた。

 魔物の体が痙攣し、力を失う。

 バーグは刃を引き抜き、忌々しそうに舌打ちした。

 

 少し乱れた息を吐きながら、周囲を見渡す。

 まともに動ける仲間は、もう二人しか残っていなかった。

 倒れた者たちは群れに踏み荒らされ、瓦礫の間には人だったものが散らばっている。

 

「……クソが」

 

 バーグは右腕を軽く振った。

 痺れがまだ残っている。

 あのガキが振るった、ふざけた大きさの武器。

 

 不意を突かれただけだ。鋸刃剣も鎧も、ひびすら入っていない。

 それでも受け止めた次の瞬間、バーグの両足は地面から浮いていた。

 

 見た目に反して、振り始めは妙に軽かった。

 だが、ぶつかった瞬間には、岩塊を叩きつけられたような重さへ変わっていた。

 

(魔導具か。いや、あのガキの魔力か?)

 

 以前は遺跡の奥へ蹴り込めば、物陰を這い回って道を探すだけのガキだった。

 それが今は、巨大な武器を抱え、自分へ迷わず襲いかかってきた。

 バーグの口元が、苛立ちに引きつる。

 

「……サビだったか」

 

 奴隷の名前など、普段なら覚えてもいなかった。

 背後で瓦礫が動いた。

 血まみれの男が、折れた柱の陰から這い出してくる。

 バーグの配下の一人だった。

 

「バーグ……助けてくれ」

 

 ミリーの短剣に腿を貫かれ、片脚を引きずりながら、男は必死に近づいてきた。

 バーグは黙ったまま、地面へ突き立てていた鋸刃剣を引き抜く。

 男の体が、怯えたように震えた。

 

「ま、待ってくれ。何で、そんな顔してるんだよ」

 

 バーグの目は血走り、額には青筋が浮かんでいた。

 振りかぶった鋸刃剣から、青白い燐光が立ち昇る。

 

「テメエ、あの女の近くにいただろうが! 何で魔物寄せに気づかなかった!」

 

 鋸刃剣が力任せに振り下ろされた。

 

「待っ――ごあっ!」

 

 男は咄嗟に腕を上げたが、刃は腕ごと肩へ食い込んだ。

 絶叫が上がる。

 バーグは剣を止めたまま、男へ顔を近づけた。

 

 自分が楽しむためにミリーを嬲り、逃げる隙を与えたという事実は、すでに頭から抜け落ちていた。

 

「どの面下げて、助けてくれだ?」

 

「ちがっ……お、俺は……そ、それに……」

 

 男は歯を鳴らしながら、懸命に言葉を継ごうとした。

 

 バーグが刃を捻る。

 

 鋸状の刃が肉と骨を引き裂き、男の体を地面へ押し潰した。

 甲高い断末魔が周囲へ響く。

 その後も、バーグは何度か鋸刃剣を振り下ろした。

 

 生き残った荒くれ者たちは、誰も止めようとしなかった。

 目を伏せ、息を殺している。

 

 やがてバーグは、血に濡れた鋸刃剣を肩へ担ぎ、魔導車が逃げた方角を見た。

 

 本来なら、あの場にいた者は指示どおり全員殺すはずだった。

 クレイブとラナも、残っていたクランの連中も始末した。

 あとは銀髪の娘を、楽しんだ後に殺すだけだった。

 それを、乱入してきた奴隷のガキに奪われた。

 

 ファングアントの群れなど、本来なら獲物を取り逃がす理由にはならない。

 娘をすぐに殺さず、弄んでいた隙を突かれただけだ。

 

 だが、バーグは自分の判断が間違っていたとは考えなかった。

 悪いのは、魔物寄せを見抜けなかった部下と、横から獲物を奪ったガキだった。

 

 返り血に濡れた頬が、醜く歪む。

 

「残ってる車を動かせ」

 

