落星の継承者 重量変化だけしか使えない主人公が、バカでかい武器を振り回す話 作:青井リンボ
サビはミリーを背負ったまま、地下通路の奥へ進んだ。
背後からは、ファングアントの甲殻の砕ける音が続いている。
鋸刃剣が振るわれるたび、地下全体が低く震えた。
最初は遠ざかっていた。
だが、しばらく進んだところで、サビは足を僅かに緩める。
また響いた。先ほどより近い。
ファングアントの鳴き声に続き、何かが壁へ叩きつけられる轟音が地下通路を震わせる。
サビは歯を食いしばった。
(もう抜けてきたのか)
巨剣槍だけを軽量化し、逆手で引きずるように運ぶ。
ミリーの重さは変えない。
一歩進むたび、肩へ回された腕が揺れる。背中から伝わる体温と浅い呼吸を確かめながら、足を止めずに進んだ。
回復薬で痛みは遠のいている。それでも、身体がまともに戻ったわけではない。
脚へ力を入れるたびに膝が僅かに揺れ、呼吸も浅いままだった。
このままミリーを背負って走り続けても、追いつかれる。
背後で再び鋸刃剣の音が響く。
近い。
サビは前を見ると、通路の先から差し込んでいる白い光へ向かって足を速めた。
狭い通路を抜けた途端、天井が大きく開けた。
旧時代の車両や大型資材を方向転換させるための広場らしい。
周囲を太い柱と崩れた壁に囲まれた円形に近い空間で、上階の床と天井が大きく抜け落ち、数階分の高さを通して灰色の空が見えている。
雨水が細く降り注ぎ、瓦礫の窪みに浅い水溜まりを作っていた。
サビは広場へ入ると、素早く周囲を見回した。
正面の壁際には瓦礫が積み上がっている。
上まで続いているが、ミリーを背負ったまま登れる高さではない。
右の通路は崩落して塞がれ、左にはさらに地下へ続く暗い通路が伸びている。
そして背後、自分たちが通ってきた道から、金属を引きずる音が微かに聞こえた。
(間に合わねえ)
これ以上逃げても、背中から斬られるだけだ。
サビは広場の端へ向かった。崩れた柱と壁の間に奥まった窪みがあり、正面には大きな床材が斜めに倒れている。通路側から直接は見えにくい。
隠しきれるとは思わない。それでも、戦いの真ん中へ寝かせておくよりはましだった。
サビはそこで腰を落とし、ミリーの腕を肩から外した。
頭を打たないよう首の後ろへ手を入れながら、ゆっくりと背中から下ろし、壁際へ横たえる。
「ミリー」
呼びかけても瞼は動かない。ただ、胸元は僅かに上下しており、呼吸はある。
サビは手足に残っていた拘束具を手早く引き剥がすと、腰の小袋へ手を入れた。残っていた回復薬は一本だけだった。
栓を抜き、ミリーの口元へ運ぶ。
「飲め」
返事はない。顎を支えながら少しずつ薬を流し込むと、喉が僅かに動いた。半分ほど飲ませたところで止める。
その時、広場の入口から重い音が響いた。
金属が石の床を擦る音。
サビの手が止まる。
もう一度。今度ははっきりと聞こえ、その後から一歩、また一歩と足音が続いた。
サビは残った薬瓶をミリーの傍らへ置いて立ち上がった。視界が僅かに揺れたが、そのまま兜のバイザーを下ろし、巨剣槍を持ち上げてミリーの前へ出る。
暗い通路の奥から、最初に姿を見せたのは欠けた鋸刃剣だった。
刃の隙間には黒い甲殻と肉片が挟まり、その後ろから現れた赤い鎧も大きく砕けている。左脇から腹にかけて深い傷が走り、肩や脚にもファングアントの牙と爪の跡が残っていた。
逆立った髪は血と泥で固まり、顔も赤黒く汚れている。
バーグだった。
広場へ入ったバーグは、鋸刃剣の先端を床から持ち上げた。
笑っていない。怒鳴りもしない。
以前のような相手を見下したにやけ面も消え、憤怒以外のものがすべて抜け落ちたような顔で、ただサビだけを見ている。
やがてその視線が、サビの背後へ動いた。
壁際に横たわるミリーを見つける。
「おい」
掠れた低い声が、広場へ響いた。
「その女から離れろ」
サビは巨剣槍を構えた。
「てめえは殺す。だが、そいつは生け捕りだ」