 生き残った二人が、慌てて車両へ向かった。

 

「無理です! こっちは車輪が潰れてます!」

 

「もう一台も機関をやられてる!」

 

 報告を受けたバーグは舌打ちし、地面に残った車輪の跡へ足を向けた。

 だが、数歩進んだところで止まる。

 

 すぐに追えば、まだ間に合うかもしれない。

 しかし、ファングアントの群れを片づけている間に、魔導車の姿はとっくに見えなくなっていた。

 

 この先は開闢軍の巡回圏だ。

 徒歩で追い続ければ、娘を捕まえる前に面倒な連中を引き寄せる。

 

 バーグは、遠くへ続く車輪の跡を睨みつけた。

 追えない。

 バーグの噛みしめた奥歯が、ぎりりと軋んだ。

 鋸刃剣が、近くに転がっていた死体へ振り下ろされた。

 

「……クソが……!」

 

               ◇

 

 サビとミリーは、バーグたちとファングアントの群れから距離を取るため、魔導車を全速力で走らせていた。

 

 サビは車体後部の見張り台に立ち、巨剣槍を肩へ担いだまま、周囲へ視線を走らせ続ける。

 道路脇には、崩れかけた建造物が並んでいた。

 壁にはサビの読めない文字が残り、色あせた看板の中では、明るい笑顔を浮かべた人間が何かを掲げている。

 

 それらは魔導車の進みに合わせ、次々と後方へ流れていった。

 道路のくぼみや瓦礫を踏むたび、車体が激しく跳ねる。

 

 サビが手すりを握り直したところで、運転席から声が飛んできた。

 

「私はミリー! さっきは助かったわ!」

 

 駆動音に負けないよう張り上げた声だった。

 運転席脇についた小さな鏡の中で、赤く腫れた琥珀色の目がサビへ向けられている。

 

 助けたと言われても、サビは素直には頷けなかった。

 ファングアントに追われていなければ、あの場へ飛び込むこともなかった。

 バーグを倒そうとしたわけでも、ミリーを助けようとしたわけでもない。

 魔物の群れから逃げるため、使えそうな魔導車と、その運転手を利用しただけだ。

 

 そう考えたが、ミリーは自分へ礼を言った。

 サビは返す言葉を探すように口を動かし、わずかに間を置いてから声を張る。

 

「……俺はサビだ!」

 

「サビっていうのね! 詳しい話はもう少し後で! それまでは飛ばし続けるから、落ちないでね!」

 

「ああ!」

 

「とりあえず、安全なエクスランドへ向かうわ!」

 

 短いやり取りを終え、サビは後ろを振り返った。

 バーグの姿はもう見えない。

 魔物の咆哮も、鋸刃剣が地面を削る音も、魔導車の駆動音に呑まれていた。

 

 手すりを握る指に力がこもる。

 アオへつながる唯一の手掛かりを、自分から遠ざけてしまった。

 サビはしばらく後方を見続けた。

 

 やがて、引きはがすように視線を外し、道路脇へ目を走らせる。

 崩れた建物と、そこを覆うように茂った草木。

 追ってくる魔物や人影がないことを確かめてから、前方へ視線を移した。

 

 その途中、運転席脇の小さな鏡にミリーの顔が映った。

 片手で胸元のペンダントを握り、唇を固く引き結んでいる。

 やがて、その唇が小さく震え、何かを呟いた。

 

 しかし、駆動音にかき消され、サビには聞き取れない。

 

(どのみち、こうするしかなかったか……)

 

 ファングアントの群れが現れた時点で、バーグを追跡する所ではなくなっていた。

 それに、ここで魔導車を降りれば、エクスランドへ辿り着く手段まで失う。

 

(今、やるべきことに集中しろ)

 

 サビは顔をしかめ、赤錆色の髪を振った。

 運転席から意識を引き離し、道路脇の建造物へ視線を戻す。

 

 今は、生きてエクスランドへ辿り着くしかない。

 魔導車は二人を乗せたまま、崩れた道路を走り抜けていった。

 

 

 

「ここで少し仮眠を取らせて」

 

 それから半日以上、二人はほとんど休まず魔導車を走らせ続けた。

 入り組んだ建造物群の陰へ車体を滑り込ませると、ミリーが運転席からサビへ声を掛けた。

 

「ああ。俺が見張っておけばいいんだな」

 

「お願い。少し大変だけど、移動を再開したら、今度はサビが休んで」

 

 魔導車から降りた二人は、建造物の周囲を回り、魔物や人が潜んでいないことを確かめた。

 ひと通り警戒を終えると、ミリーは車体側面の蓋を開き、燃料用の魔石を確認する。

 

「よし。エクスランドまでの分は足りそうね」

 

 ミリーは蓋を閉じると、大きく伸びをした。

 そのまま運転席の扉へ向かい、近くで警戒を続けるサビへ振り返る。

 

「悪いけど、寝ている間は運転席をロックしておくわ。交代の時間になっても起きなかったら、扉を三回叩いて。異常があった時は、強く二回。後ろの貨物室は開けておくから」

 

「ああ」

 

 サビはそれ以上何も言わず、軽量化した巨剣槍を肩へ担いだまま魔導車の屋根へ上がった。

 巨剣槍を膝の上へ横たえ、柄へ片手を置いたまま腰を下ろす。

 それから道路の前後と、周囲に並ぶ建造物へ順に目を走らせた。

 

 その姿を見たミリーが、小さく息を吐く。

 運転席へ入ると、扉を閉めて内側から施錠した。

 乾いた音を立てて、鍵がかかった。

 

 

 

 日が落ち、崩れた建造物の向こうへ月が昇っていた。

 サビは魔導車の屋根に座り、暗がりへ溶け込むように身じろぎもせず、周囲を見張り続けていた。

 

 しばらくすると、足元の運転席から小さな物音が聞こえた。

 最初は、衣擦れの音にしか聞こえなかった。

 だが、やがて息を詰まらせるような声が混じり始める。

 

「うっ……ぁ……」

 

 押し殺そうとして、押し殺しきれなかった声だった。

 それは次第に大きくなり、喉の奥から絞り出すような嗚咽へ変わっていく。

 何かを何度も呼んでいるようだったが、厚い扉に遮られ、言葉までは聞き取れない。

 

 サビは一度だけ、足元の運転席へ視線を落とした。

 扉を叩くことも、声を掛けることもしなかった。

 何を言えばいいのか分からない。

 

 両親を失ったばかりの相手に、出会ったばかりの自分が掛けられる言葉など、思いつくはずもなかった。

 

 ただ、その声を聞いていると、胸の奥に古い痛みが蘇った。

 泥の中を引きずられながら、泣いて自分の名を呼んでいたアオの声。

 サビは奥歯を噛み、運転席から意識を引きはがした。

 

 巨剣槍の柄を握り直し、先ほどよりも注意深く周囲へ目を光らせる。

 

 やがて泣き声は、少しずつ小さくなっていった。

 途中で何度か、無理やり呼吸を整えようとする音がした。

 それでも嗚咽は、すぐには止まらなかった。

 どれほど経った頃か。

 

「……引きずってちゃ、駄目」

 

 扉の向こうから、掠れた声が漏れた。

 

「止まっちゃ……駄目……」

 

 サビは眉を寄せた。

 自分をそうやって奮い立たせる感覚を、サビも知っていた。

 自分もアオを奪われてから、同じ言葉を何度も胸の中で繰り返してきた。

 

 だが、それで何かが軽くなったことは一度もない。

 サビは何も言わず、暗い建造物の隙間へ視線を巡らせた。

 

 やがて、運転席から聞こえていた声が途切れた。

 

 静かになった後も、サビはじっと周囲へ目を光らせ続けた。

 