バーグは鋸刃剣を下げたまま、そこで足を止めた。
ミリーを巻き込むつもりはないらしい。
サビを殺すことと、ミリーを持ち帰ること。その2つを、まだ別の仕事として扱っている。
サビは巨剣槍を構えたままゆっくりと後退し、ミリーの身体の前へさらに大きな瓦礫を1つ動かした。直撃を防げるほどではないが、広場の中央からは姿が見えにくくなる。
バーグは動かない。
サビが再び前へ出るのを待っている。
サビはミリーの呼吸を一度だけ確認してから、巨剣槍の穂先をバーグへ向けた。
バーグも右手で鋸刃剣を持ち上げる。刃から甲殻の破片が落ち、水溜まりへ沈んだ。
広場に、雨水の落ちる音だけが続いた。
やがてバーグの身体から魔力が立ち上がる。
先ほどまでのように全身を覆う荒々しい強化ではない。
踏み出す右脚、鋸刃剣を握る腕。必要な箇所だけへ、濃い魔力が集まっていく。
サビは巨剣槍を握り直した。
回復薬で痛みは遠のいている。
だが、それだけではなかった。
心臓が速い。身体は熱を持ち、雨粒が瓦礫へ落ちる音まで妙にはっきりと聞こえる。視界も魔力の感覚も普段より鋭く、バーグの身体を巡る魔力が、これまでより細かく見えていた。
右脚へ流れる。肩へ集まる。刃へ移る。
身体が動くより、僅かに先に魔力だけが動いている。
そして、自分の巨剣槍も先ほどまでとは違った。
力を入れて振り回す必要はない。軽くした刃を動かし、必要な瞬間にだけ重さを戻す。それだけなら、傷んだ腕や肩へ掛かる負荷は少ない。
魔力に余裕はない。
それでも、今の身体で巨剣槍を動かすこと自体はできる。
(……まだ戦える)
バーグも無傷ではない。それでも、正面から技量を競えば勝てない。
なら、見るべきなのは身体ではない。
サビは、バーグの内側を巡る魔力だけを見る。
水溜まりへ雨粒が落ち、小さな波紋が広がった。
バーグの右脚へ、魔力が集中する。
サビがそれを捉えた直後、石の床が砕けた。
バーグの巨体が一気に間合いを潰す。サビは巨剣槍を軽量化し、迫る鋸刃剣へ刃を差し込んだ。
金属同士が激突する。
だが、先ほどまでとは違った。
鋸刃剣へ込められた魔力は、接触の瞬間だけ膨れ上がり、刃が離れるとすぐに消える。サビが押し返そうと巨剣槍の重さを戻す頃には、バーグはすでに横へ回っていた。
次に魔力が集まったのは左脚。
サビはそちらへ身体を向ける。
直後、バーグが水溜まりを蹴り上げながら踏み込み、鋸刃剣を横薙ぎに振るった。
サビは身体を軽くして後方へ飛び退く。刃が胸当ての表面を掠め、装甲から火花が散った。
着地と同時に巨剣槍を振り返し、低い軌道でバーグの胴を狙う。
今度は右肩へ魔力が集まった。
バーグは鋸刃剣を立て、接触する場所だけを強化する。巨剣槍がぶつかる寸前、サビは重さを戻した。
衝撃で鋸刃剣が押し込まれ、バーグの足が水溜まりを滑る。
だが、倒れない。
バーグは肩と右腕へ集めていた魔力をすぐに切り、後ろへ跳んで巨剣槍の圧力から抜けた。重くなった刃だけがその場へ取り残される。
サビが再び軽量化すると、バーグの左脚へ魔力が走った。
「ッ!」
サビは巨剣槍を引き戻しながら横へ飛ぶ。鋸刃剣が、直前までサビのいた床を砕いた。
石片と泥水が跳ね上がる。
サビは瓦礫の上へ片足をつき、そのまま刃を突き出した。
バーグの腹を狙った刺突。
今度は鋸刃剣ではなく、腰の右側へ魔力が集まる。
バーグは身体を捻り、穂先を鎧の表面へ滑らせた。黒い刃が赤い装甲を削り、浅い傷だけを残して脇を抜ける。
すれ違いざま、バーグの右肘へ魔力が集中した。
サビは振り返らず、巨剣槍の柄を背中側へ回す。
肘打ちが柄へぶつかり、衝撃で両手が痺れた。
それでも直撃は避け、サビは前へ転がって距離を取る。
片膝をついたまま振り返った。バーグは追ってこない。
欠けた鋸刃剣を右手だけで構え、サビの様子を見ている。左腕は力なく垂れ、ファングアントに抉られた鎧の隙間から血が流れ続けていた。
呼吸も荒い。それでも、魔力の無駄がない。
踏み込む脚。武器を振る腕。攻撃を受ける場所。
バーグは必要な瞬間にだけ、必要な箇所へ魔力を集めている。
開闢軍精鋭たちが、作戦中に見せていた動き。個々の装備も役割も違いながら、余計な動作を挟まない。
そして、それが今のサビには見えた。
回復薬で無理やり冴えた感覚が、魔力の僅かな移動まで拾っている。右脚へ集まれば踏み込み、肩や腕ならそこから攻撃が来る。胴や頭へ集まれば、受けるつもりだ。
実際に身体が動くより、一瞬だけ早い。
その一瞬があればいい。
サビ自身も、余計な力を使わなくなっていた。
巨剣槍は軽いまま運ぶ。構える時も、振り始めも軽い。重さを戻すのは、ぶつかる直前だけ。
以前のように、巨大な武器を腕力で押さえ込もうとしない。
だから、壊れかけた身体でも動かせる。
右手首は痛む。脇腹も脚もまともではない。それでも、巨剣槍そのものは驚くほど軽かった。
(……今まで、力を入れすぎてたのか)
サビは柄を握る指から、僅かに力を抜いた。
回復薬で遠のいていた痛みが、少しずつ戻り始めている。正面から打ち合えば、先に身体が動かなくなる。
だが、バーグの魔力が集まる場所は見えていた。
身体が動くより僅かに早く、次の動きを知ることができる。
バーグの右脚へ、再び魔力が集まる。
サビは巨剣槍を横へ構えた。
踏み込み。次に右肩。上段からの斬撃。
サビは刃を軽くし、鋸刃剣の下へ潜らせた。接触の瞬間に重さを戻すと、鋸刃剣が跳ね上がり、バーグの身体が僅かに開いた。
そのまま石突を突き出す。
今度は腹へ魔力が集まった。
石突が赤い鎧へぶつかり、鈍い音が響く。バーグの身体が後ろへ揺れたが、腹部だけへ集中した魔力に阻まれ、深くは入らない。
バーグは下がりながら鋸刃剣を振った。
サビは右腕への魔力集中を読み、先に身体を沈める。鋸刃剣が兜の上を通過し、風切り音が耳を揺らした。
そのまま巨剣槍を斜めに振り上げる。
バーグが後ろへ跳ぶ。
刃は胸当てを掠め、赤い装甲の一部を弾き飛ばした。
二人の間に距離が開く。
雨水の落ちる音が、再び聞こえた。
バーグは自分の胸元を見た。
砕けた装甲の下には、浅い傷が増えている。
それから、サビへ視線を戻した。
「なるほどな」
バーグは鋸刃剣を下げる。
「俺の身体より先に動いてやがる」
サビは答えず、巨剣槍の穂先を下げないままバーグの魔力だけを見る。
その時、バーグの身体ではなく、鋸刃剣へ魔力が流れ込んだ。
刀身に沿って青白い光が伸び、鋸状の刃の外側へ荒い輪郭を持つ魔力が形成されていく。
(剣に……?)
バーグが片手で鋸刃剣を振った。
間合いの外。
刃そのものは届かない。
だが、振り抜かれた軌道から青白い斬撃が飛び出した。
「ッ!」
サビは巨剣槍を立てる。
魔力の刃が激突し、鋭い衝撃が柄を伝わった。サビの身体が半歩押し戻される。
青白い光はその場で砕け、細かな魔力となって雨の中へ散った。
(飛ばせるのか)
サビが構え直す。
バーグはもう一度鋸刃剣へ魔力を集めた。
今度は横薙ぎ。
サビは魔力が形成される段階で軌道を読み、身体を沈める。
青白い斬撃が頭上を通過し、背後の壁へ食い込んだ。石材が一直線に抉られる。
バーグが舌打ちした。
「これも見えるか」
サビは答えない。
バーグの身体。脚。腕。そして武器。
どこへ魔力が流れるのか。
それだけを見る。
バーグが僅かに口元を歪めた。
「厄介な野郎だ」
右手が腰の後ろへ回る。
サビはその動きに合わせ、巨剣槍を僅かに引いた。
バーグが取り出したのは、小さな黒い玉だった。片手に収まるほどの大きさで、表面には細い溝が刻まれている。
それを、サビの足元へ投げた。
サビは巨剣槍の石突で玉を弾こうとする。
その直前、バーグの鋸刃剣が振り下ろされた。
黒い玉が空中で切り裂かれる。
破裂音と共に灰色の煙が噴き出し、雨水と粉塵を巻き込みながら、一瞬で二人の間を覆っていった。