 奴隷だった頃から、見張りに立たされることには慣れている。

 眠気を噛み殺して小さな物音を拾い続けることも、何時間も同じ姿勢で待つことも苦ではなかった。

 

 だが今夜は、意識が何度も別の場所へ引き戻された。

 鋸刃剣を振り上げたバーグ。

 その前で、泣きながら弓を引いていたミリー。

 そして、泥の中から連れ去られていったアオ。

 

 あの時、自分は何もできなかった。

 

 バーグへ巨剣槍をまともに叩き込んでも、赤い鎧には傷1つつけられなかった。

 両腕には、受け止められた衝撃がまだ鈍く残っている。

 

(今のままじゃ駄目だ)

 

 アオを取り戻すどころか、居場所を聞き出すことさえできない。

 次にバーグと会った時、同じように逃げられる保証もなかった。

 

 サビは膝の上の巨剣槍へ視線を落とした。

 膝の上にある今は、小枝のように軽い。

 

 今の自分では、こいつの力を引き出しきれない。

 

 反動も、ろくに制御できていない。

 それでも、何も持っていなかったあの頃とは違う。

 冷たい柄へ手を置いたまま、サビは遠くの闇へ目を凝らした。

 

「……」

 

 決めていた時間になると、サビは運転席の扉を三度叩いた。

 

 

 

 それから二人は交代で休息を挟みながら、エクスランドへ向けて移動を続けた。

 二人の間に会話はほとんどなかった。

 

 進路や休息、周囲の状況。

 互いの戦い方。

 必要なことだけを確認し合い、先を急いだ。

 

 さらにしばらく進んだ後、道中でミリーが休憩場所として挙げていた建造物群へ辿り着いた。

 だが、そこには先客がいた。

 

 魔導車を停めたミリーが、目の前の光景を見て額を押さえる。

 

 ワイルドボアの死骸を漁る、グレイウルフの群れがいた。

 灰色の毛皮の一部は血に濡れている。

 互いに唸って牽制し合いながら、死肉を貪っている。

 

 サビは見張り台から降り、運転席の脇へ回った。

 ミリーはサビへ一瞬だけ視線を向けると、改めて前方を見る。

 目の下に薄い隈を浮かべたまま、力なく呟いた。

 

「……仕方ないわ。他に当てもないし、これ以上移動で体力を使うより、ここに居座ってるグレイウルフの群れを追い払った方がいいわね」

 

「……分かった」

 

 サビは頷き、ゆっくりと巨剣槍を肩へ担いだ。

 少し遅れてミリーも魔導車から降り、弓を手にサビの後ろへつく。

 

 二人は周囲の瓦礫を遮蔽物に使いながら、死肉を漁るグレイウルフの群れへ近づいていった。

 ミリーが、サビへと囁きかける。

 

「……もう一度確認ね。私は弓を使って、離れた敵を狙うのが得意」

 

「ああ」

 

「サビの死角と、遠くにいる敵は私が見る。近づいてきた奴はお願い」

 

 サビは片手を小さく上げると、ミリーは軽く頷いた。

 

 弓を構え、弦を引く。

 指先から流れた淡い魔力が矢の形へ固定され、微かな燐光を放った。

 ミリーはグレイウルフの群れへ狙いを定める。

 

 まだ、こちらには気づいていない。

 弦が鳴った。

 放たれた魔力矢が細い光の尾を引き、死肉を漁っていたグレイウルフの頭を貫く。

 

 一頭が、その場へ崩れ落ちた。

 周囲のグレイウルフたちが顔を上げ、警戒するように低く鳴く。

 

 そこへ二射目が飛んだ。

 別の一頭が首を貫かれ、地面へ倒れる。

 

 その時、群れの一体がサビたちの姿を捉えた。

 灰色の毛を逆立て、大きく吠える。

 群れの視線が、一斉に二人へ向けられた。

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